第18話 秀人の天才崩理 その後(1)


 天才崩理。

 結果は大井田の敗北。

 

 ホールから離れた大井田の前に藤堂が現れる。


「お、笑いに来たのか? ――1位」

「……いや、笑うつもりはないよ」

 少し苦しそうな顔で藤堂は首を振るった。

「なっ――どうした。そんな顔して……気味が悪い」

「そりゃ――俺でも負けていたかもしれないからな」

「お前が、か?」

「ああ。それほど、明智の能力は未知数だった」

「お前がそこまで言うとは……。確かにあいつの能力は未知数だったよ。勝てたと思った一手さえも、それが敗因へと逆転する。不思議と爽快な気分だよ」

「ははっ。お前が『爽快』なんて言葉使うんだな」

「――まあ、な。で、それだけか?」

「ああ。どんな顔しているのか、気になったからな――」

 気になっている様な顔で藤堂は今一度、大井田の顔を眺める。

「――理を崩された者の顔が」

「……こんな顔だよ」

 面と向かって言われると、言い返す言葉が無い。大井田は小さくため息をついた。

「意外に悔しがっていないんだな。理を崩されたわりに」

「そうなんだよ。俺も不思議だよ」

 崩されたと言うより、解されたのかもしれない。堅苦しかったあの思考を。

「やはり、このシステムはまだまだ謎だな」

 まだまだ天才崩理は改善する点が多い。

「それに――」


 ――神童もな。静かに藤堂は笑みを浮かべた。



 ―――



 秀斗は教室へと足を動かしていた。


「あー、増えちゃったなー」

 ため息の様にそう言って、秀斗はとぼとぼと歩いていく。


 天才崩理で賭けた互いのポイント。

 勝てば、必然的に大井田の賭けたポイントが僕のポイントへ追加される。

 この一年間、地道に増やした学誉に追加点が加わってしまった。


「まあ――しょうがないか」

 大井田に天才崩理を仕掛けたのは、間違いなく自分。


 自分で決めたはずのこと。

 それを破ったのも自分だ。


 秀斗は諦めた様にため息をついて、階段を上がって行く。


「ん?」


 階段を超えた先。

 二階部分に一人の女子が立っていた。


 小柄ながらも、両手を腰当て仁王立ちするその姿。

 どうしてか、何とも言えぬ逞しい雰囲気を感じる。


 秀斗は思わず、階段の折り返し部分で足を止めていた。


 韮崎楓音。

 転校生の彼女が秀斗の行く手を阻む。


「――明智秀斗」

 鋭い視線を秀斗に向け、楓音ははっきりとそう言う。

 その雰囲気はどこか怒っている様にも見えた。

「あ、はい」

 秀斗は身に覚えが無く、身の無い返事をする。


 すると、ここで秀斗はあることに気づいた。


 複雑な心境。

 はて、何て言うべきなのか。


「本当に――勝ってしまったのね」

 大きく息を吐き、楓音は驚いた顔でそう言った。

「うん。勝ったよ」

 そうだ。僕は大井田くんに勝ったのだ。未だにその実感がわかない。

「その……」

「その…? どうしたの、韮崎さん?」

 何かを躊躇っている。どうしたのだろうか。

「その――ありがとう。私の代わりに勝ってくれて」

 恥ずかしそうに俯くと、楓音は小声でそう言った。

「んー、代わりと言うか、僕自身のためだよ」

 今思えば、彼女のためでは無かったのかもしれない。


 僕は自身の爽快感のために天才崩理を挑んだのだ。


「いや、でも、元々私が大井田くんに挑んだものだし」

 首を左右に振り、申し訳ない顔をする。

「うん、そうだけど、君のおかげで僕は思い出したよ」

「思い出した――?」

 いったい彼は何を思い出したのだろう。楓音は不思議そうに首を傾げた。

「うん。僕自身の思考を」

 自身に言い聞かせる様に秀斗はゆっくりと頷く。


 この天才崩理で思い出した。

 かつての僕自身を。


 ただ、不思議とかつての僕では無い。

 そんな気もしていた。


「思考――。本当にやってみせたのね」

 納得した様な顔で楓音はそう言って頷く。


 その思考、判断力すべてを用いて。

