第5話 天才崩理、前夜(秀人)


 放課後。

 秀斗は学園を出た歩道を歩いていた。


「秀斗!」


 突然、後から自分の名を呼ばれる。

 ――聞き覚えのある女子の声。


「ん? ――ああ、香織か」

 自分を呼んだのが香織であることを確認すると、

 秀斗は急にやる気の無い顔になった。

 

 香織を見るとさっきまでの緊張感が解ける。

 不思議と気持ちは和んだ。


「ねえ、天才崩理ってどう言うこと……? もう、学園中の噂だよ?」

 飛びつく様な勢いで香織は秀斗に迫る。


 微かに香織の胸が秀斗に当たっていた。

 追撃の様に香織から漂う心地良い香り。


「えー、そんなに?」

 動き始めた理性に気づき、秀斗はそう言って香織と距離を取る。


 彼女は自覚していない。

 その包容力のある容姿の威力に。


 彼女が自身の容姿の威力を自覚したら自覚したらで、

 そうなったら僕の知る香織ではなくなってしまうかもしれない。

 そう考えると、秀斗は急に不安になった。


「天才と無名の退学を賭けた天才崩理――って、学園誌に取り上げられるみたいだし……」

 香織はそう言うと、心配そうにしゅんとした顔になる。

 クラスメイトから聞いた時は嘘だと思った。

 だから、秀斗に直接聞こうと思ったのだ。


 その様子だと、噂は本当。


 あの秀斗が天才崩理をするなんて何があったのか。


「おっ――と、それは有名になっちゃうね」


 誰がその題名を付けたのか。

 ――中々センスがある。


 驚いた顔で秀斗は素直に感心していた。


『天才と無名の退学を賭けた天才崩理』


 僕もその題名なら、普段読まない学園誌も見入ってしまいそうだ。


「ねえ――どうするの?」

 立ち止まり、香織は今にも泣きそうな顔で首を傾げる。

「どうするの、って……?」

 純粋なその顔で僕を見つめないでくれ――。

 何かが込み上げてくる。

 秀斗は香織と目を合わせない様にしていた。

「その……。秀斗、負けたら退学なんだよ?」

 退学。その言葉を発した香織はとても辛そうな顔をしていた。

 何で香織がそんなになっているのだろうか。

 別に自分ではなく、僕の退学なのに。 

 どうして彼女はこんなにも自身の様に心配してくれるのか。

「うん。そうだね」

 無論。秀斗ははっきりと頷いた。


 そうだ。負けたら、僕は退学なのだ。

 谷やんにも言われたこと。

 彼女が心配するのもわかる。

 必然と一緒の学校生活は送れなくなるのだ。


「勝てるの……?」

「んー、勝てる――とは言えないね」

 やはり、断言出来ない。

 難しい顔をして秀斗は首を左右に振る。

 何せ、秀斗自身も勝敗のイメージが出来ていなかった。

「――ねえ、秀斗」

 そう言うと香織はゆっくりと近づいていく。

「ん?」

「どうして、天才崩理をやろうとしたの?」

 香織は不満げな顔で秀斗をじっと見つめた。


 僕が天才崩理をやろうとした理由――か。


 入学時に自身で決めた『天才崩理はしない』と言う決意。

 僕は今日、その決意を自分自身で破ってしまった。


「今となっては、自分でもどうしてって思うよ」

 客観的に自分の言動を振り返る。

「なら、なんで――?」

 問い詰める様に香織は再び秀斗に迫った。

「でも、身体が動いてしまったんだよねー」

 迫る香織を前に目を見開き、驚きを隠せない顔で秀斗は言う。


 転機。

 僕は突き動かされたのだ。


 この足も、この心も――。

 立ち止まっていた僕のすべてが。


「何が……?」

 驚く秀斗に香織は恐る恐る聞いた。

「考えよりも先に――ね」

 秀斗は自身も納得していない様な解せない顔をする。

 どうするかを考えるよりも先に、楓音たちを助けに行こうとしたことに。

 その後、瞬時に彼女たちを助けることが出来る最善の策を考えたことに。


 変えようと思った――。

 しかし、それだけでは無い。


 秀斗はあの時の自分の言動を振り返りそう思う。

 秀斗の言葉を聞いた香織は、何かを噛み締める様な顔で考え込む。

「――秀斗」

 考えた末、香織はどこか温かい眼差しを秀斗に向けた。

「ん?」

「その……それが秀斗の本心ってことじゃないかな?」

 自身の幸福の様に――。

 香織は嬉しそうにそう言った。

「行動に起こしたことが?」

「うん。今まで堪えてきたものが溢れ出したんだと思う」

 笑顔でゆっくりと香織は頷く。

「そ、そう……?」

 香織の言うことに秀斗は首を傾げる。


 あの時、別に僕は感情的になったわけじゃない。

 でも、間違いなく僕の中で何かが込み上げた感覚はあった。


「私は応援する。秀斗がやったこと、やろうとすること」

 香織は両手を胸に当て、顔を赤くしてそう微笑んだ。

「ありがとう――香織」

 そう言うと秀斗は一人、先に自分の家へと帰って行った。


 信頼してくれている彼女のためにも。


 ――僕はあの天才崩理に勝たねばならない。



 ―――



 自宅。

 秀斗の部屋。


「勝つ一手――」

 ベッドの上で、組んだ両手を枕にする様に考えていた。


 どうしてか、思考が回らない――巡らない。

 昔みたいな血液が循環する様な思考が今の僕には無い。


 それもこれも――。

 秀斗はその理由を思い出した。


 ――僕が考えるのを止めたからだ。


 かつての僕は自身の持つ思考、思想すべてを用いて現状に挑んでいた。


 何事も継続から。

 そう言われるがまさにそれだ。

 今、まさにそれを痛感する。


 一年間も考えるのを止めたせいか。

 僕は考え方、考える方法を忘れているのかもしれない。


 秀斗は自身の変化に驚きを隠せずにいた。


 一言で言うなら、堕ちた――。

 まさしくそれだろう。


「だとしても、戦わなければならない……」

 右拳を握りしめ、ゆっくりと上へとかざした。


 自分で戦うと決めたのだ。

 その決意は嘘ではない。


 今の自分が考えられる最善。

 そのすべてを――。


「――よし。もう一度、対戦記録を見よう」

 勢いをつけ、秀斗はベッド起き上がり、横にある机へと向かった。


 タブレットで大井田の過去の対戦記録を確認する。

 今、自身が知ることの出来るきる情報源はそこしか無かった。


 彼が如何にして戦うのか――。

 もう一度、その映像を眺める。


 その戦略、思考、そのすべてを――。

 画面の前で、秀斗は彼の思考を分析する。



 深夜三時。


「――きっと彼なら」

 画面の前で秀斗は気がついた様に呟いた。


 多少は理解出来たと思う。

 問題はこの思考判断を本番で出来るかだ。


 戦いは明日。

 僕が出来る最善を――。


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