第二話 同一の絵札

 どのくらい走ったのかはわからないまま、怜慧レイケイの操る馬の速度が緩やかになった。

「もうすぐ着く。俺がいいと言うまで何があっても絶対に口を開くなよ」

 怜慧の腕の中から周囲を見回すと、暗い道の左右に白い土壁が続いている。しばらくすると、ぎぃぎぃと音を立てる牛車が現れた。牛を引くのは五名の男たち。腰に剣を下げた護衛らしき狩衣風の装束の男たちが三名が馬に乗って取り囲んでいる。灯りに照らされた牛車はつやつやとした漆塗りで絵巻物に出てきそうな煌びやかさ。歴史に全然詳しくない私でも、高級品と直感する。


 すれ違う直前、牛車の横にある小さな窓がするりと開いた。中は暗くて誰が乗っているのかはわからない。

『これはこれは、怜慧様が姫さらいとは驚きですわねぇ』

 くすくすと笑う色気のにじむ声は中年女性。怜慧は視線を向けることもなく、ただまっすぐに前を見て馬を進めている。

『あらあら。これは陛下に奏上したほうがよろしいのかしら』

 背後から聞こえる声はあくまで優雅。報告されるのはマズいのではないだろうかと身を固くして見上げると、意外にも怜慧は片目を瞑った。返答しないのは何か理由があるのかと力が抜ける。


 のろのろとした牛車は後ろに過ぎ去り、角を曲がると再び牛車の姿が見えた。牛を引く四名の男たちと馬に乗った護衛が三名。一名足りないけれど、先ほど見た一行にそっくりなのは気のせいなのか。

『怜慧様、わたくしの声が聞こえているでしょう? 一言もお返事いただけないのは寂しいものですわねぇ。またお声を聞きたいですわねぇ』

 再び開いた牛車の小窓から、同じ中年女性の声が聞こえた。ゆっくりとした牛車の速度で移動できる距離ではない。異世界にも幽霊がいるのかと眩暈がした。


 角を曲がる度に再会する牛車から、牛を引く男が一人ずつ減っていく。ついには残り一名になった。

『残念ですわねぇ。今宵はこれにてお別れですわねぇ』

 名残惜しいとねっとりと絡みつくような声は遠くなり、角を曲がっても牛車は現れなくなった。


「……目的地に着いた。この屋敷だ」

 声と共に、はぁあと大きな溜息一つが降ってきた。目の前の屋敷からは、真新しいヒノキの匂いが漂っていて清々しい。土塀は真っ白で、夜の闇の中でもきらきらと輝いているような気がした。

「怜慧、今の女の人、何だったの?」

 幽霊なのかとは怖すぎて聞けない。

「あいつは男だ。恋した姫君に浮気をされた衝撃で、心を病んでしまったらしい。女装して姫君の屋敷の周りを牛車で徘徊し、通りがかる男に名を問い掛けては牛車の中に引きずり込んで姫君に近づかないようにと脅していた」

「えーっと? この世界の牛車って、馬より早いの?」

 死者よりも生者の方が恐ろしいということだろうか。


「馬より早い牛車はないぞ。あれは幻だ。それは十年以上前の話で、男は盗賊に斬り殺されたが自分の死を絶対に認めない。毎晩泣きながら歩いてうるさいと、幻の牛車と従者を与えて男が死を認めるのを待っている」

「……牛引いてる人、減ってたのは何?」

「決められた距離を移動すると消える仕組みだ。牛を引く者がいなくなれば、牛車は進まないということは理解しているらしい」

 やはり幽霊か。声を掛けられても平然と無視していた怜慧の精神力はスゴイと感心しかけたところで気が付いた。

「あれ? 声をまた聞きたいとか言ってなかった?」

「……思い出させないでくれ。俺は子供の頃、一度あいつの顔を見てる……」

 それは牛車に引きずり込まれたということだろうか。

「道に迷って困っているというから、俺は親切で答えてやったのに……」

 赤い瞳が遠くを見ていて、これ以上は聞かない方がいいのかも。


「そうだ。注意することを思い出した。今から会う男の前では、お前の名を呼べない。聞かれても答えるなよ」

「どうして?」

「名で人を操ることもできる男だ。俺がお前の名を護る符を構築するまでは名乗らないでくれ」

 私と会話をしながら怜慧は慣れた仕草で馬のまま門をくぐり、手綱を門の傍らに設置された金具へと結びつける。鞍に付けられていた布袋を肩に担ぎ、馬上の私に手を伸ばす途中で動きを止めた。

「……っと。そこまで運ぶから許可してくれ」

 律儀な言葉を聞いて、何となく頬が緩む。許可すると再び横抱きにされて運ばれる。


 目的地は、私が閉じ込められていた屋敷よりも小さな建物だった。そうはいっても、かなり広い。白木の柱や床で何となく神社のような雰囲気が漂っていて、玄関の扉は無く土間から木製の段差が廊下へと続いている。怜慧は私を段差の上に降ろすと、ぱちりと指を鳴らした。何も起きないし、誰も出てこないと辺りを見回していると、いつの間にか怜慧はブーツと靴下を脱いでいて、私と同じ裸足で床へと上がってきた。

