第14話


「ねえねえ、新婚旅行に行くんでしょ?」


 そんなことを言って菊地以上に嬉しそうな顔をしているのは三ノ輪だった。遊びに来るのに、大きな紙袋を三個も持ってきた。出迎えた島野が持とうとしたのに頑なに拒否された。一体何が入っているのか気になるところだが、三つまとめて持つあたり、大して重くはないのだろう。島野がそんなことを考えているうちに、いつもの通りに三人で菊地の部屋に入り込んだ。はめ殺しだけど大きな窓があるから明るい室内で、小さなテーブルに肩をよせあって座る。菊地のアパートに入り浸っていた頃のようで島野は居心地がいいのだが、何故だか三ノ輪も気に入っていた。


「南の島って聞いているんだけど」

「うん、俺も正確な場所は知らない」


 聞かれたところで答えられないけれど、教えられたところで覚える自信もなければ、世界地図で場所がわかる自信もなかった。


「俺に聞かれても困りますからね。教えられてませんから」


 島野は三ノ輪の視線を感じて指で小さく罰を作った。

 それを見て三ノ輪は残念そうな顔をしたけれど、すぐにイタズラな目をして菊地を見た。


「あのね、和真くん」

「うん、なぁに?」


 素直な菊地は、三ノ輪の笑顔の下に隠されていることに全く気づきもしなければ、裏を読もうとさえしない。


「僕の家はね、オメガの家系なんだけど」

「うん」

「それでね。オメガ用の下着を作っているんだけどさぁ」

「オメガ用の下着?」


 聞いたことのない単語を聞いて、菊地は首を傾げた。そこでようやく島野は三ノ輪が持ってきた紙袋のロゴに気がついた。三ノ輪グループで最近売り上げを伸ばしてきている主力商品だ。主にインターネット販売をしているのだが、まぁ、商品の性質上そうなのだろう。


「見てこれ。新婚旅行と言えばこれでしょう」


 そう言って三ノ輪が紙袋から取り出したものを菊地の前に広げた。


「えっと、オメガの下着?」


 三ノ輪の手に握られたそれは、下着と言われてもイマイチピンとこないレースと薄い布でできていた。菊地は何度も瞬きを繰り返し、島野に意見を求めるような目を向けてきた。だがしかし、そんな目をされたって、島野だって困るというものだ。オメガ用の下着と言うけれど、つまるところ男性オメガ用のセクシーな下着なのだから。もちろん、お年頃で健康なベータ男子であるから、セクシーな下着を着た女性はもちろん大好きだ。


「そう、新婚旅行だもん。こう言うの着て匡様を誘惑しなくちゃ」

「……誘惑、するの?」


 三ノ輪の手から恐る恐る下着を受け取り、菊地はそれをまじまじと眺めた。布面積は小さく、なおかつその布は透けている。しかも紐がついていて?


「ね、ねぇ由希斗くん……これって、どうやって、着る?いや、履く、の?」


 手にとってみたところで、まったく構造が分からなければ、身につけ方も分からない。見た感じ上ではなく、下につける下着だと思うのだけど、菊地には何がどうなっているのか分からなかった。


「それはね、和真くん」


 勢いよく立ち上がった三ノ輪が、あっという間にズボンを下ろした。島野は何もできないままただ呆然と目の前の、三ノ輪の三ノ輪を見つめた。


「見て、こうやってつけるんだよ」


 三ノ輪が意気揚々とその場でくるりと回った。だから今度は三ノ輪のお尻が島野の目の前にやってきた。


「えっと、由希斗くん。お尻、隠れてないよ?」


 菊地が見たままを言う。


「そうだよ。だってこれは紐パンだもん」


 だもん。ってと島野は内心呆れつつも、自分はこんなものを見てしまっていいのだろうかと考える。絶対、この流れから言って、菊地も履くのだ。


「紐パン……」


 菊地は目の前の三ノ輪のお尻と、手にある下着を交互に見比べた。どこがどうなっているのか確認しているのだろう。相変わらず流されやすいと言うか、危機感がなさすぎる。


「それでね、上はこうなるんだ」


 三ノ輪が上まで脱いだので、流石に島野は顔を引きつらせた。止めることはできないまでも、窓はなんとかしないといけない気がしてきたのだ。だが、見える窓の向こうには、同じ高さの建物はなかった。そうして気がついたのは、今日は最初からこの部屋に入ったし、お茶やお菓子がなかったな、と。つまり、三ノ輪は最初からこちらの用事できていたのだ。たしかにこの部屋なら、使用人エリアと隣接していない。


