【弐拾弐】桜が散るその前に真相を(後)
「絹子さんのお葬式の時、姉はあなたを見たそうです。許婚だった絹子さんを心底大切にしている、という印象を受けたみたいで……」
「……そう」
正弥は、自嘲した。
「だから、“復讐させてあげよう”と思い付いたそうです。……傲慢だと思いません?」
「……はっ、はは」
「正弥さん……?」
笑いだした正弥を、ゆら子は怪訝な思いで見つめた。
しかし、彼の笑い声は止まらない。
虚しく響くその声を、ゆら子は不安な面持ちで聞いていた。
「つまり、僕の偽善が招いた結果がこれか」
「……どういう意味でしょう?」
「僕は、許婚を愛せなかった。彼女の死を悲しめなかったんだ」
「そういうことも……ある、と思いますけど」
「ああ、そうだね。当然そういうこともあるよ。けれど、表面だけ取り繕った結果がこれだ」
――でも、よかった。お兄さんもあの女が死んでよかったと思ってるみたいで。
「彼女は、間違っていなかった」
笑みの名残の中に、怒りと悲しみ、大きな失望を乗せた彼を見てゆら子は気付いた。この人は、自分自身が嫌いなんだ、と。
ゆら子は、そっと両手に込めていた力を抜く。
だが、彼女から繋いだ手が解けることはなかった。
安堵と共にゆら子は、密かに笑んだ。
また、ゆっくりと手を引いて歩き出す。
覚束ない足取りながらも、彼はちゃんと付いてきているようだ。
「あなたに殺してもらおうと考えた姉は、体の自由が利かなくなっていた母ではなく私に後を託しました。ある秋の日に、あの天色――空を映したような着物を着て家を出て、切った髪を私に密かに送って……あなたに会いに行ったんです。それからのことは、きっとあなたの方が詳しいでしょうね」
「……話そうか?」
ゆら子は首を振った。
興味がないわけではないが、二人の逢瀬を聞きたいとも思わなかった。
秘め事として、現か夢かわからない出来事として語られることなく消えてしまえばいい。
「姉の髪は、母が伯父の書斎に隠しました。あの書斎にある机は、元々の私の祖父が使っていた物で、隠しがあることは祖父と母しか知らなかったみたいです」
つまり、身に覚えがないと言った伯父は正しい。
姪の遺髪が隠されていることはおろか、机に隠しがあったことすら知らなかったのだから、知りようがない。
「因みに日記を偽装したのも母です。伯父の筆跡は熟知していたようで、真似るのなんて器用なあの人なら簡単だったみたいですね。日記を丸々一冊書き換えたのは……少し恐ろしいものを感じますけど。それから、あの頁と写真はずっと私の手元にありました」
ゆら子は、伯父の書斎に入ったことはない。一度たりともだ。
ずっと手元にあったものを、頃合いを見計らって出してきただけ。
「姉がいなくなった後、私が姉と母の言いつけに従って行ったことはこれで全部です。……ああ、いえ、もうひとつあります」
「……僕と出会ったことかい?」
「今の言い方は正しくありませんでしたね。姉がいなくなってから、あの橋であなたと出会うまでにしたことです」
「じゃあ、もうひとつって?」
「あなたがお姉ちゃんを埋めてくれるか見張ること」
ひゅっと正弥が息を呑んだ。
繋いだ手が解けることを許さず、足を止めることも許さずにゆら子は同じ歩幅で目的地に向かって進む。
あの日と違って、指先は冷たくない。
ずっと手を握っていたから……ではなく、ひとりではないからだ。
「もし、あなたがお姉ちゃんを埋めないで自首しようとしたら止めることが私の役割だったんです」
殺されるための計画の最後、生きた姉に最後にあった日のことをゆら子はよく覚えている。
お外で会った姉は――髪を短くして洋装に身を包んだ春子は綺麗だった。元々美しい人だったが、より輝いて見えたのは、きっと彼女が束の間の自由を謳歌し、間もなく訪れる終わりを心待ちにしていたからだろう。
いつだって花は、散る直前が一番美しい。
そんな春子は「もし、万が一」と言っていたが、“もし”も“万が一”もないことを予想していたようだった。事実、正弥は自首することなく、春子の思惑通り彼女を埋めて隠した。
正弥の家族に対する情を春子はよく理解していたのだろう。
「怒ってもいいんですよ。お姉ちゃんは埋めてくれる人が必要だっただけで、正弥さんは利用されただけなんですから」
「それでも僕がしたことは変えられないよ」
真面目な人、とゆら子は口にしなかった。
それは称賛であったが、彼には嫌味に聞こえてしまうかもしれないからだ。
「ままなりませんね」
首を吊った少女がひとり。
首を吊らせて足を滑らせた少女がひとり。
愛情を復讐に利用した少女がひとり。
死体は、みっつ。
前のと併せて、いつつ。
人生を狂わせられたのは――何人と言えばいいのか、わからない。
確かなのは、死体も、狂気も無駄に積み上げてしまったことだけだ。
これ以上、積み上げることにならなくて良かったとゆら子は笑みを零した。
「さて以上が、あなたがお姉ちゃんを手にかけることになった理由です。愚かでしょう?」
「……頷くべきか、首を振るべきかわからないな」
「頷いてください。他人を巻き込んだ復讐なんて愚かとしか言いようがないんですから」
正弥は首を振った。
もし、ゆら子が指す愚か者が彼自身のことだったのなら頷いていたのだろう。
街を抜けた二人は、丘の前まで来ていた。
一本桜まで、もう少しだ。
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