第7話 星空のピクニック

 千之助は感動していた。

 正に絶景であった。

 鬼の国へのルートに、白心の山を通っていくことにしたのだ。

 逸れた道を戻すために、谷を渡り、山を越えた。昼間とは逆側の道だ。

 武家屋敷の建ち並ぶ区画から、川に沿って山道に入った。

 五メートルほど下だった川は、今は二十メートルの高低差になっている。

 蛇のように曲線を描く道は、勾配を抱き、更に高くなっていく。

 そこから見下ろす景色が、心を振るわせるほどの絶景なのであった。

 深い青の清流が通るために、山たちが道を開けたのか。それとも離れた山と山を結びつけるために、川がいるのか。一体となった自然がそこにあるのだ。

 岸から続く切り立った崖は岩肌を晒しているが、上へ向かうに従い、緑へと転じていく。そしていつしか山となるのだ。

 膨れ上がるような木々の樹冠が山の形を支配している。

 それは一定ではなく、季節によって大きく見え方を変えていく。

 今は瑞々しい緑が主となり、雲一つない蒼天と並び立っていた。

「絶好のキャンプポイントだな」

 秋には目に鮮やかに色づくだろう――千之助の頭では紅葉が広がっていた。

「キャンプ――?」

 山道を歩き詰めで、さすがに息が切れているさくらが、異議を申し立てるように言った。

「良いと思わない?」

「――景色に心を動かされたことはない」

 寂しげに答えた。

「でも、ここでお弁当を食べたら、美味いと思わない?」

「わしには分からんよ」

 鬼の国は近代的で、自然が少ない。メガネの言葉を、千之助は思い出した。

「町の風景はもっと冷ややかな感じだ。山は遠くにあるのだが、行ったことはない。おかしいだろ、自分の国なのに」

 さくらは自嘲気味に言った。

「いや。僕だってここは初めてだ」

「そうなのか?」

「全てを知りうるなんて出来やしないさ。だけど、知らないからこそ、発見が楽しいんだよ」

 千之助は後ろを歩くさくらを見た。

 彼女の視線は対岸の山へ向いている。

「そうなのか……?」

 それは自分へ向けた問い。

 だから千之助は応えなかった。

「いや、そうなのだろうな――」

 やがて自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 谷を渡る風が、さくらの髪を踊らせた。

 二本の角も涼しそうに揺れている。

 崖を切り崩したような道は、頂上で森へ消えた。

 道なき道を、降り積もった葉を踏みながら進むのだ。

 森の中は、陽が遮られ、空気は湿っていた。

 時折木漏れ日が白いベールのように下りてきているが、打破するほどの力は全く無かった。

 しばらく進むと、森は唐突に終わる。

 そして、さくらも唐突に足を止めた。

 千之助が立ち止まって振り向くと、さくらの目は一点を凝視していた。

「まさか、あれを渡る気か――」

 と、小さい手が上がって、細い指が凝視する先を示した。

 千之助には何を言っているのか分かった。

 だから、『もちろん』と、はっきり言った。

 上品なラインを描く、さくらの頬が引き攣った。

 千之助は、怖気づくさくらの手を取ると、ずんずんと進み始めた。

 その先には、谷と谷を繋ぐ細いものが見えていた。

 吊橋だ。

 さくらの足取りは重いが、手を払うほどではないようだ。

 吊橋の全長は四十メートルほどだが、板と縄だけで、さくらでなくても二の足を踏む貧弱な造りをしていた。

「他に道はないのか――?」

 さくらの目に涙が滲む。

「最短なんだ。追いつかれる前に鬼の国に入りたいからな」

 そう言われると、反論できないのだろう。文句を飲み込むように下唇を少し咬んだ。

 近くで見る吊橋は、思った以上に劣化していた。

 紐はほつれが多く、板も所々が腐って、穴が開き、三十メートル下の川を覗かせていた。

 途中で落ちたりしないか――さくらには聞かせられないことを千之助は思った。

 警護の関係上、さくらを先に行かせることにした。

 橋の一歩手前まで歩み寄ると、最後の抵抗か、泣き顔一歩手前の表情で、さくらは振り向いた。

 千之助は苦笑いで首を横に振って、人差し指を橋へ向けた。

 項垂れてさくらが橋へ向かった時だ――

「橋を渡らない選択肢をお前にやろうか」

 低い恫喝力のある声に、千之助は両方の剣を抜き放っていた。

 スキンヘッドの鬼と、長髪長身の鬼が並んで歩み寄ってくる。別ルートから登ってきたのだろう。既にその手には、斧と幅広の剣が持たれていた。

「ここでその命を我らに寄こせばいい。渡らずに済むぞ」

「ないな、その選択肢」

 千之助は両の刃を構えながら、さくらの前へ移動する。

 さくらも脅えていない。

 しかし、それが逆に危なっかしい。また勝手に向かっていかれても困る。しかも彼女は刀を持っていないのだ。

「人間、また邪魔をする気か――」

「お前らだって僕の邪魔をしてるじゃないか」

「流されて戦う貴様と違い、我々には目的があるのだ!」

「どんな理由があろうと、さくらを殺すことを正当化させるつもりはない」

 言い終わる前に、長身が跳ねた。

 千之助は長剣を振り上げた。

 宙で剣がぶつかる――が、千之助は剣を振り切った。

 長身が飛んできた分、跳ね戻っていった。

 入れ替わりで、スキンヘッドが斧を頭上に翳して迫った。

 千之助も前に出る――が、まともに受けるつもりはない。

 兜割を大きく振って、斧の刃の横っ面を捉える。鋼が弾き合う音が、甲高く空へ抜けた。

 軌道を逸らされ、バランスを崩したスキンヘッドが、斜めにすり抜けていく。

 無防備に晒された脇へ、千之助は長剣を振るった。

 幅広の剣がそれを受け止めた。

 長身が再び間合いに戻ってきたのだ。

 病的に青い頬が引き攣るように笑った。

「勝ってから笑え!」

 千之助は足を振り上げた。爪先が長身の細い顎に当たった。

 カウンター気味の打撃に、長身がもんどりうった。

 スキンヘッドが体勢を整える――よりも速く、千之助が低く回転した。

 スキンヘッドの太い足を引っ掛けて弾いた。巨体がひっくり返って、落ち葉が飛び散った。

 千之助は倒れている二人を尻目に、さくらのもとへ走った。

「行こう!」

 千之助はさくらを押して吊り橋へ入った。

 ぎしぎしと板が文句をつけた。

「で――でも、縄を切られたら――」

「大丈夫だ――」

 ちらりと見ると、まだ二人は起きられていない。

「多分」

「多分――?」

 千之助とさくらは両端の縄を持って進む。ささくれた縄が手にちくちくするが、構ってはいられない。

 緊張のせいか、必要以上にさくらの足元が揺れている。思いのほか進みも悪い。

 長身とスキンヘッドが吊り橋の手前まで来た。

 長身が剣を振り上げたのをスキンヘッドが止めた。

 千之助の企みが読めたらしい。憎々しげに唇を歪めると、吊り橋へ踏み出した。

「なぜ切らないのじゃ?」

 全然平気そうじゃない声が前から訊いてきた。

「あいつらは君を殺せばいいわけじゃない。きちんと殺さなければ代表権は委譲しない。吊り橋を落として――では、代表権も捨てるようなものなのさ」

「色々大変じゃの」

「聞いてないだろ、君……」

 板を踏み外さないことだけにさくらは集中していた。

 会話が微妙に成り立たないのはしょうがない。

 急流が板と板の隙間に見える。崖から覗いた時より、遥かに距離があるようで、目が眩む。

 足を進めるごとに、ゆらゆらりと吊り橋が揺れる。

 スキンヘッドが数メートルの所で歩を止めていた。さすがにこの老朽化した吊り橋が彼の体重に耐えられるかどうかは不明だ。

 それに、いくら遅くとも、千之助たちが向こうに着く方が早いのだ。縄を切って崖下へ落とさない理由は、こちらには無い。

 半分を過ぎた辺りで、さくらの手元の縄が弾けて切れた。

 ついに来たか――千之助の推測は、遅れて届いた音でひっくり返る。

 ごうんごうんと木霊しながら谷間を抜けてきたのは銃声だ。

「もう一人狙っているやつがいたか」

 千之助はさくらを腕で抱えると、残りを一気に駆け抜けた――

 ――いや、間に合わなかった。

 二射目がもう片側の縄を撃ち切った。

 支えを失った吊り橋が二分した。

 あと数メートルという所で、走っている感触が喪失していく。

 真っ直ぐに向かっていたはずが、視界がどんどんと落ちていく――。

 うそ――さくらが小さく呟いて抱きついてきた。

 細い腕が首の周りに回され、まだ固い果実のような身体が密着した。

 普段なら、その小さな幸せを無言で噛み締める千之助だが、今はそれ所ではなかった。

 近付く絶壁に集中する。さくらを左手で抱え、右手は垂直になりつつある足場の板を掴んでいた。

 岸壁への衝突に備える――

 さくらを庇うように、右側面を崖側に向けた。

 ばんっと音を立て、岩肌にぶつかった。

 千之助と岩盤に挟まれ、板がみしっと悲鳴を上げた。

 吊橋だった縄と板だけの残骸が、二度ほどバウンドして止まった。

 千之助は右手一本で宙吊りになった。

 さすがに板が二人の体重に、そこへ押し留まるのを拒否しかけていた。

 足も板へ引っ掛けるようにして、重みを分散させた。

 ほっとしている暇はない。

 千之助は梯子を上るように、しかし片手で崖上を目指した。

 さくらのしがみつきは強力で、どこにそんな力が――というほどだ。

 二度目の銃声。

 千之助の耳元を掠め、右手が持つ板が撃ち抜かれた。

 支えが一瞬喪失した。

 千之助はすぐに下の板を掴み直した。

 同時に、弾丸に削り散らされた岩の破片からさくらを守るように、千之助は彼女を抱え込んだ。細かな石が、右肩から側頭部へ当たった。

 みしみし――と総毛立つような音が聞こえた。

 千之助は残り三メートルほどの距離を一気に上った。

 足が通り過ぎると、その足場の板が落ちていく。それとも板が落下するのと足が離れるのが同時なのか――

 崖上へ飛び込んで、固い地面の上を転がった。

 昼過ぎの日に照らされ、乾いてきた土の匂いが出迎える。

 これほど地に足がつくことが幸せだとは気付かなかった。

 しかし、そんな感慨に耽っている場合でもない。

 千之助は立ち上がると走り出した。さくらが抱きついたままだ。

 十メートル先に木々が並んでいる。

 奥の方は光も届かないほど深い森だ。

 三射目は大きく外れたようだ。

 辺り損ねた銃弾が、前方の木を揺らした。

 衝撃に驚いた鳥が梢の隙間から飛び立った。

 千之助とさくらは森の中へと逃げ込んだ。

 木の陰から様子を窺う――スキンヘッドと長身が逃げていく所が見える。

 進むのを躊躇したのが幸いしたのだろう。崩壊に巻き込まれず済んだようだ。

 対岸は、千之助たちが歩いてきた森と、右手側に岩盤の高台がある。

 その高台が射撃ポイントのようだ。

 遠く、銃を構えた姿が、ライフルを抱えて立ち上がった。

 シルエットは女性のものだ。

 しばらく、じっとこちらを見ていたが、すうっと高台の向こうに消えた。

 降りて行ったらしい。

 千之助はなぜか、あの狙撃手は代表権を得るのが目的ではない――そう感じていた。

 何か別のベクトルがありそうであった。

 しかし棚からぼた餅というべきか。

 さくらを狙う者全員を対岸へ置いてきたことになった。

 千之助は、まだ呆然としているさくらを連れて、森の奥へ分け入った。

 ――で、迷った。

 上に登っているつもりだったのだが、一向に頂上が見えなかった。

 落ち行く太陽を追いかけるように進んだが、日は暮れて行くばかりで、目的地は見えなかった。

「もう夜じゃぞ」

 足早な山登りに文句もつけずに付いてきていたさくらが言った。

 息が切れていることに千之助は心が痛んだ。

「せっかく差をつけたのに――」

 その一言に尽きた。

 追いつかれる可能性が高くなってしまった。暗くなるまでに白心の所へたどり着きたかった。そうすれば安心して眠れるのだが、このまま進んでも滑落しかねない。

 狙撃や襲撃だけではなく、野生動物にも脅えて夜を過ごすしかないらしい。

 野宿を決意した。

 寝られそうな場所を、陽が落ちる前に見つけられたのは幸いであった。

 狩人の休憩所だろうか。

 山の斜面を掘って、板で壁が補強されただけだが、屋根はついているから野宿の感覚は多少薄まる。二人が座っても余裕があるほど広い。

 お地蔵様でもあったのではないかと勘繰って調べてみたが、その様子はなかった。

 御座があったので軽く叩いて土埃を払い、さくらが座れるようにした。

「――!」

 そこでやっと千之助は、生死の非常事態以上に危険な男女間の非常事態へ、状況が転じていることに気が付いた。

 やばい、こんな狭い所で女の子と二人きりだなんて――。

 耳後ろが熱くなるのを感じながら、さくらを呼ぶ。

 斜面の上の方で空を見上げている。

 千之助はゆっくり彼女に近づいた。声をかけないで隣に並び、大きな目が向く方を見てみる。

 木の樹冠の形で切り取られた星空だ。

 群生する木々は千之助たちの道も惑わせたが、追う側からも姿を隠してくれる。そのくらいに木や葉が多いため、見える空は小さいが、密集している光は乱反射しているように輝いていた。

「もう少し上に行ってみようか」

 千之助の提案に、さくらが頷く。

 ほんのちょっと進んだだけで勾配がきつくなる。

 腐葉土が湿り気を帯びて足を取るように滑る。

 さくらが千之助の袖を握った。

 申し訳程度で、つまんでいる――というくらいだ。

 心許なげで、手を握ってあげればいいかどうか迷っているうちに、急に開けた場所に出た。

 最近伐木されたようで、数本分の空間があった。

 うわあ――千之助は思わず声を上げていた。

 星をたらいに溜めて、思いっきりぶちまけたように、澄んだ空を濃い光が目に降り注いだ。

 さくらの黒目にもきらきらと光っている。

 いつの間にか袖の手が外されていた。

 がっかりする俗っぽい感性に、千之助は二重にがっかりした。

「わしの国ではこんなに星は見えんかった――」

 さくらは呟くように言った。

「僕だって初めて見たよ」

 千之助は切り株に腰を掛けて続けた。

「この辺りは人里から離れていて、人工の光も少ない。だから星明かりが、より強調されるんだろうな」

「手を伸ばせば届きそう」

 さくらが小さい手を空へ向けた。掴もうと必死に伸ばす。

 当然、触れられるはずがない。

 だが、爪先立ちをするシルエットは、千之助に旅愁を感じさせた。

「さくらは、幾つなんだ?」

 千之助が声を掛けると、さくらは手を引っ込めて、恥ずかしそうに睨んだ。

「子供っぽいことをしたからか」

「いや前からの疑問だ」

 嘘ではない。ずっと気になってたことだ。

「――気になるのか?」

 正直に千之助は頷いた。

「聞いてどうする」

「興味――?」

 その答えはお気に召さなかったか、さくらは顔を麓側へ向けた。

 あまり正直すぎたか――と思っていると、さくらがゆっくりと登ってきた。

 隣に腰を掛けた。

「鬼の一年は、ひとで言うところの四年に当たる」

「なんと――」

「わしは十三年生きているから――」

「五十二歳? 僕より遙かに年上だな」

 千之助が戦ってきた鬼たちは、見た目で二十歳を優に超えていた。

 スキンヘッドは三十歳近い。となると、百歳前後のひとを相手にしてきたことになる。

 自分が非道な男に思えてきた。

 それよりも――。

「五十歳とも恋には落ちられんな――」

「な――」

 千之助のこれまた正直な感想に、さくらが微妙な反応を示した。

 ふて腐れるように足をぶらぶらさせている。

 そんな様子を見る限り、とても五十歳過ぎには見えない。

「何歳なら良いのだ?」

 星明りでも分かるくらいに顔を赤らめて、さくらが訊いた。

「上過ぎても下過ぎても嫌だな」

「――千之助は幾つなのだ?」

「僕は十七歳だ」

「四つ下は離れすぎか?」

「ん?」

 千之助は気付いた。

「どうしたのじゃ?」

「今、さくら――僕の名前を呼んだ」

「わしがか?」

「他に誰がいる」

 気のせいじゃ――と、さくらは立ち上がると、切り株に乗って空を見上げた。

「さくらのお母さんってどんな人だったんだ?」

「話しが続かないな、おぬし」

「お互い様だよ」

 さくらが目線だけで千之助を見下ろした。

「さくらのことを知りたいんだ」

 これまた正直に答えると、恥ずかしそうに目線を空へ戻した。

 強い人だった――一呼吸後、さくらの声が夜の森を転がる。

「サーベル使いで、素早さと手数の多さで定評のある戦士だった。だけど、わしたち姉妹には優しい母上だった」

「姉さんがいるのか――」

 さくらは頷いた。

「代表になったことを、わしがうっかり洩らしてしまったばっかりに……」

「お母さんは別の戦士に殺され、そいつを君が討った――か」

「姉上はわしを止めたのだが――そのままでは、わしは自分を許せなくなりそうで」

 そうか――千之助は言いながら立ち上がった。

 切り株に立つさくらと目線が近付く。

 緩やかな曲線の頬を涙が伝っていった。

「わしは間違っておったのか?」

 千之助は首を横に振った。

「ひとは必ず後悔する生き物だ。だから道を選ぶ時は、自分で決めなければならない」

 さくらの瞳が揺れながら千之助を見た。

「後悔した時に、他を責める余地を与えないようにするためだ」

 千之助はさくらを正面に捉える位置へ移動した。

 斜面の分、さくらの方が高くなる。

「さくらは自分で選んだんだろ」

 さくらが首肯する。

「後悔はしてもいいけど、誰も責めたりしちゃダメだ。そして、『誰も』の中には自分も含まれている。だから自分も責めちゃいけない」

「それはわしの問いの答えに繋がるのか?」

「つまり間違ってないってことだ」

「強引な論理じゃな……」

 さくらが微笑んだ。

「わしを助けたことにも後悔はないのじゃな」

「もちろん。この後、何が起ころうとね」

 ため息一つ、ゆっくりとさくらが座った。

 遠く夜鳥のささやくような低い声が木々を渡ると、距離感の掴めない場所から虫の合唱が重なる。

 千之助が隣に座る――と、さくらが頭を肩に寄せてきた。

 なぬ――声には出さずに叫んだ。

 千之助の心拍数が跳ね上がる。

「わしは本来、あの原っぱで死んでいた身だ。おぬしが生き永らえさせてくれたのだから、この先、どこで死のうと悔いは無い」

「そんなこと言うなって。必ず生き残る方法を探すからさ」

「充分幸せだったりするぞ」

「まだまだこれからさ」

 千之助は肩に乗る重さに心地よさを感じていた。

「お姉さんにだって会わせてやるさ」

 千之助の言葉を信じないのか、さくらの返事はなかった。

 星の光は白い。それでいて柔らかい。降るように届く明かりは、照らすというより包み込むに近い。細い肩先で燐光が薄いベールのようになっている。

 千之助の下ろした視界には、さくらの角が見えている。

 ひとと鬼を隔てる最大の身体的特徴だ。

 枕になっていない方の手を、角へ伸ばした。

 触れた途端、さくらが身を強張らせた。

「痛いのか?」

「いや――くすぐったい……かな」

 千之助は優しく撫でる。

 髪の毛だと思えば硬いが、爪や骨ほどではない。

 こんな特徴、無いに等しいな――。

 触れるたびに角は光を滲ませながら輪郭を変えた。

「二歳差――かな」

 千之助のつぶやきは先ほどのさくらの質問に対してだ。

「十五歳から十九歳までなら良いのか……」

 すぐに察した、さくらの声は重い。

 それが明確な答えではない答えを、意図的に言う千之助は、我ながら性格が悪いなと自嘲した。

「でもね、年齢差の感覚って、成長すればするほど短くなるよね」

「――どういうことじゃ?」

「六歳の時に七歳の幼なじみ――春実はるみは強かった。たった一歳差が大きい頃だったんだ」

 さくらが頷いた。

「姉上とは五歳違いだからな。気付いた時には差が開いておった」

「それも今だけさ。幼なじみとの一歳差って、今はそれほど感じてない。さくらも歳を重ねていけば、お姉さんとの差もそれほど感じずに付き合えるようになるよ。――まあ、つまりだ。僕が提示した二歳差は、あくまで今の僕が感じている年齢差でしかないってことだ」

 さくらが肩から頭を離した。

 絵本の続きを聞きたがる子供のような目を千之助に向けてきた。

 ちょっと残念と思いつつ、千之助は話を続けた。

「今は二歳差くらいが良いなと思っていても、二年後――僕が十九歳になる頃には、十五歳でも良いかなって思えているんじゃないかな」

「随分、他人事な言い方じゃの」

 呆れた口調だが、顔は微笑んでいる。

 そうじゃ――さくらが背中から巾着を下ろすと膝へ置いた。

 中身はさくらが元々着ていた服だったが、春実に渡したから空のはず――。

 竹の皮の包みが二つ出てきた。

「乳母さんが持っていけ――と」

 寿黄すおうが空いた巾着に入れたらしい。

 竹の皮を開けると、白くて大きいおにぎりが現れた。

 今の今まで空腹を感じていなかったのが不思議であった。

 そのおにぎりを見た途端、食欲が増したのも、更に不思議であった。

 かぶりつき、指に付いた米粒まで食べ切ると、満腹感でいっぱいになった。

「具が入ってないのにこんなに美味しいなんて思わなかった」

「乳母さまは塩にこだわってたからね。塩だけでも味わえるおむすび――それが目標だそうだ」

 へえ――さくらが本気で感心したようだ。

 そこから昔話が始まった。

 千之助の話に、さくらが便乗する。

 千之助が話を逸らしていくと、さくらが強引に戻す。

 年齢も、生まれた国も、そして種族も越えて、二人は星明りの中、語り明かした。

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