13 執務室で(ネタバレ)
「ああ、悪かったな。ワタシがアンタの白衣を間違って着ちまったことが、今回の事件の一因となったようだ。娘さんは大丈夫かい? まあ、アンタは、この病院では新参者とはいえ医者だからな。子供の立ち直りが速いのは心得ているだろうがね。でもまあ、自分の娘となると話が変わるからなあ。ああ、そうかい、新しい人形を買ってやるって約束させられてたって……。女の子は強いよなあ……。
彼も可哀想なんだよ。えーと、受け持ち患者への守秘義務ってのは、もちろん大切だが、ま、これは同僚のアンタへの相談だ。だから別に構わないだろう。うん、また彼が迷惑をかけることがあるかもしれないしな。だから、ある程度は知っておいた方がいいだろうさ。
彼が精神を病んだ直接の原因を想像できるかい?
おや、わからない? じゃ、アンタは彼を見て何を感じた。えっ、そうだろう。そうなんだ。彼は綺麗過ぎるんだよ。顔も身体も……。
本当の子供の頃ならば関係なかったろうさ。幼児はそんなことを気にかけないからな。でも少しでも長じるともうダメだ。最初はイジメられたんだよ。その容貌のために……。次には除け者にされた。やはり、その容貌のために……。まわりの子供たちは気づいちまったんだな。彼の本当の美しさを……。
小説でいえば、あー、アンタの苗字から思い出したんだが、『禁色』の悠一青年みたいに彼は周囲に秀でて美しかった。でも、あの話とは違い、彼はそういった生まれつきではなかったから逆にいろいろ大変だった。それに彼は己の美しさを自覚することもなかったんだ。
小学校も高学年となると、彼には友だちがいなくなる。男も、さらには女も、彼の美しさに慄いて近寄ろうとしなくなったんだな。唯一の例外はウチの娘だが、あの子も生まれたときからビックリするくらい綺麗だったからな。だから同じ境遇にいたといっていい。彼と娘がほのかに好意を寄せ合っていたのには気づいていたよ。けれど、どちらも他に友だちがいないものだから、自分たちの感じている感情を理解することができなかった。それに、あんときのワタシにゃ、そこまで見抜けなかったのさ。実際、ワタシも美人と呼ばれて育った口だからね。おい、そこ、笑うことろじゃないよ。まあ、残念ながら、娘ほどじゃなかったがね。
やがて程度は違うが二人とも自分に友だちができないのは、自分が醜いからだと考えはじめた。最初は容姿じゃなくて内面のことだったんだが、やがてそれに容姿も含まれるようになった。それで特に彼は鏡が見られなくなったんだよ。彼の病室に鏡はない。外してあるんだ。病室の窓ガラスも透過度の高い特殊ガラスに代えてある。うっかり顔が映らないとも限らんからな。でも彼は窓には近づかないよ。無意識的にわかっているんだろう。それに陽が暮れる前に必ずカーテンを閉める。まあ、時間があるときにはワタシも確認しに行くけどな。
縁あって彼を担当することになったとき、ワタシは困ってしまったよ。彼の娘に対する歪んだ感情を知っていたからさ。今回の場合は、わずか数時間で最後までいってしまったから夢の詳細は聞けなかったが、前に聞いた夢の中には見えない怪物が出てきたんだ。それが彼。彼が変わってしまうと怖れている自分自身。何故姿が見えないかは説明するまでもないだろう。その怪物の中には見知らぬ少女が捕らえられている。実はそれが早紀なんだ。わたしの娘。えっ、幼馴染でもあるのに、どうして見知らぬ少女と認識するのかだって? それはね、鏡なんだよ。少女の顔は鏡に映ったワタシの娘の顔なんだ。だから彼にはそれが同一人物だと同定できないんだよ。もっともまだ、いつの時点で鏡を通して娘を見たかは掴めていない。まあ、そういったことがあってね、ワタシは困ってしまったのさ。だってワタシはタダでさえ二十以上も若く見られる上に顔が娘に似てるじゃないか。だからあの最初の事件以来、こんな不自然な化粧に代えたのさ。それまでは日焼け止め以外、スッピンに近かったっていうのにな。
