第2話
華世に指摘され、島野は自宅の部屋でパソコンのモニターを眺めながら考えた。
「どんな思いで、って言われてもなぁ」
画像を適当にクリックして、開いてみる。これは高校の時の市民プールでのバイトの時の動画だ。再生ボタンを押すと動画が流れ出す。
『島野くんほら、コレ見てよ』
『うわ、なにそれ?』
『ヤゴだよ。知らないの?』
菊地が、得体の知れない茶色くて細長い虫を持ってきたので島野は大変驚いたのだ。だいたい都会っ子の島野はヤゴなんて見たことがなかった。トンボになると言われてもピンと来なかったことを思い出す。
「匡様も驚いていたよな」
動画を眺めながら島野は一人呟いた。画面をスクロールしていけば、その年代ごとの菊地和真の笑顔があった。どれを見ても屈託なく笑っている。
昨日まで、菊地和真の一番身近にいたのは島野だった。それなのに、今日からは一番遠い存在になってしまった。
オメガ保護法が施行されて、オメガとなって施設に保護された菊地和真は、過去を捨てる。ベータとしての人生を持ったままでは生きづらいから。ベータからオメガになって、喜ぶ家族はままいない。人間関係だって複雑になるだけだ。だから、過去を捨て施設で新しい人生を歩む為の訓練をするのだ。
そう、菊地和真が捨てる過去には島野昌也も含まれる。
島野は別のフォルダーを開いた。大学で、講義を受けている菊地の横顔だ。サークルでの飲み会や、徹夜でレポートを仕上げた時の疲れた顔の菊地がでてきた。この頃、当たり前のように隣に座る島野のことを、菊地はどう思っていたのだろうか?
「俺は、何を考えていたのかなぁ」
華世に言われたことが心に引っかかる。それに、華世とのお見合いの資料は父親から渡された。それだけで、聞かなくても分かるものだ。
───────
あれはそう確か、中学三年の冬休みだった。一之瀬家で身内だけのクリスマスパーティーを開くから、島野も参加させてもらったのだ。所謂一之瀬家の使用人の子どもたちが大勢来ていて、本邸の大広間でおこなわれたものだ。
一之瀬家の四兄弟がいて、蘇芳様が子どもたちにプレゼントを用意してくれていた。渡してくれたのは確か陽葵様だったと記憶している。生まれて初めて見たオメガで、物凄く綺麗な人だと記憶している。
貰ったのは海外のお菓子だった。見たことも無いほど綺麗なパッケージに入っていて、本場のクリスマスはこんなにも違うのだと感動したものだ。確かあのお菓子の入れ物は、母親に取られたと記憶している。
その日の夜、自宅でコタツに入って貰ったお菓子を食べながらテレビを見ていると、父親が目の前に角2の封筒を差し出してきた。
「なに?」
テレビが見えにくいな。なんて、思いながら封筒を受け取り中身を確認する。印刷物が数枚入っていた。
「お前はここを受験する。ほかは無い」
「え?なにそれ?」
普通に驚いて、普通に聞き返した。中身を出せば高校の案内パンフレットが一冊に、案内図が印刷された紙と概要の書かれた紙。確認するとこの高校は隣県の公立高校で、オメガ特例措置があった。
「匡様がこちらを受験するそうだ」
「えっ」
意外なことに驚き声を上げてしまった。一之瀬家は国内でも有数の名家だ。古くからある幼稚舎から大学までの名門私立に通われているのに、なぜわざわざ公立のしかも隣県を?
