第38話 君の香りを忘れてしまう前に

「聖女様! 集団食中毒が発生したようです!」


「しょうがないわね。手分けして治療するわよ」


 症状が重そうな者から順番に治療をしていくが、どうにも数が多いわね。

 あとどれぐらいかかるのかしらと思っていたら、アリシアは私よりも多くの者をさっさと治療してこちらを手伝いにきた。

 ああ、そうね。あんたならこの程度の人数の治療なんてなんでもないわよね。


 結局、その場はあっさりと収まり、治療された者たちは私たちへ、教会へ感謝の言葉を口々に言った。


「大変です! 町のすぐそばまで魔獣の群れが迫っています!」


「なんですって! 戦える者をすぐに集めなさい!」


 また別の日は、魔獣の群れが町を襲おうと近づいていると報告を受けた。

 どうせ王国の勇者たちも騎士団も間に合わないでしょうね。

 というか、町まで魔獣が接近するなんてふつうはないことだから、どうせどこかの馬鹿が引き連れてきたんでしょうね。


 戦いは苦手なんだけど、教会の中でも戦力になりそうな者たちを連れて町を守る。

 私はもっぱら味方の強化と回復と障壁を張ることを続けた。


 ……なんか、アリシアが歩いて行ったと思ったら、魔獣たちを一匹残らず殴り倒した。

 結局、ものの数分程度で魔獣の群れは気絶し、私たちは町を守るというよりは、アリシアに殴られる魔獣を見とどけることしかできなかった。


「聖女様、町の薬屋の回復薬の備蓄が不足してきているようです」


「そう、それじゃあすぐに回復薬を作るから待ってなさい」


 最近魔獣が増えたせいで怪我人が多いからね。

 面倒だけど回復魔法を液体に固定して回復薬を作っていく。

 町中の人を治せるていどの備えはほしいから、今日は徹夜作業になりそうね。


 え、なに。そんな効果が高い回復薬を、もうそんなに作ったの?

 アリシアは私が作業が長引きそうだとうんざりしている間に、数十本もの回復薬を作成し終わっていた。それも、そのどれもが一級品で一流の冒険者でも、おいそれと使用できないほどの質のものを。

 ……なんかこの作業も、一時間もしないうちに終わりそうね。


    ◇


 わかったことがある。

 あの聖女、すごい便利。便利すぎて私の仕事がほとんどなくなっている。

 あれだけ溜まりに溜まった仕事がもう何も残っていない。


 聖女になってから、こんなにゆっくりできる時間なんて今まであったかしら?

 洗脳してから私の従者のようになったエセルも手持無沙汰らしく、彼女が淹れてくれた紅茶を飲みながら、のんびりとした時間を過ごす。


 あ~、このままだとだめになりそう。

 しっかりしなさいリティア。

 こんなふうにだらだらしてる暇があるなら、もっとなにかやることが……

 そっか……

 今のうちに、禁域の森の男でも洗脳しようかしら。


【アリシア、禁域の森に行くから案内なさい】


「ええ、いいですよ」


 アリシアは当然のように私の言うことに従った。

 それなら支度をしないとね。

 さすがに私とアリシアだけで行くのは不安というか無謀すぎる。

 だからと言って、貴重な人材を無駄遣いはしたくないし、洗脳している者だけを集めて向かうことにしましょう。


 私はさっそくいつも私に仕えているエセルをこの場に呼んだ。


「お呼びでしょうか? 聖女様」


【エセル、ここに書いた者たちを集めなさい。禁域の森に行くわよ】


「禁域の森ですか……? さすがに危険すぎるのではないでしょうか」


 あら、珍しい。さすがに洗脳状態でもあの森の恐ろしさは身に染みているといったところかしら。

 でも、こっちにはアリシアという兵器がいるから問題ないわ。

 それに、あなたたちには断ることなんてできないでしょう?


