おまけの21 森の掟
「禁域の森の話? やめておいたほうがいいと思うけどねえ……」
少し前に禁域の森に挑んだという魔法使いのプリシラさんは、そう言いながらも私たちに森の話をしてくれた。
「まずは最低限、戦えるか、身を守れるか、逃げられること。私は逃げる技術こそが一番大切だと思っているよ」
「え~? プリシラさんほどの人がですか?」
この人は本当にすごい魔法使いなんだ。
女王様直々に国に仕えないかと勧誘されるほどの実力者。それなのに、自分のやり方と合わないからと、女王様の誘いさえも断るほど、自分の生き方を選べる強い人だ。
それに、全然偉そうにしない。こうして、新人の冒険者である私たちが相手でも、決して見下すこともなくきちんと話をしてくれる。
「まあ、あそこも私が行ったときとは事情が変わったけどね。なんでも、いなくなったらしいじゃないか。あの恐ろしい森の主が」
そう、だからこそ私たちはあの森に挑もうと思うのだ。
世界は変革の時期へと突入した。発見された別世界。存在が明らかになった女神たち。
そんな激動の時代に私たちは、古い習慣なんかにいつまでも囚われてはいけないのだ。
「それじゃあ、準備もできたし行くわよ! 私たちだってそれなりに戦えるし、古びた森なんかさくっと踏破しちゃうわよ!」
≪森の掟 その一 戦えない者、自分の身を守れない者は、立ち入ってはいけない≫
「なんだ、大したことないやつばかりじゃない。やっぱり、禁域の森なんて言われてたのは昔の話みたいね。こんなのもう初心者の森でしょ」
「いや、さすがに戦う前にそれはどうなの? もしかしたら、強化個体が混ざってるかもしれないじゃない」
森についたけど、他に誰かいるわけではない。
ちょっと前までは、男神アキト様が住んでいたらしく、様々な種族が森の奥を目指しては逃げ帰ったなんて話も聞く。
でも、やっぱり今では廃れた場所にしか思えない。
「平気平気、あんなスライムごとき強化個体と言ってもたかが知れているわ。さっさと倒して進みましょう」
≪森の掟 その二 森の中は別世界。常識は捨てろ≫
「どうなってんの!? なんで、スライムごときがあんなに強いの!?」
「だから言ったじゃない! 強化個体かもしれないって!」
あんなスライムは何匹も倒している。それに、その強化個体だって敵ではない。というか、出てきたらラッキー程度に思うほどの効率のいい獲物だったはず。
「私の剣、一瞬で溶かされたんだけど!?」
「私なんて、防具がなかったらお腹に穴空いてた!」
「そっちはだめだって! 入口と逆方向に逃げてるわよ!」
「そんなこと言ったって、あっちにはあのやばいスライムがいるじゃない!」
たかがスライム。そう思っていたはずの相手は、私たちの装備をあっさりと溶かすほどのとんでもない存在だった。
なによあれ。あんなの上級者向けのダンジョンでだって見たことないわよ!
