第3話 始まりの天才崩理
放課後。
秀斗と楓音は学園を見て回るため、教室の前の廊下を歩いていた。
綺麗なその容姿。
歩いていく度、廊下にいた生徒たちが秀斗たちを見つめる。
どうして、僕がこんな美少女と――二人で。
これでは変に目立ってしまうじゃないか。
秀斗は心の中でため息をついた。
ぐるりと一周。
三十分も満たないうちに終わるだろう。
秀斗はその予定だった。
「ねえ、明智くん」
すると、楓音は鋭い口調で前にいる秀斗に声を掛ける。
聞き慣れない声に秀斗は振り向くと、目つきの鋭い楓音と目が合う。
「あ、はい」
自己紹介の時の印象とは違い、秀斗は呆気に取られた。
韮崎楓音。
自己紹介の時は本性を隠していたのか。
「あなた、目立つのが嫌いなの?」
眉間にしわを寄せ、楓音は解せない顔で秀斗に迫る。
彼女の放つ雰囲気は自然と威圧的な雰囲気を放っていた。
「んー? どうして?」
楓音の雰囲気に動じることなく、秀斗は不思議そうな顔をする。
動じる理由は無かった。
だって、今の彼女からは圧はあっても、突き刺す様な棘を感じない。
秀斗は彼女独特の雰囲気を理解した。
「そのー、本当は断ろうとしてたじゃない? あれ以上話していたら、クラスで目立っちゃうでしょ?」
どこか曖昧な顔で楓音は首を傾げた。
おそらく、秀斗の態度を見て自信が無くなった様に見える。
「――よくわかったね」
秀斗は一瞬目を開いて驚き、冷静な顔で返した。
彼女はあの時、僕の表情だけでそれを読み取ったのだろうか。
だとすれば、彼女の洞察力は非情に高いものと考えられる。
「何となくよ」
何食わぬ顔で楓音はゆっくりと首を左右に振った。
何故だろう。
彼からは不思議と他の生徒とは違う雰囲気を感じる。
「なるほどね」
わざとらしく秀斗はそう言って頷くと、楓音に学園を案内していく。
こうして、秀斗たちは一階の吹き抜けのホールへ辿り着いた。
三方が廊下や階段となっている。
残る一方の壁には、垂れ幕の様な大きな紙が掲示されている。
その掲示物はホールのどこから見ても大きく見えやすい掲示物だった。
「総合ランキング……? ねえ、明智くん、あれは何かしら?」
立ち止まり、見上げる様に楓音はその掲示物――表を眺める。
その表こそ、
この学園独自のポイント制度。
学誉(ディグリード)の順位表。
ホールに掲示されるのは、各学年上位五十人まで。
学年のおよそ二割の人数だった。
「ああ。あれは僕らが各々に持つ学誉のランキング表だよ」
楓音の隣でランキング表をまじまじと見つめ、秀斗は言った。
その五十人の中に秀斗の名前は――無い。楓音は気がつく。
つまり、この表を見る限り、彼はこの学園の中で学力が特段高くないのでは。
目立ちたくも無く、勉学を積極的に学ぶ姿勢は無い生徒――。
楓音は先ほどの流れも含めて、秀斗をそう決めつけていた。
「あれが高いとどうなるのかしら?」
呆然とした顔で表を眺め、楓音は瞬きを繰り返す。
何かしら報酬があるのだろうか。
楓音は純粋に気になった。
「――単に他の者より優れていると言うことだよ」
そう言う秀斗はどこか諦めた様な顔をしていた。
そう。ただ単純にそう言う意味なのだ。
学誉だけの話では。
「優れている? ――優劣と言うこと?」
楓音は腑に落ちない様な顔でそう言った。
優れた者と劣る者を比較する言葉。
それが優劣。
その言葉は楓音にとって、好きな言葉ではなかった。
「うん。まあ、そうだね」
簡単に言うとその言葉がしっくりくる。
共感する様に秀斗は頷いた。
秀斗の言葉に楓音はしばらく考え込む。
「どうして――」
何かを決めた様に楓音は顔を上げた。
「ん?」
「どうして、その学誉と言うポイントだけで優劣を付けるのかしら?」
楓音は周囲を見渡し、解せない顔で秀斗に聞く。
たった一つのことだけ。
本来、その観点だけでは優劣を決められないはずだ。
「優劣だけじゃないよ」
「え?」
「この学園は良くも悪くも、学誉ですべて決まるからね。知識も、知能も、実力も――権力も。だから、優劣も必然的に学誉で決まってしまうんだよ」
その通りである。良くも悪くも、学誉で決まってしまうのだ。
『正しい』ことも、
『正しくない』ことも――すべて。
「すべて?」
何を言っているの。
そう言いたげな驚いた顔で楓音は秀斗を見つめる。
数秒、沈黙が訪れた。
「――そう。一言で言うなら、まさに優劣。そう言うことだよ」
再度、秀斗はその大きな意味を伝える。
「ふーん……」
秀斗の言葉に楓音はどこかつまらなさそうな顔で何度も頷いた。
優劣。
ここでは一つの価値でそれが決まってしまうのか――。
楓音は納得出来なかった。
まるで、小さな檻の中。
狭い世界での争い。
視野が狭すぎる。
こう言うのを何て言うんだっけ――。
そうだ、どんぐりの背比べと言うのだ。
楓音はそう思ったが、今の自分が言うのには失礼過ぎたため、咄嗟に言うのを止めた。
「――でも、あくまでも学力での優劣とは、知識・知能の優劣だけであり、権力の優劣では無いと思うのだけど?」
それでも解せない感情が溢れ出す。楓音は訴えた。
一歩譲ったとしても、知識や知能は多少理解出来ても、権力は違うはず。
「……違うんだ。一般的にはそうかもしれないけど、この学園は違うんだよ」
納得している顔にも関わらず、秀斗は楓音の言葉を否定した。
「どうして?」
楓音の眉間のしわがゆっくりと寄って行く。
「僕らには学力試験や身体試験などで学誉と言うポイントが付与される」
ゆっくりと聞き取りやすい様に秀斗は楓音に説明する。
学誉の付与条件は、学力試験以外にも身体試験や技術試験、美術試験と言った専門試験も付与条件としていた。
「ポイントの付与ね……。入学説明の時にそんなことを言われた気がするわ……」
楓音は少し呆れた様な顔で小さくため息をついた。
学誉。
何度も秀斗の口から出る言葉。
どうやら、それがこの学園の鍵なのだろう。
「そう。学誉、そのポイントが高いほど、この学園では偉いんだよ」
「この学園では偉い……?」
生徒に偉い、偉くないは無いと思うのだけれど――。
楓音は瞬きを繰り返しながら、理解出来ないのか首を傾げる。
「そう、偉いんだよ。――この学園では」
秀斗は釘を刺す様な言い方でそう言った。
「ふーん……」
納得していない顔で楓音は小刻みに頷く。
すると、周囲を流す様に見ていた楓音の視線は止まった。
――私は夢でも見ているのか。
大きな違和感。
当たり前の様な雰囲気で『異常』なものがあった。
取り乱してはいけない。
意味がわからず、楓音の思考は混乱する。
落ち着け、落ち着きなさい――楓音。
楓音は小さく深呼吸した。
学誉が高いほど偉い。
秀斗の言葉を楓音は思い出した。
「だとしても、あれは違うんじゃないのかしら――?」
思い出した秀斗の言葉に返す様にそう言うと、楓音はホールの隅にいた男子生徒に視線を向ける。
「あれ? ――ああ、あれか」
楓音の視線を辿る様に秀斗もその光景を確認した。
誰もが見てわかる。
それはいじめの光景。
眼鏡を掛けたやや肥満の男子生徒が、小柄の男子生徒に向ける殺意に似た意思。
小柄の男子生徒は逆らえないのか、やや肥満の男子生徒の暴力に耐えていた。
「――大井田か」
やや肥満の男子生徒を見つめ、秀斗は彼が誰であるかを思い出す。
大井田健司(おおいだけんじ)。
総合ランキングベスト10に入る学誉を持つ同級生だ。
小柄の彼も見たことがある。
――名前は確か、杉田くんだったかな。
「知っているの?」
少し睨む様な目つきで楓音は秀斗を見つめていた。
