第57話 小さきものの純情

「おお、帰ってきたか精霊様」


「アア、待タセタナ、ノーラ」


 金属を叩くけたたましいハンマーの音がそこら中で鳴り響く。炉の中では炎が激しく燃え盛り、それがヒナタにとってはなんとも心地よく感じられた。

 フウカが風と共に生きるように、やはり自分は火と共に生きるのが性に合う。

 根源となる元素を強く感じることができるこの国こそが、彼女の帰る場所であった。


「楽しかったか? 風の精霊様にひさしぶりに会ってきたんだろ」


「オウ。楽シカッタ。ソレニ、気ニ入ッタ人間トモ会エタシナ。ソイツ、オレニ名前ヲ、ツケテクレタンダ」


 珍しい。火の精霊様はまさに火そのもののように、激しく燃え上がるような気性の激しい精霊だ。

 慣れ親しんだ自分たちならともかく、異国の初対面の者相手では、いざこざを起こして帰ってくるのが常であった。

 今回も移動先に火があまりないことで不機嫌となり、そのまま出会った者に突っかかって問題を起こして帰ってきたのではないかと、内心では思っていたものだ。


「随分と珍しいな。しかも名前だ? 精霊様がそこまで気を許す相手なのか、そいつは」


「フフン。アイツハ、オレガ認メタ男ダ。ソレト、オレノ名前ハヒナタダ。コレカラハ、ソウ呼ベ」


 ヒナタと会話しながらもハンマーを打ち続けていた手がぴたりと止まる。

 一流の職人である彼女にはあるまじき行為。たとえこの場で大地震が起きようが、止まることがないはずのその作業を止めるほどには、ヒナタの発言は驚くべきものだったのだ。


「おい、精霊様……じゃないか。ヒナタ様。聞き間違いか? 今男がどうとか言わなかったか?」


「アア、言ッタゾ。アキトッテ男ニ会ッタンダ。アイツハ他ノヤツラトハ全然違ッテ面白インダ」


 アキト……聞いたことがない名前だなと、ドワーフの女性ノーラは思案した。

 彼女はこれでもドワーフの国で、一二を争うほどの腕利きであり、各国の王に招かれて武器を防具を、あるいは魔導具を作る依頼を、もはや数えきれないほどこなしてきた。

 そんな彼女だからこそ、各国の権力者が保有している男に目通りしたことも、やはり数えきれないほど経験している。

 自身が世界中の男を知っているとまでは言わないが、そこらの王族以上にこの世界の男についての情報を彼女は持っている。


「聞いたことない名前だな。ヒナタ様、どこぞの貴族様にでも会ってたのか?」


「イヤ? フーチャンニ会イニ、禁域ノ森ニ行ッタンダ」


 カランと金床の上にハンマーが転がる。

 禁域の森だと? なるほど、それなら自分が知らない男で間違いないだろう。

 だが、問題はそこじゃない。


「なあ……本当に、なにも問題はなかったのか? 男に会ったんだろ? けんかっ早いヒナタ様が、トラブルを起こさないとは思えないんだが」


 それこそが、彼女が作業を止めてしまった理由だ。

 この精霊様はかわいらしい見た目とは裏腹に、非常にけんかっ早いのだ。

 それも、怒りに任せてそこら中を火の海に変えるほどに強いのだから、あれよあれよと国との戦争に発展しかけたことだってある。


 だからこそ、どこぞの貴族様の男の傲慢な態度に腹を立てて、炎をまき散らして大暴れでもされた日には、再び戦争の引き金になりかねないと懸念したのだが……

 どこぞの国ですらなく禁域の森だ? 勘弁してくれ、そんな場所の男と争いになろうものなら、そんな場所と戦争になろうものなら、この国は一夜で滅ぶぞ。


「何言ッテンダ。アキトハ良イヤツナンダゾ。私ノコトヲ女ノ子扱イシテ、チャント服ヲ着ロトカ言イ出ス、変ナヤツダ」


 面白いのか変なのかどっちなんだと言いたいところだが、なるほど、そりゃあ面白くて変な男だ。

 男のくせに女に気を遣うってのも面白いし、精霊を女として見るのも面白い、そして変わった男だ。

 なんにせよ、これだけご機嫌なヒナタ様を見るのもひさしぶりだし、言葉どおりなにも問題は起きていないのだろう。

 禁域の森との争いに発展しなくてすんだことを知り、ノーラは貧相な胸をなでおろす。


 もしかして、男相手に喧嘩を売らなかったのかと思ったが、次の一言でその考えは否定された。


「ソレニオレガ突ッカカッテモ、笑ッテ許シテクレタンダ。男ッテイウノハ、アアジャナキャダメダ」


 この精霊様。また男相手に喧嘩売りやがった。

 でも、それを笑って許しただと? プライドが高い男がか?

