閑話: ドミニア
「子供は向こうに行ってなさい。」
ややこしい話をするときの常套句を誰かが使って、子供たちは一つの部屋に追いやられた。こどもこどもと言うが、この年齢にもなれば流石に話の内容にも抱えている事情にも思考や想像が及ばないこともなく、発言権を取り上げられた気分になる。大人の難しい話に入っていかなければ単純かと言うと、それも違うわけで。
従兄弟たちで人生ゲームをしようという話になった。暇をした小学校低学年の子たちを見かねて、といったふうに提案したのは長男家の息子の
この家では珍しく明るい性格をした華那は早々に好きな色の駒を取りスタート地点に置く。「俺銀行やりましょうか」勝三が申し出て、各々了解。優が桃色のピンを挿して準備していたが、泰夫以外誰も口を出さなかった。誰から始めるかという話を飛ばしてどういう順番で行うかという話題を彩が振る。咲良の「時計回りでいいでしょう」という素っ気ない言葉に返事は誰もしなかったが、ほぼ了承と変わらぬ反応だったので満足気な秀幸がルーレットを回した。彼は非常に自分本位なところがあるので、従兄弟たちの間で何か順番があるときは決まって一番手をとる。今更それに疑問は抱かないのだが、華那だけはときどき嫌な顔をした。
ゲームが進むにつれてそれぞれの手持ちに差がついてくる。由鶴同様ほとんどがゲームはゲームだと思って勝ち負けやそういった差には頓着しないのだが、ゲームを始めたのがやたらと従兄弟につっかかる秀幸である。当然無事に終わるわけもない。
「もう、あんたやだ!」
まず我慢がならなくなったのはゲームの進行状況が芳しくなかった華那である。それだけでも彼女は機嫌を悪くしそうなものなのに、秀幸はそれを見て彼女の成績のことだとか、親のことだとかをにやにや笑いながら責め立てていた。次女の山田家は長女の名倉家に借りた金がある。今大人たちの議題に上る一つの問題が、長女家が次女家、また次男家にしぶしぶ貸した金の話で、華那や泰夫は知らないのだが二人の姉や兄くらいになれば一度くらい聞いてはいるし、貸している立場の娘である彩は勿論、由鶴も知っている話であり、笑い話ではないことはこの場の誰もがわかっていた。ただ、彩は怯えたようにそれぞれの顔色を窺うし勝三もわずかに苦い顔をしているものの、それ以外は他人事のように涼しい顔をした。挙句、姉である咲良は「黙って座りなさい」と華那を窘める。
「ゲームなんだから華那の通知表もお母さんのことも関係ないでしょ!」
「ゲームでもそんなんじゃ、本番はどうなるんだろうなあ? 華那ちゃん」
華那はきゅっと唇をかみしめて涙をこらえ背を向けた。部屋を出てゆきたいのは山々だろうけれど、親たちにこの部屋にいるように言われた以上それは賢明でないと判断するだけの冷静さは持っていたのだろう。あの親たちを相手にするのは秀幸を相手にするのと同じかそれ以上に面倒だから。
泰夫が華那に続けるかどうかを問うたが、そこはプライドの高い彼らの従妹である。涙声ながらも続けるという返答が返ってきた。秀幸は鼻で笑って、咲良に向かって「お前の妹はしつけがなってない」と指摘する。年上に暴力的な言葉を吐くなんてと文句を連ねたが咲良はそれに取り合わない。「あらそう」彼女の返答はこれだけであり、それに対しては秀幸は嫌な顔をした。これは毎度のことである。咲良は、この中で一番冷淡な性格をしていた。普段、学力における秀幸の競争意識は榊家一の成績を誇る由鶴に向いているが、実のところ咲良も秀幸よりは成績がいい。ただ荒波を立てるのを厭うために、彼のどんな言葉にも彼女は取り合わず自分の能力の正確な評価も求めなかったのだ。先ほどの華那に対する扱いもおなじ理由からのものだろう。同年のものたちは気づいている。秀幸は、従兄弟を貶す簡単な糸口としてこのゲームを始めたのだ。
