第3話 鰯の頭の信仰者
「それは本当でしょうか?聖女アリシア」
「はい。たしかに女神さまから神託を受けました。この世界に男の人が現れたと」
私の言葉に教会に集まった聖職者や信者がざわめきます。
それも無理はありません。神託を直接受けた私だって女神さまを疑うほどですから。
この世界では町に一人いるかどうかという希少な存在。どの男性も国が厳重に保護していて、時には戦争の原因にさえなるほどです。
それなのに急に誰も認知していない男性が、言い方は悪いのですがフリーの男性が現れたのです。真偽はともかく騒いでしまうのも仕方がありません。
「ですが……禁域の森の奥地なんですよね」
そう、それが問題なのです。
これがその辺の町や森、なんなら竜の巣ぐらいなら、いくらでも探索の志願者も出たことでしょう。ですが、禁域の森となると尻込みするのも無理はありません。
様々な種族が住まうあの森ですが、たった一つのルールがあります。弱肉強食というとてもシンプルなルールが。
弱い者から死んでいくあの森は、今では独自の進化を遂げた生き物で溢れかえっていて、外部から立ち入るものはいません。
国の英雄だろうと竜の王だろうと等しく獲物扱いするあの森に立ち入ることはもはや自殺と変わらないからです。
女神様の話では今は神狼のハティが森の王として君臨しているそうですが、我々にはそれを確かめる術すらないのです。真偽不明の男の人の情報のためにそんな森に足を踏み入れる。
誰もが諦めの表情を浮かべました。
「私が確かめに行きます」
ですから、女神さまより直接神託を賜った私が行くべきでしょう。
「しかし、聖女アリシア……」
何か言い淀む神官長。言いたいことはわかります。女神さまの神託を疑っているのでしょう。
でも、他ならぬ神官長が女神を疑うなど言い出せない。だから私を止めることができないことが歯痒いのでしょう。
「大丈夫です。これでも聖女ですから」
事実私はこの場の誰よりも、それどころか国一番の強者とだって戦えるほどには強さには自信があります。女神さまからの加護は伊達ではないのです。
「でも、女神さまを信じていいのでしょうか……」
信者の一人が呟くと、周りもその言葉に賛同し再びざわめきました。
「女神さまはもう力を失われている」
「女神さまが信用を無くしたせいで、教会の権威だって地に落ちた」
「男性をこの世界に呼び出す奇跡なんて、今の女神さまに起こせるはずがない」
「信仰を集めるための虚偽ではないのか?」
この世界の男性は女神さまからの祝福により誕生しているという教えでした。
初めは皆女神さまへ感謝して、教会も国に匹敵する権力と信仰を持っていました。
しかし、その男性の誕生頻度がどんどん落ちていくことで、その責任は女神さまにあると敵視されるようになったのです。
信者の方たちは、今や女神さまではなく教会への恩や義理だけで集まっているので、このよう女神さまへの不満が溢れ出すことも少なくはありません。
「やはり、私が行くべきですね」
私なら禁域の森でも何日か生き延びることができるはずです。その何日かでなんとか女神さまの神託の真偽を確かめればいいのです。
私の意思の固さを察したのか、教会に集まった方たちは無理しないでくださいと不安そうに私を送り出してくれました。
「もし私が戻らなかったとしても、誰も禁域の森に近づかないでくださいね」
遺言となるかもしれない言葉を残して、私は教会を後にしました。
◇
禁域の森に入った瞬間寒気が止まらなくなりました。
近くにはいないけど、この森の支配者はたしかに私の侵入を知覚しているようです。すぐに襲いかからないことから、まだ様子見している。見逃してもらっているというところでしょうか。
今のうちに目的を果たさないといけません。
私はなるべく他の生物から身を隠すようにして、森の奥目指して歩き続けました。
途中で運悪く遭遇した巨大な蜘蛛やトカゲは、不幸中の幸いで私より弱かったため、なんとか撃破しました。
それも女神さまの加護による生命力強化により、常人からかけ離れた肉体の強さと回復能力あってこそですが。
奥に進めば進むほど死の気配が強くなります。きっと私は森の支配者の神狼様に近づいてしまっているのです。
あちらの気分一つで生かしてもらっているだけなので、今この瞬間に命を失ってもなんらおかしくありません。
だというのに、この場から逃げ出さないのは女神さまへの信仰があるからというわけではありません。
私にもなんとなくわかるのです。女神さまの神託が本当だったと。この先にたしかに男性がいるということが。
死の気配はもう目の前にあります。私はそれでも男性を探して森を進み、ついにその場にたどり着きました。
私がそこで見たものは、私程度一瞬で殺せるほどの強者である神狼様。そしてそのすぐそばにいる男性。
ああよかった。女神さまの神託は正しかったのです。神狼様は私に襲いかかってきましたが、私に悔いはありません。
「ソラだめだ!」
しかし、私にその牙が届く直前で男性が神狼様を止めてくださいました。
神狼様は素直に男性の言うことを聞いているので、おそらくこの男性こそが森の頂点に君臨する方のようです。
「どうしたんだよソラ。あの人がなんかしたのか?」
男性が神狼様が警戒していることを不思議そうにしているので私はついそれに答えてしまいました。
