第6話


 朝九時頃に迎えに来る。なんて言われたけれど、女性と二人で過ごすときのカジュアルな服装なんて全く分からなかった。平日はスーツだったし、休みの日は寝ている事が多かった。大学生の時は菊地のアルバイト先のコンビニを見に行ったりしたこともあったけれど、その時は街に溶け込むことを意識していた。


「って、なんで俺の家の場所知ってんだよ」


 今更ながらボヤいてみる。けれど、島野に見合いを申し込んで来ている時点であちらは島野昌也という人物を把握しているということだ。一応は地方議員を父に持つ優秀なアルファだ。自力でなくても、父親絡みでそのへんのつてはあったのだろう。いや、あの話しっぷりからして酒巻華世は色々知っていのだろう。父親が地方議員であるから、シェルターとショッピングモールの誘致の際に話が通っていたのかもしれない。何より、酒巻華世は一之瀬匡に処女を捧げているのだ。つまり、そのくらい一之瀬匡を信奉しているということだ。

 要するに高校の頃から酒巻華世も一之瀬匡のために動いていた可能性がある。地元に根付いた地方議員は今回のシェルター建設に関してとても重要な役割を果たしたことだろう。島野の知らないところで、大勢の人が一之瀬匡のために動いていたと思うとなかなかすごい事だと思うのだ。


「これでいいかなぁ」


 島野の普段着はどれも胸ポケットがあるデザインしかなくて、そこには撮影用のスマホが定位置となっていた。けれど、今日は休日で、待ち合わせの相手は菊地和真ではないのだ。業務用端末は父親が預かっているから、手持ちは私物のスマホだけだ。今更だけど、何を持って行けばいいのかさっぱり分からなかった。

 いつもの癖で愛用のボディバッグを手に取ると、そこに財布を入れる。階段を降りれば、母親がソファーの定位置に座っていた。


「アルファのお嬢さんと会うのにそれなの?」

「これしか服持ってないんだよ」


 島野がそういえば、母親は今更だったと言うように笑った。


「ついでに服でも買ってきなさいよ」

「なんだよ、それ。一応見合い相手なんだろ?」

「だからよ。服の趣味があうといいわねぇ」


 そう言って母親は笑うけれど、島野はイマイチ乗り気ではなかった。高校生の頃それとなしに聞かされはしたけれど、そんなに深い意味があるとは思っていなかったのだ。


「行ってきます」


 玄関はセキュリティのためにいつの間にかにオートロックになっていて、鍵が網膜認証になっていた。どんな個人宅だよ。なんて思ったけれど、書斎に置かれたパソコンには一之瀬家の情報が入っているのだから当たり前なのかもしれない。

 さて、九時頃と言っていたからぞろぞろだとは思う。島野は一度腕時計で時刻を確認した。早すぎることはないけれど、出てくるのに遅すぎることもない。そんな時間だ。都内の住宅街で、日曜の朝だ。犬の散歩をしている人や走っている人がちらほら見える。そんな中、視界の端からシルバーのSUVがこちらに向かってくるのが見えた。国産ではなくドイツメーカーのものだ。グリルについたマークが陽の光を反射して少し眩しい。


「おはよう、昌也くん」

「……おはよう」


 唐突に名前呼びをされて呆気に取られていると、華世は島野のことを頭のてっぺんからつま先までじっくりと眺めた。


「うーん、75、78、かなぁ」

「なんの点数?」

「今日の昌也くん?」

「はぁ?」

「せめて80点は欲しかったわね」

「じゃあつければいいじゃん。採点してるの自分なんだから」

「だからぁ、ちょっと惜しいのよ」

「なんだよ、そのちょっとって」

「強いて言えばそのシャツ?」


 華世の手が伸びて、胸ポケットのスマホを指さした。


「今日はここじゃなくて良くない?」

「なるほど」


 胸ポケットにスマホが固定されるように出来ているから、無意識にそこに入れてしまったのだ。今日は菊地和真と一緒ではないのだから、撮影も録画も不要だと言うのに、習慣とは恐ろしいものである。