停滞しかけた進行を、勝三が取り繕って促す。次の駒は優のものだが、華那が拗ねたのをきっかけに彼は寝転がっており、あろうことか順番をパスした。秀幸が嫌な顔をしているが、彼は優を侮っている節があるため結局は言及をせずに放置する。彩が控えめにルーレットを回す、そちらの方を標的に決めたらしい。結婚のマスに止まったのを見て大仰な拍手。
「おっ、彩ちゃん結婚おめでとう」
彼女も、咲良ほど冷静な様子ではなかったがその厭味を曖昧に受け流した。比較的人見知りで口をつぐむタイプである彩の姓は、もうじき名倉から榊へと変わることになっていた。性格が悪い、と由鶴は心中で秀幸を謗りながら自分も大差ないことを自覚してはいる。早く正月が終わればいいのにと思いながら、彩に向けられる左隣の執拗な攻撃を聞き流す。右隣では静かに咲良がルーレットを回し駒を進めていた。
「秀幸さん」
声を発したのは優だが、寝転んだ体勢はそのままである。「俺飽きちゃった、外行きたい」仰向けの姿勢から俯せへ。話し掛けてはいるものの視線は逆方向。「お前も
「いつまでその気持ち悪い演説続けるの?」
はじめに優に賛同して立ち上がったのは泰夫で、隣の華那もひっぱって外出の用意を始める。次に駒を捨てたのは咲良で、終始無言だがやはり涼しい顔をしていた。勝三は秀幸の様子を気にしつつも、泰夫の兄だという名目もあるので「一旦休憩にしませんか、」とフォローを入れ、弟に遅れないように準備を始める。「もうこんなくだらないことやらないよ」追い打ちをかけるように言う優は、提案した割にのろのろと身体を起こした。「でも、秀幸さんも来てよ。あなたがいないとまとまんないんだから、うちの人って」確かまだ小学五年生じゃなかっただろうか、この従弟は。不本意そうにしながらも結局は外出することに決めた秀幸を端から見ながら由鶴は嗤いそうになる。
「彩さんは」
「……、私は、いいです、冷えるので」
「そう」
優に答えて、彩は強張らせた身を解さない。溜息をつく由鶴。「僕もやめときます」最年長がついていないとすぐ大人達は何故勝手な行動をするのかと騒ぎ立てる。まだ中学生だというのに、保護者のような責任を求められ、応える由鶴達と、その一方で
秀幸たちが行ってしまうと、彩は少しは緊張を解いた。秀幸に言われたことに対する感情を消化出来ずにいたんだろう。根源が姿を消したことで落ち着けるのだから、引っ込み思案で秀幸達に畏怖する彼女もある程度の冷静さは有している。しばらく二人は無言だったものの、やがて彩の方から、申し訳なさそうな面持ちで謝罪の言葉があった。
「あの、すみません、付き合わせてしまって……」
「いいえ。僕もこれ以上彼の勝手に付き合うのが面倒でしたから」
「……やめたらいいのに、秀幸さん、あんなふうに華那ちゃん虐めたりするの……」
自分のことではなく華那のことを言うのは献身的偽善かとも一瞬考えたが、それはどちらかといえばあの“学友”の示す反応であって彩は違うなと考え直す。単に自分が詰られた事実に目を向けていないだけだろう。「自分のプライド維持するのに必死なんですよ」適当に思ったままのことを口にすると、相手はもう一段深い呼吸をして、「秀幸さん、十分頭いいのに?」と掘り下げてくる。
「だからこそ挫かれるのが怖いんじゃないですか?」
「だからって
「そうですね、品がなくてみっともないです。」
言葉が急き込み始めたのを避けるために重ねた同意は、そのまま自分にも返って来るようだ。だがそれを正しく受け入れるほどの精神的な利口さはまだ彼にもないから、言いっぱなしで考えるのをやめる。
正義よりも毒でも振りかざす方が甘い甘い中学時代の遊戯。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます