第3話 家族会議

 家族の呆れた顔はちょくちょく見る。

 だが、全員を一気に呆れさせたのは初めてかもしれない。

 いつも穏やかな夏香なつかさえも珍しく驚いている。

「――で、どうしよう?」

 鬼娘――さくらを傍らに、千之助は苦笑と共に訊いた。

「お前は勘当した身だ。好きにするがいい」

 永六えいろくは行ってしまった。

「さて夏香、雨が降りそうだ。人足たちを手配しないと、仕事を回しきれんぞ」

 長兄の八光はっこうに続き、はい――と夏香も行ってしまった。

「さ、晩御飯の買出しだ――っと」

 寿黄すおうはそそくさと、千之助の横を過ぎて、勝手口から出て行った。

 残ったのは百ノもものじ春実はるみであった。

 縁側に立って、中庭に立つ千之助とさくらを見下ろしている。その表情はまだ唖然としたままだ。若い分、回復も遅いようだ。

 千之助は頬をぽりぽりと掻きながら、傍らのさくらをちらと見る。

 無言で立っているが、顔を下に向けたままだ。

 他人の家族全員から眺められたら、居た堪れないであろう。

 ましてや別種族なのだ。落ち着かないことこの上ない。

 川から上がって、人目につかないように、時には土塀を越え、長屋を抜けて、時には水門から水路を回って、やっとたどり着いたら、夕暮れ迫る申の刻だ。

 この時間が千之助の家は一番慌しい。

 ろくに相手もされないのもしょうがない。

 千之助の家は菓子屋であり、人足出しを中心とした手配師でもあった。

 そう紹介すると、大抵は『は?』という顔になるが、何も間違っていない。

 百ノ路たちが立つ縁側の奥に板張りの道場がある。元は武芸道場だったらしいが、祖父が菓子屋を始めたために、閉めたらしい。

 祖母曰く、急に思い立ったらしく、門下生はびっくりしていたという。

「お前はじいさんにそっくりだから気をつけるのだぞ」

 と祖母に言われたが、何をどう気をつければいいのか、千之助は未だに分からなかった。

 急に止めたと言われても、皆困ってしまう。

 特に門下生たちは、武家屋敷に仕官するのが目的だったりするのだ。

 当てもなくなってしまうのは可哀相と、祖母が始めたのが、力仕事を紹介することで当座を凌げるようにしたのが、手配師の始まりだった。

 それは今も続き、久慈間家のもう一つの商売として、今は長兄と義姉が切り盛りしている。というよりほとんど義姉だ。

 門下生のみという枠はなく、登録した町の者を捌いている。

 そして菓子屋は、父親が引き継いでいる。あの恐い顔で、実に繊細な味のお菓子を作るのだ。

 和菓子屋なら街道を歩けばひっきりなしに見つかるほどたくさんあるが、洋菓子も扱っているのは千之助の家を含めても二、三軒しかない。

 しかも、ロールケーキは千之助の家の特許だ。

 切って甘いシロップを絡めた果物を、クリームにたっぷり混ぜ、ふわふわのスポンジで巻いたケーキは、町の評判であった。

 手伝いに参加している長兄が、あんこを挟んだり、惣菜を挟んだ亜流を生み出しているが、店の売りは果実巻きだ。

 この時間は、食後のデザートに求める客が多いのだ。

 そして手配師も、戻ってきた人足たちから状況を聞きつつ、明日の手配もしなければならないので、てんてこ舞いなのだ。

 ご飯の支度があるから、寿黄も忙しい。

 百ノ路と春実、そして千之助が残るのは学校には所属している身分だからだ。

 そんな三人が集まった所で、知恵が浮かぶものでもないが、一応、千之助は訊いてみた。

「二人はなんか知恵をくれるのか?」

「オレはお前が困るのが見たくているだけだ。期待するな」

「だったら出てけ」

 百ノ路は意地悪く口元へ歪めただけであった。

「どうする気?」

 本題に触れてくれたのは春実だけだが、それは千之助が訊きたいことであった。

「あたしは知らないからね」

 ごもっとも――千之助は思った。

 居心地が悪いのはさくらだけではなく、千之助当人も同じであった。

「一応、考えはある」

 千之助が言うと、ほう――と百ノ路が続きを促した。

「月鳴山に行こうと思ってるんだ」

「はぐれ天狗のとこね」

 『はぐれ天狗』とは、千之助の師匠で、家族以外で信用できる唯一のひとだ。

「そこに彼女を預けて、その間に事実確認をしてくるよ」

「事実確認?」

 訊いたのは春実だった。

「僕はともかく、この子が鬼の代表だなんておかしいだろ」

 さくらを見るが、微動だにしない。それが答えであるように思えた。

 もし代表であることに誇りがあるなら、千之助の言葉に異を唱えるか、睨み返してくるはずなのだ。それがないということは、彼女も代表であることに、少なくとも納得していないのだろう。

