第6話 入院談議

入院談議 1


「やだ……どうしよう」

 流石さすがの母、彩加さいかきバサミを片手に呟いた。


 北区総合病院の入院病棟。

 5階奥の病室には流石の兄、駿河するがの入院する病室がある。

 駿河は、虚弱体質のため長期入院しているのだ。

 空きベッドのあるふたり部屋を、ひとり部屋状態で使っている。


 床に新聞紙を敷き、椅子を置いて駿河が座っていた。

 ポンチョ型のカッパを羽織り、フード部分に切った髪を落としながら散髪している。

 彩加は苦笑いで、

「バランス悪いけど……これ以上、余計な事できない感じになっちゃったわ」

 と、駿河の短い髪を撫でながら言った。

「ずいぶん、涼しくなったね」

 痩せた青年、駿河は母から鏡を受け取り、笑い出した。

「あはは、これは滅多にないな。笑わせたいから流石を呼んでくれない?」

 彩加は駿河の髪に指を通してみながら、

「お母さんのカットが下手だって笑うのね」

 と、頬を膨らませる。

「髪が面白い事になってるって見せるだけだよ。算数を教わりに来るって言って、ちっとも来ないし」

「そうだったの? 中間テスト、下からすぐの順位だったのよ。お兄ちゃんに教わっておけば良かったのに」

 活発な印象の彩加は、黒いジーンズの腰に手を当てて息をつく。

「あはは。咲哉さくや君が賢そうだったから。一緒に勉強したのかと思った」

 と、駿河は笑う。

「よく一緒に遊んではいるわよ。近所の景都けいと君も」

「前に3人で遊びに来てくれたよ。3人とも笑ってくれるかな」

 額の左上から、なだらかな傾斜の前髪。後ろ髪も所々に段の残る短髪カットだ。

「もー。病院に来る美容師さんに切ってもらえば良かったのに。お金の事なんか気にしなくていいのよ?」

 ハサミや櫛を片付けながら、彩加は言った。

「いやいや。俺はクラスメートと比べられる訳でもないんだしさ。鏡を見るたびに、母さんに切ってもらった髪って思える方が楽しいけど?」

 そう言って、駿河はにっこりと笑った。

「流石たちに、お見舞いへ来るように言っておくわ」

 彩加も小さく笑みを見せ、駿河の前髪を優しく撫でた。



 ヒンヤリとした夜の病院。

 入院棟上階の廊下では、夜空に満月が見えている。

 夜の院内を散歩していた駿河は、6階の廊下で足を止めた。

 窓から外を眺める。

 町明かりの向こうには、暗い山のシルエットが広がっている。

「満月がキレイね」

 不意に、高齢女性の声が聞こえた。

 駿河が目を向けると、数歩先で寝間着姿の高齢女性が夜空を見上げていた。

「こんばんは、ハヤ子さん」

 と、駿河は挨拶する。

「月とか太陽とか、時間なんてものも。誰にでも平等なのだろうか、なんていう言葉を時々見かけるけど。本当に、疑問に持つ事ってあるのよね」

 夜空を見上げながら、高齢女性は呟いている。

「そうですね」

「苦労だけで終わった人生……この苦労を押し付けた夫に、ずるずると行き恥を曝され続けているわ」

 諦めたような口調で言い、高齢女性は俯いてしまう。

「ご主人も、後悔先に立たずだったのでは?」

 と、駿河は聞いてみた。

「過去の苦労は苦労。美化したところで過去の事実は変わらないわ。でも、私の行き恥は今も続いてる。今も出来る事はあるのに、成り行き任せを続けてるだけ」

「ハヤ子さん……」

「駿河君、だったわね。ずいぶんな髪形になったわね」

 高齢女性は顔を上げて言った。

 駿河も前髪をいじりながら、

「母が切ってくれまして」

 と、答えた。

「私も、夫が抵当にザクザク切るの。ひどい髪でしょう?」

 先程までサラリと長い黒髪が揺れていたが、いつの間にか寝癖を付けたような灰色の短髪になっていた。

「思いきった切り方ですね」

 と、駿河は目をパチパチさせた。

「これなら、しばらく切らなくて済むでしょう?」

「なるほど」

 さらに皺が刻まれ、女性は表情を曇らせる。

「駿河君は酷いと思わないの? 定期的に病院に来る美容師さんだっているのよ。有料だけど」

「俺は母に切ってもらうのが良いですよ。弟が見に来てくれるネタにもなるし。でも、女性には――」

「私の家族は違うのよっ!」

 女性の身体が突然、半透明になって浮かび上がった。

 周囲の影を巻き込みながらその体は捻じれていく。ぐるぐると回転し、小さな竜巻となって空を切る。

 廊下を走り、竜巻が駿河の体を突き抜いた。

「あ……」

 もちろん、体に穴などは開いていない。

 しかし駿河は腹部を押さえ、その場に膝をついた。

 竜巻は窓をガタガタと揺らしながら、廊下の奥へと消えていった。

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