第86話 こどもの頃にサインの練習をしたことがある人
目の前の女が憎たらしい。
こちらに向ける得意げなしたり顔も、そんな表情なのにやけに整っていて様になっているところも。
要するに嫌いなのだ。この女のことが。
つくづく、そりが合わない相手だとため息をつく。
私が聞くまで説明はしないくせに、聞かなければ子供みたいに落ち込む。
それが想像できてしまうほど、浅くはない付き合いの自分すら嫌になる。
「はあ……」
仕方ない。私の方が折れてあげよう。
まったく、世話の焼ける先輩ね。本当に。
「それで? さっきから、見せつけているその指輪がなんなの?」
「え? え~? 私そんなことしてましたか? えへへへへ……」
あれが無自覚というのなら病気よ、あんた。
ああ、病気だったわね。変態という名の。
「じつはこれ……」
見た目からは、そんなに高価な品に見えない。
それに、魔力や加護のようなものも感じられない。
単に私の知覚能力が低いだけか、目利きが悪いだけなのかしら。
「アキト様が作ったんです」
飲みかけていた紅茶を思わず吹きそうになるも、意地でこらえる。
こう見えても聖女なのよ、私は。
目の前の元聖女と違って、外聞というものを気にしているの。
「また、とんでもないことをさらっと……」
でも、ようやく納得もした。
風の精霊事件が解決し、謝罪と町の復旧の手伝いをするために、精霊本人が町を訪れた。
もちろん、町の混乱になるから謝罪だけ受け取って帰ってもらったので、それ以来あの森との関わりもなくなっていた。
だというのに、急に精霊の代わりに仕事を手伝いに訪ねてくるなんて、おかしいと思ったのよ。
ただ、誰かに自慢したかっただけってことに、最愛の人からのプレゼントを。
――まあ、実際かなり助かったけど、それを言ったらまた調子に乗るから言わない。
「前の魔導具と違って、魔力がまったく感じられないわね。ええ、本当にまったく、これっぽっちも」
よくよく考えると、非常に珍しい。
世界中にあふれていて、どんなものにも大なり小なりこもっているはずの魔力。
それが、完全に感じられないとなると、二つとない品ってことになりそうね。
もっとも、魔力がないってことが、なにかの役に立つわけじゃないでしょうけど。
「そうなんですよ。アキト様が最初に作った五つは、アキト様だけで作ったから、魔力がまったくない指輪になったみたいなんです」
二つとないとか言った私の気持ちを返してほしい。
なに? 五つも作ったの? それも、最初に作ったとか言ってたわね。
アキトのやつ、あのアミュレットみたいに、この指輪も量産してるの?
「……指輪はいくつ作られたの?」
「え? そうですねえ……この前、百回目を超えたって言ってましたよ?」
「止めなさいよ! そんな大変な物を量産させるんじゃないわよ!」
「だ、大丈夫ですよ。アキト様も、さすがに渡す人は選んでいて、廃棄する分は先生に回収してもらって、材料に戻してもらってますから」
先生って誰よ。
こっちが知ってる前提で、会話を進めないでほしい。
「先生って?」
「ドワーフの国のノーラ先生です。アキト様に指輪の作り方を教えてくださったんですよ」
ああ、何度か見たことあるわね。
この国の勇者たちのための、武器やら防具の作成を依頼されるほどには、腕と名のあるドワーフだったはず。
たしか、かなり偏屈の頑固者じゃなかったかしら。
そんな相手の弟子になったってこと?
……もしかして、そんな職人が惚れたってこと?
所詮、頑固者だろうが、偏屈だろうが、変態だろうが、女は女ってことかしら。
「ドワーフのノーラの弟子の指輪ねえ……しかも男が作ったとなると、とんでもない値段がつきそうね」
それで一つ思い出した。
いま頭を抱えている問題の一つだ。
「アリシア。あんたにも一応伝えておくけど、前にアキトが作ったアミュレットあるでしょ?」
「ええ。ほら、いまもちゃんと身につけてますよ。アキト様に守っていただけているような気になれますし、アキト様が私の肌にふれているようで……ああ、そんなところまで……」
とりあえず、頭を殴っておく。
こうでもしないと止まらないのだ、この変態は。
しかし、殴った手のほうが痛いというのは、どういうことだろうか。
「落ち着いた?」
「はい。アキト様が私の素肌にふれているところまでは聞きました」
それ言ったのあんただけどね。
「それで、そのアミュレットが森の外でも取引されたことは知ってる?」
「ええ、ミーナさんから聞きましたから」
少し前の話なのでアリシアは、記憶を掘り起こしながら話す。
「でも、ソフィアさんがフィル王女や、勇者の方たちに売っただけなので、取引相手はすべて把握しているはずですよ?」
そうなのね……それが聞けて本当によかった。
「あ、あと親切な魔女に一つだけ残っていたアミュレットを渡したそうです」
「そう……それじゃあ、決まりね。そのアミュレット、偽物が流通してるわよ」
「はい?」
アリシアは、目を見開いて驚き……いや、ほんの一瞬だけど怒りね。これは。
怖いからやめてほしい。
本人も無意識だったのか知らないけど、なにごともなかったかのように、いつものおとぼけ女に戻ったのが救いかしら。
「しかも、あのアミュレットはちゃんと魔力も込められているでしょ? だから、さっきの指輪みたいに見分ける方法があったら教えてほしいんだけど……ないみたいね」
「うう~、私にソラ様みたいな嗅覚さえあれば、アキト様の匂いもわかるんですけど……」
誰よ、ソラ様って。
ん? あの森の王のことを、アキトはそう呼んでいたような……
まさか、アキト以外にも名前を呼ぶことを許したのかしら、そのうちの一人がアリシアなのだとしたら、いよいよ人間じゃなくなってきわねこの聖女。
◇
「ということみたいなんです」
「ええ……まじか」
趣味で彫っていたお守りに、よくわからない希少価値がついて贋作まで出回りました。
俺も偉くなったものだな。
いや、本当に意味が分からない。
欲しけりゃ買えよ、その辺で。
絶対俺の作ったお守りより、良い物が売ってるぞ。
「わざわざ作品に署名とかしてないしなあ」
そもそも、作品と呼ぶのもおこがましい代物だ。
あれに、わざわざ署名をするような自意識過剰ではない。
「……うちのかわいい弟子の名を騙るとは、ふざけたことするじゃねえか」
あ、やばい。先生がお怒りだ。
一流の職人だからこそ、こんな不正は、絶対に許さない人なんだろうな。
というか、かわいいのはあなたのほうです。
なんて言ったら、多分頭を叩かれそうだ。
「私のほうでも、ちょっと調べてみる。あんたたちは、この森から出ることも少なくて、情報も入ってこないだろうからな」
「うむ、頼むぞノーラよ。下手人を見つけたら、妾が焼いても良いぞ?」
「穏便にしてね」
「そうです。おしりを叩くくらいで許してあげるです」
ルピナスの尻叩きとか、なんのダメージもなさそうだな。
ソラは……興味がないのか、俺の腕の中で脱力しきっている。
意外だな。シルビアのように怒るかと思ったけど、森の外のことには興味がないのだろうか。
「まあ、お前ぐらいのんきなほうが、平和でいいよね」
こともなしといった様子の愛犬を抱きしめると、俺は再び体中をなで回すのだった。
先生がすごい目でこっちを見ていたけど、あれはなんだったんだろう。
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