第138話 その兎にとっての今日はいつだって三月

「あら、目が覚めましたか~?」


 椅子に座らされて、縛られている?

 見渡すと俺は、木造の知らない部屋にいた。

 目の前にいるのは、白く長い耳が特徴な兎の獣人……


「あろうことか、神狼様に首輪をつけて鎖でつなぐですって? 人間ごときがふざけたことしてくれましたね」


 わかっているのは、彼女がとても怒っているということだ。

 俺に対しての敵意――いや、もはや殺意といえるかもしれない感情をぶつけられる。


「あんたのせいで、あんな虎を持て余すような無様な戦いをする始末。あの強く美しい神狼様をそんな風に変えるなんて許せない……」


 それとこの感情には覚えがある――信仰や崇拝だ。

 俺に対してじゃない。きっとソラに対してだ。


「そうか……禁域の森に住んでいた兎獣人って、君のことか」


 君というか君たちか? 一人ではなく、群れで住んでいたようだし。


「ええ、そうよ。あんたなんかがくるよりもずっと前に、私たちは森に住んでいた。神狼様のことを知っていた。でもね、あんたがきてから、あの方は変わってしまったわ」


 やっぱりこの様子だと、ソラの厄介な信者というかファンのような存在みたいだな。


「邪魔なのよ、あんたは。あの方は力のない私たちの憧れ。それを汚すなんて絶対に許せない」


 兎ってことなので、やっぱり力はないのだろうか。

 だから、圧倒的な強さのソラに焦がれて崇拝していた。

 それが俺にべったり甘えるわんこになったため、怒っているのか。


「本当は殺してやりたいけど、チャンスはあげる。獣王国であの虎どもに世話されて、なに不自由ない生活をするといいわ。この森に住んでいたとき以上に女をはべらせて、なんでも好き放題できる最高の待遇でしょ?」


 さも良い案だと言わんばかりなのだが、好待遇だとかそういうのは関係ない。

 俺は、この森での生活が気に入っているのだ。


「この森以上の生活なんて存在しないよ」


 頭に、この世界ではとつくけど、そこは割愛。

 断られると思っていなかったのか、兎の真っ赤な目がこちらを憤怒の感情で睨む。


「状況わかってんの? あんたを助けてくれるやつなんてどこにもいない。古竜は酒で動けない。聖女は怪我人の相手で動けない。森から出てしまった以上、神狼様さえ助けにくることはできない。もう一回だけ聞いてやるわ。逆らうようなら痛めつけてやる」


 痛い思いは、したくないなあ……

 じゃあ、一時的にでも嘘をついて、獣王国に行ってみる?

 この小屋は狭くてわりとボロボロだ。物も最低限しか揃っていない。

 火をつける設備はないし、水を出す設備もない。扉からは隙間風が入ってきている。

 ――なら、それで十分だ。


「俺は、この森でみんなと暮らすよ」


「まずは足を折るわ……」


 兎といえば、やっぱり跳ねたりするから脚力は強そうだ。

 その想像どおり、彼女はものすごい勢いで俺の足を蹴り折ろうとしてくる。


「フウカ! ごめん、助けて!」


 俺には、結局これしかない。

 みんなに助けてもらうことしかできない。今までもこれからも。


「アキト!? アキトヲ、イジメナイデ!!」


 俺の目の前に現れたフウカは、すぐに兎獣人を敵とみなして突風で吹き飛ばした。


 それと同時に小屋がなぜか凍りついた。なんだこれ、すごい寒い。

 もしかしたらフウカがいなくても、さっきの蹴りは当たらなかったかもしれない。

 なんか、俺と兎の間に巨大な氷の柱ができているし。


「アキト、無事か!」


「えっ、アルドル!? なんで?」


 竜の姿のアルドルが突っ込んできた。

 あっけなく俺を監禁していたボロ小屋は壊れ、外の景色が見える。

 やっぱりいつもの森の中じゃないな。だけど目の前に見慣れた森が見えたので、思わず安堵した。

 最初は不気味だと思っていたこの森も、今じゃ落ち着く場所になったんだなあ。


「友の窮地に助力にくることが、そんなにもおかしいか? まあ不要だったみたいだがな」


「いや、ありがとう。かなりピンチだったっぽい。フウカもありがとう、助かったよ」


 事実、フウカがくることができない場所だったら危なかった。

 ここが町の中かと思っていたので、チサトではなくフウカに頼んだけど、森の近くで土だらけだしチサトも呼べたかな?

