第39話 招かれざる者たちと不気味の森
「ここが禁域の森……」
まだ入り口にいるだけなのにわかる。
この森は人間が足を踏み入れていい場所じゃない。
なら引き返す? ありえない。危険は承知のうえで向かったのに、森に入ることもなく逃げるものですか。
それに私にはアリシアという強力な戦力もあり、私自身元勇者だ。
王女と勇者たちが生きて帰ったのだから、私にだって同じことができるはず。
「っ!?」
森の中へと一歩足を踏み入れて理解した。
入り口で感じた嫌な空気の正体。この森の王に侵入者である私たちが知覚されているという事実。
幸いなことにまだ森の王はこちらをどうするつもりもないようで、見られているような嫌な感覚だけが体にまとわりついている。
「未開の地であることには理由があるってことね」
「どうかされましたか? 聖女様」
「……なんでもないわ。先に進むわよ」
私以外はこの嫌な空気を感じとっていない。
ある程度の強い魔力を持つ者しか理解できないんでしょうね。
まったく、知らないというのは幸せね。
だけど他の子たちはともかく、アリシアの魔力なら森の王の縄張りに侵入した嫌な気配がわかるはずよね?
なんでそんなに平然としていられるのかしら。もしかしてアリシアはこの森の王よりも強いとでもいうの?
もしかして、この森で暮らしている間はこの森の頂点として君臨していたんじゃないかしら。
「なにも出てこないわね」
なにもいないではなく、なにも出てこない。
生き物の気配や魔力は感じるけど、私たちを避けるようにして遭遇することはない。
でも、この生き物たちが弱いなんてことはない。
むしろ私たちよりも強い集団だということは魔力の大きさでわかる。
私なら洗脳して同士討ちにできるだろうけど、いちいちそんなことをしていたらキリがない。
だから、襲いかかってこないのは助かるけど、なぜ自分たちより弱い獲物をわざわざ見過ごすような真似をするのか。
「……どう考えても原因はあなたよね」
周囲に聞こえない程度の声量で独り言を漏らす。
森の住人たちが襲いかかってこない理由なんて、それくらいしか思いつかない。
要するにアリシアの強さを理解しているんでしょうね。
私たちだけならただの獲物だけど、アリシアがいるとなると話が違う。
アリシア一人いるだけで、私たちは襲う労力に見合わない集団となっているようだ。
ますますアリシアがこの森を支配したんじゃないかという疑念が確信へと傾く。
もしかして森の王が私たちを見逃しているのも、アリシアという強者が混ざっているからかしら。
「聖女様。あの者に任せて大丈夫なのでしょうか?」
仮面をつけた見知らぬ女に先導され、さすがのエセルも不安になってきたのか私に尋ねてきた。
「たしかにあの者の強さは十分に理解できました。ですが、あのような素性がわからない者を頼りきるのは危険では」
何度か町を守るために魔獣と戦うアリシアを見ているので、いまさらその力を疑うことはしない。
だけど、その矛先が自分たちに向かわないか心配しているようね。まあ、わからなくはないわ。だって、もしもアリシアが敵対するなら私たち全員で戦ったとしても勝てないもの。
【平気よ】
でも、そんな心配する必要がない。だって、洗脳してあるもの。裏切ることなんてないわ。それに素性もわかっているし、心配するようなことはなにもない。
「そうですか……」
それ以上は追求することもなかった。まあ当然ね。私が平気と言ったんだから、それ以上私の意見に逆らうことなんてできないでしょ。
森の奥に進むほど、私たちにまとわりつく嫌な気配は大きくなっていく。
今は監視されているだけだろうけど、いつこの気配の持ち主の気が変わるかわからない。
そのときはアリシアに時間を稼がせてるうちに、私が洗脳さえしてしまえば対処できるはず……
大丈夫。弱気になるな私。
嫌な気配は入り口からずっと感じる森の王らしきものだけじゃない。
周囲にいるであろう森に住む者たちの魔力だって、奥に進めば進むほど強大なものになっている。
最初は戦えば面倒と思っていたけど、今では戦ったら少なくない犠牲が生じるという思いへと変わった。
全滅こそしないでしょうけど、当初の案だった洗脳による同士討ちなんてしてる間にどれほどの犠牲が出るかもわからない。
手が震える。……震え?
