人面疽 3


 薄暗い不思議屋の店内に、今日は明かりが灯されている。

 咲哉さくやは、店の奥に広がる薬棚を見上げた。

 古い木製の引き出しが壁一面に、びっしりと並んでいる。

「……高いな」

 出しっぱなしの脚立を移動させ、ゆっくりと登った。

「上から三段目の、右から二番目」

 数えた引き出しを開けると、少量ずつ束ねられた小枝が入っていた。

 一束を取り出し、脚立を降りる。

「下から五段目の左から三番目」

 こちらの引き出しは細かく刻まれた枯葉だ。ひと掴み取り出して木皿に乗せた。

「よし」

 二種類の薬草に咲哉が頷いていると、流石さすがに井戸水を満たして戻って来た。

 ふたりが喫茶テラスに戻ると、利津りつが、

「お前ら、ここでバイトでもしてるのか」

 と、聞いた。咲哉は老婆に木皿を渡しながら、

「俺の咳止めとか薬湯やくとうを作る手伝いくらいだよ。等価交換にも足りない」

 と、答えた。椅子に腰かけている世津せつは咲哉を見上げ、

「なんか俺も礼をしないと」

 と、言った。

「その内に、力仕事でも手伝ってもらおうかねぇ」

 ゴリゴリと薬草を磨り潰しながら、老婆はクックッと笑っている。

くずの葉っぱ、あったよー」

 景都けいとも、白狐の笹雪ささゆきを肩に乗せて帰って来た。

 老婆は景都から大きな葛の葉を受け取り、たらいの井戸水も乳鉢にひとすくい取ると、

「残りの水に足を入れときな。膝に水をかけて、人面疽を水責めにしてやればいい」

 と、言った。

「人面疽を水責め……」

 世津は靴下を脱ぎ、たらいの井戸水に右足を浸した。

「よし」

 利津は半袖のYシャツながら、腕まくりする真似をしながら屈み込んだ。両手でたらいの水をすくい、人面疽にかける。

「いっ、たた……水、沁みるんだけど」

 顔をしかめ、世津が右足を押さえた。

「マジか」

「少しの辛抱だよ」

 いくつもの薬を混ぜ合わせながら、老婆が言う。

「飲ませるなら酒にしろって言ってる」

「世津の膝、未成年なんだけど」

 老婆の手元を見詰めながら上田が、

「膝に水が溜まっちまったりしない?」

 と、聞いた。

「溜まりやしないよ」

 と、老婆は笑う。

 生薬らしい独特な香りが、喫茶テラスに広がっている。

「ふむ。出来たよ」

 柔らかく揉んだ葛の葉に、練り合わせた膏薬こうやくを塗った薬葉くすりばだ。

「葉っぱのシップ?」

「薬葉だよ」

 どっこいしょと立ち上がり、老婆は人面疽を見下ろした。

「断末魔なら、お前たちにも聞こえるだろう」

 そう言って、老婆は世津の右膝に薬葉を貼り付けた。

「いたっ」

 世津の声をかき消すように、

『ぎゃあぁ――っ!』

 と、男の声が響いた。

「うわっ、叫んだ!」

「これ、断末魔っ?」

『何をするっ! この毒をどけろぉ!』

 薬葉の下から、男のガラガラ声が叫んでいる。

 たらいの水の上で、世津の右足が跳ねた。

「わっ、足が勝手に暴れるっ」

 老婆は薬葉を押し当てたまま、

「すぐに治まるよ」

 と、言う。

『早くどけろっ、足を溶かしてやるぞっ! 人間ごときが我の崇高な――』

 苦しげに喚き散らすが、咲哉の、

「あ゛?」

 という不機嫌な一文字で、人面疽は押し黙った。

 跳ねていた足も静かになった。

 息を飲んで見守っていた子どもたちが視線を交わす。

 景都は目をパチパチさせ、

「……大人しくなった?」

 と、聞いた。咲哉は頷き、

「なったな」

 と、答えた。

「すげぇ。お前ら、オバケも黙らせられんの」

 松本が、世津の肩を撫でてやりながら聞く。

 景都が首を横に振り、

「こんな『ヤンキーあ』でオバケ黙らせちゃうの、咲哉くらいだよ」

 と、答えた。

「ヤンキーあ……」

 流石も小さく噴き出して笑い、

「咲哉のヤンキーあ、威圧が強いよな」

 と、言っている。

 老婆も含み笑いを漏らした。

 人面疽にあてていた薬葉を剥がすと、出っ張っていたはずの腫れは消えていた。

 膝の皺が、うっすらと顔に見える程度だ。

 老婆はもう一枚の薬葉を貼り付け、その上からガーゼを当てた。

「これで、家に帰るころには顔痕も残らず消えるよ」

「……よかった」

 子どもたちが安堵の溜息を漏らした。

「ありがとうございます」

「婆ちゃん、ありがとう」

 世津と利津が礼を言うと、老婆は口元の皺を余計に刻み、

「また、いつでもおいで」

 と、笑った。



 自宅マンションへ帰って来た長野双子は、ふたりで世津の部屋にいた。

 ベッドへ腰掛けた世津の足元に利津が屈み込み、右膝のガーゼを剥がす。

 顔のような皺も消えていた。

「よかった。世津のお膝ちゃんがキレイになった」

「お膝ちゃんとか言わないで」

 溜息をつく世津に、利津は、

「心配したじゃんか」

 と、言った。

「……じゃあ、期末のテスト勉強、一緒にやってやるよ」

「マジで?」

 と、利津は目を輝かせる。

「みんなにも、ちゃんとお礼をしないと」

「また、菓子でも買ってって栃木の家で遊ぼうぜ」

「うん」


 成績は桁違いの双子だ。

 それでも、頼れる仲間たちへの感謝は同等だった。

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