「ええと、ブラジャー?」

「うん、オメガ用の」


 三ノ輪が意気揚々と答えるから、島野は考えるのを放棄した。もうなるようになるしかないのだ。


「上はねぇ、キャミソールもあるんだよ。ほら」


 紙袋から、菊地が手にしているのと同じ色をしたキャミソールが出てきた。


「ほら、菊地くんきてみてよ」

「ええ、今着るの?」

「そうだよ。サイズがわからないじゃないか」

「サイズ?こんなのにサイズなんてあるの?」

「あるよ。僕のはオメガ用のSサイズだもん」


 そう言って三ノ輪は誇らしげに見せてきた。そんなに堂々と見せつけられると、思わず見てしまうし、オメガ用と言うワードもとても気になる。


「由紀斗くん、これは?」


 菊地が手にしている下着のサイズを聞いてきた。


「それはね、オメガ用のMサイズ。和真くんは元ベータだからMじゃきついかな?」

「どういうこと?」


 三ノ輪の言っている意味が分からなくて、菊地は首を傾げた。


「ああ、和真くん。まだ理解してなかったんだ」


 そう言って、三ノ輪は立ったまま自分のモノを見せながら話し始めた。つまり、男性オメガは生殖器として使用しないため退化傾向にある。そのためベータ男性よりも平均が小さいのだ。


「どうやって測ったの?」


菊地は興味津々だ。


「それはねぇ、シェルターに登録されたオメガのデータをもらったんだよ」

「え?いいの?」


 それを聞いて驚いたのは菊地だ。


「別に個人情報を抜いたわけじゃないもん。データベースからアソコのサイズだけを人力で抜き出したの」

「アソコ、だけ……」

「だってさぁ、普通の男性用下着って、ベータが主流でしょ?」

「そうだねぇ」

「そうすると僕たちは使わないから自然と退化してるわけなんだよね」

「そうなの?」


 菊地が驚いた顔をして、自分の股間を見た。


「男性用の避妊具とかは、ベータの男性社員からの自己申告と、使用感のアンケートが取れるけどさ、オメガってさぁ、アルファと番っちゃうとなかなか外に出てこないから統計が取りにくいんだよね」

「そう言うもんなんだ」


 なんとなくコテージのオメガ会で聞いたような話だったので、菊地は半信半疑ながらも一応は納得した。


「コテージでオメガに配ったりしてアンケートを集めたりもしたんだよ」

「大変だねぇ」


 返事をしながらも、菊地は手にした下着を自分に当ててみたりして、何度も首を傾げていた。


「もう、和真くん。だから、つけてみようよ」


 三ノ輪が嬉しそうに提案してきたので、菊地は断る選択肢を見つけられなかった。そうして島野が下を向いている間に、菊地がなんとか下着をつけたのだけれど、一人だけ服を着ている島野に二人の視線が向けられた。