同罪とでも言っている様な眼差し。
――当然の反応だ。
「そりゃね。――同学年だもの」
何食わぬ顔で秀斗は言う。
秀斗は両者とも知っている。
どうしてこうなったかも知っていた。
でも、彼の暴挙を止めはしない。
「その…、いじめている彼は誰なの?」
大井田を睨む様に楓音は見つめる。
「ああ。大井田くんって言って、ベスト10に入る学誉の持ち主だよ」
落ち着いた顔で秀斗は説明する。
彼は250人ほどいる二年生のベスト10に入る学誉を持っていた。
もう一度、ランキング表を見ると、
今の順位は――8位か。
大井田くんがそのくらいの順位なのは、一年生の頃から変わらない。
秀斗は過去のランキング表を思い出していた。
彼の性格はお世辞でも善人とは言えない。
道理的な男ではあるが、それと善人であることとは全く異なっていた。
それに道理的と言っても、彼の中での道理である。
「また、学誉――」
うんざりとした顔で楓音はそう言ってため息をつく。
どうして、あれもこれも学誉が関係してくるのだ。頭の中が混乱していく。
すると、楓音は腕を組み、目を瞑って考え始めた。
一度、冷静になろう。
楓音は頭の中で状況を整理していた。
こんなことを考えるために、
私はこの学園に来たわけじゃない――。
「ねえ――明智くん」
目を開け、楓音は落ち着いた顔で秀斗に声を掛けた。
「ん?」
さっきまでの表情が急に落ち着いた。
その様子だと、彼女の中で話がまとまった様に見える。
「つまり、彼がいじめられている理由は、大井田よりも学誉が低いから――そう言うことなの?」
眉間にしわを寄せ、楓音は解せない顔で秀斗に聞く。
現状と彼の言葉を信じる限り、その可能性が高かった。
「簡単に言えば――そうなるね」
学誉が低いから――確かに。
秀斗はゆっくりと頷いた。
別の理由もあるかもしれないが、大まかな理由はそうだろう。
「何故、周りは止めないの?」
楓音には理解出来なかった。
理由を知っているのに何故止めない。
周囲に人がいない訳じゃない。
それなのに、どうして周囲にいる生徒は彼を止めないのだろうか。
まるで、黙認。
無知よりも明らかに性質が悪い。
一番嫌いな性格だ。
「止めない――と言うより、止められないんだ」
困った様な顔で秀斗はゆっくりと首を左右に振るう。
「何故?」
すぐさま楓音は秀斗を睨む様に見つめた。
「いじめている大井田くんの学誉は35,000。それに比べ、いじめられている彼、杉田くんの学誉は500なんだ。普通、500なんてポイントは、入学初期から赤点を何度も取っているくらいの学力だよ」
何かを見通した顔で秀斗は彼らの学誉を説明する。
「そんなに差が出るの? 経った1年で?」
不思議そうな顔で楓音は驚いた声で言う。
500ポイントは赤点を何度も。
――と言うことは、そのポイントが学誉の下限値なのだろうか。
楓音は秀斗の説明を聞いて考えた。
「ちょうど彼らの差が学誉の上下限とも言えるね」
ランキングを思い出しているのか、秀斗は一度目を瞑ってからそう言った。
杉田のポイントが現在の最低ライン。
該当する生徒たちを思い出していた。
「ふーん。――で、どうしていじめられているの?」
楓音はそう言って、話を根本的原因へと移す。
「学誉以外の理由は僕もわからない。
でも、この学園では学誉が高い生徒の言動が『正しい』とされる。
だから、彼がいじめていたとしても、それは『正しい』ことになってしまう」
深刻な顔で淡々と秀斗は説明した。
その言葉の通り、学誉が高い生徒の言動が正しいとされてしまう。
必然的に正しいとされてしまう制度、仕組みがこの学園には存在していた。
「そんな馬鹿な話があるの?」
信じられない顔で楓音は口を半開きにする。
