第62話 白い勿忘草の記憶

「はあ……この状態で魔力を流せと?」


「まあ騙されたと思ってやってみなさい」


 アカネさんの言葉だからか、ウルシュラさんは素直に応じてくれた。

 つくづく、あの場でアカネさんに会えたのが幸いだったようだ。


「こうですか? ん……なんだか、不思議な感覚ですね……」


 妙に艶っぽい声を出すのは、やめていただきたい。

 フウカやアカネさんに、アリシアのときはそんな反応されなかったぞ。

 しかし、これまで暴走していた人たちみたいに、明らかに性格が変わってるわけでなさそうだから、どこまでやれば完治してのかわからないな。


「アキトさん、もう大丈夫です。魔力の乱れが正常な状態へと整いました」


「そんなことまでわかるんだ。アカネさんすごいんだね」


「いいえ、長い付き合いでしたからわかっただけですよ。恐らく他のハーピーたちも同じ状況ですが、残念ながら彼女たちのことは私ではわかりません」


 通常のウルシュラさんを知っているからこそか。

 どおりで、アリシアやルピナスでもわからなかったことがわかるはずだ。


「――す、すみません。急に頭の中にたくさんの記憶が流れてきて混乱しています」


 あれ? 失った記憶まではさすがに戻らないと思ったけど、もしかして記憶が戻っている?

 ウルシュラさんは、頭を抱えて目を閉じていた。


「どうやら消失したのではなく、暴走した魔力で新たに得た記憶を封じていたようじゃな。一度にそれが頭に流れてくるとなると辛そうじゃのう」


「し、失礼しました」


 息を荒くして、汗を流しながらも、ウルシュラさんはなんとか混乱から回復したようだ。

 何年分か、あるいは何十年分の記憶が一気に頭で再生されるなんて、きっと想像以上に辛い状態だったんだろうな。


「いや、こちらこそ急に混乱させるような真似してごめんなさい」


「と、とんでもない。アキトさんに救っていただかなければ、私はまだ忘却に囚われたままでした。ありがとうございます。それと、忘れてしまって申し訳ございません」


 俺たちのことを思い出してくれたのは、とても喜ばしいことだ。

 問題は残りのハーピーたちにも、同じ苦しみを味わわせないといけないかもしれないってことか。


「辛い目にあったばかりで悪いんだけど、ウルシュラさんの仲間たちの暴走も治すとしたら、きっと同じくらい辛い目にあわせることになるんだけど……大丈夫?」


「そうですね……ですが治していただかないと、あの子たちの記憶は消え続けていきます。どうか、あの子たちも治療していただけないでしょうか」


 下げていた頭を上げてもらう。ウルシュラさんの許可が出るのであれば、頼まれるまでもなく治療するつもりだった。

 こうして俺たちはウルシュラさんに招かれ、再びハーピーたちの住処へと向かった。


    ◇


 魔力の暴走を治すという行為のため、名目上治療をうたっているが、俺としてはそこまで重く考えてはいなかった。

 だけどハーピーの巣の今の光景を見ると、まさしく病床を彷彿させる。

 そこら中でハーピーが頭をかかえて苦しみ、症状がひどい者は嘔吐もしている。

 アリシアが特に苦しんでいる者を瞬時に判断し、苦しみを軽減するよう魔法で緩和してくれて本当に助かる。

 さすがは聖女だなと思わず見惚れてしまう。

 俺も少しでも楽になってもらうために介抱をしているが、アリシアの働きとは比ぶべくもない。


「大丈夫ですよ~。すぐに楽になりますから~」


 不謹慎で申し訳ないが、アリシアの新たな一面を知ることができてよかった。

 さあ、俺も及ばずながら介抱を続けないとな。


 吐いて楽になったハーピーの子は横になってもらい、次に辛そうな子をさすってあげる。

 うずくまって顔が見えないが、震えて辛そうにしているのはわかる。


「あ、あの……ご、ごめんなさい……私……ごめんなさい」


 するとそんな声が弱々しくこちらへと届いた。

 泣いてる? そんなに症状がひどいのか。

 すぐにアリシアを呼ぼうとしたが、その前に泣いているハーピーと目が合った。


「あ……ヴィエラ」


「忘れてごめんなさい……私のこと綺麗って言ってくれたのに……」


 待って! 記憶にない!

 弱々しい声だが、しっかりと何人かの耳には届いていたらしく、ソラとアリシアとシルビアに詰め寄られる。

 ってかアリシア。お前、他のハーピーの回復を放棄してまでこっちにくるな……いや、もう終わってるのか。くそ、無駄に高性能な聖女め。


「どういうことじゃ。妾たちの目を盗んでヴィエラと逢瀬を重ねていたということか」


「そ、そんな。私というものがありながら……あ、間違いました。神狼様というものがありながら、ヴィエラさんと浮気していたんですか」


 痛い。珍しく痛いぞソラ。血は出ない程度だけど、ちょっと牙が腕に食い込んでる。


「いや、知らない。本当に覚えがない!」


 ヴィエラのほうを向くと、彼女はまだ泣いていた。

 悲しんでるところ悪いんだけど、ちょっと助けてくれないかなあ!?


「わ、私にはもうアキトさんに合わせる顔がありません……」


「いや、大丈夫だから! むしろ今の俺を助けられるの、ヴィエラしかいないから助けて!」


 あ、服に穴あいたなこれ、そっかあ……ソラの牙ってすべすべしてるんだなあ……

 頭をなでても許してくれない我が家のお犬様に、どうしたものかと頭をひねると、思いもよらぬところから助け舟を出してもらえた。


「どうか許してあげてください。ヴィエラは自分の羽をアキトさんに綺麗だと言ってもらえて、うれしかったようなんです」


 あれかあ!