 精霊様は、男はああじゃなきゃだめと言うが、そんな男なんて物語に出てくるような理想の男だろ?

 現実に存在するのかよ。そんな男が。


「なあ、そのアキトって男は」


「ヨシ、決メタ。オレ、アキトノコト、スーチャントチーチャンニモ話シテクル」


「あ、おい!」


 ヒナタにその男のことを聞こうとするも、ヒナタは火の粉を残して消えてしまった。

 まったく、落ち着きのない精霊様だとノーラは頭をかくのだった。


    ◇


「おいおい、そんな男がいるわけないだろ」


「まったくだ。お前、酒飲みすぎたんじゃないか?」


「うるせえな。酔っぱらってるのはてめえらだろ」


 言いたいことだけ言って立ち去った精霊様からの情報を共有するために、酒場におとずれるもこれだ。

 誰も彼もまったく信じておらず、そもそも真面目に話を聞いてすらいない。


 これだから酔っぱらいどもの相手など、骨が折れることはしたくなかった。

 もっとも、この国では酔っぱらってるか、鍛冶に集中してるかのどちらかなので、話すとなるとこの酔っぱらいどもを相手取るしか選択肢はないのだが。


「それに、これは私じゃなくてヒナタ様の言葉だぞ」


 とはいえ、こんな酔っぱらいどもでも、火の化身である精霊様の言葉なら信用する。

 だから、私はさっさとヒナタ様の言葉であることを明かすことにした。


「誰だ? ヒナタ様って」


「ああ、そういえばそれを言ってねえな。火の精霊様はこれからはヒナタ様と呼んでくれだとさ」


「それは別にかまわねえけど、なんでまた、いまさら名前なんてつけるんだ?」


「なんでって……そのアキトって男が名づけたからだよ」


「男が? 精霊様に名前をつけて、精霊様もそれを受け入れただと?」


 まあ、驚く気持ちもわかる。

 傍若無人な男どもは名前を呼ぶことなんてないから、わざわざ名前をつけるなんて突飛なことしないからな。

 それに、うちの精霊様が男と仲良くするなんてのも想像できない話だ。

 言っちゃ悪いがわがままだからな。わがまま同士気が合わないせいか、争わなかったことがない。


「ヒナタ様が喧嘩を売ったけど笑って許したんだとさ。その男」


「はあ!? ありえないだろそんなこと。本当に男だったのかそれ?」


「知らねえよ。確認する前に精霊様はどっかに行っちまった。だから、とりあえずお前らに情報を共有しにきただけだ」


 概ね私と同じ感想を持つ仲間たち。やっぱりなにか知ってたりはしないか。

 そう思い、私は諦めて酒を飲もうとすると、一人何かを考えているやつを見つけた。


「なあ。それって禁域の森にいるとか噂されてる男か?」


「あ? 噂は知らねえけど、ヒナタ様は禁域の森で会ったって言ってたな。なにか知ってるのか?」


 場所を言い当てられたことにより、こいつがなにかを知っていると確信して聞き返す。


「ツェルール王国の勇者の剣を作る依頼を受けて、何度か通うことになったんだが、なんでも禁域の森には女にもやさしい男がいるって噂だぜ」


 なにを馬鹿なことをと言いたいところだが、ヒナタ様の話を聞いた後だと、その噂が本当だったんじゃねえかと考えてしまう。


「それだけなら、よくある噂話なんだろうけど、あの国前に主導者が第一王女に代わったんだよ。その王女や勇者たちが禁域の森の男に世話になったって話だ」


「王女や勇者がそう言ってるのか。箔をつけるための虚偽なんじゃねえのか?」


「いや、第二王女ならともかく第一王女は、バカ真面目だからそんなことはしないタイプだ。それでも、話半分に聞いてたんだが、ヒナタ様の話と合わせると安易に嘘と切り捨てられないんじゃねえか?」


 私も仲間たちも黙りこくってしまう。

 それはもはや馬鹿な噂だと笑い飛ばせないほどには、その噂話を信じてしまっているからだ。


「他の男と違うんだよな……もしかして、私たちの仕事を暑苦しいとか馬鹿にしないのか?」


「鍛冶なんてくだらないって言われないのかもしれねえな」


 男たちは安全が確約されているからか、武器や防具を作る私たちの仕事を無意味だと馬鹿にすることが多い。

 精霊様が男と争う理由の一つは、私たちを馬鹿にした男に対して怒ったというものだ。

 だが、噂の男が実在するなら、もしかしたら私たちの仕事を認めてくれるかもしれない。

 そんな都合のいい考えが頭によぎってしまった。馬鹿馬鹿しい……いまさら何を期待してるんだ私は。


「まあ、噂は噂だ。ヒナタ様もしばらく帰ってこないだろうし、そんな噂忘れた方がいいぞ」


 自分に言い聞かせるように、私は周囲に忠告をして酒を飲んで忘れることにした。

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