第8話 都市伝説はじめました

「ねえやめましょうよ」


「なんだよもう怖気付いたのか」


「森の入り口を少し見るだけの約束だった。これ以上は本当に死ぬ」


 リサはジャニスの口車に乗ったことを早くも後悔していた。

 せっかく禁域の森に行くのは噂が真実とわかるまでと決めたのに、森の入り口付近だけだからと押し切られてしまったのだ。

 ものすごい不服そうな顔を見せるシーラも連れて禁域の森まできてしまったのは、自分も本当はうっすらと期待してしまっているんだろうなと苦笑した。


「もう帰ろう。入り口だけで普段潜っているダンジョンの深層並みの魔獣に遭遇している。森の端に追いやられてるのにこの強さ。奥に進んだら本当に太刀打ちできなくなる」


 シーラの言うことはもっともだ。引き時ねとリサは呟くもジャニスはまだ不服そうにしている。


「ここでもめてたら本当に魔獣の餌になるだけよ? まずは街に戻りましょう。話し合いも安全な場所ですればいいじゃない」


「そんなことしたらお前らもうこの森こねえだろ。もうちょっと、もうちょっとだけ進んでみようぜ。やばいのが出たらすぐに逃げるからよ」


 もう、言い出したら聞かないんだから。

 こうなったジャニスを説得するのは容易ではないと、ますます気が滅入る。


「喧嘩中です?」


 そう、このまま喧嘩になったら面倒……


「よ、妖精!」


 シーラが叫ぶなんて珍しいことが起きているが、目の前にいるのはそれ以上に珍しい存在だった。国王や英雄や聖女ならともかく、私たちのような冒険者では一生に数度出会うかどうかなのだから。


「ルピナスはルピナスです」


「そ、そう。はじめましてルピナス。私はリサ。こっちがジャニスでこっちがシーラよ」


「はじめましてです」


 幸いなことに妖精はみな友好的だ。それに出会った人間に有益な何かをくれるということで有名なのだ。

 それは魔法の武器や防具であったり、効果が他より遥かにすぐれる薬であったり、有益な情報だったりと与えられるものは様々だ。


 私たちはこの妖精になにかもらえるかもしれないと、思わず期待してしまう。


「あっ、そうです。森の中にも人間さんいるです。男の人です」


 思いがけない情報に私たちは呆然とし顔を見合わせる。

 もう一度今の言葉を確かめようと妖精の方を向くと、そこには妖精の姿はなく魔力の残滓が残って鱗粉のように輝いているだけだった。


「お、おい! やっぱりいるんじゃねえか男が!」


「私もそう聞こえた」


「うそでしょ。いや、妖精が与えた情報ならうそではないんだけど……信じるのに時間がかかるというか」


 聞き間違いではないか、本当に妖精だったのか、都合の良い解釈をしていないか、様々な否定材料を思い浮かべるも結局辿り着く答えは一つ。

 この森には男がいる。

 その結論に至りリサは本格的に禁域の森に侵入するために、一度町へと帰還した。


    ◇


「あっ、人間さん。禁域の森に男の人間さんいるです」


「はあっ!? ほんとに……ってもういない!」


「もふもふさ~ん。禁域の森に男の人間さんいるですよ~」


「えっ、妖精? 人間のオス!?」


「魔女さ~ん。禁域の森に男の人間さんいるです」


「ほう、それはそれは。有意義な情報提供感謝するよ」


    ◇


「どうなってるのよ! 教会どころか各国のあらゆる場所が、禁域の森の噂で持ちきりじゃないの!」


「私どもにも何が何だか。妖精を見たと言う者もいれば、人間の男を見たと言う者もいますし、教会の人間でもないのに神を見たと言い出す者まで現れる始末でして」


「まずい、まずいわよ。こちらが調査する前にこんな騒ぎになるなんて……冒険者ギルドへの依頼はまだできていないんでしょう?」


「ええ、ですがこの状況では依頼するべきではありませんね」


「わかってるわよ。私たちが今禁域の森の調査依頼なんてしたら、いよいよ噂が真実だと断定する者が現れてもおかしくないわ。教会がここぞとばかりに女神が奇跡で召喚した男なんて吹聴してるんですもの、もしも噂が真実なら民が女神を信仰してしまい教会が力をつけてしまう」


