第15話


 三ノ輪の言葉にすぐさま菊地が反応した。


「島野くん、結婚してるの?いつ?そんなの俺聞いてないよっ」


 ものすごい勢いで菊地が島野につかみかかってきたが、傍から見れば裸で抱き合っているようにしか見えない。


「わわわわわわわわ、ま、待って、待って、落ち着いて菊地くん」


 島野も菊地も下は何も身につけていないから、菊地が島野に抱きつけば当然下半身のお互いがぶつかり合うという訳だ。半立ち状態の島野は、一瞬顔を歪め、その顔を三ノ輪に見られたのが分かると、目で合図を送った。


 (色々面白かったから助けてやるか)


 三ノ輪は唇を弧の形にすると、ゆっくりと二人に近づいた。


「ねぇ、和真くん。僕お腹すいちゃった。この間約束したお好み焼き?食べたいなぁ」


 三ノ輪に言われて菊地は慌てて時計を見た。この部屋の壁掛け時計も菊地が一人暮らしのアパートで使っていたものだ。学生時代の恋人小夜さよからの最後のプレゼントである。


「あ、ほんとだ。早く準備しなくちゃ」


 そう言って菊地はその格好のまま部屋を出ようとしたから、三ノ輪に止められて、慌てて服を着る。ホットプレートがどこにしまわれているかは島野が把握しているため、島野も服を着て食器棚の下からホットプレートを取り出した。


「ねぇ、昌也。それなぁに?」


 ホットプレートを見た事がなければ使ったことも無い三ノ輪は、ホットプレートに、興味津々だ。


「これはホットプレートです。電気で使う鉄板みたいなもんですね」

「ふぅん、ステーキも焼けるの?」

「え、ステーキですか……」


 機能面の説明に、ステーキの適温が書かれてはいるけれど、本当にホットプレートで、ステーキを約束庶民がいるかどうかは知らない。少なくとも、島野は焼いたことがない。


「由希斗くん、俺はステーキは焼いたことないなぁ。そういうの焼くならBBQの時だよね」

「BBQ?それって、大きな串に肉とか野菜を刺してるやつだろ?」

「……ああ、うん。そういうのこともする、ね」


 やっぱり名家の御曹司である三ノ輪は、ちょっと一般庶民のベータとは生活様式が異なるらしい。多分三ノ輪が思うBBQは、リゾート地なんかの別荘で行われるパーティーみたいなBBQの事だ。自分たちで焼くのではなくて、シェフみたいな人が専属で焼いてくれるやつだ。きっとステーキだってあの白くて長い帽子を被ったシェフが目の前の鉄板で焼いてくれるやつに違いない。まだ番になって日が浅いから、一之瀬が外にあまり連れ出さないので、菊地が経験したセレブなことはフレンチのランチぐらいだ。島野は華世とのお見合いの席ぐらいである。

 そんなわけで菊地と島野は目で会話をし、庶民的鉄板焼きの代表選手であるお好み焼きを、これまた庶民的なホットプレートで三ノ輪に、振る舞うことにしたのであった。


「キャベツは1センチぐらいの角切りがいいかな?」

「そうだね。由希斗くんが食べやすくしよう」

「由希斗様はアレルギーは?」

「うん?エビのこと?大丈夫だよ?」

「卵入れるよ?」

「僕、アレルギーは花粉ぐらいかな?」

「そうなんだ、良かった」


 菊地は嬉しそうにホットプレートの準備をしている。


「あ、ここで焼いたら油が跳ねる?」

「換気扇回しておけば大丈夫だと思うけど……フローリングだし」

「ソファーは危険だけど、ここならいいよね?」

「食べ終わったら俺がちゃんと掃除するから」


 島野と菊地のやり取りの意味が分からない三ノ輪は、不思議そうに眺めている。どうやらお好み焼きは油が跳ねるらしい。ステーキも油が跳ねるから注意するよう言われたことがある。つまりお好み焼きとは油が跳ねるようなことをする食べ物なのだと理解した。

