第7話 天才崩理、当日
翌日。
昼休み。
秀斗は落ち着いた足取りで機材購買室へと入って行った。
「おや、まだ決まって無いのかい?」
千代は秀斗の顔を見るなり、呆れた顔をする。
「いえ、もう決まりましたよ」
覚悟を決めた様にそう言うと、秀斗は笑顔を向けた。
本当は朝一番に購入しようと思っていたはずなのに――。
秀斗は思い出した様に小さくため息をつく。
教室内でも廊下でも、
今日の天才崩理について生徒から聞かれていたのだ。
目が合う度に聞かれる。
もはや、質問攻めに近い状況だった。
どうやら、香織の言う通り、僕らの天才崩理は学園中に知れ渡っている様だ。
『何で勝負を挑んだんだ?』
『勝つ見込みはあるのか?』
『負けたら、本当に退学なのか?』
彼らが僕に投げ掛ける質問の多くは勝敗についてばかり。
皆、僕がどうやって、あの天才崩理で大井田に勝つのか気になっている。
残念ながら、僕の回答はすべて『わからない』その一言だった。
僕自身もわからない天才崩理。
始まれば、どうなるのか。
具体的な想像すらつかない。
その天才崩理の行く末を――。
秀斗は心のどこかでこの状況を楽しんでいた。
「では、これをお願いします」
そう言うと秀斗は事前に書いていた購入書を千代に渡す。
今ある学誉で考えた最善の選択。
最大限の戦力ではないが、これが最善の策であると秀斗は考えていた。
「ほう…。これらを買うのかい?」
目を細めると、千代は購入書をまじまじと見て解せない顔をする。
「――何だい。オプションも買うのかい?」
購入書の裏面、オプション欄を見ると、千代は眉間にしわを寄せた。
オプションとは。
兵士たちをサポートする言わば小道具などのことだった。
秀斗は兵士の数以上のオプションを記載していた。
「はい。それが良いのです」
断言する様に強く頷いた。
「相変わらず、お前の最善はわからないね」
参ったと言う顔で千代は小さくため息をつく。
「結果はどうなるかわかりませんけどね」
この手札でどうするか――。
秀斗は少し困った顔をする。
大雑把な戦略はあったが、具体的な戦略は何も無かった。
どちらにせよ、大井田の出方次第で戦略は変えねばならない。
その場で戦略――思考のギアと回転数を変えていく。
事前に適応し、変化する環境にすぐさま順応していく。
これがかつての秀斗のやり方だった。
「――はいよ。そういや、相手が買ったのはわかるのかい?」
すると、千代は思い出した顔でそう言った。
「いや――わかりませんよ」
千代の言葉に秀斗は何食わぬ顔で言う。
天才崩理を受諾してから大井田の顔すら見ていなかった。
「おや? 聞かないのかい?」
学園にある機材購買室はただ一つ。
無論、大井田も買うならばここしかない。
それは秀斗もわかっていた。
「だって、彼は買いに来ていませんからね。――おそらく」
僕が知る彼ならば、きっと――。秀斗は僅かに微笑んだ。
「……さすがだね」
目を見開き、千代は驚いた顔をする。
事実。
二日間、この機材購買室へ大井田は買いに来なかった。
買いに来なかった――。
と言うことは、大井田の手札に追加、変更が無いと言うことである。
秀斗と天才崩理をする前から手札は決まっていた――。
買いに来ない大井田に対して、千代はそう理解していた。
しかし、何も知らないはずの秀斗がその事実を知っている。
まさか、彼はその事実を推測したと言うのか――。
その思考力は千代が知るかつての秀斗だった。
今の彼なら――出来るかもしれない。
この天才崩理に勝つことが。
「では、失礼します」
購入したデータを校章へ取り込むと、秀斗はそう言って出入口の扉へと向かう。
「――なあ、秀斗」
「どうしたんです、千代さん?」
「その…、あれだ――――気をつけろよ」
背を向けて千代は心配そうな声で秀斗に言った。
「はい。勿論」
千代を安心させるためか、精一杯の笑顔を向ける。
過信はいけない。
常に思考を回転させ、僕は天才崩理に挑むんだ。
そして、秀斗は機材購買室を出て行き、廊下を歩いて行った。
二年B組。
教室前の廊下。
「あっ、ようやく帰ってきた」
機材購買室から戻ってくる秀斗を見るなり、楓音は慌てて向かってくる。
やはり、楓音は美少女。