 視線を春実たちに戻し、

「問い詰めてくる」

 と言い放った。

「誰を?」

「組み合わせを考えたやつさ」

「知ってるのか?」

 百ノ路が疑わしげに言った。

「当てはある」

 千之助の頭には厚メガネの背の小さなスカウトマンが浮かんでいた。

 百ノ路と春実が顔を見合わせている。

「そういうわけだから、今から山へ行ってくるよ」

 千之助がそう言った時、奥から声がした。

「部屋を用意したから明日にしなさい」

「父上――?」

「夜に山登りなど、その子にさせられまい」

 もっともだ。

 嬉しい提案だが、父親の声は照れがはっきりと見えていた。

「千ちゃま、食事をなぜか一人分、多く買ってきてしまいました」

 寿黄だ。困ったような笑顔で勝手口から戻ってきた。

「なぜか――って……」

 ちらりとさくらを見る。

 肩肘張って、強がって見せているが、誰に対して強がっているのか、分からなくなっているようだった。

「人足たちの手配が間に合いそうになくて、しかも明日は雨なのよね」

 春実の後ろから、夏香が言いながら現れた。

 しかし意図が掴めない。

「仕事をさせなくてはかわいそうなので、明日人力車を出そうと思うの」

 千之助は夏香の言っていることが分かった。人力車で山の麓まで送ってくれるというのだろう。だが独断では後で永六や八光に怒られてしまう。

「いいんですか?」

「許可は取ってますよ」

 ならば問題ない。

 ここまで言われて、断ったら、千之助自体の居場所が明日からない。

「ということで、今晩は家に泊まっていくことになったから」

 と千之助が言うと、さくらは逸らした顔のまま、横目で視線を動かした。

 困った色が浮かんでいるが、言葉にはならず、翳ってきた視界でも顔が紅いのが分かる。

 そうと決まった途端、春実が怒ったように足を鳴らしながら奥へと消えていった。百ノ路がそれに付いていくのはいつものことだ。

 相変わらず、分からない二人であった。

「千ちゃま、お部屋の方へ」

「そうだね」

 千之助はさくらを縁側に導き、客間へ向かった。

 それから一時間後。

 千之助は行儀が悪いと承知で障子戸を足で開けた。

 部屋が暗くて、さくらがどこにいるか分からない。

 とりあえず持っているお盆を文机に置いた。

 さすがに皆と一緒に食卓を並べるわけにはいかないだろうと、父親が気を使ってくれたのだ。

 それで用意された客間に千之助が運んできたのだ。

 ちなみに、千之助の晩ご飯は用意されていなかった。

 しまった――という寿黄の顔から判断すると、忘れていたらしい。

 というか、これがそれなのではないかと訝しんでいる。

 ま、しょうがないか――とも千之助は思っていた。

 自分だけならどうとでもなる。

 焼きたての鮭の香がふんわりと鼻と腹をくすぐった。

「ご飯だよ」

 千之助はランプを灯した。

 柔らかい明かりが、部屋を包むように照らす。

 部屋を一望する。

 いた――。

 部屋の隅で膝を抱えるように座っている。

 顔も伏せているから、角で感情を判断する。

 鬼は髪が変化した角に感情が出るらしい。

 が――

「――分からない」

 そもそも鬼の感情が角で判断できたとして、どんな状態がどんな気持ちかを知らないのだからしょうがない。

「何が分からない、と?」

 下を向いたままさくらが言った。

「君の気持ちが。どう思ってるんだろうって考えたんだけど、分からなくて」

 隠すことではない。

 千之助は正直に答えた。

「わしの気持ちなんて、おぬしに関係ないだろ。そもそも敵同士だ」

「そう――なんだけどね」

 さくらがちらりと顔を覗かせた。上目遣いに睨んでいるようだ。

「煮えきらんな。ご飯の世話までして、なんのつもりだ」

 鬼娘の方が正しい。ぐうの音も出ない。

 千之助は迷いだらけだ。

 ひとの代表に選ばれたことに対して。千年神話に対して。そして、さくらと戦うことに対して。

「僕は、ひとの存亡が掛かっていたとしても、さくらのような子が相手だ――と平然と言うようなシステムに、疑問を抱いただけだ」

「それが世の摂理だとしてもか?」

 千之助は即座に頷いた。

「はい、これが敵です。さあ、殺しなさい――では、摂理以前の問題ではなかろうか」

 さくらが顔を上げた。

 その表情には脅えが内包され、演技ではないことも窺えた。

 武芸家でもなく、術者でもなく、普通の女の子が、殺し合いに選ばれる千年神話に対して、千之助は懐疑的だ。

 千之助はお盆から文机に食器を並べていった。

 おみおつけはまだ良い湯気が浮かんでいる。

 並べ終えると箸を持って、さくらから畳二つ分の位置に座った。

「例えば、さくら――」

 箸を二本掴んだまま、拳を突き出し、

「これが剣だとしたら、受け取るかい?」

 さくらは差し出された箸を凝視している。

「剣だとしたら――僕を殺すかい?」

 返事はなかった。

「その迷いは、僕の迷いと同じだ」

「――」

「だから連れて来た。それだけのことだ」

 膝上から覗く、くりりとした目から、少しだけ険が取れた気がした。

「そして、これは剣じゃなくて箸だ。受け取ってくれないか?」

 ランプの明かりは球体に部屋を歪めている。そのギリギリのところで、さくらは陰影に混じるように座っていた。

 ゆっくりと、右手が灯火の中へ上がってきた。

 さくらが箸を握ったのを確認すると、千之助は手を離した。

「食べたら、そのまま置いておいてくれ。寿黄が――さっきいた人の中で、一番年配の女性が、布団を引きに来る。その時ついでに片すから」

 言うと、千之助は立ち上がった。

 どうして――かぼそい声が聞こえた。

「何も訊かない?」

 千之助は頭をごりごりと掻いた。

 訊きたいことは確かにいっぱいある。

 選ばれた経緯とか、狙撃者、それとは別の二人の鬼。

 それよりも、さくらが鬼の国でどんな暮らしをしていた女の子か――なんてことに一番興味があるが、一番答えてくれなさそうな問いでもあった。

「訊いたら……戦わなければならない答えもありそうだから」

 無難な返事をした。

「僕らの戦いを無効にするために、訊かなくても大丈夫なことだからね」

「本気でそんなことを出来ると思ってるのか?」

「出来ないという情報はないからな」

「なんと呑気な……」

 呆れの声にも、険が取れ始めていた。

 千之助はそれが嬉しくて、薄く笑った。

「呑気なのが取り柄なので」

 出て行こうとした千之助の背に、再び声が届いた。

「もし、この人選に間違いがなかった場合――どうする気?」

 消え入りそうなほど、小さな声であった。

 千之助は振り向いた。

 さくらは、陰から少し出て、顔を向けていた。

 暖色の灯りに、ふくよかな頬のラインが赤く浮き立っている。

「君は――戦いたいのか?」

 そう問い返すと、

 分からない――

 逡巡した上で、さくらはそう答えた。

 今はそれでいいと千之助は思った。

「口に合うかどうか分からんが、冷めないうちに召し上がれ」

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