第10話 目が覚めたら、君は煙のように消えていた

 もうすっかりとここでの生活にも慣れてきた。

 昼間にルピナスと一緒に森の中を見て周った疲れからか、ベッドに入るとすぐに睡魔に襲われる。


「なんかここにきてから健康的な生活を送ってるな」


 一応自分の部屋はあるのだけど、ソラはすでに俺のベッドに潜り込んでいる。

 ルピナスに会う前からソラを抱いて寝ているので、なんとなくそのまま習慣になってしまったのだ。


「それじゃあおやすみソラ」


 柔らかい毛並みの心地よさを感じながら、俺はすぐに眠りについた。


    ◇


 誰かに見られている。

 周囲の暗さからするとまだ朝は遠く、今は夜中のはず。だけどじっと俺を見下ろすような視線を感じる気がする。


 嫌だな。こんな時間にそんな体験するとか心霊現象のようじゃないか。よくよく考えるとここは俺の知っている世界じゃないのだから、常識だって違うはず。

 もしかしているんじゃないか? 幽霊が。


 一度そんな考えが頭をよぎると思考は悪い方へばかり舵を取る。

 どうするべきだろうか。

 このまま朝までやり過ごせるのだろうか? 動いたら襲われるのか、動かなかったら襲われるのか、それさえもわからない。


 しばらく迷ったが、俺はうっすらと目を開けて誰かを確認することにした。


 そこには、小さな女の子がいた。やっぱり幽霊か?

 だけどなんとなく悪い存在じゃない気がする。女の子は俺に馬乗りになってじっと無言で見つめている。


 悪霊じゃなさそうなので、心に余裕ができたのか俺は俺で女の子を見つめて観察した。

 やっぱりまだ小さな女の子だ。顔立ちはとても整っていてかわいらしい。

 金色の目と空色の髪の毛という現実的ではない色を見ると、やっぱり俺のいた世界と別物なんだなと思える。それに、なによりも獣耳が頭に生えてるしな。


 しかし、いつまで見つめ合うんだろう。

 なんか互いに無言のまま、口を開くきっかけを失ってしまった。

 向こうもそうなのかわからないけど、俺が起きてることはとっくに気づいてると思う。

 恥ずかしくなってきたのか白い肌がだんだんと赤く染まってるしな。


「あの……起きてますよね?」


「起きてるね」


 痺れを切らしたというよりは、間に耐えられなくなったといったふうに少女はようやく話しかけてきた。


「すみません。睡眠の邪魔でしたね」


「それは別にいいけど。君は誰? というかまず、君は俺を襲ったりはしないよね?」


 大丈夫だとは思うけど、念のため安全確認をしておこう。


「えっ、襲ってよかったんですか?」


「いやいやいや、だめだからね。襲わないでくれると助かる」


 危ねえ。こっちが失言したら襲ってくるタイプの幽霊なのか?


「わかりました。襲いません。では、抱きついてもいいですか?」


 これは、どういう意図だろう。

 ――なるほど、この子はまだ小さい。きっと親や兄に甘えたい年頃だったのに、幼くして死んでしまったんだ。俺で代わりになるのなら抱きつくぐらいいいだろう。


「いいよ。おいで」


 頭の獣耳がピクッと動いて、少女は目を丸くして驚いている。

 意外だったのかな?

 しばしためらってから、少女はこちらに体重を預けてきた。


「頭も撫でてください」


 なんか不憫になってくる。きっとまだ家族にたくさん甘えたかったんだろう。

 もしかして、それが未練になって幽霊になったんじゃないのか?