≪森の掟 その三 奥ほど強者が住んでいる。逃げるなら入り口を目指せ≫
「グランドタスクとか無理! 上級者じゃなきゃ無理!」
「あれも、さっきのスライムみたいに私たちが知ってるのより強かったりして……」
「いや、そんな……まさか」
私たちは顔を見合わせた直後に、勝てるはずのない敵から逃げ出した。
運が悪いことに、逃げるときにグランドタスクは私たちを発見したらしい。
ものすごいスピードで追いかけ回された私たちは、森の奥へと逃げていく。
助かった……
なんで、あいつが途中で私たちを追うのをやめたのかはわからない。
でも、なんとかあのイノシシから逃げきれたみたいだ。
「あ……あれ……」
「ど、どうしたの?」
疲れてその場にへたりこむ私たちだったが、仲間の一人がガタガタと震えて指をさす。
その方向にいたのは……
「ターリスクってなによ!? ボスじゃないの!? なんで、普通に森の中を歩いてたの!?」
まるで森そのものを破壊するかのように、巨大な鹿の魔獣が私たちを追いかけ回す。
勝てるとは思わない。追いつかれた瞬間絶対に殺される。
だけど、なんだか今日の私たちは案外運がいいのかもしれない。
それとも、恐ろしい魔獣と出会ったという不運の後だから、帳尻合わせのように幸運が舞い降りただけなのか。
ともかく、私たちはまたも命を拾うことができた。
理由はわからない。
でも、執拗に私たちを追いかけていたターリスクは、急に来た道を引き返して走り去ったのだ。
「え、諦めた……?」
「よかった~! もう無理! もう走れない!」
「でも、なんで急に諦めたんだろう?」
「案外体力なかったんじゃない? 図体だけの鹿だったんだよ、きっと」
もちろん、そんなことはないとみんなわかっている。
でも、疲れて倒れたままなので、少しでも気を紛らわせようと、そんなくだらない冗談に笑った。
≪森の掟 その四 知性のない者よりも、知性のある者を恐れよ≫
「あら……案外余裕そうね? 間違えたかしら」
「お、オーガ……?」
私たちを観察するように見つめているのは、特徴的なはだけた服をきた美しい女性。
ただし、その皮膚の色や頭から生えている角が、彼女が人ならざる者であることを語っている。
「ええ、あなたたちは外からきた人間ね? ごめんなさい。私のせいで獲物を逃がしたみたいで」
獲物……って、もしかしてターリスクのことだろうか。
私たちに謝ったってことは、オーガの女性はあのターリスクが私たちの獲物だと思っているということ?
「それもそうよね。こんな奥地まで入り込んでるんだし、あんな相手に手こずるような腕前のはずないか……つまり、あなたたちは今日のために、外からわざわざこの森に来た人間ってことね」
今日のためって言うけど、今日なにかがあるのだろうか?
でも、散々苦労してここまできたんだし、もしも今日が特別なお祭りの日とかなら、せっかくだし参加させてもらおうかな。
幸いなことにオーガの女性は、私たちに敵意や殺意なんてもってないし、なんなら友好的な種族みたいだ。
やっぱり、言葉が通じる相手というのは助かる。さっきのように、言葉も通じずに襲いかかってくる相手のほうがずっと何倍も恐ろしい。
「さあ、会場についたわよ」
オーガの女性、アカネさんに案内してもらって、私たちは森の奥へとさらに進んだ。
会場と言われたその場所は、別に今日という日を祝うような飾りとか出店のようなものはない。
というか、ただの開けただけの場所だ。
「あら? 初めて見る顔ですね。その子たちはどうしたんですか? アカネ」
「今日のために、この森を訪ねてきたみたいだから連れてきたのよ」
「へえ……そんな強そうに見えないけど大丈夫なのか?」
虎の獣人の女性から不穏な言葉が聞こえた。
強そうに見えない。それはそう、私たちは弱い。それはもう十分に理解できた。
でも、大丈夫なのかってどういうこと?
まるで、強くないとまずいようなことがこれから起こるかのような……
「馬鹿ね。魔力だけが強さじゃないってことは十分わかったでしょ? きっと、魔力が低くてもそれ以外の強みがある子たちなのよ」
「それもそうか。魔力なんてほとんどないし、別の力で戦うやつらと言うのなら納得だな」
いえ、魔力……それなりにあると思っていたんですが……
周りの新人冒険者たちとかよりも優秀って言われてたし、将来は大成するってベテランの冒険者さんたちも、プリシラさんも褒めてくれたんですが……
え? 魔力がほとんどない? 私たちってそう見えるの?
≪森の掟 その五 支配者不在のときこそ、最も危険である≫
「それじゃあ、さっそく殺し合うか!」
は?
