第9話 酒の肴としてご自由にお召し上がりください
「クロエちゃ~ん。おかわりちょうだ~い」
「はいはい、ただいま~」
「クロエ~、こっちもつまみと酒くれ~」
「は~い。待っててくださ~い」
「店員さん。注文お願いします」
「はい、すぐに行きます」
忙しい!
とにかく昼も夜もなく忙しくて手が回らない。
たしかにここはそこそこ大きな都市だし、うちはそんな中でも値段も味も良心的な酒場だ。
だから常連のお客さんも一見のお客さんも、日に何度も出入りする程度には繁盛していた。
だけど、ここ数日で繁盛どころではない。
席なんて一席たりとも空いてない。
どのテーブルの上にも酒瓶と料理の皿が所狭しと並べられている。
うちも人気店になったものだなあと思わず現実逃避してしまう。
「絶対あの噂のせいよね……」
人気店になったと言ったけど、別にうちに限ったことではないのだ。
この都市の飲食店はだいたいどこもこんな感じ。
宿屋は空きがまったくないし、武器に防具に道具屋だって常に品薄。
それもこれも、町のキャパシティを遥かに超える大量の人が一斉にこの町を拠点としたせいだ。
「なにが禁域の森に優しい男がいるよ! そんなの嘘に決まってるでしょ!」
給仕をひととおりこなして、今は皿洗いをしながら客目もないので大声で怒鳴る。
別に誰に対してでもないけど、こうでもしないとやっていられない。
「それだけ男という存在に夢見がちなのさどいつもこいつも。かわいいもんじゃないか」
後ろから、からからと笑う声が聞こえた。
「一騎当千の英雄様や魔導を極めた賢者様、いくつものダンジョンを制覇した一流の冒険者様たちも、結局のところ夢見る乙女だったなんて」
さすがに女将さんはタフなようで、私の愚痴に付き合いながらも仕事をテキパキとこなす。
それでいて疲れた様子ひとつ見せないんだから、この人には敵わないなあ……
「それに、あんたも気になってるんじゃないの? リサたちに森の様子を熱心に聞いてたじゃないか?」
「うっ……それは、少しは興味あるけど」
そりゃあ、私だって年頃の女の子ですから?
物語にしかいないような優しい男なんて、興味がないと言えば嘘になる。
「でも、いまだに本当か嘘か確かめることさえできてないし。そんな噂話なんかより、目の前の仕事で精一杯よ」
「違いない。それじゃあもう少しがんばるとしようか。もうすぐ人手も増えるから、ようやくあんたに休みをやれるよ」
「女将さんもちゃんと休んでよね。女将さんが倒れたらこの店回らないわよ」
皿洗いも終わったし、そろそろ給仕に戻らないと。まったく忙しい。忙しい。
◇
「あれだけ統率されたコボルトの集団は厄介ね」
「これだけいて誰も何の情報もないなんて、やっぱり禁域の森に入るなんて無謀だよ」
「でも一人も死んでいないんでしょ? それどころか致命的な大怪我さえしてないなんておかしいわよ」
「森の奥に入ったことあるかしら? 生きた心地がしないとはあのことよ。心が弱い人にはおすすめできないわね」
お酒が入っても真面目に森の攻略を考えて、情報を交わし合う人たち。
「森にいる男の人ってどんな見た目なのかな? やっぱりかっこいいのかな? 髪の色は金? 茶色? 身長は? 体重は?」
「やっぱり金髪なんじゃない? ほら、噂の聖女様だって金色の髪でしょ。女神様がこの世界に招いたっていうなら、女神様が選んだ聖女様と共通点があると思うよ」
「優しいってどれぐらい優しいんだろう。毎日話しても怒らないのかな?」
「手をつないだり、抱きしめたりは?」
「バカね。そんなことできるはずないでしょ」
お酒の勢いからか人目をはばからず、あけすけに欲望を交えた会話を楽しむ人たち。
「そ、そんな。人前でなんて。は、はい。あなたが望むのなら……」
「あ~やわらか~い。これが男の唇なのね~」
「さあ今日もお部屋から一歩も出ないようにしましょうね~。外はこわ~いお姉さんたちでいっぱいなんですよ~。あなたは死ぬまで私以外と話しちゃだめですからね~」
「もっと、もっと強く抱きしめて!」
完全にお酒に飲まれて、夢の世界というか妄想の世界に旅だった人たち。
誰も彼も男の話題で持ちきりだ。
なんだか私たちみたいなふつうの女の子と変わらないような話題ばかり。これ、ほんとに各地の有名人なのかしらね。というか一人やばいのいなかった?
テーブルの上に突っ伏すように、あるいは椅子の背もたれいっぱいに倒れて天を仰ぐように、泥酔していく人たちが増えてきた。最近ではこれがピーク時間の終わりの合図だ。
酔い潰れて給仕が必要なくなるまで、私たちは働き続けなくてはいけない。
お客さんも女将さんも別にいくらでも待つから急がなくていいとは言うけど、こっちもお金もらってるわけだしね。
働きますよそりゃあ。愚痴はこぼすけどね。
「明日から新しい人来るって言ってたし。ようやく忙しい日々ともお別れできそうね」
「ほう、それは何よりだね」
「うわっ!」
びっくりした。椅子に座って俯いたまま動かないから、てっきりこの人も酔い潰れたのかと思ってた。
「なんだまだ起きてたのかプリシラ」
隣の卓のジャニスさんから声をかけられる。
「自分の許容量も理解できない愚か者と一緒にしないでくれ。少々考え事をしていただけさ」
「考え事? っと、話しにくいな。こっちの席にこいよ。クロエももう休憩できんだろ。こっちで話そうぜ」
「やれやれ、強引だね君は」
ジャニスさんの誘いに呆れながらも、プリシラさんは拒むことなくあちらのテーブルへ移る。
私も周囲を見渡してから、給仕は不要かなと判断して遅めの休憩時間をもらうことにした。
「それで、何を話したいんだい?」
「どうせお前のことだから、例の噂の検証でもしてたんだろ? お前はどう考えてるのか教えてくれよ」
それは私も気になる。賢者とか大魔女と呼ばれるプリシラほどの頭脳なら、この嘘くさい噂の真偽に終止符を打ってくれるに違いない。
「検証? そんなもの必要ないさ。禁域の森に男がいる。それは絶対さ」
「驚いたわね。あなたがそこまで断言するなんて」
「いつもならくだらないの一言で終わるのに」
私もリサさんとシーラさんと同じ考えだった。プリシラさんがこんなくだらない噂なんて信じるなんてありえない。
ということは、噂ではない確証があるってこと?