「ああ。本当にその通りだよ」
呆れた様な顔で秀斗は強く頷いた。
「――まあ、本当は違うみたいだけどね」
「何がよ?」
この男は何が言いたいのか。
楓音の目つきは噛み付く様に鋭くなっていた。
「あの制度は本来、切磋琢磨して欲しいと言う学園の意図があったみたいだけどね」
どこか残念そうな顔で秀斗は呟く。
本来、いじめと言う争いではなく、
競争と言う争いになれば――。
学園側はそう思っていたはずだ。
しかし、生徒たちは学園の思惑とは別の道へ進んでしまった。
やはり、この制度は僕ら少年少女が扱うには荷が重いのかもしれない。
「……つまり、こういう使い方もある――と?」
正直、納得していなかった。
いや、納得出来るわけがない――。
心の中で怒りに似た感情が溢れ出していく。
次第に眉間にしわが寄っていった。
「そう。だから、僕らは『正しい』彼の行動は止められない。まして、彼以下の学誉の僕らが彼を止めることは『正しくない』からね」
この学園では、それが肯定されてしまう。
秀斗は諦めた顔をしていた。
本来、変えねばならない。
この制度は良き方向へ利用しなければならない。
しかし、その方法を変えられるほどのことを秀斗は出来なかった。
――いや、しなかったのか。
一度は変えようとして諦めたのだ、僕は。
僕が変えようと思ったところで、
誰もついて来てはくれないだろう。
ましてや、変えても変えた僕が異常と言われ、
忌み嫌われるなら変えない方がマシだ。
あの頃の様に、結局自身の行動が無になるくらいなら、
最初から無の方が傷付くことは無いだろう。
「『正しい』か『正しくない』か――」
楓音ははっきりと告げ、深刻な顔で俯いた。
くだらない。
実にくだらない。
この学園はたった一つの事柄の大小で優劣をつけた。
あろうことか、その大小は善と悪すらも決めつける。
『正しい者』
それが善人。
『正しくない者』
それが悪人。
そうであると言わんばかりに。
この学園はそれを決めつけた。
何を基準に善と悪を決める――。
基準はここには存在しない。
――そもそも存在するのか。
我々に基準も、善悪も、
それらを決められる権利は存在しない。
しかし、この制度はそれを存在している様に見せかけた。
価値――。
倫理――。
道徳――。
そのすべてはこの制度で覆されようとしている。
真の『正しさ』など、ここには無い。
仮にあるとすれば、それは『正しくあろうとする』その心だけ。
こんなくだらない制度、壊してやる――。
楓音は感情を露わにする様に顔を尖らせた。
壊せる方法。
今すぐこの制度を壊せる何かが――――あった。
「じゃあ、あれならいいのかしら――?」
楓音は何かを思いついた顔で顔を上げた。
あの制度、あの方法なら。
この状況を変えられるかもしれない。
このくだらない今を。
――この現実を。
大井田の不適切な行為。
それらを変えることが。
この天才の間違った理を崩す方法が――。
「――えっ?」
楓音の表情に秀斗は青ざめた様な顔で驚いた。
秀斗の頭に過るたった一つの術。
何せ、秀斗も一時期はそれで変えられると思っていたからだ。
すると、楓音は両者の間に立ちふさがる様に立つ。
突然の仲裁。
大井田は驚き、その足を止めた。
「ねえ、あなた――。私と天才崩理しない?」
まるで大井田を煽る様な口調。
楓音の唐突な言葉に二人は言葉を失った。
杉田は、何でどうして、そう言いたげな驚いた顔をしている。
天才崩理――。
彼女は間違いなくそう言った。
つまり、彼女はこの学園にある制度の一つを行使したいと言うことだろう。
『天才崩理(アルカード)』
そう呼ばれる学園制度を。
数秒後。
秀斗は楓音の言葉をようやく理解した。
しかし――。
秀斗は無言で眉間にしわを寄せ、難しい顔で彼女たちを眺めていた。