 三ノ輪がウキウキとしていると、インターホンが鳴った。


「あ、届いた」


 モニターを見て菊地が嬉しそうに言い、そのまま玄関に行こうとしたのを島野が止める。


「俺が行くから」


 菊地は三ノ輪から貰ったエプロンをつけている。アルファの一之瀬に対して破壊力抜群なやつだ。そんな菊地の姿をスーパーの配達員に見せるわけにはいかない。


「島野くんありがとう」


 島野的危険回避なのだが、菊地は何も分かっちゃいなかった。


「ランプが消えたから適温になったね」

「へぇ、そんな機能がついてるんだ。凄いね」


 ホットプレートを初めて使う三ノ輪は、そっとプレートの上に手をかざした。


「ほんとだあったかい」

「うん、便利だよね」


 そんなことを話しながら、菊地はホットプレートに油を引いて生地を流した。手際よくエビやイカ豚肉などをのせていく。島野が届いた鰹節や青のりを皿にのせて持ってきた。


「由希斗くんはお好み焼き食べたことないんだよね?」

「うん、ないよ」

「じゃあ最初はお好みソースで食べてみて、二枚目はウスターソースにしてみよう」

「お好みソースっていうのがあるんだ」


 三ノ輪はテーブルに並んだソースを手に取りじっくりと眺めた。同じソースではあるから、使用されている原材料は概ね似ている。


「やっぱりソースにはこだわりがあるの?」

「俺は甘めのソースが好きだけど、大阪の人だともっとこだわりがあるんじゃないかな?ソースの会社が沢山あるって言うし」

「へぇ、おもしろいね」


 そんな話をしているうちに、いい感じで焼けてきたから菊地がヘラを使ってひっくり返した。


「うわぁ凄い。和真くん上手だねぇ」

「返しやすいように小さめに作ったからだよ。由希斗くんもやってみる?」

「いいの?僕にもできるかなぁ」


 そんなこと言い出すから、島野は慌ててキッチンに走った。


「服が汚れると大変ですから、由希斗様もこれ付けて」


 差し出されたエプロンは、この間三ノ輪が菊地にプレゼントしたやつだ。


「これ僕があげたやつじゃん」

「これしかないんです」

「昌也は随分とシンプルなの付けてるじゃないか」

「自前です」


 そんなことを胸を張って言うものだから、三ノ輪は呆れた顔をした。


「まぁ、僕なら似合うからいいんだけどね」


 そんなことを言いながら、三ノ輪は器用に後ろの紐をリボン結びにして菊地からヘラを受け取った。


「まって、油を拭き取るから」


 念には念を入れて島野がキッチンペーパーでホットプレートの油をふきとった。テフロン加工がされているから、焼けた豚肉の脂で焦げ付くことは無いだろう。


「よし」


 しっかりと肩幅に足を広げて立った三ノ輪が、気合を入れてお好み焼きを返した。

 ベチャッという音がしたけれど、豚肉でガードされていたから生地が崩れることはなく、割と綺麗に返すことが出来たようだ。


「うわぁ、出来たぁ」


 菊地が拍手をするから、つられて島野も拍手をする。そんな二人に称えられたから、三ノ輪は鼻高々だ。


「僕はオメガ筆頭だからね。このくらいできるよ」


 きっとホットケーキも焼いたことがなさそうな三ノ輪は、ヘラを持ったまま胸を張ってふんぞり返るのだった。

 そうしてお好み焼きを食べながら、菊地はようやく肝心なことを思い出した。


「ねぇ、島野くんは誰と結婚したの?」

「えっ」


 すっかり忘れてくれたと思っていたのに、まさかのぶり返しで島野は焦った。なんて説明すればいいのか分からない。


「ああ、それね」


 カラクリを知っている三ノ輪は楽しそうに口にした。もちろん相手も知っているし理由だって知っている。けれどそれをそのまま菊地に話したところで理解しては貰えないこともわかっている。


「また由希斗くんは知ってるやつだ」


 どうにも菊地は一人だけ知らされていないことが不満のようだ。


「相手は酒巻華世だよ」


 三ノ輪があっさり答えると、菊地は驚いた顔をして島野を見た。もちろん菊地は華世を知っている。地元が同じだから、小中高と同じ学校だったのだ。最後に会ったのは成人式の実行委員会だ。アルファらしく華やかな女性になっていて、振り袖姿がなんとも艶やかだった。


「え?酒巻さん?」


 そう言って菊地は、まじまじと島野を見つめた。何度か瞬きをして、考え込む。島野と華世の接点が見つからないのだ。菊地が知る限り、島野と華世は高校しか同じではなかったはずだ。しかも1年生の時は同じクラスだったけれど、その後クラスは違う。地元が違ければ、就職した会社だって違うのに、どうして結婚に至ったのかまるで謎である。


