第107話 森林直下型乱気流に捧げるハイビスカス

「あれ、主様いないの?」


「テルラよ、悪いことは言わんからすぐに帰れ」


「え? なんで急に……ひっ!」


 失礼なトカゲですね。人の顔を見て怯えるなんて。


「な、なんで神狼様あんなに機嫌悪いの?」


「最近主様がノーラや精霊たちと色々な物を作ってばかりで、ろくにかまってもらえていないのじゃ」


 小声で話していますけど聞こえていますよトカゲ姉妹。

 だいたいかまってもらえていないわけじゃありません。

 ちゃんと頭はなでてくれてますし、寝るときだって一緒です。抱きしめてもくれます。


 ……ですが、私になにかを隠しているのが気になるだけです。

 ええ、怒ってなんていませんとも。

 私よりドワーフや精霊と一緒の時間が長いとか、ヤキモチを妬いたりなんかしていませんとも。


「神狼様。主様に甘えたいのなら妾が伝えるぞ? 今さら遠慮する関係でもあるまい」


『私は甘えたいときにはちゃんと甘えます。気遣いなどいりません』


 いけませんね。このままここにいてもモヤモヤするだけですので見回りにでも行きましょう。


『ですが、私を気遣ったことには感謝します』


「はあ……素直じゃないのう」


 その言葉が何に対してだったのかはわかりません。


 見回りといっても、森の様子なんてどこにいても手に取るようにわかります。

 なのでこれは気晴らしの散歩と言い換えるべきでしょうか。

 散歩……ご主人様と一緒に行きたかったです。

 ですが私は気遣いができるペットなのです。

 自分の都合のために、ご主人様に迷惑はかけられません。


「神狼様!? あ、あのどのような御用向きでしょうか……」


「ちょ、ちょっと今度は何したんですかアカネ!? また神狼様の機嫌を損ねるなんて、あなた死にたいんですか!?」


 ああ、オーガとハーピーは今日も騒がしいですね。

 しかし、出会うなりそのように怯えて失礼ではないでしょうか?

 それと用件を尋ねておきながら、勝手に盛り上がらないでください。

 ……いけませんね。どうにも心がささくれ立っています。


『ただの見回りと散歩です。いけませんか?』


「い、いえ……すみませんでした……」


「どうぞ、お楽しみください……」


 道を譲られました。

 なんだか私が悪いことをしているみたいです。

 ……いえ、そもそも昔は私を恐れて遭遇を避けていましたっけ。

 そのときもたまたま出くわした者たちは、今の彼女たち以上に命乞いしながら平伏していましたね。


 ……それが当たり前ではなくなったのは、いつからでしょう。

 考えるまでもありません。ご主人様と出会ってからです。

 おかしな話ですね。まだ一年にも満たない短い期間なのに、数万年に及ぶ時の常識が次々と塗り替えられています。


「さ、最後だけちょっと機嫌良くなってたかしら……?」


「よかったです……寿命が縮みました……」


 後ろからそんな会話が聞こえてきました。

 ああ、私は今機嫌が良くなっていたのですか。少しご主人様のことを考えただけでこれですか。

 我ながらなんとも簡単な女ですね……


「あら、神狼様。珍しい……わ……ね」


 そちらこそ珍しいですね。巨体ゆえにあまり遠出しないラミアなのに……

 ああ、なるほど。またエルフの村に集まっていたのですね。

 どおりでオーガとハーピーも近くにいたはずです。


 それにしても、ラミアも私を見るや顔を引きつらせましたが、そんなに私は荒んでいるのでしょうか?

 かろうじて絞り出した挨拶の言葉を最後に、ラミアは居心地が悪そうに黙ってしまいました。


『はあ……邪魔をしましたね』


「い、いえ!! そのようなことはございません!! この森はすべてあなた様のものですので!!」


 そんな言葉をかけられたかったのではありません。

 なんでしょうか。私のことを暴君だとでも思っているのでしょうか?

 仕方ありませんね。エルフの村にもついでに立ち寄りますか。


「わ、私生きてる? ……よかった~」


 そもそもせっかくの散歩もまるで気分が晴れません。

 隣にあなたがいないだけで、こんなにも景色が変わってしまうのですね……

 少し前の私はどうやって、一人で生きていたのでしょうか?


