第56話 炎に魅せられ、僕は蛾になる
ひさしぶりにフウカが森に戻ってきた。戻るというか、何もない場所から急に出てきた。
世界中のどこにでもいるから、今回は森への意識を強めて実体化したらしい。
「アキト、ルピナスチャン、ヒサシブリ~」
「ああ、ひさしぶりだなフウカ」
「おひさしぶりです。精霊さん」
急に抱きついてくるのは、ドキドキするのでやめてほしい。
やや幼いけど見た目は美少女だし、相変わらず薄着なため、色々な感触が伝わってくるのだ。
これでも、以前よりはマシなんだけどね。服を着ているっていう最低限のラインに達しただけだが……
「今回はどんな場所に行ったんだ?」
森から出ないほうがいい俺と違って、フウカは世界中の様々な場所を旅するので、こうして話を聞かせてもらっている。
心配してくれてるみんなの思いを無碍にする気はないので、外に出るつもりはないが、やはり別世界の事情が気になるのも事実なのだ。
「エットネ~。ヒーチャンニ会イニ行ッタノ」
ひーちゃん? 聞いたことない名前だな。
フウカの様子からすると、ルピナスと同じくらい親しい友人といったところかな?
「ひーちゃんっていうのは、フウカの友達?」
「ウン。私ト同ジ精霊ダヨ? 鍛冶ノ国ニヨクイルノ」
鍛冶の国……聞いたことないけど、なんとなくドワーフとかがいそうな国だ。
いや、ドワーフって小柄で、立派なヒゲが生えていて、酒が大好きな屈強な男ってイメージしかないぞ。
男がほとんどいないらしいこの世界に、そんな種族がいるのだろうか?
「鍛冶の国ってどんなところ?」
「ウ~ン。暑イヨ? スゴク暑クテ、イツモ、カンカンッテ金属ヲ叩イテル音ガシテルノ。ドワーフッテイウ、チッチャクテ、言葉ガ乱暴ナ子タチガイッパイ住ンデルヨ」
やっぱりいるのか、ドワーフ。
それに国も俺の脳内に思い浮かんだ国が、そのまま実在しているかのようだ。
「ドワーフって男?」
「エッ? ミンナ女ダヨ? 私、男ハアキトシカ知ラナイモン」
そこはやっぱり女なんだな。
ということは、さすがにヒゲは生えていないか。もしも、そんなわかりやすい特徴を備えているのなら、フウカもさっき説明するだろうしな。
「そっか、職人の国って感じなんだな。そのひーちゃんっていうのはどんな子なんだ?」
「会イタイ? アキトガ会イタイノナラ、ココニ呼ブヨ? ヒーチャンモ会ッテミタイッテ言ッテタカラ」
そうか。ひーちゃんも精霊だから、フウカみたいに一瞬でこの場所に現れることもできるのか。
それなら、たいして手間でもないだろうし、お願いしてみようかな。
「それじゃあ、会わせてもらいたいな。ひーちゃんに頼んでもらえる?」
「ワカッター。チョットヒーチャント話シテクルネ~」
すとんと意識が落ちたかのように、目の前にいるフウカは脱力した。
まるで精巧に作られた人形のようだ。生きている気配というものが感じられない。
多分、意識を鍛冶の国のほうへと移したことで、この体は抜け殻のようになっているんだろう。
いつもなら体を周囲に馴染むように溶け込ませて消しているのに、今回はこうして残したのは、またすぐにこっちへと戻ってくるからだろう。
要はずぼらなのだ。こちらに戻る際に体を再び作るのが面倒なので、意識だけを向こうへと飛ばしているから、このように無防備な体だけが残っている。