「いいよ、ほら」


 幸い俺はここにきてから毎日ソラを撫で回しているので、頭を撫でるのも慣れている。

 少女の髪型を崩さずに満足いくまで撫でるという、無駄に高度な技術を発揮した。


 少女はしばらく気持ちよさそうにしていたが、徐々に顔が近づいてきた。


「!?」


 頬が濡れる。キスされた? とも思ったけど、違う。頬を舐められたのだ。

 俺は思わず抱きしめていた少女を離してしまう。


「あっ、あの……これはだめですか」


「だめというか……う~ん。そういうのは簡単にしちゃだめだよ」


「そうですか……やっぱり」


 少女は俺の言葉に反省したのか、少し落ち込んだ様子だ。だけどまたおそるおそる抱きついてきた。

 うん。これぐらいなら受け入れてあげよう。この子が成仏するまで俺は一晩中、少女の頭を撫でることにした。


 朝起きると少女の姿はそこにはなく、俺の腕の中には代わりにソラが眠っていた。


「そっか、ちゃんと成仏できたんだな……」


    ◇


「神狼様はシルビアさんみたいに人の姿にはなれないんですか?」


 ご主人様がルピナスと散策に行ってるのでだらけていると、アリシアにそんなことを聞かれました。


『私はこの姿こそが完璧な姿なので、人の姿になる必要がありません』


「それでは妾が不完全な生き物みたいじゃのう……」


『あなたのそれは巨大な竜の姿のままでは他種族との交流が難しいから得た能力でしょう。私にはその必要がないというだけです』


「意外じゃな。神狼様が妾を馬鹿にしていないなんて」


『噛みましょうか?』


 まったく失礼なトカゲですね。しかし、ご主人様と同じ人間の姿ですか……

 興味がないわけではありませんが、きっと私にとっては良いことばかりじゃないですからね。


「ただいま~」


「ただいまです」


 ご主人様が帰ってきたので思考は中断して、ご主人様の元へと駆け寄ることにします。

 ご主人様は私が飛びつくと優しく抱きしめてくれました。

 はあ……癒される……もっと抱きしめてください。もっと撫でてください。


「ソラはかわいいな~」


 毎日言っていただいてますが、その言葉にもまだ慣れません。

 ご主人様に褒めてもらうたびに尻尾の動きは制御できなくなりますし、感情も抑えきれません。


「よしよし。いい子だな~」


 はっ! 気づけばまたご主人様の頬を舐めていました。

 こんなことをされても不快感を一切募らせることもなく、受け入れてくれる。本当になんて無防備で優しい方なのでしょう。

 やはり私がしっかりと守らなければいけません。


 私の唾液で顔を汚すご主人様を見て、私は改めてそう誓いました。

 ただ……こうして私の匂いがご主人様の匂いと混ざるたびに、ご主人様を私だけのご主人様と主張できているようで嬉しいのは内緒です。


「神狼様どんどん大胆になってます……」


 それは違いますアリシア。

 私だってそんなはしたない真似をするつもりはありませんが、ご主人様の前ではそんな理性制御できなくなるのです。

 神なのに情けないとは思いません。ご主人様にかわいがってもらえるなら、そんなのはすべて些細なことです。


 ああ、ほら。気づけばまたご主人様を押し倒していました……

 でもそんなふうに笑顔で私を受け入れるご主人様も悪いんですよ?


 結局今日もまたご主人様に思う存分かわいがっていただけました。

 ふう……とても満足です。


 最近わかったことがあります。

 ご主人様は、人の姿には遠慮がちになるということです。現にアリシアもシルビアもルピナスも私ほど直接かわいがってもらえていません。

 やっぱり私の姿こそが完璧な姿ですね。


 シルビアのように人の姿では、きっとご主人様は抱きついてくれません。頬を舐めることもできなくなりますし、頭を撫でてくれる頻度も少なくなるはずです。


 ですが、少し気になりますね。私が人の姿でもこれまでと同じようにかわいがってくれるのでしょうか?


