第2話

 憔悴しきったニコラウとシルヴィアは皆に頭を下げて肩を抱き合い、家に戻っていった。彼らの悲しみを思うと身が切り裂かれるようで、アイリスは涙をこぼした。

「一体、何が起きたのだろう」

 それは誰にも分からなかった。この島には人間を襲う生き物はいない。誰かがライカを掠ったのだろうか、しかしそんなことをする理由が思いつかない。

 ルイは家に帰ってエミリオとソフィアを抱きしめた。

「パパ、痛いよ」

 エミリオはくすぐったそうに笑う。

「どうしちゃったの、パパ甘えん坊ね」

 ソフィアは柔らかな手でルイの髪を撫でた。この子たちは絶対に離さない。ルイは二人を抱きしめる腕に力を込めた。


 ***


 三日後。薄雲が空を覆い、島に暗い影を落としていた。今度はマリアが行方不明になった。蔦を探して森に出掛けたまま戻らないという。ロナルドはひどく混乱し、泣きながらマリアの名を呼んだ。子供たちも母の名を呼んで呼応するように泣いた。

 集落の男たち総出で森の中を捜索した。松明の灯りが鬱蒼とした森を行き来し、それは明け方まで続いた。しかし、マリアは見つからなかった。

 ロナウドは落胆し、鶏の世話ができなくなった。


 それからも島民が次々と、霧のように跡形もなく消えていった。

 ひどく暑い日だった。クィン一家がまるごと消えた。ルイが船の修理を頼みに行くと家の中はもぬけの空で、食べかけの食器がテーブルの上に置かれていた。荒らされた様子は無かった。ただ何者かの意思でそこからまるごと存在を消されたようだった。


 集落から笑顔が消えた。ルイはアイリスとエミリオ、ソフィアをできるだけ家から出さないようにした。やむなく漁で外へ出るときは、家族を必ず自分の監視化に置くようにした。

 島に起きている異変を知るアイリスはルイの考えが理解できたが、子供たちはそうではない。いつも自由に森や浜辺を駆けていたソフィアとエミリオはルイに反発した。


「どうして遊びにいっちゃいけないの」

 遊びたいざかりのソフィアは何かに怯える父のルイに苛立ちをぶつけた。

「お前が大事だからだよ、ソフィア」

 ルイは困った顔でソフィアの頭を撫でる。

「こんなにお天気がいいのに、お花を摘みにいきたい」

 ソフィアはいやいやをする。


「ダメだ、言うことを聞きなさい」

 不安と怒りで湧き上がる苛立ちが抑えきれず、ルイは声を荒げた。そんな父の姿を見たことがなかったソフィアは泣き出した。エミリオも姉に触発されて泣き始める。窓際の椅子に座ったアイリスは悲しい顔で俯いている。



 このままではいけない。ルイは唇を噛む。もう三家族が消えた。ロゼッタの夫が消え、マテウスの年老いた母が消えた。彼らは戻ってこない。こんな狭い島でこれだけの人間が一体どこへ行ってしまったのか。

 ルイは頭を掻きむしった。いずれ自分か、愛する家族も消えていく。そんなことはとても堪えられない。一体自分が何をしたというのか。そう考えたとき、ズキンと頭が痛んだ。


 ***


 翌朝、ドアが開いているのを見つけた。ソフィアとエミリオの姿がない。ルイは背筋に冷たいものが落ちるのを感じた。

「探しに行ってくる。君はここにいてくれ」

「あなた、気をつけて」

 ルイはアイリスに口づけ、家を出た。荒れ放題のロナルドの鶏小屋の脇を通り、浜辺へ向かう。二人は浜辺で遊ぶのが好きだった。きっとそこにいるはずだ。見つけても怒らないようにしよう。ルイはそう言い聞かせた。


 朝焼けの海は金色に光輝いていた。浜辺を歩く蟹が波に戯れている。ルイは二人の名を呼んだ。しかし、返事はない。ふと、小さな足跡を見つけた。それを辿ると椰子の木陰にソフィアの姿を見つけた。

 ソフィアは見つかって怒られると思ったのか、肩を竦めて足元を見つめている。

「いいんだよ、パパが悪かった」

 ルイはソフィアを抱きしめる。ソフィアは赤いハイビスカスを手にしていた。

「ママにプレゼントしたかったの」

 ルイは目に滲む涙を拭った。


「エミリオはどこだ」

「さっきまで浜辺で貝殻を拾ってた」

 ソフィアが指差す先にエミリオの姿はない。ルイは青ざめる。浜辺を駆け、エミリオの名を呼んだ。しかし、愛しい息子の姿はどこにも見当たらなかった。

「そんな、まさか」

 呆然とするルイが振り返ると、白い砂浜に赤いハイビスカスがぽつんと落ちていた。


 ルイは血眼になって二人を探した。喉も裂けよと声を張り上げた。しかし、エミリオとソフィアは跡形もなく消えてしまった。ルイは砂浜に膝をつく。太陽は容赦無く照りつけ、肌を焦がす。

「アイリス」

 ルイは顔を上げた。赤いハイビスカスを手に、椰子林を抜けて家へ急いだ。


 扉を開けると、誰もいなかった。窓辺の椅子がキイキイと音を立てて揺れている。ルイは手にした赤い花を握りつぶした。悔しさにめり込む程に奥歯を噛みしめ、唇の端から血が滴り落ちた。

 ルイは力なく家を出た。クインの作業場、ロナウドの庭、マテウスの小屋を覗いたが、誰もいない。集落から一切の人の気配が消えた。

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