向かってくる楓音をまじまじと見つめ、頷きながら秀斗は改めてそう思っていた。
「ん? どうしたの、韮崎さん?」
そんなに慌ててどうしたのだろうか。
秀斗は不思議そうに楓音に聞いた。
「どこ行っていたの?」
少し怒っている様な眼差し。
その様子だと、彼女は声を掛けなかったことに怒っているのだろうか。
「どこって――機材購買室だよ」
「機材購買室? もう買ったの?」
いつの間に。そう言いたげな驚いた顔で楓音は秀斗に迫る。
「うん。と言うより、今しか買えないし」
ここで買わずして、いつ買う――。
秀斗は何食わぬ顔で頷いた。
もし、買えなかったら、天才崩理で使える手札が僕だけになる。
僕だけしか天才崩理に参加出来ないと言うことは、
必然的に大井田くんの校章へダメージを与えられないと言うことである。
それだけは避けたかった。
「そ、そう……。どんなの?」
「ああ。買ったの?」
「うん。昨日、結局どう言ったものを買うのか聞いてなかったし、どういう風に天才崩理をやるのかも聞いていなかったし」
楓音は頬を膨らませ不満げな顔をする。
途端に彼女の見た目年齢が下がった。
高圧的な雰囲気が無くなり、幼く見える。
まあ、元より彼女は幼く見えるけど。
小学生でも納得するくらいの容姿だし。
「あー、そうだね。――と言うより、僕も天才崩理をするのは初めてだからさ」
楓音に説明していなかったことを秀斗は思い出す。
そう、天才崩理は初めてなのだ。
今の今まで自身もそのことを忘れていた。
「えっ――? 初めてなの? 本当に?」
秀斗の言葉に楓音は呆然と瞬きを繰り返し、秀斗を見つめている。
どうやら、何度か僕が天才崩理をやっていると思っていた様だ。
「うん、本当に。本当に初めて」
真顔で首を左右に振るう。
「なっ――。な、何でやったことないのに受けたの!?」
何か持っていたら今すぐにでも、床に叩きつけそうな唖然とした顔。
楓音は普段よりも高い声で驚いていた。
彼女が驚くことも無理は無い。
普通の人は初めてでこんなことはしないだろう。
僕もそう思うよ――本当に。
「うーん、受けちゃったから? いや…挑んじゃった?」
腕を組み、秀斗はニュアンスを考える。
挑んだが正しい。
僕が大井田くんに天才崩理を仕掛けた――挑んだのだ。
すると、楓音は俯き、黙り込む。
「やっぱり、私のせいじゃない…っ」
独り言の様に楓音は呟く。
どうして、彼は天才崩理を挑んだのか――。
しかも、初めてのことを。
初めてにも 関わらず、彼は自身のすべてを賭けた。
楓音は理解出来なかった。
この男は何を考え、何を目的としているのか――。
出会った時は読めたはずの秀斗の心の内が今は読めずにいた。
「いやいやいや、それは違うよ」
両手を左右に振る仕草をして、秀斗は楓音の言葉を否定する。
「違う――? どうして?」
秀斗を見上げる様に楓音はゆっくりと顔を上げた。
「それは――」
どうしてか。今なら言える、僕の本当の答え。
「僕の好奇心だよ」
秀斗はどこか高揚している様な顔で言った。
この学園を変える。
天才崩理を挑む。
それらを考えるそのすべてが。
まるで、血液が循環する様に――。
思考が僕の中を勢いよく循環していくこの感覚。
かつて味わったその爽快感。
秀斗は思い出していた。
「好奇心……?」
その単語が予想外だったのか、楓音は呆然と首を傾げる。
「そう。これこそ、僕が大井田くんに天才崩理を挑んだ、本当の理由だよ」
簡潔に理由を楓音に伝える。
「――そう。なら、少し安心した」
秀斗をまじまじと見て、楓音は落ち着いた顔でそう言った。
「安心した? 君のせいじゃないから?」
その言葉の真意がわからず、秀斗は聞く。
「――いいえ」
秀斗の問いを否定する様に楓音は首を左右に振った。
「なら、何で?」
「それは――っ」
聞く秀斗を前に楓音は少し顔を赤くする。
「それは…?」
その続きの言葉を待つ様に秀斗は聞き返した。
「…あなたが前を向いている目をしているからよ」
ホッとした顔で楓音はそう言うと、笑みを秀斗に向ける。
高圧的だった彼女の雰囲気が途端に柔らかくなった。
「前を向いている? ――僕が?」
そんな目をしていただろうか――僕は。
「ええ。私と最初会った時のあなたとは全然違うわ」
