第32話 本人に向けていないハレルヤの声

「うまくやったようね」


 その日唐突に聞こえてきたその声は、以前聞いた女神様の声だった。


「勇者たちのことですか?」


「まあ、そのことと言えばそのことになるわね」


 当たらずとも遠からずといった様子だ。ならば、なんのことだろうと聞く前に女神様が続きを話した。


「あんたと交流した勇者たちが国に帰ったことで、前に流した禁域の森にはまともな男がいるって噂が真実味を帯びてきているのよ」


 そういえば俺のことを内緒にしてくれとかは、とくに言ってないな。

 勇者たちが国に戻って俺の話でもしたってことか。


「噂が真実だったから私のおかげでこの世界にまともな男が招かれたと考える子も多いみたいでね。信仰が前よりもずっと増えたわ」


「はあ、そうだったんですね」


 感心したようにアリシアが返事を返すと、姿が見えないはずの女神様が目を細めたような気がした。


「なに、他人事みたいなこと言ってんのよあんたは。信仰が増えたってことは教会に所属する者も増えてるのよ?」


「ですが、私はもう引退した身なので……」


 あれ、そうだっけ?

 死んだと思われてるだけで、所属はそのままだったと思ったんだけど。


「辞めてないでしょ。でも結果的にはそうなりそうね」


 今はまだ教会の所属しているけど、いずれそうじゃなくなるようなことを匂わせた言葉だ。


「なにかあったんですか?」


「さすがにかなりの大所帯になったし、いつまでも聖女が不在というわけにはいかなくなったみたいね。仮の次代の聖女を選定しているみたいよ」


 なるほど、次代が決まったらアリシアは正式に教会から籍を抜けることになるのか。


「それは別に今さらいいんですけど、それよりも女神様の力は戻られたのですか?」


「まだ足りないわね……さすがにこの世界と異世界をつなげるには今以上の信仰で力を取り戻す必要があるわ」


 前進はしているようだけど、さすがに目標を達成するのはまだ先らしい。

 目標か……元の世界に帰りたいという思いに変わりはない。

 この森での生活も健康的で楽しいけど、やっぱり家族や友人といきなり別れてしまうのは望むところではない。

 だけど、いざ帰れるとなったら俺はどうしたいんだろう。

 ソラを連れ帰りたいなんて冗談のように考えていたけど、この生活を楽しんでいる今となってはソラだけでなくみんなとの暮らしを続けたいとも思っている。

 多分誘えばついてきてくれるだろうが、ソラとアリシアはともかくシルビアとルピナスがなあ……

 結局答えは出せないまま後回しにするしかできなかった。


 少し考え込んでしまった。ふと前を見ると、皆俺の方を見ていた。


「一人で悩まず相談してくださいね」


 俺の胸中を察したのか、アリシアはにこにこと微笑んでそう言った。

 そうだな。俺だけのことじゃないし、その時になってからみんなで悩もう。


「そうそう、まだまだ先の話よ。あまり期待しすぎたらだめよ。お互いね」


 女神様はそう締めくくると声が聞こえなくなった。

 どうやら、この場から離れたようだ。


「女神様も忙しいのかな?」


「う~ん。そうでもないと思いますよ? まだまだ力を取り戻していないので、干渉できることは少ないでしょうし」


 そうなのか。それはそれで身動き取れないってことだし、大変そうだな。


「あれ? でも次代の聖女を決めるって話じゃなかったっけ? それって女神様の加護をもらわないといけないんじゃないの?」


「必ずしもそうというわけではないですね。先代の聖女がいなくなった場合は、勇者を勧誘する場合もありますから」


 まさに今みたいなときってことか。

 そうなるとつい最近まで女神様を信仰してなかった人が聖女になるってことだけど、教会の人たちはそれでいいんだろうか。

 俺が心配することでもないか。


「それじゃと、教会を牛耳るために欲にまみれた者が聖女になるかもしれんのう」


「大丈夫ですよ。教会にそんな魅力的な権力なんてありませんから……」


 遠い目をしてアリシアが答えた。苦労しているんだな……


「いや、妾の目の前におる聖女も欲というか煩悩まみれじゃけどな」


「なんてこと言うんですか! もう!」


「うん、アリシアはなんというか、親しみやすいタイプの聖女だからね」


 あっ、つい声に出してしまった。

 だけどもう言葉を戻すこともできず、アリシアはこちらを振り向くと慌てたように聞いてきた。


