第77話 胸いっぱいの自然色

「二人とも、ようがんばったのう」


「ああ、ちょっと休ませてくれ……」


 今回は本当に疲れた……

 別に魔力を放出することは問題じゃないし、ましてやその際に生じる不快感も、アリシアのおかげでほぼ皆無だった。

 なんなら、今までで一番俺に負荷のない作業だったわけだ。

 だけど、精神が本気で追い詰められた。


 俺に一切の負荷がかからないように、極限まで集中してくれたアリシア。

 ふだんの彼女と違って、よこしまな気持ち一つなく、本気で俺の身を守ってくれた。

 その集中たるや、余裕たっぷりな彼女が汗にまみれるほどだった。

 汗の匂いがこちらに届くほどだった。

 めちゃくちゃ、良い匂いがした――!

 なんかもう、アリシアからフェロモンみたいなもののが、発せられてるんじゃないかと思ったほどだ。

 よく耐えた俺。


「私も……その、ちょっとあちらで休みますね……」


 アリシアはふらふらと、少し離れた場所へ移動して座り込んだ。

 途中にいたラミアたちが、アリシアのために一斉に道を開ける光景から、彼女たちがアリシアに敬意を払っていることがよくわかる。

 しかし、アリシアも相当疲れているな。

 あのアリシアが、それほどまでに疲弊するほど、今回の作業は大変なものだったのだろう。

 やはり、今回の一番の功労者はアリシアだろうな。


「アリシア、お疲れ様。それと、助かったよ。ありがとう」


「そ、そうですか……いえ、当然のことをしただけなので」


 近づいて横に座る。少し距離を取られてしまう。


「大丈夫か? なんか、顔が真っ赤だけど」


「い、いえ。平気です……ちょっと、疲れただけで」


 距離を詰める。離れられる。

 ……え? もしかして、なんか嫌われるようなことした?


「えと……手伝ってくれたお礼に、アリシアのお願い一つ聞くけど……」


「は、はい……ありがとうございます」


 一歩進む。一歩退がる。近づく。離れる。

 どうしよう、嫌われた。思えば今朝は、ソラも俺から距離を取っていた。

 ……やばい、なにかしてしまったらしい。


「あ、あの……でしたら、お願いですから今だけは離れていただけると……」


 お願いでそんなことを頼まれた。

 完全に嫌われてるじゃないか。

 やばい、謝りたい。でも、なにに謝ればいいかわかっていないのに、頭だけさげてもかえって失礼だ。


「あの……今の私、汗臭いので……」


 ああ、そういう。

 よかった。アリシアに嫌われたわけじゃなかった。


「平気平気! 全然臭くないし、良い匂いだから!」


「えっ、あの……はい……ありがとう……ございます」


 やばい。つい、うれしくて変なこと口走ったよな、いま。

 アリシアが顔を真っ赤にして、うつむいているじゃないか。

 かといって、今のはなしとも言えないし……

 しかたない、この気まずい時間を耐えよう。


「……私の匂い、良い匂いでしたか?」


「え……まあ、うん」


 蒸し返さないで。

 というか、そういう発言するなら、せめていつもの変態なアリシアであってくれ。

 そんなもじもじと年頃の女の子みたいに、照れながら聞かれたら、こっちだって恥ずかしいんだ。


「いちゃついておるところ悪いが、ラミアのこと忘れとらんか?」


 ナイスだシルビア。

 お前はできる竜だと信じていた。


「そ、そうだね。ラミアたちは全員治療したけど、どう? なんか体に異常はない?」


「ええ。アキトさんとアリシアさんのおかげで、毒の分泌は止まりました。体のほうは、さすがに今後どうなるかわかりませんが、恐らく成長もゆるやかになるかと思います」


 よかった。毒が自分の意思に反して分泌されるのが、一番の問題だったから、それが解決できただけでもやったかいはあった。


「あとは、毒に汚染された土地をなんとかできれば解決か」


「そ、それなら私にお任せください! アリシアパワーで……解決できますから!」


 アリシアが元気よく、そう申し出てくれた。

 だけど……


「大丈夫? 無理してない?」


「えっ!? そ、そんな……無理なんてしてませんよ? それじゃあ、すぐに浄化しちゃいますね!」


 ごまかすように走り去るアリシア。

 去り際に、ついでとばかりに洞窟内の毒が浄化されたのは、さすがではあるが。

 なんか、無理してるよなあ……


「その、何から何までお世話になりまして、ありがとうございました」


 巨大なラミアたちの群れが、一様に頭を下げる。

 いいから、お前らは服を着ろ。でかいんだから、色々と。


「また、困ったことがあったら、いつでもうちにきてくれ。解決できるかはわからないけど」


「ありがとうございます。このご恩は一族で語り継ぎます」


 それもやめて?

 女神様に押しつけることを忘れずに、俺たちはラミアの巣を後にした。


    ◇


「よう、ただいま。ソラ、ルピナス」


「人間さんお帰りです」


 俺の周りを飛んでくるルピナス。

 しかし、ソラはいつものように飛び込んでこない。

 だから、こちらから抱きつくことにした。

 帰ったら、こうするって決めていたんだ。


 最初は驚いた様子だったが、やはりそこはいい子なので抵抗はせず、大人しく俺になで回されていた。

 一つだけ気になるのは、不思議そうに鼻をひくひくと動かし、俺の匂いを嗅いでいたことだ。

 なんか変な匂いでもしたんだろうか?


 その日の夜、シロがまさかの連日で現れた。

 そして、昨日以上に不機嫌そうな様子で、抱きつかれたかと思うと、全身をこすりつけるように動かれた。

 ……アリシアのときとは、違う匂いに俺はまたも耐えることを強いられるのだった。


    ◇


『アリシア』


「は、はい! ご、ごめんなさい! 不可抗力なんです!」


 神狼様に名前を呼ばれて、私は全力で謝りました。

 たぶん、この森に初めて訪れたときくらい全力でした。


『いえ、シルビアから話は聞いています。私の匂いがあなたの匂いで上書きされたのは仕方がありません』


「そ、そうですか……よかったです。怒られるかと……」


 シルビアさんのフォローのおかげで、私はなんとか九死に一生を得ました。

 そうですね。よくよく考えると、神狼様はまったく怒っていないようです。

 ……というより、なんでしょう。なんだか仲間を見るような目を?


『恥ずかしかったのでしょう?』


「は、はい……」


『私も昨晩、感情が昂りすぎて、とてもはしたない行動にでてしまいました。翌日になって顔をあわせるのが恥ずかしくなるほどの……』


 そうですよねえ。

 いつもなら、もっと大胆な行動をとろうとしたことはありましたが、いざそんな状況になったら、恥ずかしさで頭の中が真っ白になりそうでした。

 匂いを嗅がれただけで恥ずかしいだなんて……以前の私ならなんとも思わなかったのですが。


『お互いがんばりましょう。私はあなたたちのことも気に入ってますから』


「あ、ありがとうございます! ソラ様!」


 ソラ様は、とくに私を咎めませんでした。

 思い上がりでなければ、この方は私たちに仲間意識をもってくれています。


『ですが、それはそれ、これはこれです。今晩もう一度ご主人様を私の匂いで上書きしてきます』


 すごい……昨晩恥ずかしい思いをしたばかりなのに、ソラ様はまたそれを行うのです。

 私もソラ様のように、勇気がもって行動できるよう、この方を目標にがんばります。

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