第20話 来た見た帰った
まだ、あれが夢だったんじゃないかと思う。
森から無事に帰還して、宿屋で着替えて身だしなみを整え、全員で集合していつもの酒場へと向かう。
それだけの決して短くはない時間をおいてなお、私たちは頭の中を整理できずにいた。
正式には違うけれど、半ばパーティメンバーのようになってきたプリシラでさえ冷静でいるのに苦労しているほど、あれには驚愕していた。
「念のため聞いておくけど、あれって集団で幻覚を見ていたわけじゃないわよね」
開口一番にそれを確認しておく。むしろ、そっちの方がまだ理解も納得できると思っている。
「いや、何度も調べたが私が幻覚にかかった痕跡なんてなかった。あれはまぎれもない現実さ」
だけど、プリシラの口から出てきたのは否定の言葉だった。
そっかあ、やっぱり見間違いでも厳格でも妄想でもなかったのね。
気配を消していた私たちの前に現れたのは、どう考えても勝ち目なんてない巨大な竜。
気配を消そうが関係ないとばかりに、私たちの存在を完全に認識していて、下手な動きをしたらすぐに殺されていたと思う。
それは別にいい。
いや、よくはないけど……それ以上にとんでもないことが起きたから竜のことまでは考えてる余裕なんてない。
問題は竜の背中から降りてきた人間。
「どう見ても、男の人だったわよね」
「だから言ったじゃねえか。禁域の森に男がいるっていうのは本当なんだよ」
「しかも倒れた勇者を抱きかかえていた」
そう、それが問題なのだ。
男がいた。それはまあ百歩譲ってよしとしよう。
だけど、男が女を抱きかかえる? それもあんなに優しく?
ありえない。
女が倒れていようと、普通の男は興味をもたないと言われている。
そもそも、倒れていようと動いていようと、興味がないのだ。
それどころか、四六時中自分に群がる女たちに、男たちの心はすさみ、女を嫌悪しているとも言われている。
そんな男が女に優しく触れるなんて、夢でも見ていたと思ってもしかたがない。
「いや、さすがに我が目を疑ったね。あれは」
「だよなあ。男がいたのも本当だったし、女に優しいってのも本当なんじゃないか?」
「あれを見た後だと否定できないわね……」
ついこの前までは、何を馬鹿なことをと噂が噂でしかなかった時のための予防線を張った言葉を返していたと思う。
だけど見た以上はもうジャニスの言葉に頷くことしかできなかった。
「でもたどり着ける気がしない……」
「それが問題だね。少なくとも勇者、それも勇者の中でも上位の力が必要だ」
そう、あの森に男の人がいることはわかった。でも、今回ですら強者の中に隠れながらようやく出会えたんだ。
次回私たちだけであの場所に行けるだろうか? 考えるまでもなく無理。
「それに、今回はたまたま会えたけど、普段からあそこにいるとはかぎらないわね」
「そうだねえ。もしも、あの人が私たちがこそこそと隠れながら到達したあの場所よりも奥に住んでいるとしたら。それはもうお手上げさ」
本当に挑めば挑むほど、冒険者の中でも上位だという実力が虚しくなる。
私たちはあの森の生態系の中で一体何番目の強さなんだろう。きっと下から数えたほうが早いのは間違い無いでしょうね。
「諦めろってことかよ……」
珍しくジャニスでさえも弱気になっている。
私は重くなった空気を切り替えるために、ふと気になった話題を提供した。
「そういえば、あの勇者は戻ってきていないのよね? どうなったのかしら」
「なんでも王女が、勇敢なる者の名に恥じずに今回の探索で命を落としたなんて美談にしていたからね。まったく……そんなことしたって、男を餌に国を支配したいなんて魂胆は見え見えだというのに」
「いや、死んではいないはず。だって、男の人が連れて行ったから、その後殺されでもしない限りは無事だと思う」
「そうよね……それに、わざわざ運んで別の場所で殺すなんて意味のわからないことをするとも思えないし」
案外あの人と一緒に暮らしているんじゃないだろうか? あの優しそうな人が見捨てるとは考えられない……というか考えたくないのかもしれない。
「じゃあ、あれか? あの森で死にそうになったら男が助けにきてくれて、その後は男と一緒に暮らせるとか?」
「まったく……馬鹿な発言はやめてくれよ。君の冗談を真に受けて本当に自殺みたいなことをする者が出たらどうするつもりだい?」
気がつけば、私たちの会話は酒場中の人たちが聞いていたようだ。
まあ、噂に近づけた唯一の存在であるのだから、気になってしまうのはしょうがない。
だからこそ、無責任な発言を鵜呑みにして被害が及ぶのはなんとも寝覚が悪いことだ。
ジャニスもそれがわかっているからこそ、素直に謝罪していた。
「わ、悪い。お~い! 盗み聞きしてるやつら! 今の冗談だから絶対そんなことするなよ!」
酒場にいる者たちは、わかったのかわかってないのか特に反応はしなかった。
まあいいか。こっちは忠告もしたし、それでも森で自殺未遂なんてするのなら、それはその人の責任だ。
