【03】増殖


 それからウチは着替えて、いつものように友だちと狩りに出て、水浴びをして、日が暮れる前に家に帰ってきた。それから、いつも通りパパとママと一緒にご飯を食べたの。

 もう飽き飽きするほど繰り返してきたつまらない時間を過ごすうちに、もう今朝見た鴉の事なんか、とっくに忘れてた。

 でも、ウチはあの不気味な鴉の事をすぐに思い出す事となった。

 ……そう。次の朝。

 いつものように起きて、例の窓の扉を開けた。

 すると、いた・・の。

 しかも、今度は二匹。

 一匹がもう一匹に頭をもたれて、寄り添って……それだけ聞けば恋人みたいに思えるかも知れないけど、目だけは……赤い瞳だけはこちらを見ていた。

 そうなの。二匹とも瞳の色は同じだった。

 鳴き声一つもあげる事なく、ウチをじっと見ている。そうすると、また、あの変な感覚に襲われる。

 何か大事な事をすっかりと忘れてしまっているような……。

 ウチは怖くなってきて、すぐに窓の扉を閉めた。そうすると、枝の揺れる音と羽ばたきの音が聞こえてきた。

 でも、ウチは、もう窓の扉を開ける気にはなれなかった。すぐに身支度をして、ご飯を食べて、この日も友だちと狩りをした。

 そして、自分の部屋に戻ってくると例の窓の扉が、何か開けてはいけない扉のように見えて、ぞっとした。 

 その日はなかなか寝つけなかったけど、いつの間にか深い眠りに落ちていたみたい。

 ずいぶんと酷い夢を見た事は覚えているけど、内容までは思い出せなかった。でも、それは目覚める寸前の事だった。

 遠くから羽ばたきの音が、幾重にも……幾重にも……折り重なって聞こえてきて、あの鳴き声が……あの、酒に酔ったゴブリンたちの馬鹿騒ぎのような、たくさんの鳴き声が耳について、ウチは跳ね起きた。

 でも、目を覚ましたのに、その羽ばたきや鳴き声はまだはっきりと聞こえていて、ウチは混乱した。それが夢じゃないって気がつくのに、ずいぶんと時間を必要とした。

 その不気味で禍々しい騒音は、あの窓の向こうから聞こえてくる。ウチは急いで窓の扉を開けた。

 すると・・・あの一つ離れた・・・・・・・木の枝に・・・・、真っ赤な目をした鴉がずらりと・・・・・・並んでいたわ・・・・・・

 数は覚えていない。でも、あの石榴の実ような瞳で、じっと見ていた。鴉が。

 木の枝に生えた気持ちの悪い黒いこぶみたいに……。

 ずらりとならんだ赤い目は気持ちの悪い発疹のように……。

 鴉が一本の枝にぎっちりとひしめきあっていた。

 ウチは悲鳴をあげた。

 有らん限りの声をあげた。

 でも、鴉はまったく気にした様子も見せずに、ウチをじっと見つめていた。見つめ続けていた。

 そうするうちにパパとママがウチの部屋にやって来た。扉が開いてママが「どうしたの?」って、慌てた様子で聞いてきたけど、ウチはそれに答える事はできなかった。

 パパとママを押しのけて部屋を出た。外套がいとうだけ羽織って、手斧を持って家を出て、すぐに蔦梯子つたはしごで地上に降りた。

 どうするつもりだったのかって? そんな事は覚えてないし、たぶん何も考えてなかったと思う。

 兎に角、慌てて隣の木の蔦梯子を登って、インディーさん家の玄関前まで辿り着いた。

 でも、あのうじゃうじゃと一つの枝の上でひしめいていた赤い目の鴉は、一匹たりともいなくなってた。

 ふと気がつくと、ウチの部屋の窓の向こうでは、パパとママが山妖精に化かされたみたいな顔でぽかんとしてた。

 ウチはインディーさんの家の扉をノックした。

 あんなに鴉が五月蝿かったのに、インディーさんの家がやけに静かに思えたから。

 すると、すぐに「はい」という短い返事のあって、扉が開いた。その向こうから顔を覗かせたのは、インディーさんだった。背後には怪訝そうな顔の奥さんの姿もあった。

 ともあれ、インディーさんは、今起きたばかりという感じの、がさがさの声で質問を発した。

「どうしたんですか? 朝っぱらから」

 ウチはもしかしたら騒がしくて、インディーさんたちを起こしてしまったのかなって、ちょっとだけ申し訳なくなった。でもそれなら、やっぱりなんで、あの鴉の鳴き声で起きなかったのだろうと、ますます不思議に感じたので質問した。

「……鴉、五月蝿くなかったですか?」

 すると、返答はすぐに帰ってきた。

何も聞こえ・・・・・ませんでしたけど・・・・・・・・

 絶句するしかなかった。釈然としないまま、ウチは家に帰った。


 ◇ ◇ ◇


「確かに薄気味悪い話ではあるな」

 ガブリエラが手短に感想を述べた。

 ミルフィナの話によって、部屋の空気は真冬のように凍りついている。

「……何かの魔物か? その鴉は」

 ガブリエラの発したその問いに、ティナが首を横に振る。

「そんな、モンスターの話、聞いた事ないわ。そもそも、集落には魔物除けの結界が張られていたはずよ。その鴉が結界を突破できるくらい強力な魔物の可能性もあるけれど」

「うむー」とガブリエラは思案顔で唸り、新たな推測を口にした。

「何か厄介な精神魔法か? 呪いとか……」

 今度はミルフィナは首を横に振る。

「一応、ウチのママは霊術師だから、そういう呪いとか、精神系の魔法を感知するのは得意なの。でも、ママからは特に何も言われなかった。もちろん、この時点では、ママの能力を遥かに越えた魔法や呪いに掛けられた可能性もあるけれど」

「じゃあ、いったい何なの……?」

 そのサマラの脅えた声に答えるかのように、ミルフィナは再び語り始める。

「……それから、その日は狩りに出る気にもなれず、かといって、部屋にいる気にもなれなかったから、森の中を何もしないでぶらぶらしてた。次の日も、次の日も……」

「そんなので、暮らして行けたのか?」

 ガブリエラの質問にミルフィナは肩をすくめた。

「別にウチの家はパパも狩りに出てたから、元々それだけで充分に暮らしていけてたしね。木の実や茸もまだ蓄えがあったし。だから、私は何もしなくて良かったの」

 そこでティナが脱線した話を本題に戻す。

「……で、例の鴉はどうなったのよ?」

「出なかったわ」

「は?」

「狩りにいかなかった間は一度も見ていない。森の中でも、一匹も見なかった。あの赤い目の鴉も、普通の鴉すらも。だから、もうそれっきりなんじゃないかと思って、ウチはだんだんと、あの鴉の事がどうでも良くなってきた。もう、あのおかしな事は終わったんだって」

 ミルフィナは、そこで言葉を区切ると何とも言えない微笑を浮かべながら言った。


「……でも、それで終わりじゃなかった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る