おまけの19 きっとその在り方が美しかった

「ごめんなさい。あなたたちの世界を守ることはできませんでした……」


 姉たちを失ったばかりで、自分だって辛いはずのイーシュはそう謝りました。

 私たちに残された居場所はたった二つ、暗闇の国と不気味の森。どちらも、まだ子供である私たちは近づこうともしなかった場所でした。


「守ってくれるって言ったじゃない!」


「ママを返して!」


「神様なんだから助けてよ!」


 不安からか、周囲の者たちはイーシュを口々に責め続けました。

 イーシュは言い訳一つせずにその言葉の一つ一つを受け止めて、ただ謝り続けていました。


「ね、ねえ。狼ちゃん……どっちに行くの?」


「不気味の森ですかね……」


 仲が良かった魔族の少女に聞かれて、私もまた自分がこれから生きる場所を決めました。


「わ、私は暗闇の国に行くことにする。またいつか会おうね、狼ちゃん」


「ええ、きっといつかは再会できるでしょう」


 世界が滅びなければの話ですけどね。

 この世界の未来はどうなるんでしょうか……


    ◇


「それ、私が見つけた果物よ!」


「ぼけっとしてるのが悪いんだよ!」


 初めは不気味の森で生きていくだけで、誰もがびくびくと怯えていました。

 しかし、慣れというのは大したもので、いつしか私たちはこの森で生きることが普通になっていきました。

 もっとも、慣れることがいいことばかりではありません。

 恐怖心も薄れ心に余裕ができたためか、今度は食べ物を奪い合う光景が日常になりました。


「そこの狼! そのキノコよこしなさい!」


「これは私が見つけた食べ物です。欲しければあなたも自分で探したらどうですか?」


「探すよりもあんたから奪ったほうが早いでしょ!」


 やけに体が大きい一つ目の子が襲いかかってきますが、ずいぶんと動きが遅いです。

 たしかにあの体格と魔力で殴られたら痛そうですが、あんな大振りの攻撃なんて当たりません。


「お、覚えておきなさい!」


 結局一つ目は私に一度も攻撃を当てることができず、傷だらけになって逃げていきました。

 私が言えたことではありませんが、ここの住む誰もがまるで獣のようです。

 こんな日々を無為に過ごして、私たちに意味はあるんでしょうか……


    ◇


「もっと静かにやりなさい。起きちゃうでしょ」


「で、でも……この子なんにも悪いことしてない……」


「なに? 私に逆らうの?」


 話し声が聞こえ……

 !? 体が動かない! 誰かに押さえつけられている!?


