第55話 T字路の前でくすぶる心

「そういえば神狼様、最近はあまり主様を独り占めせんのう。この前の猫の小娘が頭をなでられてるときも、気にしておらんかったし」


『そうですね。あれは子供の面倒を見ているだけでしたから、それに私が一番かわいがってもらえてますし、嫉妬する必要もありません』


 最近では私だけでなくアリシアも、よく頭をなでられていますが、ご主人様は最後は私をなでるので問題ありません。

 それに、私をなでているときが一番気持ちよさそうなので、私のこの毛並みはご主人様にとって触り心地がいいようです。アリシアにもこの前の猫にも真似できない武器なのです。


「むう……」


『なんですか? 言いたいことがあるのなら、はっきりと言いなさい』


 奥歯に物が挟まるような様子のシルビアが気になり、そう促しました。


「いや、神狼様と主様の関係が悪いとは言わぬが、その……なんというか、飼い主と愛犬のような関係に見えるのじゃが」


『それがなにか問題でも? 私はご主人様に飼われるのであれば、犬扱いでもかまいませんが?』


 ずっと望んできた私に優しい男性のご主人様ですよ? いったいなにが不服だというのでしょうか?

 シルビアの懸念がいまいち理解できません。


「オスとメスの関係でなくてよいのか?」


 ――なにを……言っているのでしょうか?


「妾が竜の姿じゃと、主様は今の姿の時よりも触れ合ってくれるが、それは竜という種族へのあこがれのようなもので、行きつく先は他種族の相棒が関の山じゃ。妾はそれを望まん」


 私の姿は、ご主人様に愛していただける最適な姿です。

 ですが……その愛は主従としての愛ですね。

 本当にそれで満足……

 いけません。なにを考えているんでしょう、私は。

 長年待ち望んだご主人様と、およそ理想が実現したような関係を築けたんですよ?

 それ以上を望む? それは今の理想の関係を壊してまで、欲するものなんですか?


『私は……この姿こそが完璧な姿なので……人の姿になる必要がありません』


 前に同じことを言いましたが、今回は自信なくそう零すしかありませんでした。


「そうか……」


 シルビアが私を見る目は、どこか憐れむようでありながらも納得しているようで、彼女もまた正しい答えがわかっていないといった様子でした。


 まったく……強欲なものですね。何千年もの間、現れなかったパートナーを得ておきながら、それ以上を望むなんて。

 その嘲笑は、欲深いシルビアに対してなのか、欲深い自分に対してなのか、私にはわかりませんでした。


    ◇


 寝ていると、わずかな重みを腹部に感じた。

 正体がわからなかったら、恐ろしくも感じるだろうが、さすがに二度めとなると俺も慣れてきたもので、目を開けると同時に、その子が体勢を崩さないように気をつけながら、上体を起こす。


「やあ、ひさしぶり」


 目の前にいたのは、やはり予想していた人物で、犬耳の少女だった。

 俺の腹の上にまたがるように座り込んでいるが、あまり重さを感じさせない。


「おひさしぶりです」


 つい最近、猫耳の少女とも会ったが、彼女は自身のことを猫獣人と名乗っていた。

 アリシアから聞いた話では、たしかプリズイコスとかいう名前の獣人たちの王国の出身らしい。

 獣人はこの森以外では、皆その国で暮らしているようだ。

 ならば、やっぱり目の前の少女もその国の国民なんだろうか。

 フィオちゃんが猫獣人というのであれば、さしずめ犬獣人といったところか?


「ええっと、なんて呼べばいいかな? まだ君の名前聞いてなかったよね」


「名前は……あります。大切な人につけてもらった大事な名前が。ですが、すみません。今は秘密にさせてください」


 なんか訳ありっぽいな。しかし呼び名がないというのも不便なものだ。

 ここは、暫定的な名前で呼ばせてもらったほうがいいかもしれないな。


「なにか事情があるみたいだし、名前はいつか気が向いたときに教えてくれたらいいよ。それまでは、なんて呼べばいい?」


「そうですね……あの、よかったらまた名付けてくれませんか?」


 また? なんか変な言い回しをする子だな。

 こうして再び俺の前に現れたからには、一度目のときに考えた幽霊説は消滅したのだけど、もしかしてそう考えるのはまだ早計だったのかもしれない。

 この子の言い方だと、俺が過去に名前をつけたことがあるということになる。

 ということは、前の世界で飼っていたペットの霊なんじゃないだろうか?


「……だめ、ですか?」


 いけない。思考に入り込みすぎた。

 この子の正体は一度後回しにして、なにかいい名前をつけなければ。

 いい名前……俺につけられる気がしないのだが、がんばるしかないか。


 特徴的なのは空色の髪に、金色の目に、真っ白な服。

 ソラ……は、もういるから却下。キン……違うな。ああ、しかたない。許してくれ。


「シロ……で」


 我ながらなんとセンスのないことか。思わず頭を抱えたくなるほど壊滅的だ。


「はい。ありがとうございます」


 少しさみしげに微笑む少女は、整った顔立ちと相まって、年下にもかかわらず美しさを感じさせた。

 しかし……さみしげ、ねえ? まさか俺のつけた名前のせいってこともあるまい。

 いや、否定できるほどセンスのいい名前じゃないが、ここまで悲しそうな顔をさせるには至らないはずだ。


「なにかあったの?」


 俺の問いにきょとんとした少女は、ぽつりぽつりと内情を語りだした。


「あなたの頬を舐めてもいいですか?」


「えっと……前も言ったけど、それは」


 やんわりと断りつつも注意をしようとするが、その言葉は少女にさえぎられる。


「簡単にはしません。あなたにしかするつもりはありませんが……だめ、でしょうか?」


「う~ん。簡単にというか、もっと親密な間柄でもないかぎりは、しちゃいけないと思うんだ」


 伝わるだろうか? 見た目以上に頭は良さそうだけど、難しいことを言ってしまったのではないかとも思う。


「それはいつでしょうか? ソラには……許しているのに、だめなんですか?」


 まさか、ソラとの普段のやり取りを知っている?

 ますます、この子が普通の人間、獣人ではないと考えさせられてしまう。

 少なくとも俺がこの子を見るのは、初対面のときと今の二度だけだ。

 ソラと一緒にいるときに、この子を見た覚えなんてない。


 であれば、やはり霊のような存在であり、普段は目に見えず気がつけないのでは?

 この子――俺が飼ってた金魚だな。

 それならば説明がつく。


「ソラは……特別だから。でも、君が特別じゃないってわけでもなくて、なんて説明すればいいのかな……」


「ソラは特別ですか? それは、愛犬として?」


 そこまで知ってるのか、さすがはキンちゃん。違った、シロって呼ぶんだった。


「そうだね。でも、シロのことを忘れたわけじゃないよ? 君、昔飼ってた金魚のキンちゃんだろ?」


「いえ、違います」


 あれ……違うの?

 なんだか空気が弛緩した気がする。幾分か表情もおだやかになった少女は、馬乗りのまま俺に抱きついてきた。


「でも、ありがとうございます。もう少し悩んでみることにしますね?」


「そっか、またなにかあったら相談に乗るよ」


 抗うことなく、俺は少女と抱擁すると、そのまま頭をなでていた。

 うれしそうに目を細める少女の顔を見ると、多分これでよかったんだろうなと思う。


    ◇


『シルビア』


「むっ、どうしたんじゃ?」


『答えはでませんでした。ですが、もう少し考えてみることにします』


「ふむ……そのわりには機嫌が良さそうじゃな?」


 当然です。

 なんせ、私はご主人様の特別なのですから。

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