朝焼けは誰にも教えない
り(PN)
1 悪夢
ここは?
いったい何処?
色がない?
いや、そうではない?
あまりにすべてが透き通り、光が反射し、重なりあい、かえって白が溢れただけか?
本当に?
あの反射の角にあるのは、陰! 黒よりも黒い、黒!
あの窓ガラスの外にあるのは、闇! 黒体より真っ暗な、闇!
けれどもこの世では、それはまだ小さい。
エントランスを抜けたその先の広場には人型の像が立つ。
そのまわりに纏わりつくのは、色。たゆとう色。
ジワジワと像の台座を昇っていくのは、色。ぴちゃぴちゃと音を鳴らし……。短く緩い悲鳴が聞こえ……。
それは男の声ではなく、動物の声ではなく、また決して成人女性の声ではない。
それが背後から聞こえる。背中を圧する存在。ずっしりと、またヌメヌメと、ぴちゃぴちゃと、エントランスのガラス壁に、この世のものとは思えぬ眩煌を反射する。
光の乱舞。光彩陸離! 交じりあい、熔けあい、闇の圧力を増加させ……。
悲鳴が聞こえている。細く、長く、痛々しく、けれども何処かに嬌声を交え、悲鳴が耳を引き裂いていく。
液体のようにドロドロと粘つきながら外耳を辿り、ぷるんと身体を震わせ、その内側で振動を増し、やがて衝撃が鼓膜に達して爆発する。
畏れているのは悲鳴なのか? 得体の知れないナニモノなのか?
でも、これは夢だよ。こんなことは夢に決まっている。心の中で誰かが断定。
たとえ夢だとしても、目が醒めなければそれは現実と同じこと。別の誰かがそいつに答える。
欲するから夢に見るんだ。欲するから脳が情報を整理するんだ。さらに誰かが投げやりに告げる。
ふん、そんなこと、振りかえればわかるじゃないか!
そう呟いたのは誰だったのだろう?
空気の振動を感じる。脈動だ。一様ではない。ある一定の不連続な規則性を持っている。
想像とは違い、それは獣の臭いを放っていない。
無臭の香水って意味があるのだろうか? そんなことを考えている。恐怖が脳を冒したから?
ついで力づくで何モノかに振り向かされる。いきなり肩を捕まれ、背骨がひしゃげるくらい強引に……。
何がいる? 何を見た? ガラス質の? 透明なのか?
そこには何もいなくて、けれども少女がナニモノかに絡まれていて、包まれていて、含まれていて、その口からは悲鳴が漏れていて、悲鳴には無限の色彩が溶け込んでいて、ガラスの反射が少女の未発達のいくつかの部分を緩やかに隠し、ゆらし、黒く染め上げ、淡く浮かし、ついで露にし、腫れ物に触るように優しく、かつ弱者をいたぶるように荒々しく、その身体に触れ、かつ締め上げている。
それは何だったのだ? 恐ろしい考えがぼくを襲う。いやだ、いやだ、いやだ! そんなことあるはずがない。
でも――
そのとき視点が入れ代わる。目の前で腕を捕まれている貧相な若い男は誰だ? それはぼくか? ぼくなのか? そんなことがあっていいのか?
ならば――
少女を弄ぶナニモノかが、ぼく? ぼくの? ぼくの「……」?
欲するから、そいつがやって来る? 欲するからココロがそいつと一体化する? ぼくが欲しているのは外界じゃない! そいつが欲しているのは現実じゃない! そいつが欲しているのはリアルな存在じゃない!
脳がそれを見せているのさ、と告げる誰か。
そりゃそうだろうよ。どの経路を辿ったって結局はそれしかないだろう。別の誰かが投げやりに補足。
でも、そいつぼくじゃない。そいつは魔だ!
哄笑が辺りに響き渡る。
名前をつければいいってもんじゃないだろう? バケモノ? 怪物? 天使? 裏モードの、紅い、碧い、あるいは黄色い、黒い……
脳の中を信号が鋭く貫き、両手の感触が通常に戻る。眩暈がする。クラッと……。
やがて気づくと何か柔らかいものを掴んでいる。それにはミミズ腫れが浮かんでいるが死んではいなくて、けれど生きてもいなくて、大きな眼が限界まで見開かれ、ぼくを見つめる。
その瞳の中にぼくが映る。ぼく? これがぼくか? ぼくなのか?
それはぼくではない。少なくともいままでのぼくが知っていた、ぼくに親しいぼくではない。
それは凍りついた目をしている。それは美しい怜悧さを湛えている。
そのぼくは完全な楽しみのためにいったん少女から両手を放すと、次にはぐっと力を込め、少女の首を絞め上げる。ほどなく少女の華奢な頚骨が折れる独特の感覚が脳まで届く。雀を握り潰したような、ポキッではなく、グシャでもなく、上手く言葉にいい表せない色の乱れ飛ぶ濡れた木綿の布地を握り締めたときのような、あるいは骨のない中途半端に萎えた見知らぬ男のシンボルを嬉々として握り潰し、破裂させ、飛沫がぐるりに飛び散るときのような……。
二度目の覚醒が訪れ、今度は若い女の服を引きちぎり、両手は胸を鷲掴みにしている。
さらに数回の目覚めが訪れ、肉の感覚が濃厚になり、あまつさえ匂いまでが伴われ……。
そして――
ベッドで目覚めるぼくの顔を真上から見つめているのは、ぼくのまったく知らない若い女。けれどもぼくはその女が夢の少女の正しいイレモノに違いないと直感する。
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