【それでも行かないといけないの。禁域の森に女神さまが招いた男がいるというのなら、私たちで保護するべきよ】


 それらしい建前を提示しておけば、あとは私に従うしかなくなるはず。

 女神様のため、男のため、あるいは主人である私のため、好きな理由を選んで勝手に納得するがいいわ。


「……わかりました。それでは、すぐにここに書かれた者たちを集めます」


「ええ、頼んだわよ」


 ほどなくして、エセルは私の命令どおりに、洗脳済みの者たちを集合させた。

 すでに禁域の森へと行くことは説明をすませてあるのか、誰も彼もが真剣な表情をしている。

 誰一人として逃げ腰な者はいない。さすがは私に洗脳された子たちね。


「すでに聞いているかもしれないけど、これから女神様のご意思によって、禁域の森にいる男を保護しに行くわ。安心なさい。私たちには女神様の加護があるから、危険な目になんてあわないから」


 まあ、あながち間違ってはいないはずよ。

 女神様の加護はたしかにあるもの。私じゃなくて同行するアリシアのほうにだけど。

 それに、危険じゃない可能性だって高いはずよ。

 今まであの森で生活していたアリシアが案内するのだから、生きて帰れる可能性のほうがずっと高いはず。


 かくして、私たちは禁域の森への調査へと乗り出すことにした。


    ◇


「アリシア戻ってこないな」


 様子を見に行くだけと言っていたので、すぐに帰ってくるものかと思っていた。

 だけど、アリシアはもうかれこれ一ヶ月も戻ってきていない。

 さすがに何かあったんじゃないかと心配になり、ルピナスの提案で町まで様子を見に行ってもらったのだが、教会で働いているみたいだった。


「もう戻ってこないのかな……」


 アリシアは俺がこの世界にきて初めて会った人間で、これまでずっと一緒にいた大切な人だ。

 別れのあいさつもなしに、いなくなってしまうのはとてもさびしくなる。


「うう、ごめんなさい。聖女さんお仕事中なので話せなかったです」


 アリシアから直接事情を聞けなかったため、ルピナスが申し訳なさそうに謝る。


「いや、ルピナスは十分俺の力になってくれてるよ。何度も町と森を往復させちゃってごめんね」


「人間さん……」


 ルピナスが様子を見に行ったのは一度や二度ではないのだが、そのたびに忙しそうに働くアリシアを見た報告だけを持ち帰っていた。

 やっぱり、アリシアが抜けた穴は本人が思ってたよりも、相当に大きかったんだろうな。

 そう考えると、俺のわがままでアリシアをこの場所に拘束するのは、町の人たちに迷惑なんじゃないだろうか。

 アリシアはここで暮らすよりも町で暮らす方が……


 おでこがぺちっとシルビアの手のひらで叩かれる。

 いや、衝撃もないほどの優しい叩かれ方なので、叩かれたというよりは触れられただけか。


「また、変に一人で考え込んでおるじゃろ」


 たしかに、また一人で考えに没頭してしまっていた。

 だけど、変なことではないんだけどな。


「変なことっていうか、アリシアは教会にいたほうがいいのかなって」


「ほれ、変なことじゃ。主様にそんなこと言われたらアリシアが号泣するぞ。それも子供のように手をつけられんほどにの」


 そうかな? いくらアリシアだって、そんな泣き方することは……あるかも。


「次に会ったときは、忙しかろうと多少無理にでも話を聞いてくるべきじゃな」


「わかったです」


 ルピナスは頼りにしてほしそうなポーズでやる気まんまんといった感じだけど、そんなことしたらアリシアの迷惑になるんじゃ……


「主様は自分が思ってる以上に、アリシアに愛されておることを知ったほうがいい」


 愛され……恥ずかしいことを急に言われると反応に困る。

 俺は自分の顔が熱を帯び赤く染まっていくことがわかった。


「む、そのような反応は本人がおるときにしてあげるべきじゃぞ。それにアリシアだけじゃなく妾たちもアリシアと同じくらい主様を愛しておるのじゃから、もう少し自信を持つべきじゃ」


 まったく、平然と恥ずかしいことを言ってくれる。


「それじゃあ、俺のことが大好きなシルビアの言葉を信じて、アリシアを待つとしようかな」


「ああ、それがいい」


 俺はまだ気恥ずかしくて、楽しそうに笑うシルビアの顔を見ることはできなかった。

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