感心した様な眼差しを秀斗に向ける。
「そ、そう…?」
そんなに違うのだろうか。秀斗は純粋に気になった。
そうだとすれば、僕はこの二日間で変わったと言うこと。
あまり、自覚は無いが僕自身の変えようと思った気持ちが、雰囲気にも出ていたのかもしれない。
僕を変えるきっかけを作ったのは、紛れも無く彼女だ。
「うん。今のあなたなら――大丈夫な気がする」
確かめる様にゆっくりと楓音は頷く。
「…その期待に答えられる様に最善を尽くすよ」
秀斗はそう言うと、自身を落ち着かせる様に大きく息を吐いた。
思い出せ――最善の思考を。
秀斗は不思議と高揚感を覚えていた。
―――
昼休み。屋上。
谷口は一人たばこを吸っていた。
校内は全面禁煙。逃れるように屋上にいた。
良くも悪くも、今日でこの学園の何かが変わる。
谷口の中に変な緊張感があった。
すると、屋上の扉を開け、一人の男子生徒が顔を出す。
「――おや、喫煙中でしたか」
不敵な笑みを浮かべるその生徒は藤堂史郎だった。
「お、藤堂か。どうした?」
たばこを咥えたまま、谷口は僅かばかり驚いた顔をする。
「いえいえ、そんな大した話では無いんですが」
「どうした、言ってみろ」
どちらにせよ、喫煙の口封じもある。
「今日の天才崩理。どちらが勝つと思います?」
谷口の心情を見通した様に藤堂は不敵な笑みを浮かべた。
「大した話では無い――話じゃないよな、それは」
受け持ちの生徒の話。
むしろ、これは大事だ。
「あ、やっぱりそうですか? そうですよね。――そりゃ、明智が勝てば、今までのことがすべて覆ますからね」
藤堂はわざとらしく残念そうな顔で言う。
言葉を交わす度、自然と二人の間に重い緊張感が漂っていた。
「そうはならんだろ? ――普通」
残念ながら明智の退学は避けられない。谷口はそう思っていた。
だからこそ――。
さっきまで考えていたのは、その先の彼の今後についてだった。
「――普通は。大井田も同じこと言っていましたよ」
普通。何の意味があるのか、藤堂はそれを強調する。
我々は普通であり、普通では無かった。
それがこの学園の真骨頂でもある。
「なら、そうなるんじゃないか?」
「そうですね。それが普通です。だが、彼はそれを覆せるかもしれません」
「…どうして?」
あの明智のどこにそんな可能性があるのか。
谷口は理解出来なかった。
「不思議と――ね」
藤堂は振り返る様に空を見上げ、そう呟く。
彼が大井田に勝ったとしても驚かないだろう。藤堂はふと思った。
「なるほど…。もしも、明智がこの天才崩理に勝てば、今後の学園の制度を少し変えねばならないかもな」
学誉の無い者が勝ってしまう。
万が一、不測の事態が起きてしまった場合は、
それなりの対応をしなければならない。
谷口は明智の在学を願う一方、
この学園が大きく変わることを望まなかった。
「おや、どうして?」
「学誉の圧倒的価値、絶対的権力。それがこの学園の主軸だからだよ」
軸であり、動力源。
天才である彼らの向上心はここから生まれている。
「ほぉー、なるほど。明智が勝てば、その軸が大きくブレる事態になる。それは何としても避けたいですね。――あなた方は」
谷口の心の内を探る様に藤堂は問いかけた。
「…まあ、そう言うことだ。だが、本当にわからんな、今回の天才崩理は」
不測の事態。そう言いながらも、谷口は明智の勝利も視野に入れ始めていた。
藤堂の言葉からか、それとも受け持ちの生徒だからなのか。
「そうですね。普段なら簡単に予想出来たのに」
藤堂はため息交じりにそう言った。
天才崩理に関しての自身の予想はほとんど当たる。
それほど、事前に予測がつくほど天才崩理はわかりやすいのだ。
――本来は。
「さて――。そろそろ始まる時間だな」
谷口は左手に付けていた腕時計の針を見るとそう言って、吸殻を携帯灰皿に入れる。
そして、重い足取りで谷口は、出入口へと向かって行った。
「そうですね。我々にはあの戦いを見届ける義務がありますから――」
――天才崩理を形成する者として。
谷口についていく様に藤堂も屋上を出て行く。
しかし、藤堂の足取りは谷口とは違い軽快だった。
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