「え、俺ベータなんだけど」

「大丈夫、ホームページのモデルさんはベータだから」

「いや、そういうことじゃなくて」

「一人だけ違う格好してるのは、逆に恥かしくないかい?」


 三ノ輪がそう言って島野を見て笑った。


「これはね、水着なんだ」

「布面積小さいね」

「いわゆるブーメランパンツだよ」

「なるほどねぇ」


 そんな話をしながら、菊地と三ノ輪が島野を鑑賞している。島野は水着と言われたものを何着も渡されて、ポーズを取らされていた。


「きつくはない?」

「ひっ」


 いうなり三ノ輪が触ってきたので、島野は情けのない声を上げた。


「わぁ、本当に縮みあがった」

「ちょ、やめて」


 下から三ノ輪が触るから、島野はたまったものではなかった。不思議そうに手のひらで島野の島野を持ち上げている。


「僕、縮み上がるって比喩なんだと思ってた」

「真実を知れてよかったねぇ」

「ほんとだ」


 菊地と三ノ輪は楽しそうだけど、急所を弄ばれている島野は全く笑えてはいなかった。


「うーん、でもなぁ」

「なに?」

「海って波があるからさぁ」

「うん」

「うっかりがあったら怖いから、俺は普通の海パンにするよ」

「そうか、波があったか」

「プールなら大丈夫だと思うんだけどね」

「うーん、残念。でも下着は使ってね」

「下着?ああ、これね。うん、頑張ってみるよ」


 自分の格好をすっかり忘れていた菊地は、改めて見てしまい、今更ながらに耳を赤くした。


「ねえ、昌也」

「はい、なんでしょう」


 ようやく解放されると思ったのに、三ノ輪に話しかけられて、島野はドキドキした。


「こっちはいて。それで写真撮らせて」

「え?なんで」


 純粋に嫌な顔をして見せれば、お友だちの顔をしていない三ノ輪がいた。


「言ったでしょ、モデルはベータに頼んでるの。昌也いい体してるから、モデルになってよ」

「……経費削減ですか?」

「そうともいうねぇ」


 のほほんとした口調の三ノ輪ではあるが、島野からすれば名家三ノ輪家のご子息で、菊地とは義理の兄弟で……なんて考えてしまえば素直に従うしかないのだ。


「じゃあ、まずはこれね」


 渡された下着を履いてみると、あまりにもピッタリすぎて驚いた。おまけに、布が当たっている部分は本当に局部だけなのでなんとも言えない気持ちになった。ただ、極論を言えば、守るべき場所が守られているので安心感はある。


「壁のところに立って、腰を少し捻って」

「こうですか?」

「うん、そうそう」


 言われた通りに島野が動けば、三ノ輪はスマホで撮りまくる。


「スマホなんですか?」

「そうだよ。カメラなんか重たいじゃない。これならすぐにメールで送れるし、画質だっていいからね」

「そうでしたか」


 なんとなく、会話をしていないといたたまれないので言ってみただけなのだが、隣にいる菊地が画面を覗き込んでいるのが気になって仕方がない。


「じゃあ、次はこれね。後ろ向いて」

「はい。こうですか?」


 素早く脱いで素早く履く。ブーメランパンツを履いた時点で恥ずかしさはどこかに行ってしまった。それに、菊地も三ノ輪も自分たちが下着姿なことを忘れているのだろう。画面を見て話し込んでいる姿は、はっきり言っておかしい。


「やっぱり昌也は鍛えているだけあるよ」

「そうですか?」

「うん。だってお尻にえくぼがあるんだもん」


 三ノ輪がそんなことを言うから、菊地が島野のことを凝視してきた。


「由希斗くん、えくぼってなに?」

「ん?ああ、あれだよ、お尻の両脇が窪んでいること」


 そう言って三ノ輪が島野の尻を突いてきた。


「ここ、ほらここが窪んでいるでしょ?」

「あ、ほんとだ」


 よせばいいのに菊地までが島野の尻を突いてきた。


「ちょ、二人とも」


 くすぐったくて恥ずかしくて、島野は思わず身をよじった。


「ダメだよ、そんなに動いたらはみ出そうだよ」


 三ノ輪が笑いながら言うので、島野は慌てて両手で隠してしまった。それをみて、三ノ輪は少し考えるような仕草をして、島野の両手を払いのけた。


「うーん、やっぱりベータは大きのかなぁ」

「な、何が?」

「僕はSサイズだって言ったでしょ?でも昌也はLサイズでもはみ出そうじゃない?」


 三ノ輪はそう言って菊地から同意を得ようとしたけれど、菊地は全く違う反応をしてみせた。


「なんで?なんで島野くんLサイズなの?俺Mサイズだよっ。この間まで俺とそんなに変わらなかったじゃん」


 そう言って菊地は島野と自分の股間を見比べる。


「ええ、なんで?俺の小ちゃくなっちゃった?」


 菊地は慌てふためいたように何度も島野と自分の股間を見比べて、そしてひどく傷ついたような顔をした。


「あのさぁ、和真くん」


 菊地があんまりにも傷ついたような顔をしたので、三ノ輪は慰めようと口を開いた。


「ほら、使わないと退化するって言ったでしょ?ペンギンの羽みたいに」

「ペンギンの羽?俺の……俺のそんなに小ちゃく、なった、の?」


 三ノ輪の言葉を聞いて、菊地はますます落ち込んだようで、しばらく床を見つめた後、唐突に島野の股間に手を伸ばしてきた。


「ひゃ、な、な、な、なに、菊地くん」


 いきなり急所を掴まれて、叫びそうになりながらも島野は必死に抑えて菊地に問いかける。


「比べよう」


 菊地が真顔で言ってきた。


「へ?何を?」


 意味がわからず島野が聞き返す。


「比べよう、島野くんと俺のをさぁ」


 叫ぶように言ってくるから、島野は気圧されたじろいだ。急所を掴まれているし、おまけに菊地だし、奥様だし、三ノ輪は笑っているし、到底断れる雰囲気ではない。


「ど、どうやって比べるの?菊地くん」


 島野の問いかけに、菊地が答えた。


「もちろん。おっきくしてからに決まってるでしょ」


 そう、力一杯叫ぶ菊地に、三ノ輪は心の中で突っ込んだ。


(負けたらその方がダメージでかいやつね)


 オメガの家系に生まれ育った三ノ輪からすれば、自分のモノの大きさなんて気にするようなことではなかった。それなのに、目の前にいる菊地と島野は気にするようだ。島野が言うには学生時代にふざけてゼミの男子学生たちで大きさを測ったことがあるらしい。その時、ほとんど平均並みだったことで「やっぱり俺たちベータだよな」と全員が安堵したと言う。

 つまるところ、菊地が言っている「この間まで」と言うのはその時の話なのだ。ついでに言わせてもらえば、学生のおふざけであったから、島野も報告の際に写真や動画は付けなかった。いや、付けたところでベータの男子学生のナニが沢山写った写真など見たくもないだろうし、その中に自分のモノも写りこんでいるのかと思えば、島野だってそれなりの自尊心というものがあるから、わざわざアルファの一之瀬に自分の貧祖なモノを見せることを却下したのだ。ただ報告書にはその時測った菊地のモノのサイズは表記したけれど。


「さぁ、島野くん脱いで」

「え、菊地くん本気なの?」

「俺は本気だよ」


 菊地は壁際にいて既に逃げ場のない島野に迫った。そうして三ノ輪が綺麗に縛ってくれた紐を引っ張り解いた。


「ひゃあぁ」


 両脇の紐を一気に解かれたから、島野の大切な島野が菊地の目の前に晒された。


「あ、今キュッってなった。小さくなってどうするんだよ。島野くん」

「そ、そんなこと言われたって、こんなの反射だよ。反射。急所狙われたら怖いに決まってるでしょ」

「鍛えてるんじゃなかったの?」

「無茶言わないで菊地くん。こんなところどうやって鍛えるの?鍛えられないから急所なんでしょ」


 島野の言うことはもっともなのだが、今の菊地にはほとんど意味の無い言葉としてスルーされていた。何しろ男の一大事であるからだ。


「あ、定規用意しなくちゃ」

「定規って、菊地くん……」


 菊地のあまりの張り切りぶりに、島野はもう全てを諦めたのだが、菊地はやはり学生時代に悪ノリでしたサイズ測定大会を二人だけで再現しようとしているのだ。


「菊地くん、定規当てたら冷たいよ」

「じゃあ温めておくから、由希斗君おねがい」


 何故か菊地の部屋には定規があった。小さな引き出しの中に、定規とドライバーセットが入っていたのだ。


 (思い出した。あそこは菊地くんの工具箱だ)


 思い出したからなんだという訳では無いけれど、あと巻尺と六角も入っているはずだ。まぁ、今は必要ないけれど。


「大きくしよう」

「ちょ、菊地くんっ、やめてっ」


 なんの躊躇いもなく菊地の手が島野のモノと菊地のモノを鷲掴みにしてきた。確かにあの時悪ノリをしてお互いに扱きあったことは確かではあるが、あの時と今とでは全く状況が違う。

 逃げようとする島野を、楽しそうに三ノ輪が押さえつける。しかも、定規を持って何処から測るのか菊地に確認までしてきた。島野は口の中で「生理現象生理現象」と呟くのであった。

 そして、


「お、俺のやっぱり小さくなってた……」


 学生時代にふざけて測った時、島野と大差のない数値だったと記憶している。それなのに、今は2cm近い数値の差が生まれていたのだ。これでは男の沽券に関わるというものだ。


「まぁまぁ、和真くん。僕たちオメガだからさ、大きさは関係ないから」

「で、でも、でも、小さくなるなんて聞いてないよ。酷いよ。島野くん」

「そ、そんなこと俺に言われたって、俺だってそんなこと聞いてないし」


 下半身丸出しで、上には男性オメガ用の下着をつけた状態の島野だって少なからず精神的にダメージは受けている。


「もう、こんなにちっちゃくなるなんて……そりゃ一之瀬が可愛いって言うわけだよ」


 菊地が涙目で訴えるけれど、それはつまり可愛がられているという事の告白であり、ある意味惚気でもある。


「じゃあいいじゃないか菊地くん。匡様は気に入ってくれてるんだから」

「そうじゃない。そうじゃないでしょ島野くん。もぉ、自分の方が大きいからって、自慢?自慢してるの?」

「してないよ。自慢にならないでしょ。こんな格好して……」


 島野は改めて自分の姿を見た。三ノ輪に言われるままに身につけた男性オメガ用の下着。レースとシースルーの布で出来ていて、色はオレンジだ。しかも下は菊地に脱がされたから履いていない上に、大きさを測られたために半立ち状態だ。


「あぁ、もう、なにこれ……俺もうお婿に行けないよ」


 島野がさめざめと両手で顔を覆うと、三ノ輪が冷めた声でハッキリと言った。


「何言ってんの昌也。もう結婚してるだろ」

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