「この高校は蘇芳様と陽葵様が出会われた場所だ。匡様も運命に出会えるかもしれない。とのことらしい」
受験理由を説明されて、ますます島野は理解不能になった。受験理由が運命に出会いたいから。って、乙女かよ。と内心ツッコミたかった。
「オメガが通える数少ない公立の高校だからな、出会いを求めて昔からアルファも通っていたんだ」
「って、ことは?」
「そうだ。偏差値はなかなか高い」
「まじかよっ」
別に、島野は勉強ができない訳では無い。むしろ一之瀬家に仕える家の息子として、恥ずかしくない学力は持ち合わせていると自負している。
「アルファとオメガが通う高校だからな、クラス分けはシビアだ。Aクラスから始まりEクラスまであるが、オメガの生徒は成績に関係なくEクラスにされる。つまり、優秀なアルファの生徒はAクラスになるわけだ」
「え、まさか?」
「必ず匡様と同じAクラスに入るように」
「うぇぇぇ」
島野は別に勉強が嫌いではない。一之瀬家に代々仕えるベータ家系の息子として、それに答えられるだけの努力はしてきた。が、今回はなかなかハードルが高い。つまり、ベータの中ではトップを目指さなくてはならないということだ。いや、下手をすれば一般のアルファに勝たなくてはならないかも知れない。
翌日島野は書店へ向かった。隣接県の受験対策の為だ。高校受験のコーナーで、島野は頭を強く殴られたかと思うほどの衝撃を受けた。
一発勝負。
隣接県の高校受験。すなわち公立高校の選抜試験は一回しか行われない。二次募集はない。しかも合格発表は三月下旬、卒業式の後だ。落ちていたら高校浪人してしまうでは無いか。だから受験応募の締め切り後、倍率が発表され、それを見て受験校を変更できるらしい。が、島野には一択しかゆるされていないのだ。
「参考書買お」
どうにもならない現実を知り、島野は大人しく帰宅することにした。とにかく、落ちる訳には行かないのだ。
どんよりとした気分のまま冬が終わり、クラスのほとんどが進学先が決まっているさなか、島野は一人参考書とにらめっこしていた。
「昌也、マジで隣県の公立一本なのか?」
「うるせぇ、匡様が受ける以上選択肢はそこしかねぇんだよ」
「名家に仕えるお家は大変だなぁ」
「そう思うんなら静かにしろ」
机の周りでワチャワチャ騒ぐクラスメイトたちは、既に合格通知を貰っている。三月になってから受験するのは島野と二次募集狙いの生徒ぐらいだ。
あとも先もない島野は受験から解放されたクラスメイトたちを横目で見ながら参考書を見つめた。卒業したら、もうこいつらと会うことも無くなるんだろうな。ちょっとした哀愁を感じるのだった。
そうして迎えた入学式、受付で自分のクラスを確認した島野は心の底から安堵した。
(A組だ、よかった)
入学式には父親も母親も来ていた。もちろん父親は島野の入学式への参列と言う護衛だ。入学式の会場には生徒一人につき同伴者は二人まで。一之瀬匡の保護者であるところの一之瀬蘇芳は、保護者代表挨拶をするので別室にいる。もちろん秘書と護衛付きだ。母親である陽葵様はこういった席には参列しない。そんなわけで島野の父親は、一之瀬匡の入学式の晴れ舞台を記録に残さなくてはならないのだ。
もちろん、島野は母親が撮影してくれるだろうけれど、期待はしていない。入口で入学式と言う看板の前で写真を撮ったから、それで終わりだろう。
出席番号の順で座席に着いた。自分の前には女子生徒がいるが、なかなか背が高い。オマケに美人だ。名前を確認すると、父親が地元の議員だった。せっかく娘が入学するのに、同級生に一之瀬匡がいたのでは、保護者代表の役が回ってくることは無いだろう。思わずそんなことを考えてしまう自分に嫌気がさして島野ははるか前を見た。
一之瀬匡が立っていた。
ただそれだけで恐ろしい程の存在感があった。もちろん、ほとんどの女子生徒が一之瀬匡を見ている。特に、E組からの視線が凄かった。島野は回りの状況を確認しながら、入学式に望んだ。ここからが島野にとっては本番だ。一之瀬匡から、どれだけ認められるか。それによって自分の将来が決まるのだから。
教室に入ると、購入した教科書が渡された。時間割を見てうんざりする。高校の最寄り駅はJRで、大抵の生徒がそこから徒歩、または自転車が多い。けれど、島野は徒歩だった。駅前の自転車預かり所は有料でなかなか空きがないのも理由の一つだった。
出席番号の順に席に着くから、一之瀬匡は三番だった。島野はゆっくりとクラスメイトとなった生徒たちを見た。アルファとベータが半分ぐらいだろうか?成績順とは聞いていたが、それがアルファとベータの混合かどうかまでは知らない。隣のB組も同じような感じだろうか?だとすると、B組になったアルファたちはさぞやプライドが傷つけられているのではなかろうか?入学試験でベータに負けたのだから。