 彼はこの天才崩理に勝利したのだ。


「やってみせた――? 何を?」

「証明よ」

「証明?」

「学誉がすべてじゃない――ってことのよ」

 秀斗は天才崩理の勝利にて、それを証明する。

 クラスメイトたちも秀斗の勝利に驚愕し、歓喜していた。


 自分たちの当たり前が覆される感覚。

 滅多に味合わない体験だ。


「ああ。そうだよ。――それと」

 秀斗は視線を逸らし、どこか言い辛そうな顔をする。

「――何よ? 何か言いたげな顔じゃない?」

 不満げな顔で秀斗を睨んだ。

 普段の彼女は、モデルと言われても納得するほど可愛く綺麗な容姿をしている。

 まあ、この様な不満げな顔や解せない顔も可愛らしいけれど。

「うん」

 言いたげ――確かに言いたいことはある。と言うより、言うべきことが。

「何よ、はっきり言いなさいよ」

「あー、うん。怒らないで聞いて欲しいんだ」

 両手を前に出し、落ち着いて、と言わんばかりの仕草をする。


 言ったらすぐさま、蹴り飛ばされそうな――。

 そんな光景を秀斗は想像した。


「なに……?」

「その――見えているよ?」

 秀斗はゆっくりとその視線を楓音の目から下へ動かす。

「!? ――っ!?」

 秀斗の視線を楓音は辿り、状況を理解した。


 短いスカート。

 階段下にいる秀斗。

 

 高低差で見えてしまう――彼女の下着が。

 

 慌ててしゃがみ、両手でスカートの裾を悔しそうに掴む。


「――見たのね?」

 鋭い視線。棘のある睨みを彼女は秀斗に向ける。

「うん。いつ言おうか迷っていた」

 少し困った顔で秀斗は頷く。

「いつから?」

「君がそこに立った時からだよ」

 何食わぬ顔で秀斗は言う。

 彼女を見つけた時から、もうすでに見えていたのだ。

「どうして言わないのよ!」

 沸騰した様に顔を真っ赤にして楓音は叫ぶ。


 わかっていたならどうして先に――。

 どうして先に言ってくれないのだ。


「んー。そう言われても、言える雰囲気じゃなかったしなー」

 困った様にそう言いながらも秀斗は階段を上って行く。

「この変態! すけべ!」

 確信犯。この男はわかっていて見ていたのだ。

 楓音は吐き捨てる様にそう叫んだ。

「えー。むしろ、変態は丸見えで仁王立ちしていた韮崎さんの方じゃないの?」

 思い出すと、大変勇ましい光景だったよ――韮崎さん。

 勇ましい姿勢のわりには、可愛い下着だったけど――。

「っ!? あれは――その…気がつかなかったのよ……」

 そう言うと楓音は急にしゅんとした顔で俯く。

 途端に愛らしい雰囲気が漂う。

 まるで、僕が彼女をいじめた様な気持ちになった。

「その……意外だね」

「意外?」

「韮崎さんは見た感じ、もっとお淑やかと言うか上品な雰囲気があるからさ」

 出会った時から、その雰囲気は変わらない。

 少なくとも、普段の彼女は。

「――よく言われるわ。まあ、第一印象は大事ね」

 第一印象はとても良い。

 誰でも、好感良く対応してくれる。

 楓音は改めて自身の容姿の良さに気づいた。

「そりゃそうだ」

「その――明智くん……?」

 すると、突然楓音がもじもじとした動きをしてしゃがみ込んだ。

「何だい、韮崎さん?」

 いったいどうしたのだろうか。さっきまでの覇気のある雰囲気はどこに。

「楓音――って呼んでいいわよ?」

 上目遣いで秀斗を見つめ、恥ずかしそうにそう言った。

「へ――? どうして?」

 楓音の言葉に秀斗は口を半開きにする。

 どうして、僕が君を下の名前で呼ぶのか。

「っ! いいから呼びなさい! 秀斗!」

 真っ赤な顔で楓音はそう叫んだ。

「あ、はい。わかったよ――楓音」

 少し呆れた様な顔で秀斗はそう言って、教室へと戻って行こうとする。

 よくわからないけど、楓音がそこまで言うなら仕方ない。

 それに僕のことも秀斗と呼んでいるからお互い様だ。


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