「信頼してくれてるのか、無防備なのか。たぶん両方なんだろうな」
「精霊さんは人間さんのこと気に入ってるです」
ルピナスの言葉を信じて、これは信頼の証だと都合がいいほうへ考えることにした。
◇
「うわあっ! びっくりしました」
昼食を作っていたアリシアから、驚きの声が上がる。
なにごとかと、キッチンへと向かおうとするが、その前に見知らぬ声がこちらへ向かってきた。
「ココガ、フーチャンガ言ッテタ男ガ住ンデル場所カ!」
「ウン、ソウダヨ~」
あ、フウカの意識が戻ってきた。
さっきまで抜け殻だったフウカの体が、なにごともなかったかのように動きだす。
そして、キッチンからこちらへと炎の塊が近づいてきた。
「火が消えてしまいました~」
困ったようなアリシアの声が聞くかぎりでは、調理中の火を媒体にして実体化したらしい。
そのため、キッチンで使っていた火は消えてしまったようだ。
……俺が遠因なわけだし、あとでアリシアに謝っておくか。
「オイ! オ前、男ナンダロ! フーチャンガ良イヤツダカラッテ、ドウセワガママバッカリ言ッテイジメテイルンダロウ!」
火の玉が俺の目の前で、人間を象った姿へと変化する。
見た目はやっぱり小さな女の子で、フウカが風を身に纏っているように、この子は火を身に纏っている。
これが火の精霊か。とりあえず……
「服を着なさい」
フウカに渡したものと色違いの赤い魔法の服を投げると、火の精霊はそれを受け取り、不思議そうに見つめていた。
「ナンダ? コンナノ邪魔ナダケジャナイカ」
「いいから着てくれ。女の子なんだから、簡単に肌をさらしちゃだめだよ」
この世界だからか、あるいは精霊という種族だからか、この子もやはり服を不要と考える半裸族だった。
だけど、そこはこちらも引くつもりはない。最低限の落としどころとして、それくらいは着ていてほしい。
「変ナヤツダナオ前。モシカシテ、オレノコトヲ心配シテルノカ?」
「まあ、半分は俺が恥ずかしいからだけどね」
俺に悪意がないことを理解してくれたのか、火の精霊はしぶしぶと服を着てくれた。
「ウ~ン。ヨクワカラン。オ前、男ナンダロ? 男ッテ、ワガママデ女ニ命令バカリスルッテ聞イタゾ」
命令か、ならば今の服を着ろってのも命令には違いないよな。
どうしよう。俺もこの世界に男に近づいてきているのかもしれない。
「えっと、ごめん。それ着るの嫌だったか?」
「ン? 邪魔ダケド、ソコマデ嫌ッテワケデモナイゾ……モシカシテ、オ前、コレヲ着セタコトヲ命令ダトカ考エテルノカ?」
「まあな。無理やりそれを着ろって言ったんだし、命令にあたるだろ。どうしても嫌なら無理はしないでくれ」
俺の言葉を聞いて、火の精霊は目を丸くして驚いているようだった。
フウカもそうだけど、表情がころころと変わる様子がどうにもかわいらしい。
「マアイイ。ソレヨリフーチャンニワガママ言ッテナイダロウナ」
「わがままは……たぶん言ってないと思うよ? 旅の話とか聞かせてもらったり、風に乗せてもらって遊んだりはしてるけど」
どこまでがわがままってことになるんだろう。
お願いしたことをこころよく引き受けてくれているけど、もしかしてフウカの負担になってたか?