「ほら、起きちゃった。でももう動けないからいいわ。この前はよくもやってくれたわね、狼」


「……卑怯な手を、一人で勝てないから仲間と一緒に寝込みを襲いましたか」


「あんたがぴょんぴょんと避けるからでしょ。こうやって動きさえ止めちゃえば、私のほうがずっと強いのよ」


 ああ、痛い。力任せに殴られ続ける。

 血反吐を吐く私にびくびくと怯えながらも、私を抑えつける仲間たちは手をゆるめません。

 ああ、そうですか……結局、この森にはそれが足りないのですね。

 絶対的な力と恐怖による統治。それこそが森に必要なものだったのです。


「ふん! これにこりたら二度と私に逆らうんじゃないわよ!」


 体は動きません。

 ですが……全員顔は覚えました。


    ◇


 頑丈な体に産んでくれた母様に感謝します。

 おかげで、こうしてまた動くことができるのですから。


「ん……だれ……」


 強い体に産んでくれた母様に感謝します。

 おかげで、こうして復讐することができるのですから。


「痛い! 痛い痛い痛い!!」


 無駄にでかい体だったから、噛みつく場所には困りませんでした。

 私はのんきに眠っていた一つ目の腕に、砕くほどの力を込めて噛みつきました。


「なに!? おい! 助けなさい! お前ら、なにをしてんの!? こいつを離せ!」


 混乱しながらも私の存在を認識したらしく、一つ目は周りで寝ていた子供たちを起こして命令します。

 彼女たちは私の体をつかんで一つ目の腕から離そうとしますが、私も顎に力を込めてさらなる力で噛み続けました。

 邪魔しないでください。あなたたちの順番はこいつの次です。


「痛い! 千切れる! 腕が千切れちゃう!!」


 一つ目はついに音を上げてその場にうずくまりました。

 それとほぼ同時に、私の口の中に骨が砕ける音が響きました。


「―――――!!!!!!」


 一つ目は、体格通りの大きな叫び声を上げました。

 もっとも、なにを言ってるかわからない声にならない悲鳴でしたが。


「や、やだ……ごめんなさい! ごめんなさい!」


 一つ目がやられてことで、周囲の子たちは泣きながら私に謝りました。

 ですが、ここで許したら次は私が復讐されるだけなのでしょう。

 私は恐怖を植え付けるように、一人残らず片腕を噛み砕きました。


    ◇


「お、狼様……食料をもってきました」


「いりません。誰もそんなことは頼んでいません」


 あの日から一つ目たちは私に媚びへつらうようになりました。

 ですが、びくびくと怯えたように腫れもの扱いされるのは非常に不愉快です。

 ならば、いっそのこと今までのように一人でいたほうがずっといい。

 私はこれからもずっと一人で生きていくので放っておいてください。


「お前が生意気な狼か?」


 ですが、森に住む者たちは私のことを放っておいてはくれませんでした。

 仲間を引き連れた獣人に絡まれて、傷だらけになりながらも撃退しました。

 いつかのように寝込みを襲われそうになったので、周囲を囲まれながらもなんとか逃げ切りました。

 眠らないようにしました。精神も体力もすり減っていき、行く先々で争いに巻き込まれました。


 ……こんな生き方になにか意味があるのでしょうか?

 森にいる者たちはほとんど倒したと思います。

 でも、いつだってボロボロになりながらの勝利なので、彼女たちは回復したらすぐにまた私に襲いかかってきました。


 ……もっと絶対的な力がいる。


    ◇


「せっかく安全な場所に逃げてもらったのに、そこで争い合ってどうするのよ!」


「うるさい! 神様ならさっさと町を直せ!」


「もうこんな森で暮らすなんてうんざりなのよ!」


 ある日、イーシュが私たちを叱りに来ました。

 彼女も相当鬱憤が溜まっていたのか、互いに言い争うだけの時間が続きます。


「もういい。今日からこの森は管理者を決めるわ、そこの狼。あんたが一番強いから、今日からあんたが森の支配者よ」


 女神の横暴ともいえる発言に、周囲の者たちから不満の声があがります。


「……なら、私にもっと絶対的な力をください。私はこの森を支配する神獣になります」


「……本気なの? そんなことしたら、もうこの森から出られないわよ?」


 この森から出てなにがあるんですか? そもそも、こうして争うだけの日々になにかあるんですか?