「もう、殺したらだめって言ってるじゃないですか。動けない程度の怪我をしたら負けですよ? あなたの場合、再生するからしょうがないけど、負けを認めたらちゃんと諦めてくださいね」
「ああ、わかってるって。ちゃんと私の方が弱いと思ったら、戦いからは抜けるさ」
待って。
「あなたたちも、殺すのは禁止よ? 森の王を決めるための戦いなんだから、競争相手は殺さずに従えさせるくらいの度量は見せてちょうだい」
なんで、そんな平然としていられるの!?
あなたたち、まさかこれから大乱闘を始めるってことよね!?
止める間もなく地形が変わった。
さっきまであんなに友好的だったのに! 会話が普通に行われていたのに!
そんな人たちが、各々力を振るって用意された会場とやらを破壊しながら戦っている。
訓練とか試合とか、そんな安全を約束された戦いじゃない。
まるで、死んだら仕方ないと言うかのような、相手を配慮していないような戦い。
さっき言ってなかった!? 殺すの禁止ってなんだったの!?
「お前、また強くなったようだな! アカネ!」
「神の実を食べることを許されているからね。あなたも意地張らずに食べたらいいのに」
う、腕が千切れてる……
獣人の女性の腕がもげたと思ったら、しばらくしたら生えてきた。
なにあれ……なんで、あれほどの怪我をして笑いながら戦っていられるの?
そもそも、腕が生えるってなんなの? 教会の聖女様に治療してもらわないと、ふつうはそんなこと無理なんだけど!?
「私は私の力で強くなるから、それでかまわん!」
「それは立派な志ですけど、今日は私の方が少し強いみたいですね!」
二人の戦いにハーピーの女性が乱入し、その鋭利な爪で一直線にオーガと獣人を斬り裂いた。
致命傷になっていないが、二人そろっておびただしい量の出血をしている。
「あなたたちは戦わないのかしら?」
「ひぃっ!!」
上位者同士の恐ろしい戦いに手も足も動かなくなっていた私たち。
そんな私たちに、明らかに通常よりも巨大なラミアが声をかけてきた。
いや、そんなのんきな状況じゃない。今の私たちはラミアに襲われる寸前だ……
「えっ、あのっ!?」
「まあいいわ。実は気になっていたの。あなたたちがどんな風に戦うのか。見せてちょうだいね」
あ……死んだ。
多分死なないように加減はされている。尾の一振りが私たちの胴体を薙ぎ払うだろうけど、きっと死にはしない。
でも、死んだと思ってしまうほどの恐ろしい攻撃だったのだ。
私の体も死を感じたのか、迫りくる巨大な尾がやけに遅く見える。
死の間際の集中力とでもいうのだろうか? そんなことされても、残念ながら対処できないけどね。
痛いだろうなあ……
そう思って覚悟というか、諦めのような感情が頭を支配した。痛みに備えて体がこわばっていく。
だけど、その瞬間は訪れることはなかった。
「うるさいですよ。静かにしなさい」
≪森の掟 その六 森の支配者に逆らうな≫
全員が平伏した。
オーガも、獣人も、ハーピーも、ラミアも、アラクネも、アルラウネも、そして私たちも……
自らの意思でそうしたんじゃない。多分生存本能が勝手に私たちの体を動かした。
でも、私は勝手に動いた体に文句はない。それどころか感謝している。
「神狼様……い、いらしていたんですね」
神狼。
たしか、元々この森の支配者だった生き物……
なんでここにとか、そんな考えはどうでもいい。というか考えられない。
今私の頭の中にあることは、このかわいらしい少女にしか見えない存在が、私の命を握っているという事実だけだ。
機嫌を損ねた瞬間に殺される。なんなら存在を認識された瞬間に死ぬかもしれない。
とにかく……私たちはそこにいなかのように、動かずに音を立てずに頭を下げ続けるしかなかった。
「私が私の森にいることが、いけませんか?」
「い、いえっ! そのようなつもりでは……」
だって、このラミアですら隣で震えているもの……
あの少女がどれだけ強く、恐ろしく、傍若無人な存在なのかは、私にも一瞬で理解できた。
私に向けられていない怒気でさえも、私の心をへし折り続けているのだから……
重い空気が流れる。
誰もが、森の支配者の機嫌を損ねないようにしているためか、一言たりとも言葉を発する者はいない。
――はずだったのだが、場にそぐわない能天気な声が聞こえた。
≪森の掟 その七 生きて外に出たいなら、森の支配者の主を頼れ≫
「あ、やっぱりここにいたのか! だから、勘違いだって! ソラ!」
「知りません。私より、あの犬がいいんでしょう? なら、用済みの犬は森で暮らします」
「だから違うってば! あの犬は杉本さんの家の犬だから! 迷子になってたのを俺が見つけただけだってば!」
「……ですが、抱きしめていました」
「そうしないと、逃げちゃうからね!」
「ですが、あんな小娘に唇を許していました」
「なんか、なついてくれて舐められてただけだし、ソラにするのとは全然別物だから!」
……なにこれ? 痴話喧嘩?