 言ったよ。たしかに言った。ハーピーの住居を初めて訪ねたときに、降ってきた羽を見て言ったわ。


「許すも何も、俺はヴィエラにもみんなにも怒ったりしてないから、この状況をなんとかしてくれると助かります……」


 腕に感じていた圧迫がなくなった。というか、俺からもふもふした生き物が離れていく。

 まて、今度はお前が落ち込むんじゃないだろうな。

 俺はみんなにも怒ってないと言ったばかりだろうが。


「とにかく誤解だったみたいだし、さっきのはなかったことにしよう」


 そうやってうやむやにしてしまって、あとは各自で自己完結するのがいい。

 この件が尾を引いても、誰一人得しないからな。

 だから、逃げようとしたソラをつかまえて、全力で抱きつきながら頭をなでておく。


「えっと……ハーピーのみんなも元気になったみたいでよかったね」


 おい、沈黙するな。空気を変えさせてくれ。


「そうですね~。みんな元気が一番です」


 天使か。

 ただ一人いつもどおりだった、ルピナスの存在のなんとありがたいことか。


「そうだな。それじゃあ約束どおりみんなで食事するんだったっけ?」


「そうです。ルピナスたち、ちゃんとお昼ご飯の材料も持ってきたです」


「いいですよね!? ウルシュラさん!」


「は、はい! ……そうですね。それでは、食事の準備をしましょうか。アカネも笑ってないで手伝ってください」


 アカネさん、よく見ると声を殺して笑ってる。

 くそう、一人でこの状況を楽しんでいたな。


「くっくっく……本当に飽きさせない人ですね。アキトさんは」


 みんな情緒がおかしくなってるから、美味しいものを食べていったん落ち着くのが一番だ。

 俺たちは改めて、ハーピーたちと友好関係を結ぶための第一歩として、食卓を囲むのだった。


    ◇


 神狼様に逆らってはいけません。

 あのかたのおかげで、私たちはこの森で生きていくことができるのです。


 神狼様の不興を買ってはいけません。

 ましてや、あの方お気に入りの男性とかかわるだなんて、トラブルの元に自ら近づくなんて愚かなことです。


 だから私たちは、二度目の訪問である今回も失礼ながら居留守を決め込みました。

 あわてて巣に入ったためか、私の羽がいくつか抜け落ちてしまいましたが、どうやら気がつかれていないようです。

 ――訂正します。神狼様はもちろん、一緒にいる竜もこちらには気がついているようですが、人間の男女と妖精には気がつかれていないようです。


 これなら木の上から眺めていても気がつかれないと思い、私はなんとなく神狼様のお気に入りの男性を観察していました。

 すると、あの人は私の羽を手にして珍しそうに眺めました。


「へえ、綺麗な羽だな」


 遠く離れたその声はたしかに私の耳まで届きました。

 思わずその場で、大きな音を立ててしまうほどの言葉。

 この人は――私の羽を綺麗だと言ってくれたんです。


 仲間たちと違って、何の色もついていない出来損ないの真っ白な羽。

 仲間たちは気にすることはないと言ってくれましたが、私はその羽が大嫌いでした。

 そんな羽を……綺麗だと。


 そこからは私は自分でも驚くほど無茶なことをしました。

 なんせ女王様の意見に反対して、神狼様と、あの男の人と交流すべきだと意見したのですから。

 女王様は私の目をしばらく見つめると、やさしく微笑んで外にいる神狼様を迎えにいってほしいと頼んでくれました。


 外を見ると、神狼様も男の人も帰ろうとしているところだったので、慌てて呼び止めるとバランスを崩して落下してしまいました。

 あ……かっこいい。いや、多分ふつうの顔なんですけど、私の羽を褒めてくれるやさしい人。

 そんな人の顔が、すぐ近くに……


 飛ぶのも忘れるほど、その人の顔を見つめていると、私はそのまま地面へと激突しました。

 痛いですががまんできます。幼いころ飛ぶのが下手だった時に何度も落下しているので、こんなのはとっくに慣れているんです。


 男の人は私の姿をじっと見ると、なんだか感動しているようでした。


「な、なんか。思ったより好感触? や、やっぱりいい人っぽいです」


 ん? なんでしたっけ?

 なんかとても顔が痛いです。なんででしょうか。


「そういえば、さっき思いっきり顔ぶつけてたけど大丈夫?」


 ええと……この人は?

 ああ、そうでした。私の羽を褒めてくれたとても良い人です。

 しかし、顔をぶつけるってなんの話でしょうか?

 私は一人前のハーピーなので、飛行中に顔をぶつけるなんてへましませんよ?


「えっと……なんのことですか?」


 不思議なことを尋ねる男の人たちを連れて、私は巣の中を案内しました。

 そして女王様と話した結果、男の人――アキトさんは、これからも私たちと仲良くしてくれるようです。

 友好の証として、私たちはアキトさんたちにご飯をごちそうすることにしたため、食料を調達するために狩りに行くことにしました。

 ――もう、食料の備蓄がないのでしかたありませんね。


 狩りもひと段落して、私たちは巣へ帰ることにしました。

 これで数日、いや十数日は狩りに行かなくても平気ですね。

 帰ったら、――さんに、あれ? 誰に? なんだろう。なにか忘れてる?

 まあ、忘れるほどのことだから、大したことではありませんね。


 さあ、食料も少なくなってることですし、狩りに行かないといけませんね……

 私たちは、食料を調達するために狩りに行くことにしました……

 いつか誰かが助けてくれることを信じて……あれ? 助けるってなにからでしたっけ……

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