2 生い立ち
ぼくは鍵っ子。
物心付いたときは既にそう。隣の家のお姉さんやおばさんが一緒に過ごしてくれたことは多い。それでも、ほとんどの時間、自分ひとりで過ごしている。
ぼくが鍵っ子だったのは両親が共に働きに出ていたからだ。どうして両親が共に働きに出ていたかというと、どちらかひとりだけの稼ぎでは親子三人暮らしていくことができなかったからだ。どうしてどちらかひとりだけの稼ぎでは暮らしていくことができなかったかというと、それぞれの貰う給料が安かったからだ。どうしてそれぞれの貰う給料が安かったかというと、両親がそれぞれ勤めていた会社の規模が小さかったからだ。どうして両親がそんな小さな規模の会社に勤めていたかというと双方とも教育程度が低かったからだ。父親は一応大学を出ていたけれども、そこは脳味噌が随意筋でできたような不良たちが通う伝統的な吹き溜まりの底辺校。また母親は地方の農業高校出身だ。
さて、ではどうして両親の教育程度が低かったかというと、それは両親の親たちの教育程度が低かったからだ。
父方の祖父は自動車関連の技術者だったので亡くなる数年前に最終的に身体を壊して介護院のベッドから起き上がることができなくなるまで各種の修理工場や車検事業所などを転々とし、自分より先に他界した祖母共々飢えることはない。祖母の死後以降は見る間に体調を崩し、けれども身体の自由が利かなくなっても少しも惚けずに生涯を終える。もっとも頭が良かったわけではない。本当に手に職を持っていたというだけだ。だが不幸なことに成人してまでも祖母から溺愛されたその息子に才能が譲られない。当事は単に祖父と祖母の息子でしかなかったぼくの父親は祖母の溺愛からどうにかして逃れるため、吹き溜まりの底辺校からでさえ得ることができた国語科の高等学校用教職員免許を頼りに地方の私立学校に赴く。だが、それを裡で操っていたのは祖母だ。知り合いを通じた何らかの口添えがあったらしい。葬式か法事か、大勢の親戚が集まる席の畳の背に祖母方の親戚の一人が酔った口調でそう語っていたのを盗み聞く。真偽は不明。詳しいことまでは語られない。けれどもそれを踏まえて思い返すと、ぼくが生きてきたわずか二十年に満たない期間に垣間見た父親の何かにつけての不甲斐なさが、それを事実と認定しているように思えてくる。
とにかくそうして父親は祖母の元から旅立つ。母親は父親が勤めた農業高校の教え子。どうして母親が通っていたのが農業高校だったのかというと母親の実家の近くに普通高校や商業高校が存在しなかったからだ。溺愛ではなかったようだが、それなりに二親からは愛されている。母方の祖父と祖母には生前数回会ったことがある。典型的な田舎の昔風の夫婦の感じ。祖父はいわゆる頑固親父として家族の中で君臨する。出遭った両親二人の間にどんなロマンスがあったか、はなかったか、詳細を知らない。ただそのロマンスがなければ、ぼくは生まれてこなかったはずで、それを思うと狂おしい気持ちに駆られることがある。もちろんそれは、少なくともぼくが父親の子供であるという前提に立った場合の話ではあるが……。
両親が父方の郷里に戻ってきた理由もよくわからない。少なくとも数回聞かされた説明によると祖母の病気が原因らしい。だがぼくが憶えている限り、祖母は確かに膵臓の持病は持っていたものの、何かに付けて忙しく動きまわったり、気に入った催し物を見つけては頻繁に外出するような人だ。とても病弱だったとは思えない。これもまた息子を我が手に取り返すための祖母の策略だったのだろうか?
そうして生後二年目にして、ぼくがこの町に越して来る。そのままこの地が出身地となる。
最初の記憶は微妙なところ。ぼくにはどうも厭な記憶をなかったことにしてしまおうという傾向が物心付いたときからあるからだ。記憶の抜けが多い。その中でどうにか最初に近いと考えられる記憶はお風呂。……というか、水浴び。三歳か四歳のことだろう。そのとき一緒に遊んでいたのは現在でも近所の実家に暮らしている藤原早紀。今ではすっかり綺麗になり、声を掛けるどころか近づくことさえ憚られる。そんな気持ちにさせられてしまう。早紀は当事も綺麗な子供だ。現在との違いといえば身体全体のバランスが単に幼児体形だったというくらいか? 詳しい事情は忘れている。おそらく暑い夏の日だったと思う。ぼくがぐずってプールで水浴びをしたいと喚いたのが、そもそもの始まりだった記憶がある。けれども生憎そのとき簡易プールのビニールが破れており、ガムテープを貼っても空気漏れすることが確認されたので、仕方なく水浴びには低く水を貼ったお風呂が使われる。早紀や他の近所の子供たちと一緒に、ぼくはときどきその(破れていない)簡易型のビニールプールで楽しんでいる。ビニールプールの場合、玄関先が設置場所になるので使用者はみな水着を纏う。だが、その日は場所がお風呂だったことと普通に幼い子供だからという判断で、ぼくと早紀の二人は水着を身に付けずにお風呂に向かう。ただし風呂場の戸は開け放してあり、ときどきぼくの母親――ということはその日が休みだったというわけか――あるいは早紀の母親が代わる代わる様子を覗きに来ていたはず。だが、それは記憶再構築に基づく再生記憶かもしれない。早紀は自分が綺麗であるということに気づいていない。そういった人によくあるように、まったく裸を恥ずかしがることがない。ぼくの方は女の子の丸裸をこんなに近くで見るのが始めてだ。また着替えの最中に自分にはない早紀の部分を見てしまったことで少しばかりドギマギする。当時は完全な子供だから、そのときどんな会話がなされたのか記憶がない。だが、そこで行われたいくつかの行為は憶えている。早紀が自分の父親にあるものがぼくにもあることに興味を示し、やたらとそれを触ってこようとしたのだ。何度も「だめぇ!」と叫びながらそれを避けていたぼくだが、それでも攻撃の手を逃れることはできない。数回触られ、少し引っ張られた辺りで、ぼくが自分の身体に特別な感覚を覚える。今にして思えば、赤ん坊でも勃起することがあるのだから、ぼくのそれも勃っていたに違いない。直後、起こるべきして事故が起きる。風呂の底部にペタンと尻をつけて坐っていたぼくの上に早紀が足を滑らせ、バランスを崩した状態でゆっくりと落ちて来たのだ。ついで偶然の作用に助けられ、ぼくのそれが早紀のそれの中にプルンと入る。ぼくの記憶ではそうなっている。とても痛かった覚えがある。ほんの一瞬のことだ、また本当に先っぽが入っただけだから瞬く間にぼくのそれは早紀のそれから抜け、早紀が風呂の底部にドシンと尻餅をつく。とたんにぼくはおしっこがしたくなり、金切り声で母親を呼ぶ。その場で漏らしてしまうことや早紀の目にそれを見せることが、どうしても自分で赦せなかったのだろう。母親に抱きかかえられてトイレに向かうぼくを早紀は無邪気な目で一瞥する。ついで、まるで何事も起こらなかったかのように相手のいないひとり遊びを始める。そのとき振り返って見つめた一瞬の早紀の顔が美しかったことを、ぼくは今でも鮮明に憶えている。長じてからそれなりの勇気を振り絞り、早紀にそのときのことを確認したが、当然のように――といって良いものか――早紀にはその記憶がない。
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