 どうでもいいです。なら、私は絶対的な力と恐怖で、ぜめてこの森を平和な森にするだけです。


    ◇


「神狼様……お、お食事です」


「いりません。あなたたちが食べなさい」


 こうして私は一人になりました。

 もう私に挑んでくる者さえいません。本心をぶつけてくる者はいません。

 上っ面だけ、私を王として扱ってくる者たちだけがこの森の住人たちです。


 別にかまいません。

 ようやく、平和な場所になったのですから。


 森の中を見回ります。

 私に気づいた者たちは、みんなびくびくとその場で固まります。

 決して機嫌を損ねないように、早くいなくなってくれと思われています。


「おい、それは私のだぞ!」


「なに言ってるのよ! 先に見つけたのは私でしょ!」


 くだらない喧嘩をする者たちがいましたが、近くにいた者が私の接近を慌てて知らせていました。


「ちょ、ちょっと! 神狼がきてる! 喧嘩してる場合じゃない!」


 私が彼女たちに近づく頃には、彼女たちはすっかり争いをやめていました。

 ……これでよかったんでしょうか。


    ◇


「外に草原ができてる!」


「本当!? さっさとこんな森から出て行こうよ!」


 イーシュががんばったみたいです。

 外の世界はいつしか復興されていき、生き物が住める場所はどんどん増えていきました。


「でも、神狼様は……」


「馬鹿! そんなやつとはもう関わらなくていいんだから、様なんてつけなくていいんだよ!」


 好きにしてください。

 例え一人になってもここが私の住む場所です。


 ようやく静かに暮らせる。

 そう思っていたのですが、なかなか思いどおりにもいかないものです。


「お前が森の支配者か! 強いんだって? 私と戦ってくれよ」


 赤い肌と頭から生えた角が特徴的な女性。

 力自慢のオーガに喧嘩を売られたので一蹴しました。


「くそっ……ぜんぜんなにをされたかわかんねえ! おい、狼! お前に勝つまでこの森に住むからな!」


「はあ……好きになさい。わざわざこの森に住むとは、粗暴なオーガの考えはわかりませんね」


「そぼう? なんだそれ?」


「あなたが気にする必要はありません。ですが、もっと頭を使わないと私には一生届きませんよ」


「……お前みたいな喋り方すればいいのか?」


「はあ……もうそれでいいです」


 変なオーガが住み着きました。


    ◇


「あ、あの……すみません。どうかこの森に移住させていただけないでしょうか……国から逃げたため、もう行くところがないんです……」


「別にかまいませんが、あなたたちではここで一番弱い魔獣にも勝てないと思いますよ」


「そんな……いえ、国に戻って実験の末に死ぬくらいなら……この森の養分になることを選びます」


 疲れ切ったエルフたちが移住を希望しました。


「……それをあげます。私の気配を感じれば魔獣も逃げ出すでしょう」


 だからあとは好きにしなさい。

 手を貸すのはこれだけです。それでも無理ならこの森から出て行くか、望みどおりこの森に屍を埋めるといいです。


    ◇


「なにか近づいていますね……」


 森はすでに私が支配しています。

 森の中のすべては手に取るようにわかりますし、外から近づく強者もなんとなく理解できます。

 これまでとは比較にならない強者の接近に、私は迎撃することを決めました。


「な、何者じゃ貴様は」


「ここは私の森です。あなたこそ何者ですか」


 それは強大な古竜でした。これまで戦ってきた中でも一番の強者といえるでしょう。

 もっとも――私の足元にも及びませんが。


 私は古竜の胴体を食い破り貫こうとしましたが、それよりも先に古竜が平伏しました。


「あなたの部下になりますのでどうか命だけは助けてください」


 その竜は私に見事なまでの降伏を示しましたが、部下なんて私には必要ありません。


「部下など必要としていません。逃げたければ好きになさい」


 その言葉に古竜は安心したようでしたが、このままでは他の者たちに示しがつきませんかね?

 ……尻尾くらいならいいでしょうか。


「ですが、勝手に侵入した罰は与えます」


「え? 痛ったああぁ!!」


 私は古竜の尻尾を噛み千切りました。

 味はよくなかったです。無駄に弾力があって固くて噛みにくいし、食用には向いていませんね。


    ◇


 相も変わらず森の中を見回ります。

 昔と違って私のことを認識できないように、こっそりとそして高速で移動します。

 いちいちびくびくされるのも面倒というか、不快ですからね。


 しかし、その日はおかしなことが起きました。

 私は森の中でのことはすべてわかるはずです。

 なので、そこには誰もいなかったことは確かなはずなのです……

 なのに、なぜか異常なしだと思っていた場所に、生き物がいるではありませんか。


 もしかして、私の知覚から逃れるほどの強者に侵入された?

 考えるのは後です。まずは頭を噛まないと……


「男……?」


 いえ、男だろうと侵入者は侵入者。珍しくても関係ありません。

 まだ小さな狼だったころ、群れの仲間たちから聞いていましたが、男の人って小さいはずじゃなかったでしたっけ……?

 あれ、そういえば私の体って神獣になってから成長止まってますね。群れのみんなみたいに大きくなれないんでしょうか。


 違います……まずは侵入者を。

 なんていい匂い……こんな人と一緒に森で暮らしたい……

 いえ、私はこの森で一人で生きることを選んだんです。

 だいたい私は狼です。犬じゃありません。首輪をつながれて嬉々として主人に媚びるような真似は……

 なんとかして、私のご主人様になってもらえないでしょうか。こんな良い匂いがする優しそうな人、私のメスの本能が逃がすなと叫び続けています。


「きれいだ……」


 怖くないんですか? 誰もが恐れるだけの私のことを見て、最初に思ったのが怖いでも関わりたくないでもなく、きれい……ですか。

 …………責任とってくださいよ? ちゃんと私のことを飼ってもらいますし、首輪もつけてもらいます。


    ◇


「そうですねえ……一言でいうのなら一目惚れでしょうか?」


「そうだったんですね。素敵です」


「それに旦那様も私に一目惚れしてくれたんですよ?」


「そうなんですか、お父様!?」


 娘に馴れ初めを聞かれたので話してあげると、娘はうっとりとしたような表情を浮かべました。


「え? あれ……そうなの?」


 しかし、旦那様の言葉に私は思考が停止しそうになりました。

 え……旦那様は私に一目惚れしましたよね? だって、言ったじゃないですか……


「会ってすぐにきれいだって口説かれました……」


「あ、ああ。間違ってないけど、あの頃は純粋にきれいだと思っただけで、口説いたつもりは……」


「なら、旦那様は私のことを愛していないというのですか!?」


「愛してるに決まってるだろ!」


 ほら、ちゃんと相思相愛じゃないですか。

 まったく……いじわるしないでください。


「お父様とお母様が仲良しでよかったです」


 そうですよ、クウ。

 あなたの父と母は、未来永劫仲良しです。

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