第三話 神降ろしの贄

 ふらりと立ち上がった東我とうがが部屋を出て、すぐに戻ってきた。

「手を洗ってきた。絵札を触ってもいいか?」

 この人も見た目と違って律儀な性格なのかと驚きつつ承諾すると、東我は慎重な手つきで『魔術師』の札に触れた。

「……この絵札にも力は感じるな。……ん? ……何か言ってるぞ?」

「何か言ってる?」

 いやいや、そんなアヤシイ物ではないからと心の中で突っ込みつつ、手渡された『魔術師』を至近距離で見つめて耳を澄ませても声は聞こえなかった。 


 そんなやり取りをしている間に、怜慧レイケイも手を洗ってきたと言って『月』のカードを手に取った。

「……それは『月』のカードなの」

「そうか。さっきから、この絵札が俺を呼んでいる気がしたんだ」

 カードを見つめる真剣な横顔に、どきりと胸が高鳴った。もしかしたら、彼が私の『月』なのだろうかと淡い期待が胸に広がる。

「何か感じる?」

「……これは温かくて優しい力のような物を感じる。……俺は予言者が持っていた同じ絵札を見た。それは遠くからでも不安を掻き立てる冷ややかで不気味な力を発していた。柄は同じでも所有者が変われば全く違う力を宿すものだな」

 

 澄んだ夜空に浮かぶ月。二つの塔と月に吠える犬と狼。泉から這い出ようとするザリガニ。一般的なタロットカードとは違う絵で描かれていても、象徴する物はきちんと揃っている。


「怜慧が見た絵札と違って、これは護りの力が込められてる。後は……俺でもはっきりと感知できない不思議な力が宿っているが悪い物ではないな」

 一枚一枚を丁寧に見終えた二人は、私に感謝の言葉を述べた。


「ひと眠りするか? それとも話を聞いてから寝るか?」

 東我に聞かれて、そういえば深夜かと気が付いた。気持ちが高揚しているからか眠気は感じない。

「できれば話を聞かせて頂けませんか?」


「よし。勿体ぶらずにはっきり言うぞ。今回、予言を受けた王と一部の王子たちが結託して異世界召喚を行った。あいつらは、異世界人を依り代にして創世の女神を降ろす計画を立てている」

「女神を降ろす?」

 私が王や王子たちから聞いた説明とは全く違う。三十日に一度、女神への祈りの儀式を行うだけだと聞いていた。


「肉体を持たない女神を人間の中に押し込むっていうことだな。それも一時的にではなく、肉体が滅びるまでという話だ。これまで聞いたこともない方法だから、依り代の人格が残るかどうかはわからん。女神と人間が一つの体で共存できるのかと考えても答えはでない」

 怜慧が言った『殺される』とはそういうことだったのか。あの場に残らなくて本当に良かった。


「で、子を産ませて王家の血に神の力を取り入れる……という話だが、そこに至る儀式が完全に禁忌ばかりだ。儀式で人命を消費……要するに人を殺す儀式は予言者の女の絵札による占いで示された」

 

「創世の女神を筆頭に、ほとんどの神は死の穢れを嫌う。その穢れを受け入れさせるために、魔力を使った偽の神の光で惑わせるとかな。神への挑戦と冒涜だ。恐れ多くて俺には絶対できん」

 魔力と聞くと、この世界では魔法が普通に存在しているのかと改めて思う。神様も幽霊も身近にいるのはうらやましく感じる。 


「神降ろしは日蝕が起きる五十日後と決まっている。それまでは依り代になるお嬢ちゃんが自決したりしないよう、王子たちが接待する予定だった」

 五十日後と聞いて疑問が沸く。怜慧は四十八日逃げれば勝ちと言っていた。ちらりと視線を送ると怜慧の赤い瞳が若干揺れた。もしかしたら日にちを数え間違いしていたのかもしれない。


「今回の日蝕が過ぎれば、次の日蝕は十三年後だ。怜慧がお嬢ちゃんを連れて逃げ切れば、儀式は無効になる」

「また十三年後に異世界召喚が行われるんですか?」

「それは許さない。儀式の失敗を大問題にして国王に譲位を求める準備をしているから、そっち方面は心配すんな。王族や貴族でも、今回の件は反対者の方が圧倒的に多くてな。今は自分が無事に逃げることだけ考えてくれ」