 とにかく、精霊たちの力の源がない場所だったら、アルドルがこなかったら、その両方だった場合はかなり危なかったわけだ。


「アルドル……なぜここに、私の部下たちが貴様にもブシュカを食べさせたはずなのに……」


「あの兎どもの媚びる態度は、俺がもっとも嫌いなものの一つだ。誰が食うか。あんなメスどもが勧めてきたものなど」


 アルドルは心底うんざりしていた。

 なんか、シルビア関係で過去に色々あったのかなと邪推してしまう。


「ふざけるな……もう少しで、その邪魔な男を神狼様から引き離せたというのに!!」


 兎獣人が俺に再び飛び込んで蹴りを放とうとする。

 しかし、フウカの風が俺を囲んで守り、アルドルが尾を振り回して兎は吹き飛ぶ。


「私、アノ兎嫌イ!」


「諦めろ。本来なら友に危害をくわえようとした貴様など燃やすところだが、聞けばプリズイコスの女王まで攻め入ったらしいじゃないか。貴様の行動の裁きは、まずはあの女王に委ねるとしよう」


 アルドルはそれでいいか俺に聞くけど、俺にはそういうのはよくわからない。

 丸投げにして申し訳ないけど、勝手に進めてくれと伝えておいた。


「相変わらず、大らかなやつだお前は」


「くそっ……くそぉ!! もう少しだったのに……」


 兎獣人は、悔しそうに地面を踏みつけた。

 それを気にすることもなく、アルドルは兎獣人を運ぼうと近づいていく。

 そんなアルドルがぴたっと歩みを止めた。


「アルドル?」


「アキト、それに精霊。すぐに神狼のところまで逃げろ。いや、森の中にさえ入れば神狼が助けにくるはずだ」


 状況はわからないが、アルドルの言葉を信じて、俺とフウカは森へ飛ぼうとした。

 しかし、その獣人が空から降ってくる方がわずかに早かった。


「あはっ……あははははははははっ! 形勢逆転ですね!!」


 兎が笑う。さっきまでの怒りは消え失せ、その顔は己の勝利を確信していた。

 アルドルは冷や汗を流しているが、あの顔はソラに初めて会ったときの顔によく似ている。


「よく、間に合いました! これで、その男は獣王国の物ですよ!」


 もしかして……アルドルでは勝てないような相手なのか?

 轟音と共に天から降ってきたのは、背の高い大人の獣人。

 こんなときになんだが、美形が多いこの世界でもとりわけ美しいその姿は、シロに匹敵するほどの美女だ。


「さあ、その竜を倒してください! 獣王国最強のあなたには、たやすいことでしょう!」


「誰ですか?」


 その獣人の女性は兎獣人の顔を見ながら、透き通るような声で尋ねた。


「誰って……私ですよ。兎獣人の長のエリーです」


「違います。その人を、そんな風に縛ったのは誰かと聞いているんです」


 猫獣人の女性は、視線を俺に向けて、再度尋ねる。


「えっと……獣王国に連れ帰るために、暴れないようにと、私が縛りましたが……」


「あなたが!」


 猫の女性は、そこまで聞くと兎獣人に近づいた。

 いや、兎獣人がさっきまでいた場所に代わりに立っていた。

 兎獣人が一瞬で消えてしまったのだ。


「えっ!? あの兎どこ行ったの?」


「……森の中まで吹き飛ばされたぞ。なんだあの小娘……古竜の俺ですら、かろうじて目で追うのがやっとだったぞ」


「吹き飛ばされたって、あの人がなにかしたってこと?」


「腹部を殴ったようだな。それも死なない程度には加減をしていたようだ。もっとも、骨は折れ、内臓は損傷したようだが」


 こわっ……え、あの人敵なんだよね?

 それってやばくない?

 アルドルの言っていたとおり、とにかく森の中に行かないと……


「待ってください!」


 あ、終わった。

 すぐに森に逃げようと思ったのだが、やはり瞬間移動したかのような速度で、猫の女性は俺の前に立っていた。

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