「も、もう少し聖女らしくしたほうがいいでしょうか?」


「いや、俺は今のままのアリシアのほうが好きだよ」


 変にお堅い聖女様だったら息が詰まりそうになる。

 だから、今までどおりのアリシアのままでいてほしい。


「わ、私もアキト様が好きです!!」


 うわっ、びっくりした。

 でも嫌われていないのならなによりだ。

 というか、勢い余って腕に抱きつくような真似はやめてほしい……

 腕に柔らかい感触が当たっていて、非常によろしくない。


「煩悩まみれじゃ……」


 シルビアの呟きは俺に向けてなのか、アリシアに向けてなのか、わからなかった。


    ◇


 毎日繁盛するのはいいことだけど、相変わらず私は給仕として多忙な日々を送っていた。

 王女に依頼された冒険者でごった返していたあの時よりははるかにましだけど、それでも毎日ほとんどの席が埋まっている程度にはお客さんがやってくる。

 だけど、さすがに慣れてきたのでお客さんと会話したり、話を聞く程度の余裕はあった。


「最近はフィル王女様と勇者様のおかげで、だいぶ生活が楽になったわね」


「そうねえ。いっそのこと今すぐに女王様になってほしいわ」


「禁域の森でしばらく暮らしてたって噂でしょ? よくあの場所で生活なんかできるわよね」


「勇者様がそれだけすごいってことだろうな。同じ勇者様たちを率いて逃げ帰ったルメイ王女とは大違いだ」


「ルメイ王女最近見なくなったけど、どうなったのかしら?」


「なんでも城から出てきてないらしいわよ。噂ではなかば軟禁状態だとか……」


「でも噂といえばあれだよな」


「禁域の森でフィル王女様たちが男の人と暮らしてたってやつ?」


「どこまで本当なんだろうねそれ」


「でも、勇者様たちの話を聞いたやつがやけに現実味のある会話だったって言ってたよ」


「アキト様でしょ? 女の人を嫌悪してなくて、笑いながら話してくれたり、褒めてくれたり、いっしょにいてくれる……本当に前の噂のままの人ね」


「それだけ聞くといまだに信じられないけど、妖精も勇者様たちも同じこと言ってるからなあ」


「女神様がこの世界に招いた異世界人って噂も本当なのかもしれないわね」


 以前からの噂であり、こういった酒場で酔いながら話すのにちょうどいいのか、人気の話題であった禁域の森の男の人の話。

 私も酒場で働く身としては、もう耳にタコができるほど聞いた話だ。


 だけど、私はそれが噂なんかじゃなく本当のことだと信じている。

 なんせあの聖銀の杭の三人とプリシラさんが実際にその目で見たと言ったのだから。

 だけど、アキト様かあ……どんな人なんだろう。

 いつかこの酒場にきてくれないかと思ったけど、そんなことになったら大混乱の末また給仕に忙殺されるんだろうなと思い、複雑な気分になった。


「女神様のおかげで私たちが夢に見る男が現れた。そう思って女神様を信仰する者が増えたみたいね」


「ああ、最近入信するやつがやけに増えている。教会の力がどんどん増しているみたいだな」


「せっかく王女様たちが国を良い方向に導いてくれているのだから、教会と変に対立とかしなければいいんだけど……」


    ◇


「ありがとうございます聖女様」


 回復魔法で怪我を治した女性が頭を深々と下げて感謝する。

 その感謝を受けとり、今日の仕事を終えた私は自室へと戻った。


「ちょろすぎ」


 ちょっと回復魔法や結界魔法を見せただけで、聖女様あつかいだなんて、拍子抜けにもほどがある。


「まあ、楽な分にはいいんだけどね」


 これほど簡単に聖女に選ばれるなんて、教会は随分と人材不足なのねと納得してしまう。

 だからこそ、わざわざ女神の神託を受けたなんて騙ってまで、聖女になる者がいなかったのだろう。


 だけどそれは今までの話。

 私はちゃんと先を見ているからわかる。教会は今後どんどん力をつけていく。

 それこそ権威を失う以前を超えるほど、旨みのある組織になるはずだ。


「私と同じことを考えてるやつが出てくるかと思ったけど、そんなこともなかったし……順調順調」


 しばらくは、いかにも聖女様って感じの優等生でいてあげるわ。

 そうやって、だんだん女神と私を信仰する者が増えたら、私の望むままに動く組織が手に入るんだから本当に楽なもんね。

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