「宿と協力してくれる貴族の屋敷に泊まりながら場所を移動する。俺の隠蔽魔法と東我の式神で囮をばらまくから、簡単には見つからない。絶対に護るから安心してくれ」

 二人が私を護ってくれるのは嬉しいと思っても、素直に喜べない気持ちが強い。そもそも、何故私がこの世界に連れてこられたのか、何故私だったのか。諦めかけていた気持ちが心を波立たせた。


「……一つ聞いておきたいのですが……もしも……死んだら元の世界に戻れるということは?」

 うつむいた私の呟きで、二人が息を飲んだのがわかった。

「……正直に言えばわからない。神降ろしを阻止してから、お嬢ちゃんが戻る方法を探す。だから自決するのだけは待ってくれないか」

 自決する勇気なんてない。自分でも馬鹿なことを言ってしまったと思ったのに東我の声は優しくて、涙があふれてきた。


「疲れてるみたいだから今日はもう休んだ方がいいな。寝床は用意してある」

 東我の声に促された怜慧が立ち上がり、私の手を引いた。


      ◆


 暗い廊下を怜慧と並んで歩く。私の手はしっかりと握られていて、逃げることはできそうにない。口を引き結び、正面を見据えた怜慧の横顔は冷たく見えて、見捨てられても仕方がないと寂しさが込み上げてくる。


「……ここが俺の部屋だ」

 そういって板戸をくぐると二十畳くらいの板張りの部屋。几帳で区切られた一角には、厚さ十五センチ、二メートル四方の大きな正方形の畳が敷かれていて、その上に白い布団が二組並んでいる。


「少し待っていてくれ。すぐ戻る」

 そう言い残して怜慧は部屋から出て行く。入れ替わりに狐耳の少年たちが運んできた水とたらいで顔と手を洗い、渡された白い着物へと着替えると気分もすっきりした。

 少年たちに声を掛けても、私の言葉は通じないらしくて首を傾げられてしまうだけ。それでもその姿が可愛すぎて頬が緩む。


「待たせた。砂を落としてきた」

 戻ってきた怜慧は私と同じ白い着物姿。銀の髪は湿っていて、お風呂に入ってきたという雰囲気ではなく、水を浴びてきた感じ。

「え、えーっと……」

 布団は二組用意されているから別々に寝るとわかっていても、異性と同じ部屋で眠ることに抵抗はある。せめて布団の間に几帳を立ててもらえないかと言うべきかと迷ううち、手を引かれて布団に向かう。


「手洗いに行きたくなったら、俺を迷わず起こせ」

 何をするのかと問う前に、素早い動作で絹と思しき細い帯を私の右足首に結ばれた。反対側の先は怜慧の左足首に結ばれる。

「え? こ、これは?」

「……お前が馬鹿なことをしないように俺が見張る。手を縛りはしないが、場合によっては検討する」


「は? ちょ。待って。私、縛られて喜ぶ趣味ないわよ」

「俺も、そんな趣味はない」

 見上げると真剣な表情。その赤い瞳は憐れみに満ちていて、私の馬鹿な言葉で心配してくれているのがわかった。いろいろを諦めて布団に入ると灯りが消された。


「……教えて欲しいことがある」

「何?」

「お前もあの絵札で占いをするのか?」 

「ええ。でも、私のは正式には占いって言えないかもしれない。タロットカードは、いろんな意味で読むことができるの。私に占いを教えてくれた祖母は『カードには私たちの周囲にいる神様や精霊のメッセージが降りてくる。それを受け取る人がどう読むかで変わってくる』っていつも言ってた」


「だからね。私は、なるべく明るく前向きなメッセージだけを受け取ることにしているの。明るい未来を選択して、明るい運命を目指していけるようにという願いみたいな……おまじないみたいなものかな」

 占った相手が明るい世界を目指せるように、優しい言葉で背中を押す。自分に対する占いの時もポジティブに。


「気が向いたら、俺も占ってくれないか。代金は払う」

「いいわよ。代金……そうねー。甘い物おごって」

「甘い物か……難しいな……全く思いつかん……」

 暗闇の中、隣でひたすら悩む怜慧を感じながら、私は眠りへと引き込まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る