「なら……私にもあの小娘よりたくさんしてください」
「えっ……ここで? みんないるのに?」
「全員、目を閉じて耳をふさぎなさい」
絶対的な支配者。その命令を聞いた瞬間、私たちは迷わず命令通りに動いていた。
ところで……いつまでこうしていればいいんだろう。
結局私たちが頭をあげていいと許可されたのは、三十分ほど後のことだった。
「わん……」
「うん、ごめんね。俺も悪かったよ。ソラの気持ちも考えずに」
よくわからないが、森の支配者と男の人は仲直りしていたようだ。
森の支配者からの怒気は消えているし、圧倒的なプレッシャーも感じなくなった。
というか、男の人にべったりくっついて、顔を舐め回しているので、こちらへの興味がなさそうだ。
……見ているこっちが恥ずかしくなってきた。
「みんなもごめんね。うちのソラが」
「い、いえっ! いつでもいらしてください! それよりも、私たちはここを離れましょうか!? これから子づくりされるのですよね!?」
「しないよっ!」
よくわからない。
あの獣人の少女が強いのはわかるんだけど、男の人はそんな感じは全然しない。
だけど、オーガも獣人の少女も、あの男の人には逆らえないようだ。
獣人の少女は逆らっていたというか、すねていたけど……
そこで、私は男の人と目が合った。
「あれ? この人たちは初めて見るね。新しく森に住むようになった人たち?」
「い、いえっ! 私たちはこの森にもう二度と近づかないので、許してください!」
多分……この人がこの森で一番の権力者だ。
私たちは、もはや恥も外聞もかなぐり捨てて、目の前の男の人に助けを求めた。
その瞬間。獣人の少女が、わずかに耳と尾を動かしたのが、怖くてしょうがなかった。
「二度と近づかない。二度と調子にのらない。二度と背伸びしない」
「よかった。生きてる。生きてるよ私たち!」
こうして、私たちの禁域の森への挑戦は幕を閉じた。
本当に、奇跡的に生還したとしかいえない。
まさか、あんなに怖い場所だったなんて……支配者がいなくなったから安全だ、なんて考えていた自分をぶん殴りたい。
「あの男の人が森の支配者なのかな?」
「いや、オーガたちは支配者を決めるために戦ってたみたいだし、支配者がいないってのはたしかでしょ?」
「そのオーガたちが逆らえないみたいだから、あの獣人の女の子が前の支配者だったんじゃないの?」
「じゃあ、あの男の人なんなの?」
「なんだ。君たち男神アキト様にお会いできたのか、それは随分と幸運だねえ。実にうらやましいよ」
酒場であの森のことを話していたら、プリシラさんにそう言われた。
えっ……あの人神様だったの?
私たちは改めて、自分たちの無知を反省するのだった。
≪以上の掟をしっかりと頭に入れましょう。ここまで読んでくれたあなたなら、森に挑むことはどれほど愚かか理解できているかと思います。どうか、この本を読んだあなたが愚者ではないことを願います。 ――著作 マルレイン「禁域の森という場所の恐ろしさについて」≫
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