「私のところにも現れたのさ。妖精が」
「妖精って男がいるって言い回ってるルピナスって妖精のことか!?」
驚いた。
妖精なんて伝承でしか聞いたことがないのに、プリシラさんもジャニスさんも妖精を見たんだ。
しかも、その妖精が男がいると言っていた? なるほど、どおりでこんな眉唾物の噂にこぞって飛びつくはずだ。
「名前は今知ったけどね。だが、妖精が禁域の森に男がいると言ったんだ。ならば疑うだけ時間の無駄さ」
プリシラさんは、そうはっきりと断言した。
「もっとも、そこらで酔い潰れてる連中が妄想するような人物かはわからないけどね」
「だよなあ。私も絶対森の奥には男がいると思うんだよ。だけどあの森は本当にやばいぞ」
「そのようだね。私では無理、そして君らだけでも無理」
「手を組もうってこと?」
「いいや、それでもまだ足りない。それほどの場所なのさあそこは」
「たしかに……一歩踏み入れただけで森の主が恐ろしくて逃げたくなった」
うへぇ、やっぱり大変な場所なんだなあ。
私みたいな戦う手段なんてない酒場の小娘程度には縁がない話だ。
だけど、話を聞く分には面白いし話の種として聞いておこう。
「森の主は魔王と勇者が手を組んでかかっても勝てないなんて言われることもあるね。何を馬鹿なと思ったものだが、なかなかどうして本質を突いた話じゃないか」
「ここにいる全員が組んでも無理か?」
「それこそ馬鹿な話だよ。酒場で大騒ぎして酔い潰れる連中を誰が統率できるんだい?」
「無理ね」
私も無理だと思う。きちんと訓練した兵士じゃないのに、ただでさえ個性の強い全員が統率された動きなんて……
うん、想像つかないわ。
「だからこうして互いの利益になりそうな情報を交換するのが、今の最善の手というわけさ」
「まどろっこしいなあ……」
協力か~、協力。
「あれっ?」
ふとした疑問に思わず声を出してしまうと、四人は私の方を見ていた。
「なにか気づいたことでもあるのかい?」
「い、いえ。大したことじゃないので」
「それは私が決める。君の一言で物事が前に進む可能性もある。ぜひ意見をお願いしたいね」
「そ、それじゃあ。最初に禁域の森に入った聖女様ってどうなったんでしょうか?」
私の疑問にプリシラさんは視線を落として考え始める。
「たしかに気になるね。死んだ? あの聖女が? たしかに森の主の前ではいかに聖女といえどもうすることもできないだろう。それほどの力の差があるはずだ。森の主にとっては聖女だろうが乳幼児だろうが仕留める労力に大して変わりはない。ならば死んだと見るのが妥当なのだが、いかんせんあの聖女が簡単に死ぬものかね。そもそも守りと治癒のスペシャリストだ。倒すことよりも生き延びることこそ彼女の最も得意としていることじゃないか」
あ、まずい。なんか早口で熟考モードに入ってしまった。
「おい、プリシラ!」
ジャニスさんの一括でプリシラさんは、なんとか意識をこちらに向けてくれた。少し迷惑そうな表情だけど、あのまま固まられると困るので我慢してもらおう。
「まったく少しは考えさせてくれないか」
「そういう本格的な考察は部屋に戻ってからでいいだろ。今は情報の断片だけ仕入れておいて、あとの楽しみとして取っておけ」
「まったく、君は考えなしなわりには核心をつくな。たしかにその方が効率的だよ」
聖銀の杭のみなさんとプリシラさんは長い付き合いだから、互いのことはよくわかってるみたいだ。
とにかくジャニスさんのおかげでプリシラさんは私の問いへ回答した。
「聖女は簡単には死なない。森の主に見つかっても逃げおおせる実力はあると思う。であればいまだ帰還しないのは、森の中で噂の相手を探し続けているか。あるいは噂の相手をすでに発見して、共に暮らしているか」
「聖女様ってそんなにすごい方だったのね」
「すごい……には違いないが、森の主の前ではそのすごさがどれほど役に立つかわからないがね。妖精の証言に女神からの信託。男がいるのは間違いないと見ていいだろう。どうやら久方ぶりに女神様は男を連れてきてくださったといったところかな?」
「最近教会の扉を叩く人が増えてる」
男の人をこの世界に呼んだことへの感謝か、あるいはもっと呼んでくれという催促なのか、どちらにせよ現金なものだなあ。
「教会が力をつけると厄介なことになりそうなんだけどねえ……」
結局この場では進展は見込めず、ぼちぼちとまともなお客さんたちが自らの足で帰り出したので、私は酔い潰れてる人たちを起こしたり水を飲ませるために仕事に戻ることになった。
「厄介なことにならないといいなあ……」
プリシラさんの呟きがやけに気になりながら、私は仕事に励んだ。
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