天才崩理と言う制度。
あれはそんな簡単な制度じゃない。
天才崩理は、この学園のコアとなる制度。
言わば、根源だ。
「お前、何を言っている…? 自分の学誉を見て、言えよ?」
楓音の言葉に大井田は唖然とした顔で口を半開きにしていた。
「なっ――」
大井田の言葉に楓音は慌てて自身の校章を見る。
自身の校章に表記されていた学誉は100。
「あ、あれ…?」
可笑しい。教師から聞いていた数値と――違う。
楓音は校章のボタンを何度も押し、数値を確認するが間違いない。
今の楓音の学誉は他の生徒よりも圧倒的に低かった。
何なら、秀斗に下限と言われた杉田の学誉よりも低いではないか。
言動を見る限り、楓音の学力が低い様には見えない。
転校して間もないため、正式な学誉が反映されていないだけだろうか。
秀斗は驚きながらも、事情を推察した。
すると、大井田は何か思いついた様に笑みを浮かべる。
一瞬、この場が静止した様に静まり返った。
「座れ――」
一言。大井田は冷たい口調でそう告げた。
「え?」
大井田の言葉に楓音は不思議と首を傾げる。
何故、大井田は突然、座れと言うのか――。
楓音は理解出来なかった。
その瞬間、楓音の視界は歪む。
楓音に重圧が圧し掛かった様な感覚が襲い、
無意識に座り込んでいたのだ。
「え――っ?」
初めての感覚。楓音は目を見開き、信じられない顔をする。
なんだこれは。
いったい、私の身に何が起きたのだ――。
「暴れるな。この力に歯向かうと――ケガするぞ」
大井田はそう言いながらも、ゆっくりと楓音に近づいていく。
暴れるも何も動けない。
これはいったい何なのだ――。
「お前――中々、可愛いな」
まじまじと楓音を見つめ、大井田は気がついた様に言う。
見たことが無い女子生徒。
何者だ、この女子は。
新入生――いや、この校章は二年生。
となると、彼女がB組に入ったと言う転校生か。
噂で聞いた通り――美少女だ。
大井田は楓音の素性を理解する。
こんな美少女こそ相応しい。
――権力者である俺の女に。
不思議とこの時の大井田は、酔いしれるほど自信に溢れていた。
「なあ――。俺の女にならないか?」
最後の一言でさらに楓音への重圧が増加した。
まるで、強制する様に。
興奮のせいか、大井田から崩れた笑みが零れる。
あまりの重圧に楓音は立ち上がれずにいた。
「――っ!」
数秒後、座り込んだ楓音は気づく。
先ほどの大井田の言葉が《正しい》と言う扱いになったことに。
原理はわからない。
しかし、大井田の言った『座れ』と言う言葉――命令が強制的に自身に適用されたと言うことか。
楓音は重圧を耐えながら、自分の身に起きた状況を考えた。
学誉次第で言動の正しさが決まる。
この力があるから、間接的に正しくなるのか。
こう言う事だったのか。
秀斗が言った言葉の真意を楓音は身を持って理解する。
本来の正しさとはどこにあるのか。
自身が思う正しさを示そうにも、この学園ではそれさえも許されないのか――。
楓音の中で悔しさが込み上げた。
――私はこの学園を変えられないのか。
僅かながら、楓音の目元が潤んだ。
「……」
秀斗はいじめを止めようとした楓音を遠くで見つめていた。
大井田が使ったのは、
『発言力(リマーグ)』と呼ばれる力。
この学園では、一定の条件下で学誉の高い者が学誉の低い者に指示、命令出来る仕組みが存在した。
学誉の差が大きいほど、その発言力の力は大きくなる。
それ故、大井田の発言力は楓音へ大きな重圧を与えたのだ。
「このまま見ているのか――僕は」
ひと息ついて、秀斗は冷静な顔で楓音たちを見つめていた。
僕はどうありたいのか。
秀斗は今一度考える。
――僕自身の在り方を。
学誉。
発言力。
そして、天才崩理と言った学園制度。