「ヒーチャン。ヒーチャン。私イジワルサレタリシテナイヨ?」
「本当カ? 男ナンテ自分勝手デ、私タチニ偉ソウニシテ、利用シヨウトスルヤツシカイナイジャナイカ」
ああ、そういうことか。
フウカから俺のことを聞いたはいいけど、この世界の男に当てはめて考えたせいで、俺のことをフウカを見下す悪いやつだと思ってるのか。
「ええと、俺はフウカのこと好きだから、偉そうにする気はないし見下したり利用したりはしないよ」
「好キッテ、オレタチハ女ダゾ?」
そう聞かれると、俺が女好きを公言してるかのようで、答えづらくもある。
でも、ここではっきりと言っておかないと、この子に勘違いされたままだからなあ。
「それでも、俺は君たちのことが好きだよ」
「オレモ……? アハハハハハ! オ前、変ナヤツダ! 男ノクセニ、オレノコトガ好キダナンテ!」
精霊が腹を抱えたように笑いだす。
当初のこちらへの不信感はどうやら消え去っているようだ。
「気ニ入ッタゾ、オ前。ナンテ名前ダ?」
「ああ、俺は秋人だ。君はひーちゃんって名前なんだって?」
そういえばおかしいな。フウカは初めに会ったときに名前がないと言っていた。
それなのに、この子は名前があるのか。
「ソレハフーチャント同ジデ、アダ名ダ。フーチャンガ、私タチニツケテクレタンダ」
「ウン。ミンナ私ノコト、フーチャンッテ呼ンデクレルカラ、似テイル呼ビ方ヲ、考エタンダヨ」
なるほど、あだ名か。
あれ? あだ名だけ? 名前はないのにあだ名だけあるって、なんかおかしな状況だな。
「ダカラ、オレノ名前ハ、アキトガ考エテクレ」
出た、名づけの依頼。俺のセンスをなんだと思ってるんだみんな。
それに、今回は先にあだ名が決まってるだと? それに合うような名前を考えるという、縛りまで発生しているじゃないか。
だけど、目の前でからからと笑う少女を見ると、ここで断るというのも気が引ける。
ちくしょう、やってやろうじゃないか。
「えっと……」
「フーチャンミタイナ名前ガイイ」
この期に及んで条件付けだと? 恐ろしい精霊だ。いいさ、やってやろうとも。
フウカは、なんだか日本風の名前になったし、それに似てる名前ってことは、やっぱり日本風か……
ひ、火、緋? ひばな、ひいろ、ひとみ、ひかり……
「ヒナタ。って名前はどう?」
俺の脳内でひぐらしだの、ひらめだのが出てきてしまったので、慌てて候補の中から選ぶことにした。
「ヒナタ……ヒナタカ。イイナ、ナンカ気ニイッタゾ。アリガトナ、アキト」
よかった。なんとか今回も切り抜けた。
しかし、フウカはみんなって言ってたよな。
つまり、ヒナタ以外もすでにあだ名がついているってことになるわけで、もしかしてその子たちも俺が名付けるなんてことに……
「イツカ、スーチャントチーチャンモ、ココニ来ルダロウカラ、同ジヨウニ、名前ヲツケテヤッテクレヨナ」
あ、もう決まってしまったのね。
名前からすると、もしかして水の精霊と土の精霊なんだろうか。
しかたがない……今のうちに考えておくとするか。
「本当ハ、遊ンデイキタイケド、ドワーフノヤツラノ手伝イヲスルッテ、言ッチャタカラナ。今日ハコレデ帰ルヨ。アキト、コレハオ礼ダ」
ヒナタが俺の手に両手をかざすと、フウカのときと同じく、手の甲に模様が浮かんできた。
フウカの銀色の模様に追加するように、赤い模様が刻まれる。
これで、火元がない場所でも、ヒナタは俺の目の前で実体化できるってことか。
「今度ゆっくりと時間がとれたときに遊ぼうなヒナタ」
「アア、オ前イイヤツダナ。マタ来ルゼ、ジャアナ」
ヒナタは笑顔で手を振ると、火が消えるかのようにこの場から消滅した。
基本的には純粋で良い子なんだよな。精霊って。
「……ところで、アリシアはなんで両手を広げて俺を待つようなポーズを?」
「どうぞ、名付けてください」
立派な名前あるだろうが、お前は。
「君の名前はアリシアです」
「私の名前はアリシアです」
英語の授業のようなやりとりをしている俺たちを、シルビアはなにをしているんだと言いたげに見つめていた。
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