第20話 弥彦の逃亡劇
一志が格闘の指導を受け始めた時、勇者たちは魔族の砦を落とす一歩手前まで来ていた。
そこかしこに火の手が上がる戦場には、魔族の死体と装備品ばかりが転がっていた。
「北見さん、準備は良い?」
星川誠司の呼びかけに応じ、砦の正門に勢ぞろいした勇者の中から長身の女子生徒が一歩前に出た。
「ええ、勿論」
彼女の名前は北見 明日火(キタミ アスカ)、クラスの委員長と生徒会書記を任されていた。
明日火は長い黒髪をかき上げ、力強い瞳をより一層際立たせて正門を睨む。
「ロックバレット」
土魔法の中でも最も簡単な部類の攻撃魔法を唱えた。拳大の石を飛ばすだけの魔法が、彼女の固有スキルによって何倍にも強化された。
直径10m以上の岩石が瞬く間に生成され、それがライフル弾が如く超スピードで鉄の門に突っ込んだ。
門を鉄くずに変えてもなお岩石の勢いは収まらず、数人の魔族をひき殺した。
「行くぞオラ!!!」
西村拳太が先陣を切り、他の近接向きの勇者達が砦になだれ込んだ。
「うっ…」
明日火は大量の魔力を消費した倦怠感に襲われ、その場に崩れ落ちかけた。
「おっと、大丈夫?北見さん」
「私の事は良いわ。星川君は早く砦の中の魔族を!」
「ああ、分かってるよ。これ飲んで」
誠司からポーションを受け取った明日火はそれを一気に飲み干して、戦場に相応しくない微笑みを浮かべた。
「ふふ、こんなときでも優しいのね…」
魔族たちが砦の中に逃げ込んだとはいえ、いつまでも外をうろついてはいられない。生き残りの兵に襲われスキルを使ったら、次こそは意識を失ってしまうかもしれないからだ。
「誰か暇そうな人はいないかしら…」
最大火力では誠司の全力すら大きく上回る明日火だが、燃費の悪さは勇者一だった。
砦の中に入る程戦闘向きではなく、かつ完全な援護型でもないクラスメートには心当たりがあった。その生徒にフォローを頼もうとしたが、一向に見当たらない。
「ねぇ、鞠宮君知らない?」
「ああ、彼なら砦に入っていったよ」
「な、なんですって!本当!?」
明日火に詰め寄られた男子生徒はビクビクしながら質問に答えた。
「ホ、ホントだよ!でも全く戦えないってわけじゃないだろ、彼」
「そうかも、知れないけれど…」
彼女は弥彦の事を、自分の身を守れる最低限の戦闘力は持っていると評価している。しかし、弥彦は協調性を持ち合わせていないとも思っている。
乱戦の中、背後を守ってくれる友人がいない弥彦の姿を想像した。
「私、行ってくる!」
「待ちなよ委員長!」
「大丈夫、少しはスキルの加減が出来るようになってきたから」
「何言ってるのさ!さっきのロックバレット、完全に調整ミスだろ!?」
「でも私が行かなきゃ!」
砦の前に残ったクラスメート達が口々に明日火を引き留めようとした。彼女はなんとかそれを納得させると、半ば強引に砦に突っ込んだ。
「どこ、どこ!鞠宮君…!」
爆発音と断末魔が鳴り響く砦の中を物陰に隠れながら少しずつ進んで行くと、クラスメートの声が飛び交う最前線に辿り着いた。
「誠司!ぶちかます!後に続けぇ!!」
「了解!!」
「この、鬼畜共がァーー!!!」
砦の中から放たれた炎魔法が明日火の目の前に落ちた。
(ここは鞠宮君じゃ荷が重すぎるわ!)
瓦礫の下、倒れている死体、煙の向こう側。そこかしこをじっくりと見渡していると、一つの死体がもぞもぞ動いているのを発見した。
「鞠宮、君……?」
死体から這いずり出た彼は、周囲を見回して眼鏡をくいっと上げた。
そして、全力で走り出した。もちろん砦の外壁に向かって。
「な!何をしてるのよあの人は!」
明日火も弥彦を追って戦場を駆け抜けた。弥彦は途中、魔族の兵士に見つかったが、苦戦することなく冷静に対処した。
弥彦は強い精神力を持ってはいるが、人殺しは流石に遠慮したいと思っている。だから兵士達の脚の骨を折ったり気絶させたりするだけにしておいた。
「あれ…?あんなに強かったの…?」
それを何度も目の当たりにした明日火の心の内に、弥彦を疑う気持ちが少しずつ芽生えて行った。
しかも、弥彦の向かう先は正門ではない。外壁しか無い方向に迷いなく全力疾走だ。
「まさか……」
敵前逃亡。正義感の強い彼女にとって受け入れがたい行為だが、だからといって死ぬよりはマシだと考えている。
しかし、彼は本当に逃げているのか?頭脳明晰な彼が道を間違えたりするのか?明日火が戸倉高校に入学したのは華道部の顧問が自分の師匠だったからで、弥彦には及ばないが頭はキレる。
「鎖よ」
弥彦は外壁に向かって鎖を打ち込んだ。何度か引っ張って感触を確かめると、鎖を巻き取って壁を乗り越えようとした。
「アイスバレット」
小さな氷が外壁にぶつかった。敵襲かと思い振り向いた弥彦だが、すぐに自分の脇の甘さに落胆した。
「北見さん!ここは危ないよ、早く逃げた方が良い!」
「ねぇ、鞠宮君……あなた何を考えているの?」
「何って、僕のスキルで壁を登ろうと――」
「なんで正門の方に逃げなかったの?そっちのほうが近いし安全でしょ?」
弥彦は演技して粘るのは諦めた。明日火の頭の良さを鑑みるに、もう自分の思惑はバレたんだと察した。
そして、明日火とテレーズの性格上、今後自分には監視の目が付くと推測した。
(あの用意周到な聖女様のことだ、僕が牢獄に送られても不思議じゃない。なら、このチャンスを逃した時点で詰みかな)
「鞠宮君、答えて!次はスキルを使うわよ!」
「鎖よ」
縛り付けた者の体力を吸い取る鎖が明日火を捉えた。
「え!?な、これ……」
明日火は抵抗することもできずに弥彦に担がれた。
「洗脳の解き方、か。難しそうだけど、うん。興味深いな」
弥彦は明日火を抱えて、えっちらおっちら壁を登った。
「ふぅ、ちょっと重いな。これからは体力付けなきゃだめだね」
「う、あ……失礼、ね……」
「ああ、まだ意識あるんだ。君華道部だったよね?すごいなぁ」
「は、離し、なさ…」
「北見さん、体力の秘訣が知りたいな。教えてよ、やっぱり沢山食べるのが良いの?」
「あ、あなた!で、デリカシーって…言葉!知らない、の?」
「ん?もちろん知ってるよ?デリケートの形容詞形だよね、意味は……あ、もしかして怒ってる?ごめんね~!」
「あなた!何なのよもう!」
「うわ、すごい元気だな!ステーキとかが良いの?それともスッポンの血?」
「あああ!離しなさーーい!!」
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