第5話 遠い昔の順位付け
「女王様、本当にあの場所に行くのですか」
「無論、我ら竜族こそがこの世の支配者だと教えねばならん。禁域の森などと大仰な名前をつけおって、所詮竜がいない中で低次元な争いをする愚か者どもであろう」
そう言って部下に大口を叩いて彼の地へと向かった妾は順調であった。大鬼や巨猪など妾の相手にもならず、面倒な妖精どもも翼の一振りで落ちてゆく。
やはりこの程度かと森の奥に進んだその時、妾の前に死が現れた。
「な、何者じゃ貴様は」
『ここは私の森です。あなたこそ何者ですか』
強者の威厳ある言葉とは違う、やけに丁寧な口調がむしろ恐ろしかった。
「妾は古竜の女王のシルビア。喜ぶがいい、この森は今日から妾が支配してくれよう」
『そうですか。それじゃあ死になさい』
なんじゃこいつ! 丁寧な口調とは裏腹に隙あらば敵を殺すことしか考えておらん!
もっとこう、舌戦みたいなものがあるじゃろ普通。
あっ、無理。これ死ぬ。かろうじて目で追えるほどの速度で小柄な神狼が迫ってくる。
じゃが、小柄だからと馬鹿にできぬ。あの体躯はいとも簡単に妾の身体を食い破れる。
「ま、待て! いや、待ってください!」
『なんですか?』
声をあげるのが間に合ってよかった。
そうでなくては間違いなくあのまま妾を食い破って何事もなかったかのように去っていったのであろう。
こやつは化け物じゃ。妾じゃ太刀打ちできぬ力もじゃが、敵と見るや即殺そうとする思考が恐ろしい。
恐らく殺した後は見向きもしないのじゃろう。
「あなたの部下になりますのでどうか命だけは助けてください」
『部下など必要としていません。逃げたければ好きになさい』
よかった。助かった。
その考えだけで頭の中はいっぱいになり、屈辱だなんて考えすら浮かばなかった。
『ですが、勝手に侵入した罰は与えます』
「え? 痛ったああぁ!!」
尻尾を噛みちぎられた。
情けない話じゃがそうまでされても妾は、尻尾だけですんでよかったとしか思えなかった。
帰ろう。ここは手出ししてはならぬ場所であった。
いや、待て。帰ってどうするつもりじゃ?
あれだけ大口叩いて出て行った以上、間違いなく結果を尋ねられるじゃろう。
命乞いして尻尾を犠牲に逃げ帰りましたと言うのか?
その瞬間から妾はこれまでの地位を全て失い嘲笑の的となるじゃろう。身の程知らずの愚かな元女王と。
そうなっては最悪じゃ。
部下からの求心力を失うのはまだいい。再び力を示せば取り戻せる。
しかし、侍らせているオスどもは話が変わってくる。あやつらは今ですら妾がメスというだけで見下し、まるで小間使いに命じるように好き放題している。
しかも会話はその命令の時だけ。これではどちらが侍らせているかわかったものではない。
そんなオスどもが妾の無様な噂を聞いたらどうなる? もはや女王と認めぬじゃろう。
よし、妾は行方不明となろう。
そうすればきっと部下たちは禁域の森に勇敢に挑み帰らぬ者となったとか都合よく解釈してくれるじゃろう。
しかし、行方不明となるからには見つかってはならぬ。部下たちに見つからない場所……
どこにいても見つかってしまうではないか! 竜族の威を誇示するために支配地を広げすぎたのが、ここにきて裏目に出てしまう。優秀な妾が憎い。
いや、一つだけ部下が絶対に立ち寄らぬ場所があった。
「あの~、妾もこの森に住んでもよろしいでしょうか?」
あの恐ろしい神狼はこちらを一瞥だけして言った。
『好きになさい。また挑みたければそれもご自由に。ただし次は尻尾ではなく首を噛みちぎります』
怖っ! なんじゃあいつ!
◇
あの恐ろしい出会いから数百年。妾はこの森でそれなりに楽しんで生きている。
力こそ絶対という唯一のルールが妾になんともあっておる。あの化け物を除けば妾の方が強いからの。あれに気をつけさえすれば以前の生活と何ら変わらぬ生活じゃ。
ただ……オスが恋しいのう……
あんなひどいオスどもではあったが、妾もメスゆえ本能には抗えぬ。声を聞きたい。姿を見たい。匂いを嗅ぎたい。
いかん、一度意識すると禁断症状のようにオスを欲してしまう。最強の種である竜だからこそ、次代に命を繋ぐためにその本能は抗いがたい。
オス……とんと見ておらん……どこかに、むっ?
これはオスの匂いではないか?
