【18】生き残り


 ……ふだんならどうという事のない相手と数だったが、この時は連日の過酷な行軍で調子は最悪だった。

 どうにか全ての骸骨を倒す事は出来たが、私は右肩を深く斬りつけられ、スレイルは右脚を折られてしまい、まともに動けなくなってしまった。右脇腹もえぐられている。傷口を焼いて糸で縫い合わせた事により血は止まったが、かなりの深手である事は間違いなかった。

 私も右肩を止血したが、しばらくまともに剣を振れそうになかった。

 次に同じ規模の敵に襲われたら、確実にあの荒野が私の墓場となっていただろう。

 スレイルは泣きながら「俺の事はもういい。置いていけ」と言ったが、ゾイルはこれをよしとしなかった。

 彼は「あのときの借りを今返す」と言って笑った。すると、スレイルは「すまない」と繰り返し、泣きながら笑っていた。

 すると、ゾイルは「いいんだ。あのときと同じさ」と言った。

 この“あのとき”というのは、例の『死の迷宮』を彷徨ったときの事だろう。どうやら、ゾイルはそのとき、スレイルに何かの借りがあるらしい。

 ……そういえば、ずっと前に聞いた話によれば、二人は長年の親友であると同時に、ゾイルはスレイルの兄を師と仰いでいたらしい。

 よって、ゾイルがスレイルを見捨てる事など有り得ないし、その逆も然りなのだろう。

 そんな風に二人で寄り添いながら、迫り来る死の恐怖に抗おうとする姿は、私には美しく、そして羨ましく感じられた。

 私も二人の友情に励まされ、どうにか折れかけた心を繋ぎ止める事ができていた。 

 そうして、この日もどうにか夜を凌いで、朝になるまで待って、我々は再び動き出す。

 ゾイルはスレイルの右肩を担ぎながら、ずっと思い出話をしていた。スレイルは泣きながら相づちを繰り返していた。

 私は血を流し過ぎたらしく、頭がぼんやりしてうまく働かなかった。そして、間近に迫る死に敗北しかけている事に対し、絶え間ない恐怖が常に心を震わせていた。

 町の影はまだ見えない。遠くになだらかな丘陵が横たわっていた。この日は、その丘陵を越えるつもりだった。

 しかし、大した距離を歩いていないにも関わらず夜になってしまった。

 この日、風は吹いていなかったが、自分の手持ちの食料が最後となった。私たちは親指ほどの最後の干し肉の欠片を口にした。

 残りはザックが持っていた干し肉の欠片。これを三等分すれば食料はなくなる。

 もう、スレイルも「自分を置いていけ」とは言わなくなっていた。そんな事をしても無意味である事は、考えるまでもなかった。その代わり何かを言い掛けて止めるという事が何度かあった。