    ◇


 今日もご主人様と一緒に眠ることになりました。ご主人様と出会ってから一度たりともこの場所は譲っていません。ルピナスが住居を作ってくれてからも、それは変わりません。

 幸いご主人様も私の毛並みを気に入ってくれているようで、毎晩私を抱きしめて寝てくれます。


 ほら、やっぱりこの姿のほうがいいじゃないですか。人間の姿はご主人様が満足するような毛皮がありませんからね。

 誇らしげに抱きしめられていると、私を抱きしめる力が緩んできました。

 どうやら、ご主人様が眠ったようです。


 ちょっと試してみますか。


 私はとても名残惜しいですけど、ご主人様を起こさないようにそっと腕から抜け出しました。

 それから周囲に配慮して誰にも感知できない程度の魔力を使い、人の姿に変化しました。

 アリシアやシルビアやルピナスの眠りを妨げては、さすがにかわいそうですからね。


 さて、最後にこの姿になったのは一体いつだったか、それほどまでに久しぶりの人間のメスの姿を軽く動かします。

 さすがに久しぶりすぎて動かせないなんてこともなく、私の体はいつもどおり自由に動かせました。

 ――それでは、失礼いたします。


 はしたないですが、ご主人様にまたがりじっと寝顔を見つめます。

 至福の時間です。何時間も何日も何年もこうしていられると思います。


 あ、寝返りしましたね。うなされているわけではないので、もう少し見つめることにします。

 瞼がぴくぴくと動き出しました。そしてゆっくりと開いていきます。

 まだ夜中なのにおかしいですね。いつもなら朝までぐっすりと眠るはずなのですが。

 どうやら目を覚まされたようです。


 ご主人様が私を見つめてくださいました。私もご主人様を見つめ続けます。

 なんて、なんてすばらしい時間でしょうか。もういっそ、一生このままでもいいほどに幸福な時間です。

 しかし、なんと凛々しいお顔でしょうか。そんな顔で見つめられると恥ずかしくなってきます。

 頬が熱を帯びていくのがわかります。


 はっ! しまった。

 ご主人様が起きているのに、何も話しかけないなんて大変失礼でした。


「あの……起きてますよね?」


 何を言ってるのでしょうか私は。

 そんなわかりきったことを質問するなんて、どうやらわりと焦っているみたいです。


「起きてるね」


 律儀に返事を返してくれるご主人様好きです。


「すみません。睡眠の邪魔でしたね」


「それは別にいいけど。君は誰? というかまず、君は俺を襲ったりはしないよね?」


 起こしてしまったことを謝罪しましたが、優しいご主人様は特に気にしていないようです。

 しかし、襲ったりしないかとはどういう意図の発言でしょうか。

 も、もしかして誘われているのでしょうか?

 だとしたら私も我慢する必要がなくなるということに……


「えっ、襲ってよかったんですか?」


「いやいやいや、だめだからね。 襲わないでくれると助かる」


 違ったみたいです。

 失敗しました。ご主人様は焦るように返答し、こちらを警戒してしまったみたいです。

 なんとかいつものようにしてもらえないものでしょうか。


「わかりました。襲いません。では、抱きついてもいいですか?」


「いいよ。おいで」


 訂正します。警戒心ありません。

 やはり私がお守りするべきですし、私だけが寵愛いただければいいのです。

 ――まあ、アリシアとルピナスとついでにシルビアは私と同じく寵愛いただいてもいいですけど。


 ご主人様はいつものようにしっかりと抱きしめてくれました。

 ああ、やっぱりこの抱き心地は最高です。


「頭も撫でてください」


「いいよ、ほら」


 私は調子に乗ってこれまたいつものように頭も撫でてもらうことを要求しました。

 ご主人様はあっさりと受け入れてくれて、あたたかい手が優しく私の頭を撫でてくれます。


 なんだ……この姿でも問題ないのですね。

 あとは、これも。


 頭を撫でてもらいながら、顔を近づけてご主人様の頬を舐め回します。

 するとご主人様はとても驚いた表情を浮かべて私から離れてしまいました。

 あ、あれっ……だめでしたか?


「あっ、あの……これはだめですか」


「だめというか……う~ん。そういうのは簡単にしちゃだめだよ」


 そんな……いつもは簡単にしているのに。

 昔の私ならともかく、今の私は毎日ご主人様の頬を舐めないと満足できない体にされてしまったというのに。


「そうですか……やっぱり」


 人の姿では狼の姿より許されることが減ってしまうようですね。

 やはり私はいつもの姿こそが完璧な姿という考えは間違っていなかったようです。

 私は頭を撫でてもらい続けて、ご主人様が再び眠りについてから狼の姿へと戻りました。


 翌朝ご主人様が誰かが成仏できたことを喜んでいるようでしたが、この辺りに霊なんていましたっけ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る