「……あ、あの。ミーナがなにかやらかしましたか?」


『いいえ。別に怒っていません』


「そ、そうですか……」


 さすがに私も学習します。

 こうも怯えられてしまうと、私がいるだけで迷惑になりますね。

 哀れな弱き者を、私という邪魔者から解放してあげましょう。

 そう思い村から立ち去ろうとすると、ルチアは私に尋ねてきました。


「あ、あの……なにかご相談がございましたら、話すだけでもしていきませんか?」


 ……今にも逃げ出したいほど怯えているくせに、なにを言っているんでしょう。


『けっこうです。そんなに怯えているくせに強がる必要はありません』


「で、ですが……神狼様がお困りの様子ですし、話すだけでも少しは楽になるかもしれません」


 多分エルフはこの森で一番弱い種族です。

 ですが、心は強いのかもしれませんね。


『くだらない話ですよ?』


「くだらない話なら、いつもしていますから大丈夫です」


『はあ……ただの嫉妬ですよ』


 認めます。

 シルビアには強がってしまいましたが、結局はそれにつきます。


『ご主人様が私の相手をしてくれる時間が減ったから、浅ましくも妬み、苛つき、拗ねているだけです』


「神狼様はアキトさんのことを愛していますからねえ……」


 そうです。

 数万年を塗り替えるほどの出会いでした。

 どうやら、私はご主人様がいないと満たされなくなってしまった。

 これはそれだけの話です。


『そうですね。くだらない虚勢でごまかしていましたが、私はご主人様と一緒にいたいみたいです』


「大丈夫だと思いますよ。私が見ているかぎりでは、アキトさんは神狼様のことを一番大切に思っていますから」


『だといいのですが……ありがとうございました。少し気が晴れました』


 別に何かが解決したわけではありません。

 ですが、帰り道の足取りはほんの少しだけ軽くなりました。


 家につきましたが、どうしましょうか。

 ご主人様はまだ部屋の中にいるので、きっと作業中ですし……

 仕方ありませんね。自分の部屋に戻って眠ってしまいましょうか。


 作業の邪魔にならないように足音を殺して歩いていくと、ご主人様の部屋の扉が慌てた様子で開かれました。


「ソラ! ちょうどよかった!」


 ちょうど作業が終わったようですね。

 ここからは私がご主人様に甘える時間です。

 胸に飛び込むと、いつものように優しく抱きしめてくれました。

 さあ、頭をなでてください。


 ……なでてくれませんね?

 どうしたのでしょうかと考えていたら、私の首に革の感触がしました。


「ほら、前に約束してたソラの首輪作ったんだ。先生やみんなと何度も作り直したから、ちゃんとした首輪だぞ」


 ……ああ。私のためだったんですか。

 まずいですね。顔の火照りが治まってくれません。

 あれだけささくれ立っていた心が、あまりにもあっさりと落ち着いていきます。

 まるで子供みたいですが、今はこの幸せな気持ちをかみしめていたいです……


 やっぱり、あなたがいるだけで私は幸せなんですね。


    ◇


 なんか、思ってたよりもずっと喜ばれた。

 かなり自信作だったし、こちらも作ったかいがあるというものだ。

 よし、せっかくだ。このまま散歩しよう。


「ソラ散歩しようか」


 食い気味で返事をされた。そうかお前も嬉しいか。

 首輪に鎖をつけて外に出る。いつもと違って愛犬との散歩だ。わくわくしてきたぞ。


「つい調子に乗ってこんな場所まできてしまったか」


 気がつけばそこはエルフの村。

 近場をぶらりとするだけのつもりだったが、つい興が乗って遠出してしまった。

 どうせだからルチアさんたちに自慢するか。ソラの首輪と鎖。


「お~い! ルチアさ~ん!」


「あら、アキトさ……ん……」


 ルチアさんだけじゃないな。なんかみんないる。

 そういえば、種族の代表たちで集まって女子会してるんだっけ。


「神狼様。首輪をされたんですね……」


「いいでしょこれ。上手く作れたし、ソラも気に入ってくれたみたいなんだ」


「え、ええ……なんというか、すごいですね……」


 思っていた反応じゃなかった。

 もしかして、ソラに首輪なんかつけたらまずかったか?

 でも、本人は嫌がってないしなあ。

 どうしようかと考えていたら鎖が引かれた。


「なんだ。まだ歩き足りないのか?」


 うん。やっぱり本人が気に入ってるし、このまま首輪はつけておこう。


「ソラがまだ歩きたいみたいだから、もう行くね」


「はい。お気をつけて……」


 なんだか、最後までぽかんとしていたな。

 ルチアさんに限らず、アカネさんたちみんなもだ。

 急に俺たちがきたから驚いていたのかな?


    ◇


「神狼様の機嫌回復してたわね」


「ええ、別人かと思うほどでした」


「アキトさんってすごいのね……」


 神狼様、問題は解決したようですね。

 それはとても喜ばしいことなのですが……

 あれだけ恐ろしい雰囲気だった神狼様を簡単になだめてしまうなんて、アキトさんはどうなっているのでしょうか……


 そう思っていたのは私だけではなかったようです。

 その日から、私たちからの女神様への信仰心がわずかに高まりました。

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