【拾】少女たちの関係性(後)
三人の視線は、自ずと春子の項目に移った。
●櫻木春子
四年前の秋に失踪。
失踪理由は不明。
手紙などはなく、失踪当日出掛けたまま帰らなかった。
自主的な失踪なのか、事件性のあるものなのかも不明。
櫻木宗一郎の姪。父親が事故で亡くなったことをきっかけに母、妹と共に櫻木家に引き取られた。
水谷女学園に通っていた。素行にこれといった問題はなく学園での評判も良かった。
「…………」
周囲は、相変わらず他愛のない話題で賑わっている。束の間の沈黙は、ゆら子たちを外の世界から引き離したかのようだった。
その感覚は間違っていないとゆら子は思った。
死は日常に溢れているものではない。それに触れている彼女たちは、隔たりの向こうに行こうとしている。死んでしまった者、いなくなってしまった者、そして、その罪過の所在を探ろうとしている彼女たち。もし、彼女たちの方へ踏み出してしまったら元の日常には戻れなくなる。
そんな犠牲を払ってまで、罪の在り処など暴く必要はあるのだろうか?
そんなことを気にする者は、まだいるのだろうか?
ゆら子が気にする必要は……?
今なら、間に合う。
まだ、
窓の外。
ふわりと花びらが舞う。
白くて丸い――梅の花。
たった一欠片だった。
しかし、ゆら子を引き戻すには十分でもあった。
「ゆら子ちゃん、大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫です。……ただお姉ちゃんのこと、警察でも全然わからなかったんだなって思って」
手帳に綴られている内容は、ゆら子が知っていることと大差なかった。むしろ、妹であるゆら子の方が幾分か詳しいだろう。
「櫻木氏――ゆら子ちゃんの伯父さんが熱心に捜索していたけど、まったく手がかりがなかったらしいからね。ゆら子ちゃんから見てどう? 失踪した日の様子とか覚えてれば聞きたいんだが」
「お姉ちゃん……姉がいなくなった日は、いつもと変わりなくて」
言葉を切ったゆら子は、記憶を辿る。
もう四年前のことだが、あの日のことを忘れたことはなかった。
――いってきます。
離れの玄関まで見送りに出たのは、ゆら子だけだった。
あの頃、既に彼女たちの母親は随分と弱っており、寝たまま過ごす日も増えていたからだ。「いってらっしゃい」という母の声を背中で聞きながら、ゆら子は姉の着物の袖を掴んだ。
良く澄んだ青――空の色を映したかのような
櫻木という名字のせいか、伯父が誂える着物は桜色が多かった。
でも、春子が好んでいたのは良く晴れた空のような色だったとゆら子は知っている。
だからあの日、珍しく天色の着物で出掛ける姉の袖をつかんで「綺麗だね」と言った。それに、姉はただ笑って。ゆら子の頭を撫でると出掛けて行った。
そして、春子は帰って来なかった。
「休日だったので買い物に出掛けたんです。普段と違うところなんて何もなかったのに……」
「そのまま行方不明、か」
確かめるような寛次郎の言葉にゆら子は頷いた。そんなゆら子より、正弥の方が沈痛そうな面持ちで手帳を睨んでいる。だが、結局彼は何も言わなかった。
寛次郎は、手帳を引き寄せて「失踪当日は天色の着物を着用」と書き加えつつゆら子に尋ねた。
「実は、今日ゆら子ちゃんに来てもらったのはお願いがあったからなんだ」
「私にですか?」
「春子さんの写真がないかと思って。内容を写すのも……まぁ、よくはないんだけど、流石に捜査資料である写真は持ち出せなくてさ。でも、あれば聞き込みに使えるだろ?」
「そうですよね、容姿がわかれば手掛かりも増えるかもしれませんし」
「そうそう。あるかな?」
「……すみません、私の手元にはないんです。伯父なら持っていると思いますが」
正弥と寛次郎はどちらからともなく顔を見合わせる。正弥は、そっと首を横に振った。ゆら子が伯父と折り合いが悪いことは、寛次郎も正弥から聞いていたので、彼女の手元にないのなら、手に入れるのは難しいだろうことは察しが付いた。
「あっ、似顔絵はどうだろう?」
「あの……私、絵心はあまりないんです」
正弥の提案に、ゆら子は顔を手で覆った。
試しにと渡された手帳の新しい頁に描かせてみれば、ネコと称して耳なのか角なのかわからないものが生えた楕円形の何かが生成される。
堪えきれず肩を振るわせる友人を小突いて止めた正弥は、取り持とうと代わりにペンを握る。ゆら子は再び顔を手で覆っていた。
「気にしないで。寛次郎も絵心はないんだ」
「は、はい……」
「僕が描いてみるから特徴を教えてくれるかい?」
「え、えっと……綺麗な長い黒髪をしていて、顔立ちは母によく似ています。妹の私が言うと身内贔屓だと思われるかもしれませんがとても美人なんです」
「……僕はゆら子ちゃんの母君とは会ったことがないからその説明だとちょっと、どうしようか」
「ゆ、ゆら子ちゃんに絵心がない理由がわかった気がするよ」
頬の内側を噛むことで笑い出すのを耐えているものの寛次郎の声は震えている。「君の説明も大差ない」という正弥の声は、無視された。
「私……なんとかして写真、手に入れてみます」
「えっ?」
「伯父のところにあることはわかっていますから」
ゆら子は、残っていたミルクコーヒーを一気に飲み干した。
カップが音を立ててソーサーに戻される。びくりと肩を震わせた男性陣は、そのまま黙り込んだ。全て、ゆら子の狙い通りだった。
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