【玖】少女たちの関係性(前)

 授業が終わって早々に学校を飛び出したゆら子が待ち合わせ場所である公園に行くと、既に正弥の姿があった。隣には知らない和装姿の男性の姿もある。

 そちらに向かって声をかけるより早く、彼らもゆら子に気が付いたらしい。軽く帽子を掲げると、ゆら子の方に来てくれた。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「いや、こちらこそ。ここまで来てもらって悪かったね」

「やっぱり校門で待ってた方がよかったんじゃないか?」


 正弥の隣に並ぶ和装の男が軽く首を傾げた。

 正弥から「警察に努めている友人が力を貸してくれる」と聞いていたゆら子も、内心で首を傾げる。その身形みなりがあまりにも立派だったからだ。警察の給料は安くはないだろうが、それにしても仕立てが良い。かといって、背伸びをしている雰囲気もなく自然体だ。着こなしている……いや、高級品を着慣れている。


「親族でもない男二人が女学校の前で待つのは良くないよ」

「警官と今流行りの百貨店の御曹司だぞ。身元ははっきりしてるじゃないか」

「そういう問題じゃない」

「じゃあ、岩本財閥の末っ子……いや、やっぱり成金息子より警官の方がいいな」


 軽口を叩くふたりの様子に納得がいったと同時に、ゆら子は思わずくすりと笑ってしまった。

 彼らの口振りから想像するに、この二人は実家が資産家同士で縁があり、当人たちの馬も合ったために長い付き合いがあるのだろう。つまりは、気の置けない友なのだ。

 ゆら子に笑われたことで、きまりが悪くなり頬を掻く正弥とは反対に、和装の男性――寛次郎は人好きのする笑顔を浮かべた。


「自己紹介がまだだったな。岩本寛次郎だ、よろしく」

「櫻木ゆら子と申します。姉を探す手伝いをしてくださると聞いています。どうぞよろしくお願い致します」

「制服を着てないと、そうは見えないかもしれないけどこれでも警官なんだ」

「一言余計じゃないか? これでも期待の新人……もう新人ではないか。まぁ、若い中では優秀だって評判なんだぞ」


 気の置けない友人同士のやり取りは、ゆら子の心も和らげてくれる。

 口をへの字にして拗ねる様子は、愛想の良い笑みよりも寛次郎の人となりを表している気がして、ゆら子に好感を持たせた。そうさせたのは、寿々乃が極めて稀に見せてくれる甘えたいが言い出せない時の仕草に似て見えたせいでもあったかもしれない。


「ふふ、正弥さんも信頼なさってるからお願いしたんですよね?」

「そうそう。なのにこいつは照れ屋だからさ、友人には辛辣なんだ」

「……頼りにならないとは言ってないよ」


 明後日の方向を向いて呟いた正弥の声を聞き逃さなかった寛次郎はにやりと笑ったが、何か言う前に肝心の友人は踵を返してしまった。


「無駄話はここまでにして行こうか、ゆら子ちゃん。また前のミルクホールでいいかな?」

「あ、はい」


 問いの形だが、もう目的地に向かって歩き出している正弥につられてゆら子も歩き出す。ちらりと振り返ると、肩を竦めて寛次郎が面白そうに笑っていた。





――――





 再び訪れることになったミルクホールは相変わらず賑わっており、仲間同士の楽しそうな雑談や、注文を取って回る女給の良く響く声が飛び交っている。

 席に通されたゆら子は、並んで座るふたりを見比べた後で正弥の正面に座った。


「さて」


 悩んだ末に、前回と同じ羊羹カステラとミルクコーヒーを頼んだゆら子に、本当か嘘かわからない洋菓子の由来を話して場を賑わせていた寛次郎は、皆が一息ついたことを確認するといつも浮かべている笑みを消した。

 途端に、軽薄さや調子の良さも消えてなくなる。

 普段明るく振舞い馴染みやすい面も取り繕っているわけではないのだろう。だが、目の前の問題に真剣に取り組もうという姿もまた間違いなく彼の一面らしい。

 油断がならない人物だとゆら子は感じた。


「ゆら子ちゃんは、お姉さんの春子さんが失踪したことと今村沙紀さんの自殺、水谷絹子さんの事故死が関係あると考えているんだね?」

「はい。同じ年に同じ学校に通っていた三人が亡くなったり失踪したりするなんて、おかしいと思うんです」


 寛次郎は何も言わなかったが、考え込んでいる様子で軽く頷いた。

 なんらかの意図を持って引き起こされた関連のある事件なのか、それとも偶然不幸が重なっただけなのか、その確率を考えているのかもしれないとゆら子は思った。ゆら子の主張が正しいかどうかは、寛次郎にも正弥にも判断は付かないだろう。


「調べてはくれたのかい?」

「保管してあった資料は当たってみたし、先輩方を捕まえて話も聞いてみたけど、これといって目新しいことはないと思うぞ」

「そうですか……」

「まっ、見落としがあるかもしれないし、今ある情報をまとめてみるか」


 そう言いつつ寛次郎が取り出した手帳には、既に三つの出来事の内容が簡単にまとめられていた。綴られている文字は、少し癖はあるものの力強くて見やすい。


「知ってることがあったら書き足してくれ」


 ゆら子は改めて手帳を覗き込む。同様に正弥が反対側から目を通しているので、手帳を回転させようとしたら手で制された。


「僕が追記出来ることはないと思うから」

「……はい」


 彼の視線が、絹子の事件の項目にだけ向けられていることに気が付いたが、ゆら子は指摘しなかった。代わりに今度こそ真剣に内容と向き合う。



●今村沙紀の自殺

 四年前の初夏、丘の上にある一本桜の枝に紐をかけて首を吊り自殺。

 一般家庭出身で、奨学金を頼りに水谷女学園に通う苦学生。

 遺書があったため自殺と断定。

 良家の子女が集う女学校の雰囲気に馴染めていなかった模様。苛めを受けていたという情報もあるが詳細は不明。

 櫻木春子、水谷絹子のひとつ下の後輩。



「えっ……」


 身をこわばらせたゆら子は、眉間を寄せて目を閉じた。これまで気にも留めていなかったことが、彼女の中で繋がっていく。


「どうしたんだい?」

「沙紀さんは、一本桜のところで亡くなったんですか?」

「寛次郎が調べたところによるとそのようだね」

「ん? ふたりとも知らなかったのか。オレを頼って正解だったな」


 得意げに頷く寛次郎とは対照的に、ゆら子と正弥は真剣な顔で手帳を凝視していた。


「……そんなに重要か?」

「もし、ゆら子ちゃんの想像通り四年前の三つの件が関係しているならね」


 正弥が水谷絹子の項目に視線を移したことで、寛次郎には言わんとしていることが理解できた。水谷絹子は事故に合う直前に、丘の一本桜のところへ行くと家族に告げていたからだ。

 しかし、ゆら子はまだ“一本桜”と書かれたところを見つめている。


「私は……どこで亡くなったのかまでは知らなかったので驚いただけです。姉からは“自殺”とだけ聞いていたので」

「お姉さんから? 沙紀さんと親しかったのか?」

「おそらく、ですが……」


 歯切れの悪い言い方に、正弥と寛次郎は首を傾げる。

 少し考えた後でゆら子は、困ったように眉を下げた。


「姉は、学園であったことをあまり話さなかったので交友関係は詳しくないんです。ただ、酷く気落ちしている時があって、話を聞いたら親しくしていた方が自死したと……」

「それが沙紀さんだったんだね」

「はい。助けになってあげられなかったと気に病んでいる様子でした」

「なるほど。……一応、書き加えてもらえる?」


 頷くと、ゆら子はそこに一文を書き足す。



●今村沙紀の自殺

 四年前の初夏、丘の上にある一本桜の枝に紐をかけて首を吊り自殺。

 一般家庭出身で、奨学金を頼りに水谷女学園に通う苦学生。

 遺書があったため自殺と断定。

 良家の子女が集う女学校の雰囲気に馴染めていなかった模様。苛めを受けていたという情報もあるが詳細は不明。

 櫻木春子、水谷絹子のひとつ下の後輩。

 春子とは親しくしており、春子は沙紀の助けになれなかったことを気に病んでいた。



「うーん……春子さんは沙紀さんが問題を抱えていることを知っていたのか?」


 寛次郎がぽつりと呟く。

 ゆら子は、書き込んだばかりの自分の文字を視線でなぞった。元々書き込まれていた文字と比べると、細くて弱々しく見える。流麗な姉の文字に憧れて手習いを続けてきたが、全く追いつけていない。何度見ても力のない文字たちだ。


 綴られた文字に答えを見つけることは出来ず、ゆら子は首を振った。

 事実を指摘しただけだったが、正弥に肘で突かれた寛次郎は「すまん」と素早く謝罪する。ゆら子は、口元を少しだけ弛めて「いえ」とだけ答えると、次の項目に視線を移した。



●水谷絹子の事故

 事故が起こったのは四年前の梅雨時。

 水谷女学園を経営する水谷家の令嬢。

 一族が経営する水谷女学園に通っていた。

 丘にある一本桜のところへ出掛けると言って家を出た後、行方不明になる。翌日、丘の裏を流れる川の下流から遺体となって発見された。

 当時の捜査資料によると、当日は雨で地面がぬかるんでいたため誤って足を滑らせ、崖から転落したのではないかと推測されている。

 最終的に、誤って転落し、雨で増水した川に流されたために起こった事故として処理された。

 櫻木春子とは同級生。宮川正弥の元許婚。

 甘やかされて育ったため、非常に自己中心的。



「あの……最後の一文は寛次郎さんの主観ですか?」

「……まぁね。主観的なことは入れない方がいいとは思ったんだけど、事件性を疑ってるみたいだし、恨みを買いやすい人だったってことは知っておいてもらった方がいいかと思ってさ」


 横目で様子を伺った正弥は、表情もなく無言を貫いていた。否定しないということは、正弥から見ても水谷絹子という人物は寛次郎の評した通りの人だったのだろう。だが、それでも決して肯定しないのは、彼には別の思いがあるからなのかもしれない。

 あまり触れない方が良いだろうと判断したゆら子は、寛次郎に話を振った。


「絹子さんは何故、一本桜のところへ行ったんですか? 雨が降っていたみたいですし、梅雨の時期なら桜も咲いていませんよね?」

「資料には、理由は書いてなかったな」

「……彼女の家の者も『そこに出掛けた理由は聞いていない』と言っていたよ」


 家を出た理由は気になるが、この場に答えられる者はおらず保留となった。よって、絹子に関しては、現状ではこれ以上話せることがない。三人の視線は、自ずと春子の項目に移った。

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