「これで80点ね」


 島野がスマホをズボンのポケットに入れたことで2点追加された。なかなかの得点である。


「ちょっとドライブしよ」

「ああ」


 島野は一応免許は持っている。受ける大学が決まっていて、落ちる心配がなかったから、菊地が自宅で受験勉強をしている隙にとったのだ。もちろん菊地には内緒である。


「流行ってんの?」


 助手席に乗り込んで、シートベルトを締めながらなんとなしに聞いてみた。


「何が?」


 当然主語がないので華世は答えが分からない。


「これ、SUVって言うんだっけ?」

「ああ、そうね。流行ってるかも」

「匡様も乗ってんだよね」

「これは匡様の半額程度よ」


 なるほど、確かに一之瀬匡の乗るのは国産の高級メーカーのもので、こちらはドイツとは言えど良心的な価格だった。


「私ね、このカッチリとした感じが好きなのよ」

「何となく分かる」


 島野はそう答えたけれど、それはあくまでも感覚的なことなので、具体的に言葉にするのは難しかった。

 しばらく走ってついたのは、大型のショッピングモールで外壁はツートンカラーに塗られていた。壁に施設に入っている店の看板が取り付けられていて、映画館も併設していことがわかった。


「軽くお茶でもしよう」


 華世に言われて着いた先は、3階なのに大きなテラス席があり、巨大な鉢に木が植えられているのをいくつも飾っているカフェだった。確かチェーン店で、住宅街近くの国道に大きな駐車場を構えて建てられているのをよく見かける。


「あんまり来たことないんでしょ」


 華世にからかわれるように言われたから、なんだか気まずそうに返事をした。ショッピングモールは10時開店だけれど、このカフェと映画館は朝の8時から開いているらしい。この時間はモーニングの時間らしく、コーヒーを頼んだら、もれなくトーストとゆで卵にサラダがついてきた。


「このデザートはプリン?それともパンナコッタ?」

「え?白いから杏仁豆腐じゃないの?」

「それって中華じゃない。ここカフェだよ?」


 そんなことを言われても、カフェなんか入ったことなんかない。菊地と二人で行ったことがあるのはファミレスぐらいだ。


「レアチーズケーキだった」


 華世がメニュー表を見て言った。どうやら小さくモーニングの内容が書かれていたらしい。


「朝からカロリーすごいことになるね」

「朝だからいいんじゃない?」


 ようやくコーヒーを口にすると、目線の下にたくさんの木々が見えた。ショッピングモールの周りにはたくさんの木が植えられていて、その木々に隠されるように建つログハウス風の建物が目に止まった。


「あれがシェルター?」

「ハズレ、それはコテージ」


 華世が笑いながら言う。言われてみれば、見た目で確かにコテージだ。シェルターは駐車場、隣に高い壁に隠されるように建っているようだ。だから一見、ショッピングモールの裏側にある搬入口のように見えなくもない。多分上から見れば保養所のような作りになっているのだろう。


「コテージはね、私たちアルファも使えるの」

「へぇ」

「ただし、身分証明書を提示して使用許可を得る必要があるわ」

「なるほど」

「以前のコテージだと、会員登録するだけだったから、本人照会とか身元の確認をしていなかったのよね」

「そういう事か」


 ゆで卵の殻を丁寧にむいて、半分に割ってみた。そこにサラダの脇に載せられていたマヨネーズを少し載せて口に運ぶ。


「固茹でだよね」

「喉につまらない?」

「割と平気」


 島野がこともなげに答えたから、華世は気にする様子もなく自分のゆで卵は、サラダの中に刻んで入れていた。

 そんなことをしているうちに、開店時刻が迫ってきたからか、駐車場には車の数が増えてきた。


「なんだかすごいね」

「そりゃそうよ。駐車場はあるし、映画館もある。お買い物が出来てご飯も食べられる。天候に左右されないででかけららるんだもの」

「天気がいいんだからさぁ」

「ゴールデンウィークにお金使いすぎたんじゃない?」

「そういう事か」

「そ、どっか出かけたい。でもお金ない。でもここをぶらぶらするだけでなんか出かけた気分になるじゃない?フードコートだってあるし、ほら見える?あそこに公園があるでしょ?」