そうか、私はこの森に恐怖しているのね。
だけど、アリシアどころか王女や勇者たちですらここにいたんだ。
だから、教会の頂点である私が中途半端な結果で逃げ帰ることなんて許されないし、私自身が許さない。
「まだ……進むのですか?」
顔色を悪くしたエセルが重圧に耐えられなくなってきたのか、私に尋ねる。
「まだ……目的を何も達していないわ……」
正直言うと、エセルが戻りたがっていることを言い訳にして、今すぐにでも帰りたい。
いまだに森の生き物に襲われていない。それどころか遭遇さえしていない。
なのに気配だけはどんどん濃密になり、いつ襲われるかわからない恐怖が神経をすり減らしていく。
戦いたいわけじゃないけど、この不気味な静けさ、これはこれで精神が辛い。
「あ~! 聖女さんです!」
心臓がドキンと跳ねた。
さっきまで不気味な静寂の中を歩いていたのに、急に大きな声をあげられたら私じゃなくたってそうなると思う。
だって、私以外も驚いた様子を隠そうともしていないし、何人かはその場にへたり込んでいるもの。
平然としているのは……アリシアだけね。
「聖女さん、人間さんに会いにきたです?」
「え、ええ。男の人がこの森にいるでしょ? あなた知ってるのなら案内してくれないかしら?」
声の正体は妖精だった。
内心でホッとして、私は平静を取りつくろいながら会話に応じる。
それにしても、私のことが聖女とわかるあたり、妖精は噂にあるような不思議な力を持っているみたいね。
「……? 人間さんに会いたいですか?」
妖精は不思議そうな表情を浮かべると、私ではなくアリシアの方を見る。
そしてアリシアがわずかに頷くと、妖精は私たちを案内するように前を飛んだ。
「それじゃあルピナスがご案内するです」
声の主を妖精と知ったからか、私以外の者も皆落ち着きを取り戻したようなので、私たちは妖精を追って森の中をさらに進んだ。
妖精に案内されて道を進むにつれて重圧みたいなものがどんどん強くなる。
普通の森のはずなのに、怪しげな異界に迷い込んだように錯覚するほどの異質な空気。
本当はそんなことないのに、薄暗く歪んだような景色だと錯覚してしまう。
「あ、あの。本当についていってもいいんですか?」
「……わからないけど、今さら引き返せないわよ」
「こっちです」
そんな不気味な森を先導する妖精は、本当に妖精なのか、妖精のふりをした悪魔なのじゃないかとさえ思う。
私よりも魔力が低い者たちも、さすがにここまでくると森の王の恐ろしい魔力の圧を感じ取り始めたのか、足取りは重く顔は青ざめていく。
「さあ、ついたですよ」
冷や汗が止まらない。
妖精に案内された洞窟の中に何かいる。
いや、何かなんてとっくにわかっている。森の王がここにいる。
騙された? 男のいる場所じゃなくて、森の王のいる場所に案内された。私たちを生贄にでもするつもりだったのかしら。
洞窟に不釣り合いな立派な扉が音を立てて開く。
私にはそれがやけにゆっくりに見えた。
死ぬ? この扉が開いたら森の王が現れて、私たちを殺すのかしら。
恐怖で振り切ったのか、もうここが現実とは思えず私は自分のことだというのに、なんだか他人事みたいに考えてしまった。
「おかえり……あ、あれ? どちらさま?」
洞窟から出てきたのは、恐ろしい森の王なんかではなく、魔力をまるで感じない脆弱な生き物。
……って、男じゃない!? どういうことよ!
さっきまで確実に死ぬと思っていたのに、私は突然現れた男を前にただ混乱することしかできなかった。
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