第121話 見えない鎖、指輪によって引きちぎられ

「久しいな。何百年ぶりだ?」


 その声が聞こえた瞬間、私は体がこわばるのがわかった。

 話題に上がる程度であればまだ我慢できていたのに、いざ直接会ってしまうと当時の恐怖を鮮明に思い出してしまう。

 人間であれば天寿を全うするほどの長い期間。

 それほど昔のできごとなのに、今も私たちはこの男の支配から逃れることはできていない。


「なんのつもりよ、あんた。ルチアが怯えてるじゃない」


 アリシアさんでも、シルビアさんでもない。

 誰よりも先に、私を守るように動いてくれたのはリティアさんだった。


「また貴様か……貴様には用はない。私ははるか昔に失くした道具を回収しにきただけだ」


 道具――その言葉に身体が震える。

 ジルドが支配した私たちの国では、ジルド以外のすべてのエルフは道具だった。

 魔法の研究のために、私たちは消耗品として様々な実験に利用された。

 数に限りがあるからと、なるべく壊れないようにと、じわじわと拷問のような実験は続く。


 耐えられずにジルドから逃げることを決意したころには、研究はほぼ完成していたらしい。

 今思えばその研究とやらが、私たちの寿命すら消耗品として扱う、例の恐ろしい魔法だったのだろう。

 逃げる私たちを追わなかったのは、研究完了間近で気をよくしていたためか、あるいは逃げ場もない私たちが野垂れ死にするのを嘲笑ったのか。

 きっと後者だろう。現に私たちは奇跡のような出会いがなければ全滅していた。


「ルチアはあんたの物じゃないわ!」


「なにを馬鹿なことを言っている。これは私の国民で、私の物だ」


 そうか、結局私はこの男から逃げられていないのか。

 諦めの感情に心が支配される。長年かけて植え付けられた恐怖は、私の体に刻み込まれたままだった。

 せめて、私だけの犠牲ですむように……村のみんなだけには手を出させないように……


「やっぱりムカつくわ。あんた」


 ジルドのもとへ行こうとする前に、魔力の弾丸が私の横を通り抜ける。

 それはリティアさんの攻撃だった。

 力のない私にとっては特大の威力の魔法。それをジルドはわずらわしそうに、しかし容易く防いでみせる。

 やはりこの男の魔力の技術は卓越している。


「愚かな、その程度の魔法で私に勝てるとでも思ったのか」


 意趣返しなのか、ジルドも魔力の弾丸を高速で射出する。

 リティアさんよりも少ない魔力で、より高速で、より威力の高い魔弾を。


「聖女なめんじゃないわよ。これでも魔力はそこそこ高いんだから」


 しかし、ジルドの攻撃もまたリティアさんへは届かない。

 自らの周囲に、魔力による障壁を展開すると見事に攻撃のすべてを防ぎ切った。

 すごい……私にもこんな力があれば……あれば……抗えただろうか? いや、私にはきっと無理だ。


 攻撃を防がれたことに何の感情もなく、ジルドは再び同様の魔法を射出しようとする。

 だけど、今度はリティアさんの障壁の展開の速度が勝った。それも、ジルドの周囲に障壁を張っている?


「またそれか……それが通用すると思っているのなら、本当に知能が低い生き物だ」


 ジルドは障壁をそのままに、まるですり抜けるようにして魔弾を撃つ。

 それがどのような原理なのか、私には理解できなかった。


「ちっ、やりにくいわね。なにを当然のように結界を無視しているのよ」


「この程度の魔法。最も強度が低い綻びのような場所を狙えば、解除することもすり抜けることもたやすい。下等種族には理解できないだろうがな」


「やっぱり、今の私じゃどうにもならないわね……」


 リティアさんの諦めの声に、ジルドは特に興味を持つでもなく、淡々と魔法の構築を行う。

 先ほどまでとはまるで違う。

 魔力を整形しているだけ、それだけなのに、周囲に風が発生する。これは……暴風が発生する兆候だ。私はこれをよく知っている。精霊の……フウカさんの力だ。


【自滅しろ】


「ほう、それが私の道具を倒した切り札か」


 リティアさんの言葉……いや、あれは魔法?

 とにかく、リティアさんは何かをしようとしたんだと思う。だけど、ジルドにはそれも通用しなかった。

 それだけはわかる。

 リティアさんは悔しそうな顔をして、ジルドは涼しい顔で魔法の構築を完了した。まるで、二人の戦いの明暗がはっきりと表れたかのよう。


「意識の誘導? いや、違うな。もっと強制力が強い魔法。そうか洗脳か。面白い、実に面白い魔法じゃないか」


 悔しいがジルドが優秀なのは、私たちはよく知っている。

 つまり、この男は不発であったにもかかわらず、リティアさんの切り札とやらを解析したんだろう。


「だが条件がつまらん。嫌っている相手にだけ使用できるだと? そんなくだらない条件がなければ使えない欠陥品をひけらかすな」


「……気持ち悪いわね。勝手に人のことを分析してんじゃないわよ。大体、なんで効いてないのよ。まさか、私のこと好きなんて気持ちの悪いこと言わないでよね」


「貴様のような下等種族に好きも嫌いもない。貴様ごときに興味をもつと思うなど、図々しいぞ人間」


 一瞬湧いた興味も失せたとばかりに、ジルドは暴風の塊をリティアさんへ向ける。

 あれはだめだ。リティアさんには防げない。

 動かないと……なんで、私は動けない。


「てい」


 焦る私の耳に、気の抜けた声が聞こえた。


「ほう、精霊の力さえ防ぐ障壁か。やはり、そちらの人間と竜はなかなかの物のようだな」


「知ってますか? アキト様の世界では、これはバリアって言うんですよ。あれ、バリア? バリヤ? バリアー? まあいいです。つまりこれは障壁じゃなくて、アリシアバリアです」


 ジルドを前にしていたはずのアリシアさんは、私たちのほうへと振り返る。

 敵を前にして、あまりにも大きな隙だが、気にした様子はなかった。


「リティアががんばっているから手を出すなって、シルビアさんに言われましたけど、あれ以上は危険と判断したので手を出します。足も出しますし、魔力も出します」


「わかったわよ……悪いわね。あとは頼むわ。アリシア」


 そうだったんですね。

 リティアさんだけが戦っていると思いましたが、お二人はリティアさんを見守ってくれていた。

 彼女ならジルドにも立ち向かえると信頼していた……私にはとてもできないことです。


「それとルチアさんもです。ルチアさんはこのエルフの王様のことが苦手で、それでもなんとかしようとがんばっていました。偉かったですよ」


「そんな……私には、たった一歩動く勇気さえなかったというのに……」


 私が、なにをがんばったというのでしょうか……


「がんばろうとしていたのはわかります。今回はちょっと勇気が足りなかっただけです。困ったらその指輪見ればいいんですよ。勇気と欲望が湧いてきますよ? その指輪をくれたのは誰ですか?」


「これは……アキトさんが……」


「そうです。ルチアさんはエルフの王様のものじゃありませんよ? だって、この森のすべてはアキト様のものなんですから」


 指輪を見つめる。すると不思議と気持ちが軽くなった。

 そうか、私の持ち主はとっくに別の方に替わっていたんですね。

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