「島野くん、酒巻さんってアルファだよね?」

「うん、そうだよ」

「どこで知り合ったの?接点ないよね?」

「ああ、うん……その、つまり」


 島野はなんと答えればいいのか考えた。カラクリを知っている三ノ輪は楽しそうに島野を見つめていた。


「菊地くん、さぁ、今は匡様の会社にいるだろ?」

「うん」

「その会社に俺もいるんだよね。警備として」

「警備……」

「一之瀬家の直接雇用なんだけど、形式上俺も会社員なんだ」

「うん?」


 華世との接点を聞いているのに、島野は何を話し出したのだろうか。菊地は、疑問に思いながらも続きを促した。


「華世さんは、あの会社の秘書課にいるんだよ」

「えっ、そうなの?」


 初耳すぎて驚いた。

 まぁ、会社はでかいしフロアは広いから、実際どれほどの人が働いているのかさっぱり分からないのは確かだ。それに、菊地がいるフロアはオメガが集められているから、アルファが沢山居そうな秘書課なんてそもそも違うフロアになるのだろう。


「たまに食堂で一緒にいるんだけど」


 島野が言い辛そうに口にすると、菊地はようやく納得したようだ。


「すっごーい、社内恋愛?社内恋愛なんだね。島野くんやるなぁ」


 菊地の頭の中で勝手に解釈してくれたのだ。ありがたいことだ。


「社内恋愛……」


 菊地の勝手な解釈に胸を撫で下ろす島野であったが、新たな勘違いが生まれたことはこの際割愛しておくしかない。菊地と華世が会うまでに口裏を合わせておけばいいのだから。


「凄いなぁ、社内恋愛かぁ。憧れだよねぇ」


 お好み焼きを食べながら、菊地は一人感動していた。

 そして、次に口を開いて衝撃的な言葉を発したのだ。


「じゃあさぁ、島野くんが赤ちゃん産むの?」


 それを聞いて、島野と三ノ輪は絶句した。

 そうしてしばらく無言になって、ようやく口を開いたのは三ノ輪である。


「和真くん、その発想はどこから?」


 口の周りについたソースを拭って三ノ輪は臨戦態勢だ。


「え?どの発想?」

「どのって、昌也が赤ちゃん産むってところ」

「産まないの?」

「だからなんで?」


 全くラチがあかないので、菊地の考えを聞いてみることにした。


「だって、島野くんも俺たちと同じで、アルファと結婚したんでしょ?」

「まぁ、確かに華世さんはアルファだけど」

「由希斗くんは匡のお姉さんのアルファと結婚したんだよね?」

「そうだよ」


 三ノ輪は答えながらだいたい予想がついた。そう、ついてしまったのだ。だが、まだ口にはしない。なぜなら、菊地の口から言ってもらいたいからだ。


「だって由希斗くん、この間由希斗くんが赤ちゃん産むって言ったじゃないか」

「……うん、言ったけど」


 そうだ、やはりそうなのだ。


「アルファの女の人と結婚した由希斗くんが赤ちゃん産むんでしょ?俺はアルファの匡と結婚するから俺が赤ちゃん産むんだよね?そうすると、アルファの女の人である酒巻さんと結婚したんだから、島野くんが赤ちゃん産むんじゃないの?」


