【02】最初の一匹


「……ウチの住んでた土地では、鴉は、怨念を抱いて非業の死を遂げた者の魂が変化したものだって云われて忌み嫌われているの」

 ミルフィナの言葉に、ティナは頷く。

「……確かに鴉は死と繋がりの深い鳥ね。西方では戦死した者の魂が化身した鳥だって云われているし、東方では、死者の魂を冥府に運ぶ鳥だっていう伝承があるわ。因みに北方では死神に魂を売った邪悪な魔女の使い魔で、南方では墓所の番人とされている。何にせよ、単なる迷信なんだけどね」

「へー、そうなんだ」

 と、サマラは関心した様子で声をあげた。しかし、ガブリエラはつまらなそうな顔で話を促す。

「……だが、そんな子供騙しの迷信がいったい何だと言うのだ? まさか信じてる訳ではあるまい」

「うん。子供の頃は怖かったけどね」

 と、ミルフィナは自嘲気味に笑って話を続ける。

「……でもね。あの日、アレ・・を見てから、ちょっと苦手になっちゃって。どうしても、駄目っていう訳じゃないんだけど」

 その奥歯に物が挟まったような言い方にガブリエラは眉をひそめる。

アレ・・? アレとは一体何なのだ?」

「ウチの故郷のウォーシャスの森での話なんだけど……」

「ああ」とガブリエラは相づちを返して記憶を辿る。ティナとサマラも、その光景を思い出す。

 ウォーシャスの森は、この国から遥か南西の海を越えた先に広がる大森林の事だ。

 城塞の尖塔ぐらいはありそうな太古の樹木が生い茂り、多種多様な生き物が生息している。

 その到る所に張り巡らされた太い枝の上には、木組みの家や蔦や板で作られた通路が造られ、そこでは森の民であるエルフ族が、日々の暮らしを営んでいた。

 ミルフィナは、そんなエルフ族の集落の一つである『二つ葉陰ばかげ』で生まれ育った。そして、数ヶ月前に『二つ葉陰』を訪れたナッシュ、サマラ、ティナ、ガブリエラたちと出会って今に至る。

「……森に住むエルフたちは、死者を森に返すの」

「どういう事?」

 サマラの問いにミルフィナが答える。

不死族アンデッドにならないように儀式をしたり、穴を掘って埋めるまでは人間と同じ。でも、ウチらエルフはいしぶみを建てるのではなく、木を植えるの。……そうして森は大きくなって行く」

「森のために子を成して、森と共に生きて、死して森の一部となる……そんな、エルフ族の文化にあんたは疑問を感じていた。だから、アタシたちの仲間になったんだっけ?」

 ティナのその言葉に、ミルフィナは暗い微笑みを浮かべながら頷く。

「……でも、それだけじゃない」

「それだけじゃない?」

 ガブリエラが問い返すと、ミルフィナは語り始める。

「……あれは、あなたたち四人が『二つ葉陰』にやって来る少し前の事だったわ。その前の日もいつもと変わらなかった。起きて友だちと狩りに出て、水浴びして、家に帰る途中で、インディーさんたちと出会ってちょっと立ち話をしたりして……」

 そこでミルフィナが唐突に言葉を詰まらせる。

「どうした?」とガブリエラが訊くと、なぜかミルフィナは慌てた様子で話を再開する。

「あっ、うん、その……イ、インディーさんっていうのは、お、お隣に住んでた四人家族で、ふ、双子の兄と妹が……」

 と、言い出したところで、ティナがピシャリと突っ込む。

「そんなのはどうでも良いから、早く本題に入りなさいよ」

「ごめん……」とミルフィナは笑いながら謝ると、話を戻した。

「……兎に角、始まりは次の日の朝だったわ」


 ◇ ◇ ◇


 ……その日、ウチは朝起きると、部屋の窓辺へと向かったの。そこからは、ほんの少しだけ空が見えるから。

 ウォーシャスの森では巨大樹の枝や葉が幾重にも折り重なり、空を覆い隠しているから、地面に近づけば近づくほど太陽の光は届かない。

 木から降りれば真っ暗闇で、夜目の利くウチらエルフは何ともないけど、人間ならランタンの明かりがないと歩けないのは、あなたたちも知ってるでしょう?

 そんな世界で暮らしているエルフたちも、争いを好まない大人しい種族なんて言えば聞こえはいいけど、暗くて鬱々うつうつとしていて陰湿だった。

 ウチはそんなエルフとウォーシャスの森が大嫌いだった。いつか必ず森を出て、明るい外の世界で暮らしてやるって、そう思ってた。

 だけど、あの頃のウチは森の外の事なんか、まるで知らなくて、どうすれば町に出て暮らしていけるのか解らなかった。一応、お金は貯めていたんだけどね。

 でも、反対する周りを振り切って森を出る覚悟もなかったし、実際に町に出ても、たぶんウチはろくでもないところまで堕ちていたと思う。

 それが解っていたから、どうする事もできなくて、いつも思考は現状を憂いながら現状維持する方向に流され続けていた。

 で、そんな鬱屈した毎日を送るウチにとって、その窓の先に見える、切り取られた空だけが唯一の慰めだった。

 その空を横切る鳥たちの群れを見ては、森の外の広い世界に想いを馳せる。そんな、ちっぽけな事が、あの頃のウチにとっては数少ない娯楽の一つだった。

 ……でもね。その日の窓の外の風景はいつもと違っていたんだ。

 ウチの家のある木の一つ隣なんだけど……その木にあったインディーさん家の玄関前から横に伸びた枝に、一匹の鴉が停まっていた。

 もちろん、鴉を見た事がなかった訳じゃなかったけど、その窓から見える景色の中では一回もなかった。

 まるで、綺麗な風景画の上に真っ黒なインクを垂らしたかのようなそれは、他で目にする以上に不吉で不気味だった。

 何より、その鴉はまるで窓の向こうのウチを覗き見るように、じっとこっちの方を見ていた。真っ赤な石榴ざくろの実のような瞳で、じっと……。

 そうなの。

 その鴉、瞳の色が赤かったの。普通は黒なのに。

 その瞳で見つめ続けられていると、変な感じがした。頭の中で何かが引っ掛かっているというか、何かが喉元まで来ているのに口から出てこない感じって言うか……。

 兎に角、ウチは気分が悪くなって、目を逸らした。同時に枝の揺れる音と羽ばたきの音が聞こえた。ウチはもう一度、窓の外を見たんだ。

 すると、鴉はもう幽霊みたいにいなくなっていた。

 

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