「ああ」

「お菓子と飲み物買ってあそこで遊んで、お腹が空いたらフードコートで食事して、トイレは綺麗だし食品は買えるし薬局もついてる。なんなら眼科と内科もあるわよここは」

「日曜じゃん」

「残念でした。ここについてる病院は土日もやってるの。その代わりに平日が休みなのよ」

「それは便利だな」

「シェルターに医師も看護師もいるからね。出産だってできるわよ」

「……そう、なんだ」


 島野は改めてシェルターのある方を見た。全貌は見えないけれど、それでも充実した施設であることが伺える。


「昔から言うでしょ?木を隠すなら森の中って」

「木を?」

「そ、オメガだって人でしょ?こうやって人が集まる場所を作ってその中に紛れちゃえばわからなく無い?」

「まぁ、確かに」

「子どもがいれば行事とか、急な発熱で仕事休んだりするでしょ?それに比べたらオメガのヒートなんて分かりやすくていいじゃない。3ヶ月に一度、1週間程度なのよ。誰かに伝染ることもないし」

「ああ、そうだな」

「子どもが病気したら看病している親に伝染ることあるでしょ?子育てしていたら、そういうのあるよね?だから仕方がないじゃん、って容認してるじゃない。それに比べてオメガのヒートは周期も決まっていて、誰かに伝染るなんてことがないから安全だと思わない?」


 華世が話しているのはなんのためのなのだろう?島野はその言葉を自分の頭の中で繰り返してみる。まるで謳い文句のようにも聞こえてくる。確かにそうで、間違いでは無い。オメガのヒートが伝染るなんてことは無い。


「ベータのコミュニティをね、扇動したの」

「……」


 華世はいたずらっぽく笑って見せた。


「知らないから怯えるの。知らないから排除するの。だから教えてあげたわけよ」


 なるほど、華世はこのことに一枚噛んでいるという訳だ。


「SNSの広告に公共施設のポスター、企業向けのパンフレット、大してお金はかからなかったわ。だって彼女たちが勝手に拡散してくれるんだもん」

「勝手に……」

「リツイートしてくれた人に抽選でお菓子が当たるの。当たるのは五人程度なのに、リツイートは数万いくのよ。すごいでしょ?」

「すごい、な」


 自分の知らない間に世間はとんでもない事になっていた。いや、あえてそういう風にしていたし、されていたのだ。


「ちなみに菊地くんはここにいるわよ」

「え?」

「匡様も直ぐに様子を見に来たみたい。でも顔は見れなかったみたいよ」

「そう、なんだ」


 ちょっと驚きすぎた。まぁ確かに、都内の居酒屋で起きたオメガ狩りだから、入る施設もこの辺りになるのは必然だろう。それにしても、オメガ狩りは一年以上前から話題になっていた気がする。


「あのさ、菊地くんよりも前からオメガ狩りがあったけど、その人たちは?」


 急に不安になったのでそれとなく聞いてみた。


「ああ、彼女ね」

「彼女?」


 島野の質問の答えではなさそうなことを言われて、島野は思わず首を捻った。どうやらまだまだアルファである華世とは上手く会話が出来ないようだ。


「オメガ狩りのあるコンパの主催者の彼女ね。イベント企画会社の社長なのよ」

「え?」

「だって、そんな簡単に発情剤が手に入ると思う?」


 そう言われて、ようやく島野は気がついた。自分はずっと菊地に発情剤と抑制剤を飲ませてきたのだが、その薬は必ず父親から渡されたものだった。ちゃんと菊地和真の体調に合わせて処方箋が出され、それによって出された発情剤であり抑制剤だった。


「サンプルになってもらってたの」

「サンプル?」

「匡様は、完璧な状態で菊地和真を手に入れたかったのよ。成人式の頃にはもう外堀が埋められていたでしょう?あとは施設の稼働状況とか職員の対応とかそういうの」

「え?待って、でも狩られた人は、正真正銘のオメガ、だったんだよ、な?」

「ええ、そうよ。健康診断の結果からオメガ因子の高いベータにアタリをつけて発情剤を飲ませたの」

「…………」

「菊地和真以前にオメガ狩りにあった人たちは、施設の使用についてサンプリングに協力してもらったのよ。再就職先の斡旋だってしたし、街中でヒートを起こしてしまうより安全だったから喜ばれたわよ?」

「そ、うなん、だ」


 これはまさに終わり良ければ全て良し。ということになっているようだ。なんとも言えない気持ちになって、島野は背もたれに体重を預けた。視界の端に見える施設に菊地がいるらしい。こんな近くにいるのにもう会えないと思うと胸が痛む。


「安心した?」


 不意にそんなことを言われて島野は顔だけを華世に向けた。


「菊地和真は安全なところで快適に過ごしているわ」

「そうだね」

「だから、次はあなたの番よ。島野昌也」

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