だがしかし、それは杞憂に終わった。B組になったアルファたちは、一之瀬匡と同じクラスにならなかったことを喜んでいるようだった。アルファの中の序列でいけば文句なしのキングオブトップと、同じ空間にいたくはないらしい。 そして、島野の家庭の事情をしるアルファからは、なぜか憐れむような目線をよこされたのだった。
そうして、高校生活に慣れてきた頃、それはすなわち心に隙ができた頃、事件が起きた。
三年のオメガの生徒が一之瀬匡を訪ねてきたのだ。まだ席替えをしていなかったから、一之瀬は一番廊下側の席に座っていた。風通しを考慮して、教室の窓は開けられていたから、廊下まで来たその三年のオメガの生徒は直ぐに一之瀬に、声をかけてきた。
島野はそれを横目で見ていた。まだ、自分は声をかけてもいない一之瀬に、三年だからなのか、オメガだからなのか、平然と話しかけるその生徒を島野は警戒した。
一目でオメガと分かったのは、首にネックガードが巻かれていたから。それを隠すことなく、むしろシャツのボタンをあえて外して、見せつけるようにしていたからだ。
「なぁ、アレ」
廊下の様子に気がついたクラスメイトが小声で言う。それに反応してチラチラと目線を廊下に向けた。
「また?」
「やっぱりアルファの中のアルファ様はモテるよねぇ」
「てか、相手オメガじゃん」
「マジかぁ、やべーやつ?」
「え?ヤバいって?」
「そりゃお前……オメガのヤバいって言えば」
ベータの男子だけの集団だからか、廊下にいる一之瀬とオメガの生徒を見て下世話な想像をしている。思春期だから興味津々なのだろう。島野だって、下世話だとは思いつつも興味はあった。だが、仕える相手でもある一之瀬家のご子息に対して、そんな妄想を働かせるわけには行かなかった。
「なぁ、アレ誰だ?」
「確か生徒会の」
「二階堂さんじゃん」
廊下の方が騒がしくなったので、見てみれば確かにそこには三年で生徒会に所属している二階堂卓の姿があった。オメガの生徒を挟んで一之瀬と対峙しているように見える。
「なぁ、なんか変じゃないか?」
「なにが?」
「二階堂さん、怒ってる?」
廊下から、じわりとやってくる不穏な空気に気がついて、教室内のアルファの生徒が身構えた。それに気づいた島野は一之瀬の背中を見た。
(え?まさか、ここ学校なのに?)
一之瀬の背中を見て、島野は咄嗟に身構えた。父親から散々言われてきた事を瞬時に思い出す。威嚇のフェロモンが発せられていた。
「あっ」
廊下近くの席にいた生徒の一人が声を上げた。恐らくベータだ。椅子に座ったまま机に突っ伏している。それを見て、島野は周りにいるクラスメイトたちに声をかけようと思ったが、既に遅かった。
「うわっ」
「っひ」
短い悲鳴をあげて、生徒が倒れていく。皆一様に顔色が悪い。胸や口を抑えて床に膝を着いていく。島野は素早く教室を見渡した。倒れた生徒は十三名、全員がベータだ。アルファの生徒が慌てて廊下の一之瀬に向かって叫んでいる。
一之瀬と二階堂の間にたっていたオメガの生徒はとっくに倒れていたらしい。姿が見えない。島野はそっとスマホで教室の様子を撮影し、父親へと送信した。理由と倒れた人数も忘れずに書き込んだ。そうして、周りのクラスメイトと同じように床に膝をつきうずくまった。
救急車はサレンを鳴らさずに学校に到着した。そうして4階にある一年A組に救急隊が駆けつけた。廊下で倒れたオメガの生徒は、泡を吹いていたらしく、酸素マスクをあてがわれているのが見えた。
倒れたベータの生徒は皆一様に顔色が悪く、中には嘔吐してしまう生徒もいた。腹痛を訴える生徒もいて、救急隊はその生徒の血圧を測っている。
「だいぶ低い」
「君、名前は言えるかな?」
顔色が悪いの言葉で済ませられないほどにその生徒は土気色になっていた。血の気が引くとは言うけれど、それがまさに目の前に広がっていた。教室にいたベータの生徒はもれなく倒れてしまった。訓練を受けていた島野は、少し気分が悪くなっただけで、倒れるほどではなかったが、周りに合わせて床に座り込んでみた。
救急隊にバレるかと思ったけれど、案外バレずに脈を取られて口の中を確認された。下まぶたをめくられたりもしたけれど、異常なしと判断された。
(騙してごめんなさい)
内心謝りつつ、教室の様子を伺った。授業どころの騒ぎではなく、E組は扉も窓も閉め切って隔離されているらしかった。
島野が床に座りクラスメイトと大人しくしていると、大人が数名教室に入ってきた。その中には父親の姿も見える。続いて入ってきたのは白衣を着た人物だ。どう考えても医者だろう。
一人一人を丁寧に診察して、カルテに書き込みをしていく。今どき珍しいポラロイドカメラで正面から顔写真を撮っているのが父親だと分かると、島野は若干緊張した。いやがおうにも顔が引つる。
「写真撮らせてね。名前聞いてもいいかな?」
クソ真面目な顔した父親が、ご丁寧に実の息子の名前を尋ねている。全く笑えない状況に、島野は引きつった顔のまま答えるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます