第10話 夜明けの決斗

 ざっざっ――と足元で草が鳴る。

 後ろから近付いているというのに、千之助は全く気にしていなかった。

 不意打ちが目的ではないからだ。

 逆に警戒して射撃の手を止めてくれると助かるくらいだ。

 絶壁へ向かう斜面を登る。

 まばらな立木の隙間からは対岸の崖と空しか見えない。

 先細って行く岩場の先端に人影が一つ――寝転んで細長い棒を構えている。

 あれが『ライフル』であろう。

 ライフルの先は、崖の向こうへ向いている。

 立木が途切れた辺りで足を止める。それでも十メートルは離れている。

「そうか――あれは幻影か……」

 寝転ぶ影が千之助を見ずに言った。

「さくらは離れた所にいます」

 影が立ち上がった。今度は銃口が千之助に向いた。

 暗く小さな穴が千之助を睨んでいる。

「なぜ、あの娘を助けるのだ、人間――?」

「そのまま質問を返しますよ。どうしてさくらの命を狙うんです?」

 千之助はその影をじっと見た。

 小柄な女性だ。

 影を背負ったように顔はよく見えないが、額の辺りに一本の角がある。

「さくらはあなたの妹でしょ」

 崖間を渡る風が冷やかすような音を立てた。

 ようやく顔を上げた太陽が、澄んだ空気を抜けて辺りを照らした。

 彼女の顔が見えてきた。

 厚めの瞼で半目ながら、鋭い目付きだ。鼻も口も大雑把な作りで、さくらには似ていない。耳が隠れるほどの短い髪も、癖があってうねっている。

 でも、彼女はさくらの姉だという確信があった。

「なぜ分かった?」

 勘かな――と、千之助は肩をすくめた。

 昨日の夜更け。

 一度収まった家族の宴が再開した。

 全く意味が分からず、つき合わされた。

 夜半過ぎ、やっと一人、一人と寝付いていった。

 最後まで頑張った春実が寝たのは、もう夜が明けるという時刻であった。

「お前が出るのを勘付いていたのではないか?」

 白心だ。

 庵の外までで良いと言ったのだが、山の外れまで送ると返された。

 お前こそ離れがたいのか――?

「かもな」

 また頭を読まれてしまった……。

 山は夜明けの準備をする。

 閉じた夜を開放するため、逆に闇が凝縮するような感覚だ。気温は下がり、圧迫感が増す。そのタイミングで、霧とも靄ともつかない気配が肌にまとわり付く。しかし、それは太陽の一筋であっけなく霧散する。

 白い闇の中を、白心、千之助、さくらの順で歩く。

 迷子にならないようにと、千之助はさくらの手を引いている。

 千之助――と、白心がいつもの落ち着いた声で名を呼ぶ。

「お前を狙っている鬼も、さくら殿を狙っている鬼も、広義で千年神話の参加者だ。こいつらは覇権争いが終われば悔恨は残らない」

 千之助は頷くと、さくらをそっと覗き見た。手を握られ俯きながら付いてくる。

 狙撃者のことか――。

「そうだ。あれは恐らく――」

 この子の姉さんだよね――。

「気付いていたのか?」

 なんとなくだよ。あの狙撃はさくらを何が何でも殺そうとしていた――。

「目的は……代表権の喪失かな」

 小さく、森の呼吸にかき消されるくらいの声で白心は言った。

 やっぱりそうだよな。銃なんかじゃ代表権は委譲しないだろ――。

 白心は答えない。

 それが答えである。

 見通しの立たない事態のように、圧縮した夜が迫る。

 振り払うように白心が声を上げた。

「どうする気だ?」

「止めさせるさ。代表権の喪失なんて、ただじゃ済まないだろ?」

「――それなりの処罰はあるよ」

 庵からはだいぶ離れてきた。もう少しで森が切れる。

 白心とはそこまでだ。

 千之助は考えた。

 さくらは狙撃してきたのが姉だと気付いている。さくらは自分が死ねば全て収まると思っているから抗わないのだ。殺すのが姉なら、自分は構わないと。

 そんなの、後で自分の姉をも苦しめるとは考えないのだろうか――。

「それほど単純ではないのだよ」

 どういう意味だよ――?

 白心は少し振り向いた。

 視線の向きから、千之助の肩越しにさくらを見たと分かる。

「さくら殿と初めて会った時、家族の話になっただろ。あの時、僅かだが彼女の意思が流れ込んできた」

 心配している家族なんていない――と言った時だ。

 白心の様子が微妙に硬くなったのが気になっていた。

「それが何なのだ?」

「母上を殺した剣豪――そいつは姉上の許婚だったのじゃ」

 答えたのはさくらであった。

 どうやら会話の内容が自分のことと気付いていたらしい。

「なるほど、お姉さんにすれば、君は仇でもあるのか……」

「わしが犯した罪を、姉上が罰する。それだけだ」

 声が重い。

 本当にそうだろうか――千之助は思考をめぐらせる。

 違う――と判断すると、言葉が思考を超え、口をついて出てきた。

「さくらに罪がないとは言えない。だけどお姉さんが仇討を終えた時、唯一の肉親まで失うのだ。同じ罪の苦しさを背負わせることではないか」

「それは――」

「千年神話は本物だ。君のお姉さんの行為は、それを邪魔する行為でしかない。どんな罰があるか分からないぞ」

 さくらの手が弱々しくなって、千之助の手からすり抜けて離れそうになる。

 千之助はその手をしっかりと握り直した。

「――どうすれば?」

「説得して止めさせる。だから君も死んで罪を償うなんて考えは捨てろ」

 だけど――とさくらが逡巡する。

「さくら殿、甘えておけばいい。君のお姉さんは君の唯一の肉親だ。つまり、こいつの義理のお姉さんになる人だ」

 白心の思い切った言い方に、さくらの顔が下へ向いたまま戻ってこない。

「つまりは結婚への唯一の障壁と同義だ。こいつが打ち崩すしかないんだよ」

 なんて言い方をするんだよ――と思いつつ、確かにその通りだとも受け入れていた。

 手がぎゅうと力強く握り返された。

 任せて――と優しく言うと、うん、という小さな返事が背中に聞こえた。

 あの時の手の感触がまだ残っている。

 それを勇気に変え、千之助はもう一歩前に出た。

「橋で襲われた時、スキンヘッドと長身の目的は代表権の譲渡だから、さくらをただ殺せば良いわけじゃない。だからこそ、橋への攻撃は躊躇った。しかし狙撃は躊躇なく橋を落とした。さくらの死そのものを目的としていたからだ」

 相変わらず銃口は冷たく千之助を見つめている。

「覇権争いが起こっている現在、さくらの死を望むのはひとの側。だけど代表者以外が手を出したら無効だ。じゃあ、他には――と考えた時、可能性として上がるのは血縁関係だ。聞くと残っているのは姉しかいない。と、まあ――お粗末な推理ですが」

「で……お前は何をしに、ここへ?」

 銃口よりも鋭くさくらの姉が睨む。

 千之助は、頭をこりこりと掻きながら近付いた。

「まあ、何を言おうかと考えていたのですが――」

 さくらの姉の五メートル手前で足を止めると、千之助は勢い良く頭を下げた。

「妹さんを僕にください!」

 空へ飛んだ声は、谷間へ落ちるように響いていった。

 声の余韻を切ったのは、さくらの姉だ。

「――はあ?」

「お母さんは亡くなっていると聞いたので、承諾は唯一の肉親であるお姉さんに取るしかないと思いまして」

「今がどんな時か、分かって言っているのか?」

「お姉さんと初対面。今度いつ会えるか分からない――そんな状況?」

 いやいや――とさくらの姉は頭を横に振った。大きな一本角が動きに遅れて揺れる。

「千年神話という大事な時に、お前は一体何を考えているのだ。第一、お前は敵だろ」

「鬼の敵ではありますが、さくらの味方です」

 銃口は千之助の胸辺りを狙ったまま動かない。

 じっと値踏みするような目で見ている。

 千之助には分かる。

 それは狙撃者ではなく、肉親の目だ。

「ダメだな。お前のようないい加減なやつに妹はやれん!」

 声のトーンを落として、そう言った。

 やっぱりね――千之助は再び歩き出した。

「あなたは許婚の仇を討とうとしているわけじゃなさそうですね」

「それが理由だ」

「違います」

「何が違うというのだ?」

 さくらの姉は言いながら位置を少しずつずらしていく。

 背後は絶壁だ。

 余所見は危険だが、千之助をまだ敵視しているのだから、当然といえば当然だ。

「許婚はあなたの母親を殺した相手でもある。もし仇討ちならば、そこを容認してしまうのが分からなかった」

「愛した人を選択したまでだ」

 素直な言葉を出せないのは、姉妹で似ている気がした。

 会ったばかりの時の、さくらとそっくりだ。

「あなたの射撃には躊躇いがあった。仇討ちの必死さがない。むしろ、失敗してほっとしているようにも見えました」

「そんなはずなかろう――」

 止められたら、すぐ止まるつもりで歩んできたが、とうとう先端まで来てしまった。遠く対岸の森の中に、さくらが見える。

 岩場に腰を下ろし、足を振りながら千之助の到着を待っている。

 視線を彼女の姉へ移す。姉の方も動きは止まっている。千之助との距離はライフル二挺分だ。

「でも今の会話で分かりました。あなたはさくらをこの状況から救おうとしているんですね」

 厚い瞼の下で、光を青く跳ね返す瞳がじっと千之助を見ている。

「負けることも、勝つことも、さくらにとっては辛い選択でしかない。それから解放してやろうとしているんじゃないですか?」

「買いかぶり過ぎだ――」

「そうでしょうか。さくらを殺せば、想像を超えた罰が待っている。そんな覚悟は並大抵じゃできませんよ」

 さくらの姉は答えない。

 ただ少し顔を赤らめている。

 本当に姉妹そっくりだ――千之助は心で思った。

「妹の結婚相手なんて、本人を殺してしまえば関係ないと言うのに、あなたの答えは、さくらの幸せを考えている。だからこそ、あなたの行為も自分の私欲のためではない――そう気付いたのです」

 さくらの姉はため息をつくと、ライフルをゆっくりと下げた。

「そうか、引っ掛けられたか――」

「いや、本気だったので、断られてすごい傷付いてますけど……」

「本気って……お前は犯罪者か?」

 千之助は改めてがっかりした。

 その壁は乗り越えたつもりだったから、面と向かって言われると揺らぎそうになる。

「ま――お前はともかく、大事なのは妹の気持ちだ」

「そう、そのことで提案があるんですけど」

 最大級に落ち込んだ声で千之助が言った。

 さくらの姉は続きを促した。

「殺す殺される以外の解決法を僕が探します」

「夢物語だ――。そんなのあるはずがない」

「探します。さくらに幸せになってほしいのは、あなただけじゃないんです」

 再び声が渡っていく。

 さくらの姉が目を逸らさずに歩み寄ってくる。

 千之助の数歩手前で止まると、小さい声で話し始めた。

「本来はわしが代表者になるはずだった……」

「――どういうことです?」

 さくらの姉は横目で千之助を見て、諦めたのか、ため息に続いて説明を始めた。

 許嫁とは言われているが、剣豪の狙いは母親の道場であった。乗っ取りを企む政略結婚だったのだ。自分の栄誉の為には手段を選ばない男だったという。

「母上が代表者になったことを、奴は知ってしまった」

「教えたのは、さくらでしたね」

 さくらの姉は頷いた。

「責任を感じたのはさくらだけではない。わしもそうだった」

 だから姉自身が仇討ちに行ったが、元許婚も剣豪の名は伊達ではなかった。

 剣の勝負では負けそうになった。

「いや、負けたのだ。だからこそ二番手のさくらが選ばれたのだ」

 不幸が重なったのだ。

「わしは銃を取り出し、奴を撃った。弾は奴の喉を貫いたが、即死ではなく、逃げようと後ろへ倒れ込んだのだ。そこに、わしを助けようと駆けてきたさくらの短剣があった……」

「それはなんとも……」

 千之助は掛ける言葉を見失った。

 姉の不意打ち、姉の負け判定、さくらの登場、とどめのみが有効となり、さくらに代表権が委譲された……ということだ。

 さくらはその状況も自分の責と思っているのだ。

「そんなことでさくらが死ぬなんてことおかしい! 僕は認めない! 許せるはずがない!」

「お前……」

「僕がさくらを救ってみせる!」

「千年神話に逆らおうというのか?」

 驚くさくらの姉に、逆に千之助は我に返ったように冷静になれた。

「それはお姉さんじゃないですか。僕は抜け道を探すだけです」

 千之助はにいと笑った。

「それほど絶望的な状況じゃありませんから」

「なんて楽観的な――」

「よく言われます」

 再びさくらの姉がため息をついた。

「お前、名前は……?」

久慈間千之助くじませんのすけです」

 さくらの姉は意を決したようだ。笑ったわけではない。何も表情は動いていないというのに、会った今までで、一番良い表情をした。

「分かった。久慈間千之助、さくらは一時お前に預けよう」

「ありがとうございます!」

 だがな――と、下から挑むように睨め上げてきた。

「結婚の話はまた別だ。これが解決したらじっくりと話し合うからな」

「はい……」

 とりあえず千之助はそう返事をしたが、さくらの姉がどこまで本気なのか分からなかった。

 解決した未来に、千之助がいない可能性は充分にあるのだ。

 話し合いも、結婚も、全てが未知数であった。

 困った末に、千之助は対岸の絶壁へ目を移した。

 木々の途切れた辺りで、岩に腰掛けるさくらの姿が見える。

「まさか幻影とはな」

 さくらの姉が隣に並んだ。

 白心が用意した魔方陣があるのは、術の修行をした山だ。月鳴山を出て、谷を越えた先にある。足腰を鍛える修行だと言って、そこまで走らされたものだ。

 そこは、ひとの国だけではなく、いろいろな国と接しているため、冥界に近い磁場が発生している。そのため、僅かな力でも術が発動し、術の感覚を掴むには適した場所なのだ――とは、白心の受け売りだ。

 そこに魔方陣を描いたのも、千之助の体力を考えた、白心の気遣いなのだ。この山では下界で使えない術も使えるのだ。

「さくらはあっちにいます」

 千之助はもっと森の奥――頭一つ以上飛び出ている木を指差した。

 投影の術だ。古部谷が空に映していた術に近い。あれより簡単で、かつ高度な術だ。

 実際のさくらを術で作った水晶で撮影し、任意の場所に立体的に投影するのだ。影までも再現され、かなり近くまで来ても気付かれない精度があった。

 そうか――さくらの姉は頷いた。

 あの巨木の周りは特に磁場が強く、植物が育ちづらい。その木だけが唯一の植物であった。それが『だいだらの木』だ。彼を中心に半径三百メートルほどが空き地になっている。

 魔方陣はそこに描いた――と、白心は別れ間際に伝えた。

「なるほど、あそこなら僕でも術を発動できそうだ」

「できるさ。お前は優秀だからな」

 白心が珍しく千之助を褒めた。

「おいおい、めったにしないことをすると死亡するっていうぞ」

「何だ、それは?」

 森が途切れた辺りでの立ち話だ。

 うすぼんやりとした視界の向こうで白心が呆れ顔を浮かべた。

 こんなバカな会話が、千之助と白心の日常であった。

 だが、それが終わろうとしているのに、千之助には何も言えずにいた。

 親兄弟、乳母、義理の姉、幼なじみ――誰にもしていない別れの挨拶。

 白心にだけはするべきかどうかを迷っていた。

 恐らく、さくらの件を解決しても、できなくても、覇権争いは決着が付く。

 千年神話が終わった時、自分はいないかもしれない――

「いたら、その時にまた声を掛けてくれれば良い」

「白心――?」

「わたしはどんな世になっても天狗だ。だから『はぐれ天狗』なのだよ」

 素甘のような鼻を揺らし、寂しそうに笑った。

 千之助は頷くと、拳を出した。

 白心がその拳に自分の拳を合わせた。

「わたしの鼻は素甘じゃないからな」

 また会おう――千之助は苦笑しながらもそう言って、背中を向けた。

 さくらはしばらく無言で付いてきたが、待って――と一言を言い置き、白心の所へ戻っていった。

 森の切れ目で白心はさくらを待っていた。

 千之助からはさくらの背中しか見えない。小さい身体は、数秒の逡巡の後に言った。

「白心殿――わしは――良いのか?」

「何をだ? 君の心は読めないといったはずだが――」

 さくらは意を決したように、

「千之助を独り占めしても良いのか?」

 と、訊いた。

 これには千之助も目が丸くなった。

 なぜ白心に訊く――?

 ちらりと白心が千之助を見た。その視線には優しい温度が感じられた。

「さくら殿、あいつに幸せにしてもらいなさい」

「だけど――」

「わたしはあいつとふざけあったり、バカな話しができるだけで充分なのだ」

「わしが掠め取るような真似を許すのか?」

 白心は薄く笑った。

「わたしは本当に年齢が上過ぎるのだ」

 本当に――を強調していた。

 見た目よりと言いたいのかと思っていたが、違うらしい。

「鬼の年齢は一年で四歳ではないことを正直に話すのだぞ」

 さくらが遠目にも耳が赤くなって、恥ずかしそうに見えた。

 千之助は会話の意味を悟った。

 つまり、さくらは見た目も実年齢も十三歳なのだ。

 子供じゃないか――と慄きつつ、恋心を抱く自分が罪深かった。

 しかも、この気持ちはもはや後戻りできない所まできているのだ。

「それでいい」

 呟くような白心の声が遠く、風に乗って届いてきた。

 それは千之助への言葉だ。

 さくらが深く一礼をして千之助の側に来ると、二人は再び歩き出した。

 何度目かに振り向いた時には白心の姿は消えていた。

「どうしてあんなことを白心に訊いたのだ?」

「あんなこと?」

 さくらはとぼける気らしい。

「あいつに許可を得ることではないだろ」

「白心殿は本気で千之助に惚れているからに決まっておろう」

「何――?」

「春実よりも真っ直ぐ、そして純粋に好いている。気付かなんだか?」

 千之助は答えられずにいた。

 それは十三歳の娘に惚れる以上に問題がありそうだ。

 年齢は共に歳を取れば解消されていく。

 それは、千之助がさくらに星を見ながら言ったことだ。

「だけど性別は越えられない問題だよな」

「はあ――?」

 小さく呟いた千之助に、さくらは全力で抗議の姿勢を見せた。

「白心殿は女性ではないか。何を言っておるのだ?」

「は――?」

 今度は千之助の番だ。

 だが、抗議にはならなかった。

 千之助の完全敗北だ。

「おぬしはさっき白心殿を背負っておいて気付かなかったのか?」

 言われてみれば、背中に当たった感触は、男性とは違った。

「いやいや、ちょっと待て――そうなると、え――? えええええ?」

 ずっと男性と思って接してきていた。

「天狗に女性はいないと思ってた――」

「おぬし……白心殿は心を読めるのだぞ」

「じゃあ、否定するだろ」

 さくらが半目で睨んだ。

「もし女性だと分かったら、こんなに頻繁に庵を訪れたか?」

 そう言われると、変わらない友情を築けたかは自信がない。

「異性と思われずとも、一緒にいたかったのだよ」

 うわあ――……千之助は頭を抱え込みそうになった。

「僕、最低じゃないか」

「今、気付きおったのか?」

 さくらは会った時から知っていたらしい。

 だから千之助と白心の関係が不思議だったそうだ。

 そこから魔方陣のある山まで、ずっとさくらのお小言が続いた。

 魔方陣へたどり着いた時には、千之助のダメージは剣で戦った時以上であった。

 千之助は心の準備をしてくると言って離れた。

 鬼の国へ乗り込むことに対しての準備ではない。さくらとの約束だ。彼女も覚えていたから、頷いてくれた。

 鬼の国へ着くまでにさくらを助ける理由を訊かせる――と。

 もう決まっているし、心の準備も必要なかった。

 ただ言い訳に使っただけだ。

 さくらの姉に会いに行くための言い訳に。

 そしてここに来て、『狙撃者』は解決した。

 さあ、戻ろうか――という時だ。

「おい、様子が変だぞ――」

 姉がさくらを指差す。

 さくらが脅えて立ち上がっている。誰かがいる。

 ひと族か――いや、あの二人組だ――。

「どうする気だ!」

 千之助が自分を中心に円を描いたことに、さくらの姉が訊いた。

「ここから走ったんでは間に合わない! いちかばちか――術で飛ぶ!」

「な――」

 千之助は術に集中した。

 円の中で、天の印、風の印、ひとの印を結び、韋駄天を呼ぶ。

 本来は数分かかる契約を数秒で強引に終える。

 いけ――!

 鈍く円が光る。千之助を包む前に光が萎んだ。

「失敗?」

 さくらの姉の声に、負けず嫌いの術が盛り返した。

 一瞬で視界は奪われ、絶壁だった光景は、森の中の広場に変わった。

 正面――。

 躓いて倒れたさくらと取り囲む二つの影――スキンヘッドと長身だ。

「千之助――!」

 さくらの悲鳴が巨木の周囲を振るわせた。

「遅かったな、小僧!」

 スキンヘッドが斧を振り上げ、長身も幅広の剣を振り翳す――

「我らの勝ちだ!」

 距離にして十数メートル――

 だが、まだ諦める状況ではない!

 もう一度、千之助は素早く印を結び、術を発動した――

 千之助はさくらを庇う位置へと割って入った。二人の鬼の間だ。

 左の斧を兜割で抑え、右の剣は長剣で弾く。

 だがさすがのパワー。

 二人の攻撃を止められたのは、ほんの刹那だ。

 千之助もその零コンマ数秒を無駄にしない。

 す――と身体を右反転、兜割を長身へ、長剣をスキンヘッドへ。

 斧が抑制点を喪失してバランスを崩すのを横目に、千之助は意識を剣使いの方に向けた。

 振り下ろされてくる白刃へ兜割を叩きつける。

 きんっと澄んだ音を立てて刃が宙に舞った。

 同時に、回した長剣がスキンヘッドの顔を真横に薙ぎる。

 目の上を一文字に斬線が走った。

 スキンヘッドが大きく身体を反らせた。

 千之助は回転を止めて上半身だけを戻す。剣を破壊され驚愕の表情を浮かべる鬼を見る。胸当ての弱そうなポイント目掛けて兜割を突き刺した。

 ずぶり――と、不快な感触と共に脇腹へ剣先が潜り込んだ。

 兜割から手を離し、千之助は長剣を両手で持った。

 スキンヘッドが目から血を吹き出しながらも、武器を振り下ろしてきた。

 千之助は肉厚の刃を僅かに避けながら長剣を振り上げる。

 狙いはスキンヘッドの腕――伸び上がるように力を込めた。

 ざん――骨まで断つ衝撃が長剣に伝わった。

 斧を持った手首が、太い腕から弾け飛んだ。

 千之助はその剣を切り返し、急角度で下へ――斧使いの足へ突き立てた。

 ぐいと地面へ縫い付けるように深く。

 そして柄から手を離した。

 勢いは止まらない。

 手ぶらになった千之助は、長身の脇腹に刺さったままの兜割を、再び掴んだ。

 驚愕から呆然の表情へ変わりつつある鬼から、兜割を引き抜く。

 その力に引っ張られ、長身の倒れかけていた身体が戻る。

 千之助は兜割を両手で持ち直した。

 手ごと斧を失ったと気付かず、スキンヘッドが攻撃の姿勢を取った。

 ごう――と鬼の口から呼気が洩れた。

 その心臓の辺りに、兜割の柄が生えていた。

 千之助が兜割を切り返して突き刺したのだ。全体重を乗せて筋肉を突破した。

 再び手ぶらとなった千之助は、スキンヘッドを繋ぎ止めていた剣を持った。

 鈍く光る刃は、引き抜かれた勢いのまま、剣使いの身体を斜め上に通り過ぎた。

 左手を外し、スキンヘッドの胸へ残った兜割を掴んだ。

 どさ――これは斧を持った手が地面へ落ちた音、ぱさ――という小さい音は折り飛ばした幅広剣の先端。

 千之助が兜割をスキンヘッドから引き抜くと、二人の鬼は同時に倒れた――はずが、二人ともまだ立っていた。

 斧と幅広の剣を上段に構えた格好で、白目をむき、泡を吹いていた。

 そして、やっと背中へ倒れていった。

 どさり――……

 今度は重みを伴った音が広場に響いた。

 立ち位置は先ほどと全く変わっていない。

 千之助は瞬間移動してきた位置、さくらはしゃがみこんだ位置――その周りにスキンヘッドと長身が倒れていた。時間にして、ほんの数秒のことだ。

 きょとんとするさくらへ、千之助はゆっくりと近付いてった。

 逃げるように駆け寄ってきたさくらが、千之助に抱きついた。

 震えて声もなく泣くさくらを強く抱きしめた。

 成功したことの無い術の二連続――こんなに危なっかしい援護はない。

 瞬間移動と幻影の術。

 幻影の術のほうは、白心が古部谷に喰らわせた術だ。

 スキンヘッドと長身に、千之助の殺気を幻影に乗せて放ったのだ。

 あまりにもリアルで、受けた二人は自分たちの死を体験して気絶したのだ。

 しかし、実際に間に合っていたら、千之助の手により彼らは本当に死んでいた――とも言える。

 それが千之助には怖ろしかった。

 震えるさくらを抱きしめるようでいて、こうすることで落ち着かせようとしている自分がいた。

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