「ですが、もはや噂を抑えることなどできません」


「そうね。なら殺しなさい」


「は?」


「噂が真実だと言うのなら、男がいるんでしょ? 殺してなかったことになさい。それで教会の権威は二度と取り戻せないほど失墜するわ」


「男を……殺すのですか?」


「ええ、国で管理できてない男なんて邪魔なの。それとももったいないとでも言うつもり?」


「いいえ……承知いたしました。すぐに兵を禁域の森に派遣いたします。ルメイ第二王女様……」


    ◇


「だあぁっ! 多すぎんだろ!」


 ジャニスが大剣を振り回しながら叫んだ。

 でもその気持ちはよくわかる。休みなしでもう一時間は戦っているのに、コボルトの集団はまったく減らない。

 というか復活している。

 私たちの攻撃で何度か倒してるはずだけど、倒れたコボルトは仲間に後方にへと運ばれている。

 そして、控えていたコボルトクレリックの治癒魔法で前線へと復帰する。その繰り返し。


 シーラの魔法で集団ごと攻撃しても、別の集団が現れてそれに手こずってるうちに、先の集団まで復活するのだからどうしようもない。

 入念に準備をしてきたはずだけど、魔力回復薬が早くも尽きそうだとシーラが焦り伝えてきた。


「撤退するべき」


「逃がしてくれるとは思わねえけどそれしかねえな!」


「シーラ、爆破魔法。威力より範囲と撹乱優先」


 その言葉だけでシーラには伝わる。

 シーラが魔法を発現させると、コボルトたちは爆発に巻き込まれる。

 派手な爆発によって一時的に視界を奪われ、爆発に香り袋を混ぜたことで嗅覚も麻痺させてくれた。


 私たちはすぐに森の入り口目指してコボルトたちから逃げだす。

 だけど、コボルトたちの視界も嗅覚もすぐに回復してしまうだろう。そして、連中が追いかける速度は私たちが逃げるよりも速いはずだ。

 最悪の場合は私が囮になってでも二人をに逃がそう……


 そんな決意を固めるも、いつまでたってもこちらを追いかける気配がない。

 逃げながらも後方を確認すると、コボルトたちは立ち止まってこちらを見ているだけだった。


「どうして追ってこないの……?」


 こちらにとって都合は良いけど、魔獣の不可解な行動がどこか不気味だった。

 それにこの森そのものが不気味すぎる。入り口じゃ気づかなかったけど、森の中に入ってからというもの、私たちよりもはるかに強い何かにこちらの存在が知覚されているような気がする。

 私たちなんかいつでも殺せるというような恐ろしい何かに。


「無理ね」


「無理だな」


「無理」


 馴染みの酒場のテーブルに三人揃ってうなだれる。

 私たちが出した結論は見事に一致した。


「前回までは所詮は森の中ですらない入り口だったからね。森に入っただけであれほどの魔獣に襲われるとは思わなかったわ」


「魔獣以前に、あんな魔獣とは比べ物にならないほど恐ろしい何かの巣にいるような嫌な気分になった」


「ありゃバケモンだな。その気になればいつでも俺たちを殺せたはずだ。たまにコボルトどもの動きが鈍ってたが、そのバケモンが動いたからあいつらもびびっちまったんだろうよ」


「あの気配が禁域の森の主なのかもしれないわね。森の奥にさえ行かなければと思ったけど、森すべてが主の領域みたい。誰も立ち寄れないはずだわ……」


 私以外も感じていた嫌な気配。

 あんなのがいる森でまともに行動できる気がしなかった。


「聖女様とやらもあの森に入っちまったんだろ? もうとっくに死んでんじゃねえのか?」


「そういうことは言わないの。変なこと言ってたら教会の人たちと敵対するでしょ」


「ジャニスはデリカシーがない」


 でも、ジャニスが言うことも正しい。あんな森で一日だって生きていけるはずがない。

 あるいは聖女様ともあれば、あの森の魔獣たちも歯牙にもかけないほどなのかしら?