「冗談はさておき、これ以上私たちにできることってあるのかしら」
「厳しいよな……大体なんだよあのデカい竜は。最初はあれが森の王かと思ったけど、森に入ると感じる圧とは別物だったぞ」
「要するに森の王は、あのとんでもなく強い竜よりも強いってこと……言ってて馬鹿らしくなってくる」
「勇者を倒したオーガの集団も、私たちじゃどうにもならないねえ」
手詰まりとはこのことかというくらいには、まったくもって妙案は浮かばなかった。
「もういっそ、噂の男を見れただけで満足ってことにするべきかもしれないな」
「違いない、諦めも肝心さ。まあここ最近はおかげで楽しめたじゃないか。それでよしとしよう」
さすがにあんなものを見た以上は、再度森に挑戦しようと思う者はいなかった。
これからはダンジョン攻略か、依頼を受けて魔獣を狩るか、ともかく前と同じ生活に戻りそうだ。
私たちはいつものように、お酒を飲みながら夜まで楽しく過ごした。
◇
「それで? どうして何一つ成果がないのかしら?」
不機嫌そうな少女の声は、静まり返った部屋にやけに鮮明に響いた。
誰もが下を向いて、少女の怒りが収まるのを待つしかない。
どうせ何を言おうと、この女には聞き入れてもらえるはずもない。
原因を説明すれば言い訳と言われ、改善案を提示しても怠慢だと叱られるのであれば、もはやまともに相手をするのも馬鹿馬鹿しい。
結局のところ、こうして好き放題言わせて疲れるのを待つしかないのだ。
「まったく呆れるわね。無様に逃げ帰ってきてそれでも勇者なのかしら?」
ろくな指示もなく、ただ森にいる男を捕まえろと言われただけ。
それどころか禁域の森がいかに危険か理解しているかすら怪しい。
この女が得意なのは、男の管理による国内での王族の支持の恒常と、そこと敵対する教会の動向に目を光らせることだけ。
それ以外は素人のくせに余計な口を出して、無謀な命令を出すのだから、いっそのこと何もしないでほしかった。
「はあ……もういいわ。所詮あなたたち程度じゃそれが限界ってことね。次はお母様にも頼んで勇者と騎士団を貸してもらうわ」
また、馬鹿なことを……そう思ったが、考えを改めた。
なるほど、確かに女王の専属である勇者であれば、自分たちよりもよほど強者だ。
それこそ、たった一人でしんがりを務めて彼の地で倒れてしまった仲間以上の強さを持つ。
さらに、烏合の衆である冒険者ではなく、国を守る精強な騎士団で進軍するのであれば、前回とは比較にならないほどの戦力となるだろう。
だけど、そんなことに人員を割いてる余裕は本当にあるのだろうか?
「しかし……こちらの戦力を必要以上に投入してはまずいのでは……」
「前に冒険者を使うことにしたのは、教会の動向がわからなかったからよ。あれから、裏付けもとって聖女は森から帰っていないとわかっているの」
なんと、あの聖女ですら森から帰還することはできなかったのか。ならば、それこそいくら戦力を投入しようが無謀だと思うのだが。
「だから、教会を気にせずにこっちも戦力をすべて投入しても問題ないわ。それに、たかだか魔獣が巣食うだけの森でしょ? さっさと男を探し出して連れてくればいいじゃない」
ため息を吐きそうになる。この期に及んでまだそんな認識でしかないのか。
ただの森? なら自分の目で確かめてほしい。
あの森の中で数十分でも生きていられるのなら、その時は非礼を詫びて忠誠を誓ってやろうじゃないか。
今は亡きあの子と同じで、私たちはこの女に言葉巧みに奴隷の契約をしただけの愚か者だ。
当然誰もこんな女への忠義など、これっぽっちも持ち合わせてもいない。
そう思っていたのは私だけではないようで、誰かがぼそっとつぶやいた。
「それならば王女様も森に直接赴いてはいかがですか?」
ああ、余計なことを。
また癇癪じみた説教が再開されてしまうではないか。
そう思ったのだが、私たちの耳には意外な言葉が返ってきた。
「そうね……あなたたちじゃ頼りにならないし。私が直接出向くべきかもしれないわね。もちろんお母様の勇者に私を警護してもらうけど」
そこまであの森に、というよりも男に執着するのか。
呆れて物も言えないが、これで直接森の危険性をほんの少しでも理解してくれるといいのだが。
そんな淡い期待を込めて、私たちは解散の許可が出てから各々部屋へと帰っていった。
「まったく……あれで勇者と言うんだから詐欺もいいところね。聞いてのとおりよ。私はしばらく不在になるから、私がいない間のことは頼むわね。お姉様」
「や、やめようよ。禁域の森なんて危険だから近づかない方がいいよ……」
王女にうり二つだが、勝気なルメイとは真逆のどこか弱々しい雰囲気の少女は、ルメイを止めようとするも、馬鹿にしたようにその場を無言で立ち去るだけだった。
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