「あ、やっぱ靴は脱ぐんだ……」

「普通、男は脱がない。ここの主はうるさいからな。靴で上がると掃除していけと言われる」

 そろえられたブーツが、ふわりと浮き上がって消えたので盛大に焦った。

「ちょ。今の、何?」

「ああ。ここの主の式神だ。帰る時に返してくれるから心配しなくていいぞ」 

 式神と聞いて私の心は高鳴った。もしかしたら安倍晴明のようなカッコイイ陰陽師がいるのかもと、白い直衣を着た涼やかな美形を想像して心ときめく。幼い頃から憧れだった。

「ど、どうした? いきなり」

「な、何でもないわよ。気にしないで。緊張しているのよ」

 いつの間にか胸の前で手を組んでいたことに気が付いて、慌てて解く。


 わずか十数秒後、私の淡い期待は野太い声で粉々に打ち砕かれた。

「おう。無事に帰ってきたか。良かった良かった」

 奥から出てきたのは薄汚れた白と黒の装束の筋骨隆々とした精悍な男。短く刈られた白髪と日に焼けた肌と赤い瞳。年齢は二十代半ばに見える。全体の印象は美形の武蔵坊弁慶で、右手には大きくて白い酒瓶を持ち、左手には白い杯。


「あの男は東我トウガ。俺の剣術の師匠だ。胡散臭いが信用はできる」

 随分と失礼な紹介だと思っても、東我は笑いながら手酌で酒を飲んでいる。

「東我、立ったまま飲むなよ。零しても俺は掃除しないぞ」

「俺が酒を零す訳ねーだろうが。ほれ、こっちにこい」

 落胆する心を隠しつつ、私は歩き出した。


      ◆


 東我に案内されたのは、野趣あふれる庭へと続く部屋。広い庭には小さな川が流れて水音が微かに耳に入ってくる。ぱちりを指を鳴らすと、格子がぱたぱたと小気味良い音を鳴らしながら開き、しゅるしゅると御簾が上がっていく。これも式神の仕業なのだろうか。

「東我、これでは隠れて連れて来た意味がない」

「巫女を攫ったのはお前の仕業だというのは宣言してるんだ。俺が関係してるのは明白だろ。まぁ、この王都で俺に仕掛けてくる馬鹿はいないだろ」

 そう言って、床に胡坐をかいた東我は笑いながら酒を飲む。自信に満ち溢れる姿は豪快という言葉が似合う。

 勧められた座布団を断り、床へと座る。草か何かで編まれた丸い座布団が痛そうだったからというのは黙っておく。


 東我が手を軽く叩くと、薄い水色の水干を着た七歳くらいの三人の少年たちが白い瓶子と白い湯呑を乗せたお膳を運んできた。彼らが人ではないのは、あご下で切りそろえられた白髪から生える狐の耳と、水干の裾から伸びるふさふさとしたしっぽで明らか。余りの可愛さに内心悶絶してしまう。

「浄化した水だ。お前らまだ成人してないだろ?」

 東我の言葉の途中、小さく舌打ちの音が聞こえたのは気のせいだろうか。まさか隣で座る王子様が舌打ちしたとは思いたくない。


 勧められるままに水を飲むと、気持ちがすっかり落ち着いた。これからどう逃げるのかと聞く前に、東我が口を開いた。

「まずは嬢ちゃんが持ってる絵札を見せてくれないか?」

「絵札? ああ、タロットカードですか?」

 胸元からタロットカードを出して手にすると、東我は綺麗な白い布を床に敷き、並べて見せて欲しいと要求してきた。


 タロットカードは祖母が購入して持っていた物で、一枚一枚に繊細な絵が印刷されている。大正時代に特殊な方法で作られたカードはとても丈夫で、普通ならシャッフルを繰り返すと端が傷んでしまうのに新品のような姿を保っている。


 二十二枚のカードを並べると、怜慧と東我が覗き込む。しばらくして二人が顔を上げた。

「全部は見ていないが、同じ絵だ」

 緊張した声で怜慧が東我に話しかけ、東我は思案顔で再度覗き込む。

「えーっと……、このタロットカードは印刷された物なので、同じカードは私のいた世界に沢山あると思います。誰かが私と同じタロットカードを持っているんですか?」

 沈黙が重過ぎる。不安を打ち消したくて私はわざと明るい声を出す。


「ああ。〝救世の乙女〟の召喚を提案した予言者の女が持っている」

「その予言者も召喚された人?」

「いや。この世界の人間だ。生まれた村も確認できている。元はただの占い師だった女が、いつの間にか予言者として国王の指南役として王宮にいる……」

 怜慧は再び沈黙してカードを見つめ、私は途方に暮れるしかなかった。

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