で、彼にはもうひとつトラウマがあった。彼には自分が生まれる以前に死んでしまった兄がいたんだ。やんちゃ盛りの五歳のときに交通事故であっという間に亡くなって……。両親としては忘れられなかったんだろう? 気をつけてはいたと思うが、時折、その兄の話を彼にしたらしい。兄もかなり綺麗だったようだが、しかし彼ほどではなかっただろう。大勢の友だちがいたらしいからね。もっともワタシの判断では、それは友だちというより家来もしくは崇拝者といった感じになるが……。
とにかく兄の話を両親から漏れ聞いて彼は兄に劣等感を抱く。……と同時に兄と自分を同一化しはじめたんだ。やがて、それが一個の怜悧な別の人格を彼の中に生じさせるきっかけとなる。友だちがいないことなど露とも気にせぬ、彼とは正反対の尊大な人格をね。
その第二の彼は滅多に外……この現実世界には現れなかったんだが、困ったことに、その彼に娘が惚れちまったんだよ。まあ、その気持ちはわからなくもないがね。ワタシだって娘の歳だったら、彼の近くにいたいと思っただろう。そしてそんな動きと連動して彼は自分の過去の再構築をはじめたんだ。彼の兄の時代の彼の両親は、はっきりいって貧乏だった。ところが第一子の死を忘れるためにはじめた種々の考案――頭をフル回転させていれば忘れていられるって言ってたな――のうちのひとつがアイデア商品として大ヒットして状況が一転する。そうアレさ。いまじゃ何処の家庭にも必ずひとつはあるアレだよ。ついで、それで得た収益を元に会社を興してだんだんと富裕層の仲間入りをしていくわけだが、それは直接彼の病歴とは関係ない。関係あるのは両親が成功しなかったら、彼もこの世に産まれて来なかったという事実だけだ。子供を育てるには金がかかるからな。
まあ、そんなふうにして今の彼の最初の原型が出来上がった。でもそれは非常に不安定なものだったから、いつもグラグラしていた。年齢的に性的な欲求もあったはずだし、そういった一切のことを何とか乗り切るために彼は妄想の世界に入ったんだ。より正確にいえば入るしかなかったんだな。
この病院の、ここ、十一階=精神科にやって来たときには、すでにかなり重症だった。でも彼は自分の精神にとって素晴らしい発明を既にしていた。彼の記憶の最新部分――それは、もっとも新しい人格といい換えてもいいが――は重度の発作の度にリセットされるんだ。ついで目覚めた後で病院のベッドに寝ている自分を見出すというわけ。記憶に障害があるとは、ぼんやりと感じているが、その理由はわからない。だからワタシは彼が最初に目覚めたとき、『事故に巻き込まれたんだよ』と説明する。自分とは関係のない誰かが起こした事故にね。その一サイクルのループ期間はまちまちでね。今回のように数時間と短い上に大騒ぎになった例は少ないが、とにかくそれが繰り返されるんだ。今回彼は屋上から飛び、そのすぐ下の救命ネットに引っかかって助かっただろう。あのネットは、以前彼が屋上から飛び降りようとして取り押さえられた事例をきっかけに設置されたんだよ。
おそらく次には屋上が彼の悪夢の展開場所になるんだろうなあ? 今回のそれは知る由もないが……。
そういえば不思議なこともあってね。彼が新しい悪夢のループに目覚めるとき、いつも空が晴れているんだ。空には真っ赤な朝焼けが燃えている。怖いくらいに紅い朝焼けがあるんだな。彼はループのはじめに必ずそれを見る。それが彼の症例にどこか影響を与えてるのかもな……。まったくわからんけどさ。
おお、もうこんな時間だ。長々と話してしまって申しわけない。どれ、眠っている彼の顔でも見に行こうか。眠っているときの彼も起きているとき同様美しいが、さらに無垢に可愛く見えるんだな、これが……。えっ、なんだって、ヤボなことを言うなよ。もちろん見るだけださ。そりゃ、ワタシはずいぶん前から一人身だけどさ、まさか娘の想い人を奪うわけにもいかないじゃないか。(了)
朝焼けは誰にも教えない り(PN) @ritsune_hayasuki
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