この一年、避けてきた。
それらに関わることに、争うことに――。
何もしない。
僕はそう誓った。
そのはずだった。
でも、どうしてか、不思議な感情が僕の中にある。
自身で抑えきれ無かった。
堪えてきたはずの感情が今、溢れ出している。
正しくないことは正しくないと胸を張って言う彼女の姿。
そんな彼女の姿に呼応する様に、この現状を変えたい、と言う感情が僕の足を突き動かしていた。
秀斗はゆっくりと足を動かし、二人の間に入る。
この現実を変えようとした彼女を僕は助けたい。
だから、僕はもう一度、この学園を――変える。
今の秀斗には迷いが無かった。
「それじゃ、僕の学誉をすべて賭けるよ」
楓音へ歩み寄る大井田へ向け、秀斗は何食わぬ顔でそう言った。
「――は?」
秀斗の突然の介入に大井田は意味がわからない顔をする。
二人目の介入者に周囲は騒然としていた。
あの大井田に歯向かう男子生徒。
吹き抜けから見ていた生徒たちは秀斗を知らなかった。
「彼女に代わり僕が、僕の学誉を賭けて、君に天才崩理を挑むよ」
大井田に伝わる様、秀斗ははっきりと聞き取れる声でそう告げる。
彼女に代わって、僕が彼に天才崩理を挑む――。
これが今の僕が彼女たちに出来る最善の策だった。
「お前のすべて――?」
眉間にしわを寄せ、大井田は解せない顔をする。
こいつはいったい何を言っている――。
何が言いたいのだ。
突然の提案。
大井田の頭は追い付けずにいた。
「ああ。僕の学誉のすべて。この天才崩理でそのすべてを賭けるよ」
僅かな笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いた。
僕の学誉を賭ける。
この学園での僕のすべてを。
「天才崩理で――だと?」
信じられない様な目つきで、大井田は秀斗をまじまじと見つめる。
つまり、こいつはさっきの女子と同じく、俺に天才崩理を挑むと言うのか――。
名も知らぬ無名のこの男は、俺が上位ランクとわかって挑むのか。
この男はいったい何者なのだ――。
何を目的としているのか。
大井田の思考はフル回転していたが、秀斗の真意は理解出来なかった。
「そうだよ」
秀斗は自身の発言の重みを今更ながら理解する。
そうだ。
たった今、僕は君に天才崩理で僕の学誉のすべてを賭けると言ったのだ。
僕のすべてを賭けて――。
言ってしまった言葉は取り消せない。
言葉とは覚悟なのだ。
進んでしまったこの一歩。
この一歩を僕は絶対に無駄にはしない。
「――5,000か」
大井田は秀斗の学誉をゆっくりと読み上げる。
瞬時に大井田はその学誉すべてが、自分のものになった場合を考えていた。
入学から誰とも争わず、ひっそりと貯めた秀斗の学誉。
本来、争う必要は無い。
それ故、秀斗の学誉は大幅に増えることも無く、減ることも無かった。
地道に増えていき、こうして今の学誉となる。
「君がそれを得れば、君の学誉は40,000に――」
純粋に互いの学誉を足した数値を大井田に伝える。
「俺の学誉は40,000になる……」
その未来を想像する様に大井田は呟いた。
「そうなれば、君は――1位になる。どうだろうか?」
訴えかける様な顔で秀斗は言う。
ランキング表の学誉上位陣は35,000から38,000に集中していた。
それが現段階での最高ライン。
無論、大井田も知る事実。
それにあの数値の先に見えない壁があることも。
つまり、40,000と言うポイントは、即ち――。
「それは――」
必然的に自分が1位になる。
その事実に大井田は少し困惑していた。
本当に自身が1位になれるのか。
なれる素質があるのか――。
この学園の頂点に。
夢にまで見た最高の地位へ。
最高の権力者。
その単語が大井田の中で染み渡っていた。
