第93話 きつねの窓の中の望郷
「王国、エルフ、オーガ、ハーピー、アラクネ、アルラウネ、ラミア、ドワーフ……ずいぶんとたらしこんだものね」
「なんか、不当な評価をされている気がする」
仲良くはなれたけど、その表現には異議をとなえさせてもらう。
「言っておくけど、アリシアとリティアを泣かせたら怒るから」
俺だけに聞こえるように、女神様が小声で耳打ちをしてきた。
だから、なんか勘違いしてるってば。
というか、完全に保護者目線ですね女神様。
「とにかく、多くの種族から信仰されているから、少しは力が戻ったわ」
「それは、おめでとうございます。今度はアリシアがいなくても、実体化できるようになりましたか?」
「それは無理。いくら力が戻っても、聖女がいない場所でそんなことできないから」
実体化するのってわりと厳しいんだな。
それ以外となると、どんなことができるようになったんだろう。
「ほら、見てごらんなさい」
女神様が手をかざすと、空間にぽっかりと穴が開いた。
手のひらほどの、ほんの小さな窓のような穴だ。
なんか、魔法っぽいなと軽く感動しながら、俺はそれを覗く。
「これ……俺の世界……」
そこに映っていたのは、スクランブル交差点を歩く人たちだった。
車に信号機に横断歩道、スーツや制服、あるいはこの世界とは異なる私服の人たち。
なんだか、とても懐かしい……
そんな、なんでもない光景を、俺はいつまでも眺めていた。
「あ……」
しかし、穴は少しずつ小さくなると、まるで何事もなかったかのように、ふさがってしまった。
なんだか、目尻から頬にかけてが熱い。
「ごめんね。私の力が足りないから、あまり開いておけないの」
「いえ、ありがとうございました」
謝罪する女神様に頭を上げてもらうと、ふと、頬に温かい物が触れた。
「どうした、ソラ?」
それはソラの舌だった。
抱きしめてるわけでもないのに、急に舐めてくるなんて珍しいな。
「本当なら、もっと大きな門を長時間、開けられるはずなんだけど、やっぱり力の戻り方が想定より緩やかなのよね」
門っていうのか、たしかに門というよりは窓だったしな。
でも、そんなことよりも、俺が元の世界に帰れるというのが、いよいよ現実味をおびてきている。
それが、なによりもうれしかった。
思いがけない女神様の力により、しばし夢うつつだったが、ようやく頭がすっきりしてくる。
それと同時に、さっきの光景で一つ気になったことを聞いてみた。
「かなりの人通りだったんですけど、向こうがこっちに気づいた様子はありませんでしたね?」
「ええ、向こうからは見えないようにしてたからね」
「なるほど、マジックミラーみたいな感じだったんですね」
たしかに、あんな穴が急に現れたら、俺たちの世界ではすぐに話題になりそうだからな。
「マジックミラー? 魔法ですか?」
魔法の鏡ではない。
でも、アリシアには伝わらなくて当然か。
「こっちからは向こうが見えるけど、向こうからは鏡にしか見えないガラスかな?」
「そ、そんなものが……」
アリシアも自身が知らない道具に驚いているようだ。
無理もない。俺だって、こっちの世界の魔法やら種族は、とても興味深いからな。
「それをアキト様のお部屋に置いておけば……アキト様を見ていてもばれない?」
待て。変な方に行ってる。
ぶつぶつ呟いてるけど、全部聞こえているんだぞ。
「女神様。女神様のお力でマジックミラーを作れないでしょうか?」
「できるけど嫌」
「力が足りませんか? 私、ちょっとリティアのところに行って、信仰を集めてきますね!」
「できるけど嫌!」
とりあえずアリシアの目をふさぐように手をかざす。
視界をさえぎられたことで、アリシアは大人しくなった。
俺は動物を相手にしているんだろうか……
「アキト様の匂いがします」
手のひらの匂いを嗅がれているけど、まあそれくらいならいいや。
「まったく……あんたがいると、いつも話が変な方向にいってしまうわね」
「不当な評価です!」
奇しくも俺と同じような抗議をしているが、残念ながら正当な評価だ。
……もしかして、俺のも正当な評価なのか?
「悪いけど、このまま信仰を集めてもらえるかしら? いずれはあんたの世界への門を完全に開けるようになるはずよ」
「はい。いろんな人たちに、女神様へ祈るようお願いしておきますね」
「いひゃい……」
「あと、この馬鹿とリティアをよろしくね」
「は、はい……まかされました」
やわらかそうにアリシアのほっぺたがのびている。
なんか、ちょっとやってみたいな。頼めばやらせてくれないだろうか。
空気が抜けるような音がして、アリシアの頬が解放される。
ほほをさする様子からは、おそらく反省が見られない。
「は! 女神様によろしくと言われ、アキト様はまかされたと言いました! つまり、私のことをもらってくれるってことですよね!?」
「うん。違うね」
「でも、そうなるとリティアも一緒? むう……リティアにもこの森に住んでもらいましょうか」
「違うからね」
俺は無言でアリシアを指さして、女神様に抗議をする。
だが女神様は、疲れたように俺の肩に手を置くだけだった。
ああ、はい。これからも面倒みますよ? ちゃんと。
その日の夜、俺の部屋の前に大きなガラスが置いてあった。
その裏側にいるアリシアが丸見えのため、アリシアには正座をしてもらうのだった。
◇
「ばれるに決まっておろう」
「ちゃんと魔力を込めたんですけどねえ……」
「ルピナスわかるです。多分マジックミラーってそういうのじゃないです」
アリシアが本気で不思議そうにしています。
度が過ぎるなら軽く噛んでおこうとしましたが、今日はやめておきます。
この子のよくわからない行動のおかげで、ご主人様が元気を取り戻していました。
なので、その功績を以て、奇行は許すことにしました。
『気づいていないようですが、ご主人様は涙を流していました』
「うむ、無意識のようじゃな」
「やっぱり、元の世界に帰りたいんでしょうか……」
「人間さんとお別れになるです?」
もしも帰れるようになったとして、ご主人様はどちらを選ぶのでしょうか。
私たちは答えも出ないまま、ただその時を待つしかないという結論しか出せませんでした……
『……もう、いっそアリシアをけしかけて、既成事実を作ればいいんじゃないでしょうか?』
「神狼様までそんな考えをされると、妾が大変じゃからやめてほしい……」
『冗談です』
「えっ!? アキト様の部屋に向かおうとしたのに!」
冗談も言えませんね。この子の前では。
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