「い、いえ。ソラ様が警戒するのも無理はありません」
すると当然ですが私なんかに名前を呼ばれた神狼様はこちらを睨み威嚇しました。男性がいなければ間違いなく私の命はなかったでしょう。
「あっ、す、すみません! 勝手に名前を呼んでしまって!」
神狼様は男性に身体中を撫で回してもらっています。
なんて……羨ましい。こんなに無防備に女性に触れる男性なんて見たことありません。
私が知る数少ない男性は不快感から女性に触れることなんてありえないはずです。あんなふうに優しく撫でてくれる男性なんて見たことがありません。
「あの? 大丈夫ですか?」
男性はなんと私に優しく声をかけてくださいました。これまでお会いした男性と違って、私を気にかけてくれていることがわかります。
それに敬語。私なんかに敬語を使ってくれるなんて、なんと礼儀正しいお方でしょうか。
もしかして、私はこの方のお眼鏡にかなったのではないでしょうか。
「は、はいっ!! 大丈夫です! 私にもしてくれるんでしょうか!?」
思わずそんな本音が出てしまいましたが、そんな私を男性と神狼様は呆れた様子で見ています。
ああ、なんて恥ずかしい思い違いを。
すぐに謝罪をしたら許していただけるだけでなく、こちらを気遣う言葉までかけていただきました。
本当にこんな誠実な男性が存在するなんて、もしかして私は禁域の森の幻覚魔法を使う魔物にすでに襲われているのでしょうか。
そう襲われて……ああ目の前の人になら
「襲われたい……」
い、いけません。つい変な考えが頭に浮かびました。それよりこの人が訪ねてくれたことに答えなくては。
どうやらこの方はこの場所から離れて町に行きたいそうです。
「だ、だめです!」
いえ、本当に勘弁してください。
あなたのような無防備な男性が人の多い場所に行くなんて、何をされるかわかったものではありません。
それなら、神狼様に守ってもらえるこの森の方が全然ましというものです。
「町なんかに行ったら何されるかわからないですよ!? ここのほうが安全なんで下手に動いたらだめなんです!」
この方はあまりにも警戒心がありません。かと思えば、今度は私自身が安全か尋ねられました。
いい傾向ですが、私まで疑われるのはよろしくありませんね。
思わず全力で無害であることをアピールしました。
すると彼はしばらく青ざめながら何か考えていましたが、結局ここを出ると言いだすではありませんか。
空腹ですか? それなら私が食事を用意いたします。とにかくここから出すのはまずいです。
神狼様の獲物をいただき調理をすると、男性も神狼様も満足そうに召し上がってくださいました。
男性に料理を食べてもらえるなんて昨日の私に言ってもきっと信じられないでしょう。これも女神様のお導きなのでしょうか。
お二方は私の料理を残さず食べると、残りの肉を運べないかお困りのようだったので、私がお手伝いさせていただきました。
でしゃばりすぎたかと思いましたが、拠点まで運んでほしいと頼まれました。
えっ、そんな拠点までついていってもいいんですか?
神狼様は嫌そうにしていますが、男の人の意見は絶対らしく静かにこちらを見ています。
ど、どうしましょう。まさかそこまで無防備な方とは思いませんでした。私がこれからこの方と同じ場所で生活する? し、刺激が強すぎて鼻から血が出てきました。
ですが決めました。これからは私もこの森に住み神狼様と一緒にお守りしなければ。別に下心とかではありません。
女神様だって男性を守るのは良い行いとお思いのはずです。決意を新たに私は彼に案内されながら新居へと向かうことにしました。
◇
「聖女様戻られませんね……」
「やはりもう……」
「やめてください! 変なこと言うのは!」
アリシアが禁域の森に向かってから数日が経過し、教会に集まった信者たちは未だ戻らぬアリシアに最悪の事態を想像していた。
「アリシアは無事です。もしもアリシアに不慮の事故が起こったなら次代の聖女が女神様に選出されるはず。ですが、いまだに新たな聖女が選ばれていないのであれば、アリシアが健在ということです」
神官長は信者にアリシアの無事を伝えるも、その言葉を発している自身すらアリシアの生存には半信半疑だった。
「ですが、次代の聖女が選ばれるのに十年かかったこともあるじゃないですか!」
そう、次代の聖女は選ばれるまでにラグがあるのだ。
それを当然知っているからこそ、現時点でのアリシアの安否など誰にもわからない。それこそ女神以外には。
しかし、女神と話すことなど誰にもできない以上は、こうして無事を祈ることしかできなかった。
そんな暗い面持ちの中で誰かがふと呟いた。
「もしかして……聖女様は本当に禁域の森の中で男性に会ったんじゃないでしょうか」
「それなら、男性を連れて帰ってくるはずでは?」
「その男性が普通と違ったとしたら?」
「普通と違うって?」
「たとえば、どんな女性にも優しいとか」
「まさかそんなことありえないわ」
馬鹿馬鹿しいとその場ではその話は打ち切られた。
しかし、もしかしてと誰かが思ったのかその噂は気付けば町はおろか国中へと広がっていく。
禁域の森にはどんな女性も受け入れてくれる男性がいる。
いつしかそんな都市伝説がこの国ではまことしやかにささやかれるのだった。
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