「聞いた? 聖銀の杭でも無理みたいだよ。やっぱり禁域の森なんて入るべきじゃないよ」


「でも男がいるかどうかだけでも知りたいし……」


「妖精が言うなら本当なんじゃないの?」


「いやいや、本当に禁域の森なんかにいるならとっくに死んじゃってるんじゃない?」


「でも死んでるなら妖精だって男がいるなんて言わないでしょ」


「生きてるってこと?」


「わかんないよ。生きてるか死んでるか。いるかいないかすらわからない」


 私たちの話を聞いていたらしい周りの冒険者たちも、各々噂話を続ける。


「よし決めた!」


 ぼんやりと周囲の言葉を聞いていた私だったが、目の前から突然聞こえた大声に意識を戻される。


「決めたって何を?」


「鍛えるんだよ。あの森に挑戦できるようになるまでな。そうだな……まずは攻略中だったダンジョンをとっとと終わらせるぞ。あんなダンジョンも踏破できないようなら、あの森に挑むことなんてできないだろ」


 いつも直進しかしない彼女にしては、珍しく遠回りを選んでいる。きっとそれほどあの森の恐ろしさを実感しているのだろう。


「そうね。まずはあの森に挑めるだけの力をつけましょう。シーラもそれでいい?」


「ん、強くなって装備整えてからまた挑もう」


 誰も諦めようと言わないあたり、私たちはまだまだ妖精の言葉を信じてしまってるんだなと自嘲するように笑った。

 まずは森の主の気配に耐えられるだけの精神力が必要になるわね。


    ◇


「よーしよし」


 俺は腕の中でじゃれつくソラを堪能していた。

 相変わらず柔らかくて気持ちいいなこいつの感触は。ほおをすり寄せられ舐められるのにも、もうすっかり慣れてしまった。

 ソラに抱きつきそのもふもふ具合を堪能すると、うつらうつらと眠気が押し寄せてくる。

 ルピナスが立派なベッドを用意してくれたけど、俺は今でもベッドを使いながらもソラに抱きついて寝ていた。それほどまでに気持ちがいいのだ。こいつの抱き心地は。

 だから、こうして昼間といえどソラに抱きつき眠ってしまうのは仕方がないことで……


「なんじゃまた寝ておる。主様はよく寝るのう。うっ、わかっておる。神狼様の邪魔はせん。まったく、独占欲の強いお方じゃ……」


「そういえば神狼様。また森に人が入ったんですよね?」


『ええ、入り口でしばらく戦って逃げていきましたけどね。ご主人様の望みどおり、一人も死なずに撤退したようです』


「私たちの都合のせいで禁域の森に人が集まり、命を失うのは心苦しいですからね」


「自分で決めて挑んでおるのじゃから、自己責任と思うのじゃがのう」


『あなたには優しいご主人様のお心が理解できないでしょうね。まあ、森の生き物の中で知性のある者たちには侵入者は殺さず追い返せと命令したので問題ありません』


「うっ……なんじゃその主様の良さは自分だけが知っておるような言い方は」


「はいは~い。ルピナスも人間さん優しいの知ってるです。この前はいっしょに遊びに行ってくれたです」


「わ、私だってアキト様がお優しいことは知っていますよ? 私より弱いのにいつだってさりげなくこちらの身を守るように一緒に歩いてくれていることを知っています」


『じゃあそこのトカゲだけが仲間はずれですね』


「妾これでも竜の女王なんじゃがなあ……」


黄昏るシルビアはそれでもどこか楽しそうだった。

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