 やはりそうだった。

 そして菊地は肝心なことを忘れている。


「あのさ、菊地くん……」


 申し訳なさそうな顔をして、島野が口を挟んだ。これは訂正しなくてはいけないことだ。


「あのね、俺……ベータだから」


 島野の言葉を聞いて菊地がキョトンとした顔をした。やはりこれはわかっていないやつだ。


「だからね、菊地くん。俺はベータなの。それで、菊地くんと由希斗様はオメガなんだよね。分かる?」


 島野があえてゆっくりと喋るから、菊地はその言葉をゆっくりと頭の中で反芻した。

 そうしてしばらくして、ようやく言葉の意味を理解した。


「えぇ!島野くんベータ……ベータって……ウソでしょ」


 全身から力が抜けたかのように菊地は座り込んだ。ずっと一緒にいすぎたために、一番肝心なことを失念して、いや同じなのだと思い込んでしまっていたのだ。


「そ、そうだ……そうだった。だから、だからだ」


 そうして菊地は何やらブツブツ言い始めた。三ノ輪はこれから起こるであるうことを一人予想して楽しそうだ。


「そうだよ。島野くんだけベータだから、だから一人だけ大きいんだ!ズルいよ。裏切り者!」

「えっ、なんで、またそこに戻っちゃうの?」


 そんな二人のやり取りを三ノ輪は楽しそうに眺めていた。



  そして、その夜。

 昼間に沢山焼いておいたお好み焼きをフライパンで温め直し、夕食として一之瀬に菊地は振舞った。三ノ輪と違い一之瀬はお好み焼きを食べたことがあるらしかった。


「ホットプレートで案外綺麗に焼けるものなんだな」

「っと、匡は上手に返せそうだよね。お好み焼き」

「うん?そうだな。鉄板で二人分のを一度に焼いたな」

「さすがはアルファ様。って褒めておけばいい?」

「和真にはもっと素直に褒めてもらいたいな」

「うん、じゃあ今度ね」


 お好み焼きに何を合わせればいいのか分からなくて、煮物を作ったら見事に食卓が茶色になった。それでも一之瀬は菊地が作ったものだから、なんでも美味しそうに食べるのだ。茶色が嫌で作ったかき玉汁は、卵がふんわりとしてよく出来たと菊地は自画自賛した。


「ところでさぁ、た、すく」

「なんだろう、和真」


 まだまだ一之瀬を呼ぶのに菊地は少し緊張してしまう。


「今日聞いたんだけど、島野くん酒巻さんと結婚したんでしょ?」

「ああ、そうだな」

「やっぱり知ってたんだ」

「ん?そりゃあ部下だから」

「部下?部下なの?」

「俺が社長なんだから、会社で働く社員は部下だろう?」

「そういうもん?」

「それに、福利厚生の絡みで結婚した社員にはそれなりにお祝いを送るからな」

「社長がお祝い送るの?」

「送るだろう。結婚式をあげればそこに祝電や花ぐらい送るだろう」

「ああ、そうか、そうだね。って、、結婚式したの?島野くん」

「いや、してはいないが」

「してないんだ。って、え?してないの?」

「ああ、酒巻のところは議員をしているからな。選挙に関係ないタイミングでお披露目会をするらしいぞ」

「そうなんだ」


 喋りながら菊地は考えた。自分たちのお披露目会はまだまだ先だ。仕事やらなんやらの関係で、調整が一年単位になってしまうからだ。会場を押さえて警備体勢を整えるのも大変なのはよく分かる。だからその辺については菊地は特に気にしてはいなかった。


「じゃあさぁ、友だちとしてお祝いを送るのはありかな?」

「いいんじゃないか?」

「いいの?ほんとに?ありがとう」


 菊地が満面の笑みで言うものだから、思わず一之瀬も笑ってしまった。


「でもさ、島野くんはどこに住んでるの?お祝いの品渡したいんだけど」

「何時でもいるだろう?昌也は」


 何を言っているんだ。と言う顔で一之瀬は答えた。だが、菊地が聞いたのはそれじゃない。


「違うよ、匡。結婚祝いを新居に届けたいの。酒巻さんにも会いたいし……」

「ん、そうなのか……酒巻、に、か」

「だからぁ、酒巻さんアルファでしょ?俺だけで行けないじゃん。匡は知ってるんでしょ?新居の場所」

「……和真?それはどう言う意味だろう?」


 一之瀬は菊地の言った言葉の意味を考えた。一之瀬には今までなかった考えだ。


「もう、島野くんは友だちでしょ?友だちの結婚祝いに……だから、ふう、ふで、行くんじゃ、ん」


 そう言って菊地はそっぽを向いた。だって恥ずかしかったのだ。今更だけど、夫婦というのが少し照れるのだ。


「そ、そうか。それなら都合をつけよう」

「うん、それで、ね」

「なんだろう?」

「お祝いの品、買わないと」

「分かった。それは田中に……」

「ちがーうっ」


 菊地が立ち上がって抗議した。そうじゃない。友だちの結婚祝いを秘書に買ってこさせるのは違う。


「何が違うんだ和真」

「もう、友だちの結婚祝いなの!二人で買いに行くに決まってるでしょ」

「……ふ、二人で買いに行く、のか?」

「そう、だよ。二人で買いにいくんだよ。……ダメ?」


 愛しい番に上目遣いでそんなふうに言われて断れるアルファはいない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る