「君にとって悪くない話じゃないか?」
困惑する大井田に選択肢を与えない様、秀斗は追い込んでいく。
上位であるほど、学園での地位を理解していた。
それ故、困惑しているのだ。
しかし、そんな困惑は今の僕にとってはどうでも良い話。
そうだ、戦え――。
僕と戦って、勝てばいい。
そうすれば、君は1位になる。
この一年、君が望み追いかけてきたその1位の席に今、君は座れるだろう。
――君が僕に勝てるのならば。
大井田の選択を待つ中、
不思議と秀斗は落ち着いていた。
「ああ。でも、お前が負ければ――わかるだろ?」
良心なのか、大井田はあることに気がつく。
「うん、勿論。僕の学誉が0になれば、必然と退学になるね」
秀斗は何食わぬ顔で心配そうな顔の大井田に言った。
通常、赤点などの減点で学誉が0になった場合は退学となる。
天才崩理で学誉が0になっても、同様のはずだ。
秀斗と大井田、互いの認識は一緒だった。
「わかっていたのか…、そんなボランティアもいるんだな」
感心した顔でわざとらしく大井田は頷く。
わかっているなら、これで退学になっても自分のせいじゃない――。
秀斗の言葉を聞いて、大井田の心配事は無くなった。
明日から1位。
どんな顔でこの学園を歩こうか。
大井田は確信した様に笑みを浮かべた。
「それに僕は――。ボランティアな訳じゃないんだけどね」
空を見上げる様に顔を上げ、秀斗は小さくそう言った。
初めから、負けるつもりは無い。
それにすべて賭けると言わなければ、君はこの勝負に乗ってこなかっただろう。
大井田健司とは――そう言う人間だ。
公益では無く、道理的な自身の利益を好む。そんな男だ。
「え…?」
楓音は流れがわからず困惑し、呆然としている。
どうして、関わる必要も無いはずのあなたが関わっているのか。
突然私の前に現れ、大井田に天才崩理を仕掛け直した。
――何故だ。
「なんで…? なんであなたが?」
楓音は秀斗を見上げる様に顔を上げ、不安そうに言う。
そして、楓音は息を荒くして、ゆっくりと立ち上がった。
「そりゃ、君の代わりだから?」
ふらつく様な足取りの楓音に秀斗は楽しそうな笑みを返す。
どうやらその様子だと、大井田の発言力は彼女の身体に大きな負荷を与えていた様だ。
この発言力は――暴力。
扱いを間違えれば、凶器となる。
やはり、発言力は僕らが使って良い代物では無いのだ。
「代わりって――」
なら、本来は私がやるべきなのでは――。
楓音は眉間にしわを寄せ、途端に解せない顔をする。
「冗談だよ。本当は君に心を動かされたから――かな?」
前向きな姿勢で秀斗はゆっくりと視線を大井田へと移した。
答えを聴こう――。
秀斗はそう言いたげな眼差しを大井田へ向ける。
きっと、君ならこの戦いは断らない――。
それに立場を考える君ならば、学誉の少ない僕からの天才崩理は断れないはずだ。
高い学誉を持つ立場として――。
秀斗は大井田の思考を理解していた。
それ故、秀斗は自身のすべてを賭けたあの条件で天才崩理を挑んだのだ。
無謀かつ大胆な選択。
一時間前の僕なら考えもしなかっただろう。
「……良いだろう。俺とお前の5,000の学誉を賭け、お前の天才崩理を受諾しよう――」
大井田はそう言うと、ゆっくりと右手を前へ差し出した。
俯いたその顔は、仕方ないと言いたげな顔にも見えた。
「ありがとう。大井田くん」
微笑み秀斗も右手を前に出す。
――「「天才崩理」」
その言葉で互いの校章は光り、承認された様な電子音を奏でる。
これで秀斗と大井田の天才崩理が正式に決まった。
ここから始まる。
僕の天才崩理が――。
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