【08】語られなかった真相


 ユリルへの手紙を行商に預けて一月ひとつき経った頃だった。

 その頃のミルフィナの心は落ち着き、これまで通りの変わり映えのない毎日を繰り返していた。あのあと、タジールの元から帰ったミルフィナは両親と話し合った。

 すると、両親は彼女に謝罪して、こう言った。

「……罪の意識でお前が森を飛び出して行ってしまうんじゃないかと思って」

 それを聞いて、ミルフィナは行き場のない憤りと自己嫌悪に襲われて泣き崩れた。

 さておき、その日の朝。

 それは、いつも家にいるはずの両親が、数日前から遠くの集落で暮らす親戚の葬儀に出かけている事以外、何の変哲もない朝だった。

 深い眠りについていたミルフィナの意識は、遠くから徐々に大きくなる鴉の鳴き声によって覚醒を始める。

 当初一匹だけだったそれは、不愉快な羽ばたきの音と共に、その数を増やしていった。

 悪夢でも見ているのだろう。悪夢なら目覚めてしまえば消えてしまう。ミルフィナは重たい瞼を押し開いた。

 しかし、目を開き、ベッドの上で身を起こしたあとも、鴉の鳴き声は消えなかった。

 ミルフィナは顔をしかめ、その音が聞こえてくる方を向いた。あの例の窓だった。

 窓の扉の向こうから、禍々しい羽ばたきと醜悪な鳴き声が、確かに聞こえてくる。

 ミルフィナはベッドから出て、恐る恐る窓辺に寄った。やはり鴉の鳴き声は確かに聞こえてくる。

 ミルフィナは窓の扉を開けた。

 すると、ミルフィナの家とインディー家の木の間を無数の鴉が飛び交っていた。そして、あのインディーさん家の玄関前から伸びた枝に、何かがぶら下がっていた。

 その鮮血を吸い込んだ襤褸ぼろ雑巾のようなものは、ホメロの妹であるユリルであった。

 鴉に啄まれ、ぼろぼろになった顔面にかすかに残る彼女の面影を認識した瞬間、ミルフィナは盛大に絶叫した。同時に、既に集まっていた野次馬が一斉に彼女の事を見あげた。

 ミルフィナは再び悲鳴をあげる。

 すると、ユリルが右手で握り締めていたものが、ごとりと地面に落下した。

 野次馬たちが脅えた表情で遠巻きに眺めるそれは“過去見の玉”であった。

「嘘でしょ……嘘……」

 よたよたとふらつきながら窓辺を離れ、腰を抜かして床を這い、部屋の外へと出た。どうにか壁伝いに立ち上がり、家を出て地上に降りた。

「どいて……どいてよ……」

 野次馬を掻き分け、ユリルの真下へと向かう。

 “過去見の玉”を拾いあげると、そこに記録された映像と音声が再生された。どうやらミルフィナが触れると再生が始まるように設定されていたらしい。

 映し出されたのは、蝋燭か何かの明かりの中に浮かんだユミルの顔だった。彼女の周囲は薄暗く、この時点では、そこがどこなのか解らない。

 ユミルはしばらく無表情だったが、唐突にゲラゲラと笑い出した。

『……なぁんで、おにぃちゃんを殺したのに、あんた、まだこの森にいるのぉ?  せっかく、薬でおにぃちゃんの事を思い出させてやったのに、ちーっとも、出て行こうとしない』

 球面に映し出されたユミルに睨まれると、ミルフィナは腰を落とした。

『……どうしても、出て行けないなら、あたしがあんたのケツをひっぱたいてあげる……フフフフフ』

 ユミルの醜悪な笑みが球面の上方に消えて、胸元が映し出される。どうやら彼女は“過去見の玉”を右の掌に載せているようだ。

 その球面に映し出された像が左側に流れる。すると、変わりに映し出されたのは、少し離れた場所で正座をしているインディーとその家族の姿だった。

 両手を後ろに回しており、猿轡さるぐつわをしていた。どうやら身動きが取れないらしい。

 その隣には、彼の妻が、更にその隣には双子の兄と妹と続いていた。そして、ぼんやりとした明かりの中に、わずかに棚や窓枠の輪郭が見える。どうやらインディーの家の中らしい。

『本当はあんたの両親を殺してやろうと思ったけどさぁ……うはは……いないから、こいつらにするわ……うふフフ……』 

 球面に映った双子の妹の姿がゆっくりと大きくなる。 

「……やめて……やめて……やめて……」

 ミルフィナは唇を動かしながら懇願こんがんする。

 しかし、その必死の祈りは“過去見の玉”から聞こえる呪詛の声に掻き消される。

『……こいつら四人は、あんたのせいで死ぬ。あんたがこの森を独りで出ていかなかったから死ぬ』

 球面の双子の兄の姿が大きくなる。彼は泣き出した。ユミルは笑う。楽しげに笑う。

『……あんたは殺さない。生きて苦しめ。あんたは、この先もずっと、どこにいたって幸せになんかなれない。人殺しめ』

 その言葉と共に球面に泣き喚く双子の妹の顔が映る。必死に命乞いをしているようだが、言葉にはなっていない。双子の妹がぎゅっと目を閉じて、何かから逃れるように首を左へとよじる。

 次の瞬間、その妹の首筋に鉈の刃が叩き込まれ、ぐしゃり、と果実か潰れるような音がした。球面の像が噴き出した鮮血で赤に染め上げられる。

「ああああ……」

 ミルフィナは獣じみた悲鳴をあげ天を扇いだ。

 そこには、食い散らかされたユミルの死体と飛び交う鴉、木の上で沈黙を守り続けるインディーの家、そして、木立に切り取られた青い空がうかがえた。




 それから数日後の事だった。

 タジールの診療室にて。

「無理ですね」

 精霊使いシャーマンのタジールは、薬研で薬草をすり潰しながら、背後で佇むミルフィナの両親に向かって言った。

「……一度、思い出した事は、もう忘れさせる事はできません。その記憶には薬の耐性が出来てしまうので」

「それでは……」

 父親が眉間にしわを寄せ、その横顔を母親が不安げに見つめた。

 タジールは手を止めぬまま、淡々と言った。

「今、調合した薬を帰ったらすぐに娘さんに飲ませてください。そうすれば、インディー家の事や元恋人の妹の末路までは忘れさせる事ができます」

「はい……今回も・・・ありがとうございます」

 ミルフィナの父親は泣きそうな顔で礼を述べた。

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