美しき楽園
神崎あきら
第1話
限りなく透明なブルーが広がっている。足もとに打ち寄せる波を追いかけては逃げる小さなエミリオは白い砂浜にピンク色の貝殻を見つけてきらきらと目を輝かせた。柔らかい指で宝物を扱うように貝殻を拾い上げる。それをじっと見つめ、瞬間ぱっと笑顔が弾けた。
「ママ、きれいな貝があった」
光る砂を蹴ってエミリオが駆ける。長い黒髪を潮風になびかせたアイリスは微笑み、しゃがみ込んでエミリオに目線を合わせる。
「まあ、綺麗」
エミリオは嬉しくなって頬を赤らめる。アイリスはエミリオの手の平にちょこんと乗った貝殻を見つめ、また微笑んだ。
岩場で釣り糸を垂れるルイは愛しい妻の慈愛に満ちた横顔を見つめる。椰子の木の隙間からひょこっと顔を出したのはエミリオの姉のソフィアだ。
「ママ、見て」
ソフィアは腕いっぱいに真っ赤なハイビスカスの花を抱えている。
「まあ、こんなにたくさん」
「首飾りをつくって。ママの分もあるわ」
おませなソフィアはいつも花の首飾りをねだる。
「いいわよ、じゃあエミリオと遊んであげてね」
「うん」
ソフィアは大きく首を振り、エミリオの手を取った。エミリオとソフィアは波打ち際で貝拾いを始めた。ころころした笑い声が耳に心地良く、幸せな家族の姿に目を細めたルイは竿に手応えを感じた。ぐんとしなる竿を慌てて引く。糸はぴんと張り、その先に大物の手応えがあった。
「あなた、頑張って」
アイリスが叫ぶ。
「パパ、頑張れ」
ルイは糸をぐんと引いた。煌めく波間から銀色に輝く背中が見えた。背びれが大きい、これはきっと大物に違いない。ルイは一度糸を緩め、竿をびゅんと引いた。
海から銀色の魚が跳ね上がる。
「パパ、すごい」
陸に上がった魚をエミリオとソフィアが恐る恐る覗き込む。魚が跳ねて、エミリオはわっと驚きの声を上げた。そして、二人で笑い合った。ルイは得意げに魚を持ち上げて見せた。
「今日はごちそうね」
アイリスも嬉しそうだ。
***
日が沈み、夜空に金星が輝き始めた。
ルイが魚を捌き、アイリスが火を通す。家族四人が満腹になるほど大きな魚だった。余った身はバナナの葉にくるんで燻製にした。残りは集落のはずれに一人で暮らす蒸留酒造りの名手エンリケじいさんに譲ることにした。
ソフィアは赤いハイビスカスの花を頭につけたまま、エミリオは貝殻を小さな手の平に握り絞めて眠りに落ちた。
「この子たちは私たちの宝物ね」
アイリスはあどけない寝顔を見つめながら聖母のような微笑みを浮かべる。ルイは彼女の艶やかな黒髪を撫で、張り出したお腹にそっと手を添える。そこには新しい命が宿っていた。
「この子にも早く会いたいよ」
ルイは手の平に命の温もりを感じて、口許を緩める。
「きっと君に似てかわいい子だ」
ルイはアイリスの頬に優しく口づける。穏やかな波の音が遠く響いていた。
***
この島は大人の足で歩けば三刻もかからず一周できるほどの大きさだ。周囲はエメラルドブルーの遠浅の海に囲まれて、いつも目映い太陽が降り注いでいる。時折やってくるスコールは貴重な飲み水となった。
浜辺から三十歩ほどの内地に小さな集落がある。木の柱に椰子の葉を乗せた簡単な作りの家で、五つの家族と独り身の老人が暮らしていた。
集落の者たちはそれぞれに得意なものを作り、交換をして暮らしていた。
ロナルドは鶏を育てており、毎朝新鮮な卵ができる。クィンは木の加工が得意だ。椅子やテーブル、皿まで何でも作ることができる。妻マリアは蔦を使って手提げ籠や漁のための網を編んだ。
身軽なマテウスは木登りが得意だ。椰子の実やマンゴーなど、高い場所にあるものを採取できる。植物に詳しい妻のロゼッタは薬を調合できた。
ルイは漁が得意だ。クィンの作った木船で沖に漕ぎ出し、マリアの網で魚を捕った。
島の周囲に他の島は見えない。ルイは一度船で遠くに漕ぎだそうとしたが、果てしない海の真ん中で方角を見失い、太陽を目印にようやく帰ってくることができた。
それから二度と島を出ようと考えることはなくなった。この島には争いはない。豊かな島の自然を享受しながら平和に暮らしている。ルイはそんな穏やかな暮らしに満足していた。
***
太陽が昇り、ロナルドの鶏が鳴き始める頃、シルヴィアの子を呼ぶ悲痛な声が聞こえた。ルイとアイリスは目を覚まし、家の外に出た。
シルヴィアはおくるみを抱いて涙を流しながら地面にへたり込んでいた。夫のニコラウは彼女に寄り添い、肩を抱いている。
「ライカがいなくなった。朝起きたら消えていた」
ニコラウは呆然と呟いた。ルイとアイリスは顔を見合わせる。ライカはまだ乳離れもしておらず、一人で歩いて家を出て行くことなどできないはずだ。
「いったい、何があった」
ロナルドとマテウスもやってきて、集落総出でライカの捜索が始まった。
「ライカ」
皆でライカの名を呼ぶ。誰かに連れ去られたのだろうか、しかし一体誰がそんなことをするというのだ。捜索は太陽が高く昇り、陰るまで続いた。しかし、ライカは見つかることはなかった。
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