 きっと『俺を殺して欲しい』だろう。それほどの地獄だった。しかし、私はそのときでも、敗北したまま死ぬ事に恐怖を抱いていた。

 お喋りだったゾイルも、貝のように口をつぐみ、見開いた目で地面を見つめていた。私も似たようなものだった。

 三人の中心に置かれたランタンだけが、その場で唯一の輝きだった。

 そうして、刻々と時が過ぎていった。

 すると突然、ゾイルがゆっくりと顔をあげて、きょろきょろと辺りを見渡した。

 どうしたのかと尋ねると、彼は凄絶せいぜつな笑みを浮かべながら、こんな事を言い始めた。

「今、遠吠えが聞こえた」

「は?」と、聞き返そうとした。私の耳には聞こえなかったからだ。

 すると、ゾイルが唇の前で人差し指を立て、神妙な表情で立ちあがった。

「また聞こえた。この鳴き声はきっとコヨーテだ」

 彼は確かにそう言った。私の耳にはやはり聞こえなかった。

 そこでスレイルがむせび声をあげて「……こんなところにコヨーテなんぞ、いる訳がないだろ」と言った。

 しかし、ゾイルは再び辺りを見渡すと「あっちだ」 と言って、ランタンを掴み立ち上がる。そのまま東の方角へ駆け出した。

 スレイルが苦痛を堪えながら、あらん限りの力で声を張りあげ、彼の名前を呼んだ。しかし、彼は一度振り返ると「あのときと同じさ」と笑って、暗闇の中に姿を消した。

 私なら追い掛けようと思えば追い掛ける事はできたかもしれない。だが、もう限界だった。スレイルもその事については何も言わなかった。ただ、彼は咽び泣いていた。

 そのまま、朝を迎えた。


 ◇ ◇ ◇


「……ねえ。本当にあんた、助かったの?」

 ティナが訝しげな顔で言った。

 カブリエラはいつものように鼻を鳴らし、飄々ひょうひょうと言ってのける。

「じゃなかったら、ここにはいないだろ」

「それは、そうだけど……」

 そこで、ティナは黙り込んだ。するとミルフィナが話を促した。

「……で、あなたはどうやって生還したのよ?」

「ああ。その日は朝になっても、私とスレイルは、その場所から動かなかった。……いや、動けなかった」

「でしょうね」とミルフィナ。ガブリエラは淡々と話の続きを口にした。

「……その日の夕暮れどきにゾイルが戻ってきた」


 ◇ ◇ ◇


 戻ってきたゾイルの姿を見たとき、スレイルは「何だ、それは?」と、真っ先に質問を発した。

 するとゾイルは満面の笑みを浮かべて「コヨーテだよ」と言って、両手で掴んだそれを振りあげた。

 それは大量の肉だった。表面は乾いて暗緑色に染まりかけていたが、今の我々にとってはご馳走だった。

 恐らく、この分量ならあと数日は食料が持ちそうだった。

 スレイルと私は、この奇跡に目を見開いて喜んだ。

 ゾイルによるとこうだった。

「たぶん、この荒野の端のまともな土地で暮らしてたコヨーテが、迷い込んだんだろう。そもそも、餌になる動物がいなければ、あんなスライムがここにいるはずがない」

 そんな説明をしながら、ゾイルは我々に肉を一切れずつ渡した。因みにもう固形燃料も切れていたし、油も僅かしかない。生で食うしかなかった。

 ともあれ、ゾイルは肉を配り終わると地面に寝そべったままのスレイルから少し離れた場所で、腰をおろした。スレイルも上半身を起こして、肉に齧りついた。

 それから三人は黙って生肉を食べた。肉はやはり傷み掛けており、すえた臭いがしたが、そのときの私の身体は力を求めており、瞬く間に平らげてしまった。

 そこで、二人の方を見ると、ゾイルとスレイルは肉を半分まで食べたところで手を止めて、なぜか見つめあっていた。

 どうしたのだろうかと、首を傾げていると突然、ゾイルが立ち上がり怒声をあげた。

「……あのときと同じじゃねえか!」

 スレイルが泣きながら悪態を吐いた。

「ああ……糞……まったく同じだ」

 すると、ゾイルが地面に置いてあったメイスを持ち上げ、スレイルの頭を叩き割った。止める間もなかった。彼がなぜそんな事をしたのか解らなかった。

 ゾイルはスレイルに借りがあるのではなかったのか? 彼は親友で、敬愛する人の弟だったのではなかったのか?

 私には何もかも解らなかったが、ゾイルがまともではない事は理解できた。彼はどう考えても狂気に取り憑かれていた。次は自分がやられる。

 私は剣を抜いて立ち上がる。

 すると、ゾイルはメイスを投げ捨てて、こちらを向いた。

 爛々らんらんと輝く目。生肉の血で汚れた歯をむき出して、三日月のように笑う彼の表情は、まるで悪魔のようだった。

 ゾイルは、自分の腰に差してあった剣鉈を抜いた。

 私も剣を構えた。

 しかし、彼は次の瞬間、剣鉈で自らの喉を刺し貫いた。

 彼の巨体がゆっくりと倒れた。 

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