間違いない。もう随分嗅いでおらんがオスの匂いがする。
妾はこんな森の中にいるオスという不可思議な存在に疑問を感じることもなく、オスのいる場所目掛けて飛翔した。
◇
あの洞窟か。
もうその洞窟の中にいるオスのことしか考えられん。久方ぶりのオスの強烈な匂いに酩酊したかのように妾は進んだ。
『……まり…………い』
なにか聞こえた気がするが、今の妾を止めることなど誰にもできぬ。
小さな生き物がいた気がするが、そんなものにかまってられぬ。
『止まりなさいと私が言っているのですが?』
「あ、はい」
止めることができる者いました……
『私を無視するなんて随分偉くなったものですね。愚かなトカゲ風情が』
「いえ、妾は竜でして……」
『トカゲです』
「はい、妾は愚かなトカゲです……」
『それで、なんのつもりですか? 今まで私から隠れてきたくせに、よりによって私のご主人様に近づこうとするなんて』
あ、やばい。すごい怒ってる。妾が調子に乗った時より怒ってる。
土下座しよう。
「いえ、あなた様のご主人様とは知らなくてですね」
無言で睨まれる。もう嫌だ怖い。とにかく謝ろう。
「はい、数百年ぶりのオスがいたので調子に乗っていました」
そんな平伏した姿勢でいるというのに、オスが現れてしまった。
まずい! こんな威厳のかけらもない姿では印象が悪すぎる。なんとかいつもの妾らしく威厳溢れる姿を見せねば。
「貴様がこの森に現れたオスか。妾は古竜のシルビアじゃ。喜ぶがいい貴様を妾の」
痛ったああぁぁ!? なに!? あ、はい。妾のせいですね。
首じゃなくてよかったあ……
神狼様の主様にすぐに謝罪すると、主様は無言でこちらを見ていた。
そうですよね。こんな威厳のない竜なんて見下して当然ですよね。
「すげえ……かっこいい」
えっ、このオス良い人なんじゃが……
そう。妾は偉大な種族である竜の女王。それに恥じぬよう常に強者たる行動をとってきた。
それなのに妾の所有するオスどもはついぞ妾を評価することなぞなかった。
かっこいいとずっと言われたかった。
その言葉を聞いた妾は思わず興奮気味に主様に迫った。
が、やはり神狼様に噛みつかれてしまう。
そんな神狼様も主様の前では大人しく言うことを聞くしかないらしく、妾の尻尾は千切られずにすんだ。
じゃが羨ましいのう。主様の腕の中であんなに優しく撫で回してもらっておる。
あの恐ろしい神狼様があんなに甘えるなんて、主様はすごい方じゃ。
というか、妾の知っておるオスどもと違いすぎる。
神狼様といえどメスじゃぞ? 妾の知るオスどもであれば、触れることなんて滅多にない。あんな風に優しく撫でるなぞあり得ぬ。
その疑問もすぐに解決した。なんと主様はこことは異なる世界より招かれた存在らしい。どおりでメスに対しての忌避感を感じぬはずじゃ。
しかし、そうなると主様は世界に一人しかおらぬメスに優しいオスなのではないか?
なんという希少な存在じゃ。どんな宝よりも価値があるお方ではないか。
くぅっ……神狼様の主様でなければ、妾の主様になってくれていたかもしれぬというのに。
悶々と考えておるとこの森には珍しい人間のメスが主様を除いた三人で相談したいと主様から距離を取った。
この娘も規格外じゃな。妾でも勝てるかどうかわからぬ。人の身でありながらそれほどの力を持つとは……
それに主様に余計な情報を与えぬ方針をすぐに提案するあたり頭も悪くない。
『ええ、私もそれがいいと思います。主様に余計な価値観を与えるべきではありません』
この恐ろしい神狼様に物怖じせず意見を言える強さも持ち合わせておる。
「神狼様も賛同いただけていますし、ここは私たちで手を組みませんか? 神狼様が一番上で次に私、三番目にシルビアさんの序列でアキト様に寵愛をいただく同盟です。三人でアキト様を余計な相手からお守りいたしましょう」
『むっ……まあ仕方ありませんね。私が一番だというのなら認めてあげましょう。同じ種族であるあなたが必要なことは多いでしょうからね』
あっ、この娘良い子じゃ。
どさくさに紛れて主様を神狼様だけじゃなく自分と、それにさっき会ったばかりの妾まで寵愛の対象に入れてくれておる。
三番目ということに多少不満げな声をあげるが、それが妾の虚勢だということはきっと神狼様どころか、この娘も見破っておるんじゃろうな。
この娘には借りができてしまった。いつか返さねばならんな……
◇
「教会が権威を取り戻すためのでたらめではなくて?」
「その可能性が高いと思います。しかし、教会の最高戦力である聖女が今もまだ戻らないというのが気にかかります」
「それなら聖女がいない今のうちに教会を支配下におくというのは……無理ね。本当に聖女がいないのかもわかっていない」
「我々も禁域の森を調査いたしましょうか?」
「そんなことにこちらの戦力を割くのは愚かね。まずは今も楽しげにその噂で盛り上がっている冒険者ギルドを使いましょう」
「はい。ではそのように」
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